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第9話
翌日。本来のスケジュールは相当詰まっていたが、クローヴィスは比較的早い時間帯にバーガンディ子爵夫人を訪問することができた。隣には夫の子爵も同席している。
ふたりとも顔が強張っていた。世間では「冷血宰相」などと散々な言われようだからだろう。
突然の訪問を詫びつつ、クローヴィスはすぐさま本題に入った。
「こちらにコーデリアという女性が滞在していると伺ったのだが。実は彼女とは旧知の間柄で、急ぎ、彼女と面会をさせてもらえないだろうか」
子爵夫妻は目を見合わせた。
あの、と夫人がおそるおそる口を開く。
「恐れ入りますが、コーデリアとはどのような関係なのでしょうか。あの子はわたくしの学院の同級生です。彼女の口から、宰相閣下のお話を聞いたことがございません」
「……そうですか」
学院ではパトロンが彼だという事実は伏せられていた。
親戚でもない少女を援助するというだけで世間ではあることないこと吹聴されかねなかったからだ。
クローヴィスは、自分の存在が明らかになることでコーデリアが不利な立場になることを避けていた。
しかし、それは学院内だけの話に過ぎない。彼女が今もクローヴィスとの関係を口にしないのは、彼女自身が気を遣ったためだろう。
――私の結婚報道も出ているのならなおさら、か。
目の前にいるふたりも、クローヴィスとコーデリアがどれだけ親しい間柄にあるのか、想像もできていないに違いなかった。
――今は、あの報道を訂正するべき時ではない。
男としての心情はあれど、宰相としての立場が冷静な判断を下す。
「彼女の兄は優秀な騎兵であり、私の部下であり、友でもありました。コーデリアは友の妹に当たります。その縁があって、何かと交流がありました。しばらく会っていなかったところ、昨日は彼女らしき人を見かけたので、こうして子爵家まで押しかけてしまったのですよ」
話せるぎりぎりの範囲だった。
「そうですの。……それだけですの。手紙は?」
「手紙とは」
子爵夫人はじっとクローヴィスを見つめる。思料しているようだ。
「閣下がおっしゃることですから、嘘はないのでしょう。ただ、わたくし、友人が望まないことをするつもりはございません」
「その意図をお聞きしても」
「だって、おかしいでしょう。貴方様にはガプル公爵令嬢がいらっしゃるのに、コーデリアを探すだなんて。しかも、昨日の今日で」
皮肉めいた口調だった。
ねえ、と子爵夫人は夫に同意を求めた。子爵もまたこくりと頷く。
「わたくし、不倫に加担するつもりはございませんの。コーデリアは閣下の玩具ではなくてよ。あの子は学院を首席で卒業し、今も官吏として働いている……同期女子たちの星ですの。詳しい事情は知りませんが、あの子には泣いてほしくありません」
クローヴィスは子爵夫人の言い分に押し黙った。
――不倫か。
「そう」見られるのが普通なのだ。言葉の刃がクローヴィスの胸に刺さる。
「そうですね。……もっともなお話だ」
ここにいても情報は得られまい。クローヴィスは辞去することにした。
「私は失礼しよう。子爵夫人、どうか、これからもコーデリアの良き友でいてやってほしい」
「は……」
クローヴィスが心からそう言って、頭を下げる。子爵夫人が息を呑む気配がした。
「身内の縁が薄い子だから、あなたが気にかけてくれると安心できる。さびしがりなところもある子だからね」
驚く子爵夫人を後に残し、クローヴィスは廊下に出た。前には子爵が見送りのために歩いていた。
子爵は気づかわしげに、クローヴィスを一瞥した。
「妻が失礼な物言いをしたことをどうかお許しください」
「いや、むしろ感心したぐらいだ。あなたは良き伴侶を持っていらっしゃる」
子爵は照れくさそうに頬をかいたが、すぐに表情を改めた。
「閣下、実のところ、すでにコーデリア嬢は当家にいないのです。用事があるとのことで、朝早くに出立しました」
「そうだったのか……。教えていただき、感謝する」
「いえ。閣下は宰相という重いお役目をお持ちです。言えないこともあるかと思いまして……」
子爵は首を振り、そして思い出したように、
「そういえば、妻が申しておりました。もし閣下が、我々の思う通り、コーデリア嬢と関係があったなら、手元に手紙があるはずだと」
「手紙……?」
「コーデリア嬢が、当家に来る直前、その方へ出したと言っていたようです」
『それだけですの。手紙は』と問うた子爵夫人の発言の意味がようやく見えてきた。
彼女は、あれでクローヴィスとコーデリアの関係に探りを入れたのだ。
しかし、彼に思い当たる節がなかったため、子爵夫人は「手紙すら読めていない」もしくは「手紙のことすら認めない」と見なしたのだろう。
「そうでしたか。……しかし、嘘でもなんでもなく、本当に届いていないのですよ」
クローヴィスがコーデリアからの手紙を見つけたなら、すぐさま封を切り、目を通したはずだ。
――配達夫が途中で紛失した?
