その夜、“誰の女でもない”と決めた──名前を脱いだ私の舞台

nana

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名簿から、私の名前が消えた夜

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劇場の控室。
その日は、次回の出演者を記すホワイトボードが貼り出されていた。
黒いマーカーで書かれた、日付と演者の名前。
──いや、“仮の記号”といったほうが正しいかもしれない。
そこに、本名も芸名もなかった。

「次の回、どうする?」
演出家が何気なく聞いてきた。
「出たい」とも「出たくない」とも、即答できなかった。
でも私は、ボードの片隅に置かれていたマーカーを手に取った。

無意識に、手が「N」と書こうとした。
けれど、その筆跡を途中で止めた。
線を二本、斜めに引いたあと、ペンを離した。

意味のない記号。読めない符号。
誰も呼べないし、呼ばれない。

それでいい。
いや、それがいい。
名前で呼ばれた瞬間から、人は“役割”になる。
私はそれを、もう降りたい。

ボードを見ていたスタッフが言った。
「……それ、名前じゃないんですね」
私はうなずいた。

「私、もう“ナナ”じゃないですから」

それは、静かな宣言だった。
でも、自分の声が少し震えているのを感じた。
不安じゃなかった。
ただ、“長年連れ添った名前”に別れを告げた実感が、
身体の奥を揺らしていた。

控室を出て、誰もいない廊下に立つ。
夜の冷気が首筋をなぞった。

ああ、私はいま、
“見られる女”から、“名のない存在”になったんや。

どこにも所属せず、
誰にも選ばれず、
けれど確かに、“ここにいる”。

孤独やのに、満ちていた。
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