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15 解放
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不思議な一日だったと、昨日のことを思い出しながら翌朝かおるは会社へと向かった。
恭祐が予定を変更した理由は昨日のうちに判明した。けれど、その出張にかおるが同行しなくてはならない理由は分からないままだ。しかも出張を命じるだけならば、席で話すだけで十分なのに、わざわざランチミーティングをするとは。
更には樹との食事。樹は経営者一族の一員だと言うのに、思いの外和やかに楽しく話ができた。
キャビネットを解錠して席に着くと、解放という言葉が不意にかおるの脳裏を過った。鍵を横から縦にするだけで開かれる扉。人間の気持ちもちょっとしたことでもっと楽になるのかもしれない。
それから少しして現れた恭祐は明らかに機嫌が悪かった。悪いというより、最悪、だろう。伝わってくるピリピリ感はいつもより酷い。
ディナー、その後のセッティング、双方に問題はなかったはず。だとしたら相手と何かあったのだろうか。そこまで考えてかおるは『解放』という言葉を思い出した。もうかおるには関係がないこと。いや、もともと恭祐の感情にまで囚われる必要はない。
セッティングに落ち度があれば、恭祐はかおるを咎めるか、嫌味の一つも言うだろう。ただそれだけのことと割り切ればいい。
出来ない人間だと呆れられたくなかった。冷たい視線が、仕事を頑張っていることで多少は和らいでくれたらなどという期待から解放されればいいにすぎない。
「おはようございます。コーヒー淹れましょうか?」
「ああ。そうだ、三上、明日の午後、おや、会長のところへ行ってもらえないか」
「会長の?」
「そうだ」
機嫌の悪いままの恭祐が、その理由を簡潔に説明してくれた。簡潔というよりは、冷たく言い放たれたというほうが正しいかもしれないが。
「会長の件は、三上にとって退社までエクストラだ。今の仕事に穴があかないようマネージするように。一応言ってはおくが、分かり切ったことだったな」
「はい」
雰囲気だけでなく話す内容に話し方、どれをとっても不機嫌度はMAXだ。コーヒーを淹れるがてら、ここから去るのが賢明だとかおるは思った。
解放の仕方は多種多様なのだから。
振り返ると、いつからいたのか樹がかおるの目に映った。
「恭、もう少し言い方は考えろよ。三上だから今の会話がまかり通っているだけだからな」
樹へ『気にしないで、大丈夫だから』という意を込めて小さく顔を左右に振ったあと、かおるは改めて笑顔で挨拶をした。そして声のトーンを落として尋ねる。
「秋山さんもコーヒーいかがですか?」
「いいの、オレまで?」
「先ほど落としたばかりですから、是非」
恭祐はその雰囲気に似合わずカフェオレが好きだ。しかもミルク多目を好む。
樹はきっと砂糖一杯とミルク。これは昨日の食後、樹が何気なく行っていた動作から習慣化している気がしたので、間違いではないだろう。
二人ともブラックが似合いそうなのに、と笑みをもらしながらかおるはマグカップ2つと紙コップをトレイに乗せた。
かおるが戻ると恭祐の不機嫌さは幾分か治まっているようだった。…というより、その不機嫌はかおるにだけ向けられていたようだ。
普段は意識して『好かれていない』という言葉にしているが、こういう時ほど『嫌われている』という表現が頭を擡げる。今の今までしたことはなかったが、どうせ辞めるなら何が悪かったのか聞いてみたいという思いが不意にかおるの頭を過った。こんなふうに思えるのは、樹が言った言葉『解放』のお陰なんだろうか。
自分の考えの世界に引きずられそうなかおるに、二人の声が割り込んできた。声のトーンがあがっている。仕事の内容を議論しているのではなく、雑談のようだった。
それは先ほどの不機嫌な顔から一転、かおるにとって恭祐の素の表情を見るチャンスが来たことを意味している。立場上気を許して話せる相手が少ないのは分かるが、もっとその表情を見せてもらいたかった。けれど、そんな顔をもっと見ていたら、こんなに長くは働けなかっただろう。疾うに恋する苦しさでまともに息が出来なくなっていた。
「かおる、ありがとう」
かおるの席まで来た樹が小声で言った。
「オレの好みから寸分もずれていないコーヒーのお陰でハッピーな気分になれたよ」
正しく言うなら、コーヒーそのものではなく、樹の好みを覚えてくれていたかおるのお陰なのだが。
「良かったです。コーヒー一杯ですけど、そう思っていただけて」
「そうだ、また後で来るよ。昼飯、食いに行こ」