たまにあることだが、彼女の手紙だけ消えることがあるだろうか、と疑問に思う。
「もう一度、我が家を探してみることにします。御親切に感謝します」
「そうなさってください。良き方向に向かわれることを祈っております」
クローヴィスは子爵邸を出た。
彼の馬車を見送った子爵はふう、と息をつく。
――宰相は宰相で事情を抱えていそうだが、コーデリア嬢もコーデリア嬢で……。
コーデリアからの相談内容を思い出した彼は肩を竦めた。
どちらも職務を忘れられない。その意味では似た者同士に違いない。
だが、宰相のほうはともかく、コーデリアの方はそれなりに深刻だった。
――「あれ」は不正だ。
機密が必要な案件だから、子爵も口には出せなかった。詳細こそコーデリアは漏らさなかったが、身の安全をはかるためにも宰相の耳に入れたほうがうまく事が運ぶだろうに。
コーデリアは宰相が自分を追いかけてきたことを知らないまま、子爵邸を出てしまった。次の行き先もわからない。
『良き方向に向かわれることを祈っております』。子爵が口にした言葉は、真実、そう願ったものであった。
ふたりとも顔が強張っていた。世間では「冷血宰相」などと散々な言われようだからだろう。
突然の訪問を詫びつつ、クローヴィスはすぐさま本題に入った。
「こちらにコーデリアという女性が滞在していると伺ったのだが。実は彼女とは旧知の間柄で、急ぎ、彼女と面会をさせてもらえないだろうか」
子爵夫妻は目を見合わせた。
あの、と夫人がおそるおそる口を開く。
「恐れ入りますが、コーデリアとはどのような関係なのでしょうか。あの子はわたくしの学院の同級生です。彼女の口から、宰相閣下のお話を聞いたことがございません」
「……そうですか」
学院ではパトロンが彼だという事実は伏せられていた。
親戚でもない少女を援助するというだけで世間ではあることないこと吹聴されかねなかったからだ。
クローヴィスは、自分の存在が明らかになることでコーデリアが不利な立場になることを避けていた。
しかし、それは学院内だけの話に過ぎない。彼女が今もクローヴィスとの関係を口にしないのは、彼女自身が気を遣ったためだろう。
――私の結婚報道も出ているのならなおさら、か。
目の前にいるふたりも、クローヴィスとコーデリアがどれだけ親しい間柄にあるのか、想像もできていないに違いなかった。
――今は、あの報道を訂正するべき時ではない。
男としての心情はあれど、宰相としての立場が冷静な判断を下す。
「彼女の兄は優秀な騎兵であり、私の部下であり、友でもありました。コーデリアは友の妹に当たります。その縁があって、何かと交流がありました。しばらく会っていなかったところ、昨日は彼女らしき人を見かけたので、こうして子爵家まで押しかけてしまったのですよ」
話せるぎりぎりの範囲だった。
「そうですの。……それだけですの。手紙は?」
「手紙とは」
子爵夫人はじっとクローヴィスを見つめる。思料しているようだ。
「閣下がおっしゃることですから、嘘はないのでしょう。ただ、わたくし、友人が望まないことをするつもりはございません」
「その意図をお聞きしても」
「だって、おかしいでしょう。貴方様にはガプル公爵令嬢がいらっしゃるのに、コーデリアを探すだなんて。しかも、昨日の今日で」
皮肉めいた口調だった。
ねえ、と子爵夫人は夫に同意を求めた。子爵もまたこくりと頷く。
