死神と乙女のファンタジア

川上桃園

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夜の礼拝堂1

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 これは後ろ暗い悦《よろこ》びだ、とヨハンは寝台でカルロッタの肢体をかき抱きながら思う。
 だれからも祝福されず、しかし初めて知った愛の甘美さを手放せるわけもなく。
 出会った時から、彼女は人妻だった。父の愛妾の妹だった。

『おろかなことをするな、ヨハン。とっくにその女は人妻だ』
『父上。自分は真剣なのです。彼女と結婚を……』
『許さぬ』

 威厳ある父の大公はにべもなく、彼女の存在を否定した。自分は『ヴィオレッタ』という愛人を可愛がっているくせに。

『じきにおまえの縁談を用意する。正式な妻を持てば、おまえの目も覚める。……逃げるのもいい加減にするのだ』
『逃げる? 父上、逃げると言いましたか! 僕は逃げてなどいません! 自分の将来のことも考えています! 僕は父上の跡を継ぎ、この国の大公になります! そのための勉強もしてきました!』
『勉強? 勉強など、今、していないだろう? 女とベッドの上でする『勉強』はなんなのだ? ……恥ずかしい』

 その時のヨハンは己が裸だったことに気付き、赤面した。鍛えている父と比べれば、虚弱な身体がいかに貧相か。しかし、カルロッタはこんな身体でも「気持ちよい」と言ってくれるのだ。彼女のような女性が他にいるはずがない。

『たしかに今、私の跡継ぎとなり得るのはおまえだけだろうが、今後どうなるかはまだわかるまい』
『は……?』

 あっけにとられた。まさか、と思った。ヨハンの脳裏に、あの女の存在がよぎる。訳知り顔でカルロッタとのことを忠告してきた。

『まさか、あの女を大公妃にし、子を生ませるつもりですか……! あの女にだって夫がいる! カルロッタと同じじゃないか!』

 偉大なる父の跡継ぎであること。己に自信が持てないヨハンはそれだけを頼りに生きて来たというのに、今更、「跡継ぎはおまえではない」と言われなくてはならないのか。
 父はヨハンの激高など無視し、何も応えなかったが、実際はどうにかするつもりなのだろう。ヨハンとは違い、父にはこの国を支えて来た実績があるし、権力も持っている。女ひとりを大公妃にねじ込むこともしてのけるだろう。なにしろ、父は、これは、と思ったものへの執着が激しい。ラザロとの戦争で勝利したのも、父の手腕も大きかったはずだ。

「ヨハン様。気難しい顔をしていらっしゃるわ……」

 白くて優しい指がヨハンの眉間に寄った皺に触れる。こりかたまったものがほどけていくようだった。
 少し年上の美しい恋人、カルロッタが悲しげな顔をしている。

「カルロッタ。僕は、君と結婚したいんだ」

 するりと本音が出てくる。周囲から祝福されずとも、ふたりが一緒にいられるのなら、それでよかった。意図せずしてしまったプロポーズだった。気づいた途端に、ヨハンは緊張した。彼女はなんというのだろう。
 青い宝石のような瞳をまたたかせたカルロッタは、やがて花のように笑んだ。

「ええ、したいわ。ヨハン様と結婚します」
「ほ、ほんとう? 僕を選んでくれるのだな? 間違いないな?」
「はい。ヨハン様」

 人生の最良の日だと思った。これほど幸せな気持ちになることは、今後の人生でもないに違いない。ヨハンは有頂天になる。

「ただね、今のままだとみんな反対すると思うわ……」
「ああ、わかっている。なんとかして説得しよう。あなたの夫と僕の父のことは任せてくれ。君に苦労させたくないから」
「ええ、ありがとう。でもね、あの方たちはおそらく納得してくれないと思うの……」

 カルロッタは優しい笑みを浮かべたまま、ヨハンの身体に身をおしつけると、年下の恋人の耳元に囁きかける。

「ロレンツォとハインリヒ大公が死んでくれなくては、わたしたちは結婚すらできないわ。ねえ、ヨハン様。わたくしのためにお二人を殺してくれる?」


 得意満面なヨハンの顔が石のように固まった。



 穏やかな昼下がり。ヴィオレッタは大公に呼ばれて書斎にいた。大公とヴィオレッタは互いに同じ本を読み、感想を言い合う読書会をしていたのだ。
 大公の侍従が扉越しに声をかけたのがその時だ。ロレンツォが来たという。ヴィオレッタはにわかに緊張を覚えた。もしかしたらロレンツォの答えが聞けるかもしれない。

