恋する獣たちのメルクマール

風巻ユウ

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本編

優等生なんて鼻につく

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同級生に出遭ってしまい買い出しから戻るのが送れたノエリオは、店に戻ってから一目散にテオへと荷物を渡し、エプロンをつけ、夜営業の準備をする。
冒険者ギルド併設の居酒屋なだけあって、夜には、冒険を終えて一休憩し戦利品の代金を受け取った冒険者たちが、こぞってやってくる。酒が一番出るのも夜だし、これからが稼ぎ時だった。

「ピノ、戻ってたのか」

テーブルを拭いていたところだった。声を掛けてきたのはスカイ・オリーヴ。黒猫の獣人らしく黒猫耳が頭頂でピンと立っている。手には煙草ケースと簡易灰皿。

「またサボってたんかスカイ。サボるのいけないんだぞ」

一見しただけで分かるスカイのサボタージュぶりに、ノエリオはいつも通り注意した。いつも通りのはずだった。

「客いねえんだからいいじゃん。優等生かよピノは」

そう返したスカイの答え。ノエリオにとっての、いつも通りではなかった。いつもなら「うるせえ」と言われながら兎耳を引っ張られていたはず。それが、この時に限って優等生という言葉に変わった。スカイにとったら何気ない一言で意味なんかなかったかもしれないけれど、この時のノエリオには酷く癪に障る言葉だった。

「そゆんじゃ、ないんだぞ」

どうして腹立たしいのか、釈然としなかった。苛立ちを頭で理解する前に、そうじゃない違うんだと否定の言葉が漏れる。

「なに、怒ったの? 優等生って言葉、嫌だった? 俺は嫌だね優等生なんて鼻につく」

スカイは顔をしかめた。鼻の頭に皺ができている。
見た目が金髪ヤンキーなスカイは、見た目通り不真面目な不良くんというわけではない。サボり癖はあるが、それは本当にサボってても支障のない時間帯だけの一服というやつであり、通常営業内で忙しい時間帯などにわざとサボるなんて不義理なことは決してしないやつだ。

スカイは人と接する機会の多い店員という仕事を、毎日楽しくこなしている。
確かに優等生ではないけれど、本を読むことが好きで意外と博識なとこもあるのだ。学校への憧れもあるかもしれない。優等生なんて言葉が飛び出たのも、学ぶ機会がなかったことに負い目を感じての嫉妬だったもしれない。スカイ自身が意図して口に出したものじゃなかった。深層心理からの咄嗟の言葉。ただそれが、ノエリオの気に障ってしまっただけのこと。

「そゆんじゃないって、ば!」

ノエリオは叫んだ。どうしたことか感情の奔流が止まらない。たった一つの強く醜い感情がノエリオを支配し、心が震えた。

スカイは珍しくも気炎を上げるノエリオを呼ぶ。

「ピノ……」と。

ノエリオはピノと呼ぶスカイの声が好きだった。理由なんてない。でも、無理やりに理由を付ければ、ピノという名前は大好きな祖父が名付けてくれたものであり、離れて暮らす両親なんかより身近で信頼のおける祖父からの、行方不明になってしまった祖父からのプレゼントだと思うと、大切にしたくなるのだ。

その名前は特別なのだ。だから特別だと思う人にしか呼んで欲しくなかった。

ノエリオは変な風に拗れて複雑になってしまった感情を捻じ伏せ、下唇を噛んだ。手に持った机拭きに使っていた雑巾が、手のひらの中でぐしゃぐしゃになった。

何とも言えない空気になってしまった時、ちょうど店のドアが開く。夜の客第一号のご来店だ。

「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいやせ~」

ノエリオもスカイも、そこはプロフェッショナル。条件反射の挨拶を客に向けて、それぞれ接客に動き出す。
何も知らない客も普段通りに酒と料理を注文し、店長であり料理人であるテオへと、スカイがオーダーを通した。
ノエリオは次に入って来た客へと接客に行く。こうして、慌ただしく夜の部は幕を開けた。



仕事が終わると、ノエリオ・ピノはうさぎのぬいぐるみを迎えに行く。
今日は厨房の戸棚に置かれていた。おかしい。夜の部始まる前に見た時は、厨房の椅子の上にあったはずなのに。誰かが戸棚に移動させたのかなと、おかしいとは思ったが、あまり気には留めず、深くも考えず、うさぬいを抱っこして店の奥へと引っ込んだ。

その背中を、スカイ・オリーヴだけが追っていた。

厨房を通り抜け、店の奥には階段がある。下と上と、二方向へ続く階段だ。ノエリオは上へと続く階段を選んだ。店の二階は店長テオの自宅だ。ノエリオは居候の身なのだ。

階段上がって直ぐがリビング。長椅子とテーブルがある。長椅子にごろんと寝そべる。胸にはうさぬいを抱えたままだ。ぎゅと柔らかなぬいぐるみを抱き締めたら、うさぬいはノエリオの胸でぐしゃっと丸くなった。ノエリオ自身も丸まって、眼を閉じた。しばらくして…。

「そんなところで寝てると風邪引きますよ」

テオの声。店を閉め、二階の居住地へ上がって来たのだろう。
じー様が言うようなことをテオも言うなとノエリオは思っていた。だからテオのことを「テオじー」と、つい呼んでしまうのだ。