「わたくし、不倫に加担するつもりはございませんの。コーデリアは閣下の玩具ではなくてよ。あの子は学院を首席で卒業し、今も官吏として働いている……同期女子たちの星ですの。詳しい事情は知りませんが、あの子には泣いてほしくありません」
クローヴィスは子爵夫人の言い分に押し黙った。
――不倫か。
「そう」見られるのが普通なのだ。言葉の刃がクローヴィスの胸に刺さる。
「そうですね。……もっともなお話だ」
ここにいても情報は得られまい。クローヴィスは辞去することにした。
「私は失礼しよう。子爵夫人、どうか、これからもコーデリアの良き友でいてやってほしい」
「は……」
クローヴィスが心からそう言って、頭を下げる。子爵夫人が息を呑む気配がした。
「身内の縁が薄い子だから、あなたが気にかけてくれると安心できる。さびしがりなところもある子だからね」
驚く子爵夫人を後に残し、クローヴィスは廊下に出た。前には子爵が見送りのために歩いていた。
子爵は気づかわしげに、クローヴィスを一瞥した。
「妻が失礼な物言いをしたことをどうかお許しください」
「いや、むしろ感心したぐらいだ。あなたは良き伴侶を持っていらっしゃる」
子爵は照れくさそうに頬をかいたが、すぐに表情を改めた。
「閣下、実のところ、すでにコーデリア嬢は当家にいないのです。用事があるとのことで、朝早くに出立しました」
「そうだったのか……。教えていただき、感謝する」
「いえ。閣下は宰相という重いお役目をお持ちです。言えないこともあるかと思いまして……」
子爵は首を振り、そして思い出したように、
「そういえば、妻が申しておりました。もし閣下が、我々の思う通り、コーデリア嬢と関係があったなら、手元に手紙があるはずだと」
「手紙……?」
「コーデリア嬢が、当家に来る直前、その方へ出したと言っていたようです」
『それだけですの。手紙は』と問うた子爵夫人の発言の意味がようやく見えてきた。
彼女は、あれでクローヴィスとコーデリアの関係に探りを入れたのだ。
しかし、彼に思い当たる節がなかったため、子爵夫人は「手紙すら読めていない」もしくは「手紙のことすら認めない」と見なしたのだろう。
「そうでしたか。……しかし、嘘でもなんでもなく、本当に届いていないのですよ」
クローヴィスがコーデリアからの手紙を見つけたなら、すぐさま封を切り、目を通したはずだ。
――配達夫が途中で紛失した?
たまにあることだが、彼女の手紙だけ消えることがあるだろうか、と疑問に思う。
「もう一度、我が家を探してみることにします。御親切に感謝します」
「そうなさってください。良き方向に向かわれることを祈っております」
クローヴィスは子爵邸を出た。
彼の馬車を見送った子爵はふう、と息をつく。
――宰相は宰相で事情を抱えていそうだが、コーデリア嬢もコーデリア嬢で……。
コーデリアからの相談内容を思い出した彼は肩を竦めた。
どちらも職務を忘れられない。その意味では似た者同士に違いない。
だが、宰相のほうはともかく、コーデリアの方はそれなりに深刻だった。
――「あれ」は不正だ。
機密が必要な案件だから、子爵も口には出せなかった。詳細こそコーデリアは漏らさなかったが、身の安全をはかるためにも宰相の耳に入れたほうがうまく事が運ぶだろうに。
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