「通せ」

 大公の一声でロレンツォが書斎に通された。彼は前回会った時よりも幾分か顔色はよくなっている気がした。

「おくつろぎのところ、お邪魔して申し訳ありません」
「構わぬ。して、どのような用件かね」
 
 ロレンツォは丁重な姿勢を貫いていたが、ヴィオレッタと大公が隣同士でカウチに腰かけているのを見ると、狼狽えたような表情を浮かべた。

「どうしたのかね?」
「い、いえ……」

 間近で接する大公への遠慮と捕らえたのか、ハインリヒは無理に用件に切り込むのはやめ、書斎の紹介をはじめた。ロレンツォの心を解きほぐそうとしたのだろう。
 
「こちらの書籍は東方のものでね……」
「南方の文化にも興味があって、少々取り寄せているのだ」
「我が国でも百科事典を編纂しようとしていてね」
「ヴィオレッタとは話がよく合うからここへの出入りを許している。彼女以外の女性はここに立ち入れないこととしているのだ」

 とりとめのない話を聞かされたロレンツォは愛想よく返事をしていたが、そうでした、と訪問の用件を切り出した。

「実は、長く逗留しておりましたが、そろそろラザロへ戻ろうかと思っております」
「いいのかね?」

 ハインリヒが言葉少なに訊ねたのは、「妻の両親の軟禁への交渉が終わっていないのがいいのか」と「妻の不貞を公国で決着をつけなくてもよいのか」との二通りの意味を持っているのだろう。

「私では役不足のようですので。改めて、ラザロから使者を送ることになろうかと。父からも帰ってくるようにと再三手紙が来ておりますし。大公陛下には大変、よくしていただきまして、まことに感謝しております」
「ふむ。残念なことだ。貴公が話すラザロの話は非常に興味深かったのだが。――奥方も連れて帰るのか」

 彼はカルロッタもラザロに連れて帰るつもりのようだ。しかし、懸念はある。カルロッタはヨハンに執着しているのに、果たして、本当に二人を引き離すことができるのだろうか。あのカルロッタが簡単に欲しいものを諦めるのだろうか?
 だが、ロレンツォは頓着していないようだった。さっぱりと肯定した。

「はい。お互いにそれがよろしいでしょう。……ただ、少し心残りがございますが」

 言いながら、ロレンツォの目は大公の隣に向けられた。ヴィオレッタには、彼の視線が前回の会見時よりも熱を帯びたものに思えてならない。
 
「あの、ロレンツォ様、私に何かお話でも」
「そんな心残りなど忘れてしまえばよい。そなたはラザロの人間なのだから」

 ロレンツォに言いかけた言葉が遮られ、ヴィオレッタの右手がハインリヒに取られた。
 元々、大公は人前でべたべたと触れる人ではなかったはずなのに。
 大公の語気がいささか荒かったのは気のせいだろうか。

「ヴィオレッタ様」
「はい」

 名前を呼ばれたから顔を向ければ、思いのほか身を乗り出したロレンツォに出会った。彼の胸には、鈍く光る銀の指輪がある。それをつまんで見せながら、彼ははにかんだ。

「銀の指輪を返していただき、ありがとうございました。母の形見だったものですから」
「いいえ。お返しできてよかったです。ラザロまでの帰路、お気をつけて」
「思いがけず戻ってきたものです。大事にします。それと、思い出も」
「思い出?」

 首をかしげかけた時、彼は閉じていた右手を一瞬だけ開いた。
 目が惹きつけられた。色褪せていたものの、間違いない。だってかつての自分が作ったものなのだから。
 ふいに心が震えた。
 そう。そうだ。カルナヴァルの一時だけ、ヴィオレッタの救いとなっていた彼。結婚しようと言われた時は嬉しかった。彼女にも人並みの幸せがあるのかもしれないと夢見ることができたから。ありがとう、ありがとう……。
 今よりも幼いヴィオレッタが抱いた淡い思いと、その後に来た絶望がぶり返し、彼女の心は千々に乱れた。
 
「ヴィオレッタ……」

 茫然とする大公とロレンツォが目に映る。
 ……ヴィオレッタは頬に一筋の涙が零れていたのだった。


――ヴィオレッタ。

 彼女を見守る死神《アンクー》は、その涙を拭う役目が自分でないことがもどかしかった。人ではないから、死神《アンクー》には許されない。自分は人間の命を刈り取るだけの存在だ。ヴィオレッタを幸せにはしてやれない。

――今からでもいい。どうか、幸せになる道を掴み取ってくれ。

 異母妹のために命を燃やし尽くし、優しい心を捧げきる前に。
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