その夜、“誰の女でもない”と決めた──名前を脱いだ私の舞台

nana

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誰にも語られずに、そこにいた私

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公演が終わっても、私は挨拶をしなかった。
楽屋に戻らず、花も受け取らず、控室にも寄らなかった。
誰もそれをとがめる人はいなかった。
この劇場では、“名前のない者”に、礼儀は求められない。

客席から人が静かに流れていくのを、舞台袖から見ていた。
誰も私を探していない。
それが、こんなにも自由やったなんて。

ひとりの観客がふと立ち止まった。
昨日見かけた、あの“かつての私”だった女。
彼女は、舞台を振り返った。
でもそこには、誰もいなかった。

私の姿は、もうどこにも映っていない。
でも、確かに“いた”ことだけが、
その空間に淡く残っていた。

誰にも選ばれず、
誰の名も持たず、
ただ“そこにいた”ということ。
それだけで、じゅうぶんだった。

私はコートの襟を立てて、裏口から外に出た。
夜風が、名を呼ばないまま肌を撫でた。
スマホの通知も切ったまま。
誰からも呼ばれない夜。

けれど、私はここにいる。
過去のどのナナよりも、
いまが一番、生きている。

足音だけを残して、私は劇場をあとにした。
誰にも語られずに、
誰の記憶にも刻まれないまま、
それでも、たしかに。

(完)
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