「テオじー」
「爺じゃありませんて。今度寝ぼけたらお尻ぺんぺんしますよ」
「じー様は、そんなことしないもん」
「だから爺じゃないというに…」

寝た呆けたことばかり言うノエリオに、テオは熱でもあるんじゃないかと額に手をやる。特に熱くはないようだ。

「テオじー、スカイは怒ってた?」
「スカイが気になるのですか?」
「うん。今日、ぜんぜんピノって呼んでくんなかった……」

熱はないようだが恋煩い的なものを患っているようだ。この病気は不治の病で、幅広い知識を持ち合わせているテオにも治せない。

「スカイの声聞きたいんだぞ」
「私に言ってもねえ…今から呼べばどうですか」
「え、さっき仕事終えたばかりで…?」
「そう思うのなら明日、仲直りなさい」
「別に喧嘩してんじゃないんだぞ」
「でも話しかけれないんでしょう自分からは」
「う。そ、そうだけど……」

ノエリオは分かっていた。スカイと話がしたいと思っても、今のままじゃ自分からは話しかけれやしないということが。それはノエリオが一方的に腹を立てて雰囲気を悪くしたからであり、そのことでスカイが怒っていると思うと足が竦みそうになるからだ。

「自己責任ですね。どうしてまたそんなことになってんです?」

テオは厨房で仕込みをしていたから、ホールで起こった二人の喧嘩の内容までは詳しく知らなかった。ウィルから「あの二人、喧嘩したみたい」と聞き及んでいたから、仕事中はそれとなく見張っていたけれど、喧嘩が原因で仕事を失敗するということはなかった。
もっとも、ドジっこノエリオなので、全然関係ないところで躓いて転びそうになるとか、冒険者の鎧に当たって鼻血ブーするくらいの日常茶飯事な出来事はあったけれど。

「テオじー、俺ぇ、魔法使えるんだ」
「はい。知ってますよ」

ノエリオを託された時にノエリオの祖父から事情を聞いていたテオは、自然と肯定の意味で頷いた。

「そんでぇ、俺、学校で魔法習ってたんだけどヘタクソで…勉強もうまくいかなくて…」

同級生にはからかわれ、落第生だったとノエリオは言う。

実際のところノエリオの成績が悪かったことはなく、同級生たちから小突かれていたのは、ノエリオが獣人で愛らしい容姿、それと構われやすい性格だったからというだけだ。
記憶力も良く、魔法を精微に操る技術もある。学校からの評価は良い方だったのに、ノエリオ自身でその自覚は無かった。自分は優等生ではない、落第生だと思い込んでいる。

できたら、モチヅキ・アレンのようになりたかった。昼間に会った同級生モチヅキ。彼は優秀だ。学校の試験では常にトップ。魔法技術もピカイチで魔法実地訓練でもリーダー役を務めるほどだった。真の優等生とは彼のことを指すのだろう。

学校でのモチヅキは、どこぞの有力貴族の後ろ盾で学生をしているという噂があった。優秀だからこそ、貴族の徒弟に選ばれ、今だって若くしてメルクマールを治める領主様から選ばれ、新設の部隊に配属されたのだ。

ノエリオがモチヅキとその隊長と別れ、店に戻ってくる道すがらに考えていたのは、彼と自分との立場の違いだった。
片や優秀な成績で学校を卒業し立派に就職した若者。対して自分は学校を中退し居酒屋の店員をしているだけ。学校をやめていなければ、自分だって新卒で魔法を活かせる職へと就いていたかもしれない。

劣等感を感じずにはいられなかった。そのことでもやもやしていたのだ。もやもやしている時に、あのスカイの発言だ。

優等生かよピノは──────なんて発言、優等生になれず、他人を妬ましいと思い、学校を卒業すらできなかったノエリオにとったら酷く傷つく言葉だった。

「卒業できなかったのは仕方無いことですね。貴方の保護者が、そうしたのだから。学校へ入り直す機会は来ると思いますよ。今はまだ、ポネルの意思が介在してますから無理でしょうけど」

テオの言葉にノエリオは両腕で抱きしめていたうさぎのぬいぐるみを、ますますにぎゅっと腕の中に閉じ込め俯く。
ポネルというのは祖父の名だ。祖父がノエリオの保護者だった。たった一人の肉親であり、人生の指針であった人。その祖父が行方不明になり、テオに迎えに来てもらったあの日、ノエリオの学校生活は終わりを告げた。

「じー様を見つければ、俺はまた学校へ行けるんだぞ」
「そうですねえ。貴方がまだそうしたいのであれば」
「テオじー、じー様はどこだ?」
「まあね、未知なものは未知なもので永遠に謎なんですよ。と、明日の準備をしなければ。貴方も早くお休みなさいね」

そう言ってテオは奥の部屋へ引っ込んでしまった。完全なはぐらかしである。ノエリオが祖父のことを尋ねると、いつもこうである。

「ぶぅー」とノエリオは鼻を膨らませて息を吐いた。
腕に囲ったピンク色うさぎぬいぐるみが、冷や汗を垂れ流していることには気づかなかった。
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