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厳かな学園の歴史を感じさせる調度品は、自分の屋敷にあるものの豪華さとはまた違う雰囲気を作りだし、ただここにいるだけで姿勢を正さないといけない気持ちにさせる。

連れてこられた学園長室のソファーに腰を下ろし、左隣に掛けるジャンに目をやるが、彼は先程からずっと身体を震わせながら嗚咽を漏らしていた。

用意された温かいお茶が並ぶテーブルを挟んで向かいには、学園長と第二王子がジャンが泣き止むのを待っているが、
この部屋へ入ってからどうも第二王子の様子がおかしい。

正確には第二王子が異常でない時など、登壇していた時のみで、私が顔を合わせた場面ではいつもおかしい様子だったのだが。

何か不興を買ってしまったのか、足が一定のリズムで揺れ始め、その揺れが激しくなると共に学園長の汗も増えていく。

痺れを切らした学園長が声を上げかけたその時、

突然ジャンが口を開く。

「先程聖女様の光を浴びて前世を思い出しました!
自分は100年前、この国の騎士だったんです!
ここに居られる女性は、
あの魔物の王都への襲撃で、無念にも自分が守り切ることが出来なかった、王女で聖女だったベアトリス様の生まれ変わりに違いないはずです!
あの光は聖女の浄化の光、なによりこの金の美しい髪も宝石の様な青い瞳も、見間違うはずがありません!!!」

ベアトリス様の近衛騎士、その方は私があの後どうなってしまったか前世の記憶が戻ってからずっと知りたかった方だった。

「、、、あなたは、、クラウス様なのですか、、、
あの時、皆様どうなったのですか?!

私の力及ばす申し訳ございませんでした。
ずっと、ずっと、私が心配することでは無いのですが、それでも無事かどうか心より心配しておりました、、、」

胸が締め付けられる、瞳から涙が落ちそうになるのを必死に堪えながらも私はジャンに詰め寄ってしまった。

「いえ、自分はクラウス様ではなく、部下の騎士でミリウスと申します。

クラウス様はベアトリス様をお守りになってお倒れになってしまわれたのではないのですか?
あの時は多くの死者が出て、、、
自分もいつ亡くなってしまったのか、きちんと理解はしていないままで、、、
自分の方こそ申し訳ございませんでした。
お守りすることも叶わず、、、
うっ、うっうっ、、」

ジャンは更に激しく泣き始めてしまう。

ミリウス様と言うお名前に覚えはなかったが、近衛騎士のお一人だったのだろうか、
やはりあの時に多くの命が失われてしまったことが分かり、自分の力が及ばず犠牲が広がってしまったことに、後悔が押し寄せ、押さえていた涙が零れ落ちる。

その時、急に肩を捕まれ、ジャンの方を向いていた身体が反転させられ頬にハンカチが当てられた。

柔らかいシルクのハンカチに溢れ出るそれが染み込む。

涙の中の滲む瞳を丁寧に拾い上げるようにして目元を拭い、私を見つめてきたのは向かいに座っていたはずの第二王子だった。

驚き、「申し訳ありません!」と声を上げるだ私に第二王子は、子供に諭す様にゆっくりと優しく語りかける。

「あなたのせいなどでは決してありません。
あなた一人が責任を負うことなど、何一つないのです。
守るはずの我々を責めるどころか、ご心配してくださっていたなんて、あなたはどれだけ慈悲深いのか。
泣かないでください。
今世こそはこのクラウス、命に賭けてもあなたを守り続けるとここに誓わせて下さい。」

微笑む第二王子の顔はとても美しく、そして見つめる私に向けた瞳から、恋慕の心が滲み出ている様に感じられた。

ただ、私の頭の中ではたった一言が割れんばかりに脳に響く。
彼がクラウス様だったのだ、前世を思い出してから私がずっと思い焦がれ、いや前世からずっと許されなくても愛していた彼だったのだ。

彼がまた生を受けていて、共に同じ時代に生きれる、なんてことだろう、これ以上の喜びはきっと私にはない。


しかしここで気付く、彼は私をベアトリス様と思ってらっしゃるからこそ愛しいものを見る目で見つめてくれている、
そうでなく自分は孤児で平民の聖女だったクララなのだ、きちんと訂正しなければと伝えようとした時、
第二王子は呪文を唱え、涙を拭いたハンカチを口に咥えた。

その意味に気付いた時にはもう遅い、第二王子の右の手の甲が輝き、そこに紋章が浮かび上がった。

学園長が「なんてことを!」と悲鳴の様な声をあげてソファーから立ち上がる。

私もそう思った、これは身命の誓いだ。

誓われた方の命が尽きた時、身代わりに誓った方の命が無くなってしまうという誓いで、

呪文を唱えた後に誓われる方の体液を取り込むことで成立するが、そもそも必要とする術者の魔力が膨大でないと出来ないもので、100年前でも神話レベルと言われ出来る人間はいないとされていた。

しかし何百年も前の王が誓われた時のお話が絵本となって語り継がれており、紋章は幼い子供でも知っている印で、見間違うことはない。

彼は私を愛する王女と勘違いして命をかけてしまったのだ。


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