またもや樹はかおるの返事を聞かずに去ってしまった。けれどどう返事をするか考えるという余計な間を与えられないのはいいのかもしれない。
恭祐が予定を変更した理由は昨日のうちに判明した。けれど、その出張にかおるが同行しなくてはならない理由は分からないままだ。しかも出張を命じるだけならば、席で話すだけで十分なのに、わざわざランチミーティングをするとは。
更には樹との食事。樹は経営者一族の一員だと言うのに、思いの外和やかに楽しく話ができた。
キャビネットを解錠して席に着くと、解放という言葉が不意にかおるの脳裏を過った。鍵を横から縦にするだけで開かれる扉。人間の気持ちもちょっとしたことでもっと楽になるのかもしれない。
それから少しして現れた恭祐は明らかに機嫌が悪かった。悪いというより、最悪、だろう。伝わってくるピリピリ感はいつもより酷い。
ディナー、その後のセッティング、双方に問題はなかったはず。だとしたら相手と何かあったのだろうか。そこまで考えてかおるは『解放』という言葉を思い出した。もうかおるには関係がないこと。いや、もともと恭祐の感情にまで囚われる必要はない。
セッティングに落ち度があれば、恭祐はかおるを咎めるか、嫌味の一つも言うだろう。ただそれだけのことと割り切ればいい。
出来ない人間だと呆れられたくなかった。冷たい視線が、仕事を頑張っていることで多少は和らいでくれたらなどという期待から解放されればいいにすぎない。
「おはようございます。コーヒー淹れましょうか?」
「ああ。そうだ、三上、明日の午後、おや、会長のところへ行ってもらえないか」
「会長の?」
「そうだ」
機嫌の悪いままの恭祐が、その理由を簡潔に説明してくれた。簡潔というよりは、冷たく言い放たれたというほうが正しいかもしれないが。
「会長の件は、三上にとって退社までエクストラだ。今の仕事に穴があかないようマネージするように。一応言ってはおくが、分かり切ったことだったな」
「はい」
雰囲気だけでなく話す内容に話し方、どれをとっても不機嫌度はMAXだ。コーヒーを淹れるがてら、ここから去るのが賢明だとかおるは思った。
解放の仕方は多種多様なのだから。
振り返ると、いつからいたのか樹がかおるの目に映った。
「恭、もう少し言い方は考えろよ。三上だから今の会話がまかり通っているだけだからな」
樹へ『気にしないで、大丈夫だから』という意を込めて小さく顔を左右に振ったあと、かおるは改めて笑顔で挨拶をした。そして声のトーンを落として尋ねる。
「秋山さんもコーヒーいかがですか?」
「いいの、オレまで?」
「先ほど落としたばかりですから、是非」
恭祐はその雰囲気に似合わずカフェオレが好きだ。しかもミルク多目を好む。
樹はきっと砂糖一杯とミルク。これは昨日の食後、樹が何気なく行っていた動作から習慣化している気がしたので、間違いではないだろう。
二人ともブラックが似合いそうなのに、と笑みをもらしながらかおるはマグカップ2つと紙コップをトレイに乗せた。
かおるが戻ると恭祐の不機嫌さは幾分か治まっているようだった。…というより、その不機嫌はかおるにだけ向けられていたようだ。
普段は意識して『好かれていない』という言葉にしているが、こういう時ほど『嫌われている』という表現が頭を擡げる。今の今までしたことはなかったが、どうせ辞めるなら何が悪かったのか聞いてみたいという思いが不意にかおるの頭を過った。こんなふうに思えるのは、樹が言った言葉『解放』のお陰なんだろうか。
自分の考えの世界に引きずられそうなかおるに、二人の声が割り込んできた。声のトーンがあがっている。仕事の内容を議論しているのではなく、雑談のようだった。
それは先ほどの不機嫌な顔から一転、かおるにとって恭祐の素の表情を見るチャンスが来たことを意味している。立場上気を許して話せる相手が少ないのは分かるが、もっとその表情を見せてもらいたかった。けれど、そんな顔をもっと見ていたら、こんなに長くは働けなかっただろう。疾うに恋する苦しさでまともに息が出来なくなっていた。
「かおる、ありがとう」
かおるの席まで来た樹が小声で言った。
「オレの好みから寸分もずれていないコーヒーのお陰でハッピーな気分になれたよ」
正しく言うなら、コーヒーそのものではなく、樹の好みを覚えてくれていたかおるのお陰なのだが。
「良かったです。コーヒー一杯ですけど、そう思っていただけて」
「そうだ、また後で来るよ。昼飯、食いに行こ」
またもや樹はかおるの返事を聞かずに去ってしまった。けれどどう返事をするか考えるという余計な間を与えられないのはいいのかもしれない。
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