どうかあなたが

五十嵐

文字の大きさ
30 / 90

30 8割と2割、そして何か

レストランは樹が言ったように肩肘を張る必要のないところだった。

「樹さんは、色々なお店を沢山知っていそう」
「純粋にそう言っている?それとも、色々な女性と付き合ったのかってことを匂わせている?」
「あ、前者です。でも、そうですよね、色々な方と食事へお出かけになるから知っているんですよね、お店」
「さあ、どうだろね」

これくらいの内容ならば、質問の真意を確認してみたいと樹は思った。本人は意図していないようだが、かおるとの会話は表と裏の理解がありそうな表現が良く登場する。

さっきの言葉もそうだった。後者であれば、そこに女としての感情が見えるものだったが、残念ながら前者。
けれども、樹のわざとはぐらかした言葉をかおるはどう受け取っただろうか。
自分を誠実な人間だと思って欲しい反面、女としてやきもちを焼いて欲しい気もする。
樹は覗けるものならば、かおるの心中を余す事なくみたいと思った。

「ところで、最近オレといる時間が長くなったと思うけど、どう?」
「どう?…」
「そ、一緒にいて嫌とか楽しいとか。もっと一緒にいたいとか。色々あると思うけど」
「あ、楽しいです。って言うより、何かドキドキします」
「ドキドキ?それって」
「わたしもそれなりに考えます。特定の誰かと特に距離を縮めるってどういうことか」

上司も上司なら、部下も部下だ。かおるからはなかなか樹が期待する回答が得られない。話の本筋はそこへ向かっているというのに。
追うから逃げる、それとも逃げるから追うのか。樹はそれならば捕まえてしまえば良いと思った。

「ゆっくり進んで行こうと思ったけど、限界っぽい。ニューヨークから戻ったらオレと男女として付き合っていけるか返事、もらえる?」

普段の様子、そして簡単に想像がついてしまう今までの男性経験から、慌てるだろうと思っていたかおるは意外にも落ち着いて小さな声で『はい』と答えた。

「自分で言っておいてなんだけど、判決を待つ気分だな」
「白なら判決は待ち遠しいもので、黒なら量刑がどんなかはらはらするんじゃないでしょうか。樹さんはどう言う意味で判決を待つって言ったんですか?」
「さあ」
かおるが裁判官なのだから、聞くよりは示してくれる方がそのものズバリだと言う代わりに、樹はまたもや話をはぐらかした。

食事が終わり、再び車に乗りながらかおるは思った。こうして樹と一緒にいる時間は楽しいと。
会社にいるときのように辛くない。

一方的ではない会話のやり取りはかおるに、今、自分がここにいて会話に参加しているという現実を与えてくれる。
樹は即答ではなく余裕を与えてくれたが、かおるは8割がたYesと返事をするつもりだった。
今までは、誰かと付き合うということを考える心の余裕も時間も、更にはチャンスもなかった。
それが、一緒にいて楽しいと思える樹からの申し出だ。断る理由など何もない。

思い起こせば、直接の上司ではない樹に退職の相談をしていた。菜々にもしていなかったというのに。
それは、かおるが心のどこかで樹を信頼し、求めていたということなのかもしれない。

ただ残りの2割は様々な不安だ。
まったく経験のないかおるを樹が受け入れてくれるのかという。
樹を知れば知るほど分かってしまう、今まで付き合ってきた女性は皆、自分に自信のある美しい女性だろうと。でないと釣り合いが取れない。

それに、友達の会話から大人の恋愛においては体の相性という重要なファクターがあることをかおるも知っている。
合う合わないは経験のないかおるにはあやふやだが、樹にとって面白みはないであろうことは容易に想像がつく。

もっと早くに経験していたらそうじゃなかったのかもしれないが、この歳まできてしまうとノリや流れで軽々しく出来るものではない。それが故にかおるは経験がないまま今に至っている。
決してもったいぶっていた訳でも何でもない。
ただ、怖い。行為そのものも、その後のことも。

そして、Yesでも不安でもない感情があるのをかおるは理解していた。何かは分からないその感情は、ほんの少しなのに、かおるの心の深い部分に楔のように打ち込まれている。
とても重要なことを忘れないように、いつでも思い出せるようにと。
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】泡になった約束

山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。 夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。 洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。 愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。 そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。 振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。 平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】

remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。 佐倉ここ。 玩具メーカーで働く24歳のOL。 鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。 完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。 【完結】ありがとうございました‼

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛

ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。 社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。 玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。 そんな二人が恋に落ちる。 廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・ あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。 そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。 二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。   祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。