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30 8割と2割、そして何か
レストランは樹が言ったように肩肘を張る必要のないところだった。
「樹さんは、色々なお店を沢山知っていそう」
「純粋にそう言っている?それとも、色々な女性と付き合ったのかってことを匂わせている?」
「あ、前者です。でも、そうですよね、色々な方と食事へお出かけになるから知っているんですよね、お店」
「さあ、どうだろね」
これくらいの内容ならば、質問の真意を確認してみたいと樹は思った。本人は意図していないようだが、かおるとの会話は表と裏の理解がありそうな表現が良く登場する。
さっきの言葉もそうだった。後者であれば、そこに女としての感情が見えるものだったが、残念ながら前者。
けれども、樹のわざとはぐらかした言葉をかおるはどう受け取っただろうか。
自分を誠実な人間だと思って欲しい反面、女としてやきもちを焼いて欲しい気もする。
樹は覗けるものならば、かおるの心中を余す事なくみたいと思った。
「ところで、最近オレといる時間が長くなったと思うけど、どう?」
「どう?…」
「そ、一緒にいて嫌とか楽しいとか。もっと一緒にいたいとか。色々あると思うけど」
「あ、楽しいです。って言うより、何かドキドキします」
「ドキドキ?それって」
「わたしもそれなりに考えます。特定の誰かと特に距離を縮めるってどういうことか」
上司も上司なら、部下も部下だ。かおるからはなかなか樹が期待する回答が得られない。話の本筋はそこへ向かっているというのに。
追うから逃げる、それとも逃げるから追うのか。樹はそれならば捕まえてしまえば良いと思った。
「ゆっくり進んで行こうと思ったけど、限界っぽい。ニューヨークから戻ったらオレと男女として付き合っていけるか返事、もらえる?」
普段の様子、そして簡単に想像がついてしまう今までの男性経験から、慌てるだろうと思っていたかおるは意外にも落ち着いて小さな声で『はい』と答えた。
「自分で言っておいてなんだけど、判決を待つ気分だな」
「白なら判決は待ち遠しいもので、黒なら量刑がどんなかはらはらするんじゃないでしょうか。樹さんはどう言う意味で判決を待つって言ったんですか?」
「さあ」
かおるが裁判官なのだから、聞くよりは示してくれる方がそのものズバリだと言う代わりに、樹はまたもや話をはぐらかした。
食事が終わり、再び車に乗りながらかおるは思った。こうして樹と一緒にいる時間は楽しいと。
会社にいるときのように辛くない。
一方的ではない会話のやり取りはかおるに、今、自分がここにいて会話に参加しているという現実を与えてくれる。
樹は即答ではなく余裕を与えてくれたが、かおるは8割がたYesと返事をするつもりだった。
今までは、誰かと付き合うということを考える心の余裕も時間も、更にはチャンスもなかった。
それが、一緒にいて楽しいと思える樹からの申し出だ。断る理由など何もない。
思い起こせば、直接の上司ではない樹に退職の相談をしていた。菜々にもしていなかったというのに。
それは、かおるが心のどこかで樹を信頼し、求めていたということなのかもしれない。
ただ残りの2割は様々な不安だ。
まったく経験のないかおるを樹が受け入れてくれるのかという。
樹を知れば知るほど分かってしまう、今まで付き合ってきた女性は皆、自分に自信のある美しい女性だろうと。でないと釣り合いが取れない。
それに、友達の会話から大人の恋愛においては体の相性という重要なファクターがあることをかおるも知っている。
合う合わないは経験のないかおるにはあやふやだが、樹にとって面白みはないであろうことは容易に想像がつく。
もっと早くに経験していたらそうじゃなかったのかもしれないが、この歳まできてしまうとノリや流れで軽々しく出来るものではない。それが故にかおるは経験がないまま今に至っている。
決してもったいぶっていた訳でも何でもない。
ただ、怖い。行為そのものも、その後のことも。
そして、Yesでも不安でもない感情があるのをかおるは理解していた。何かは分からないその感情は、ほんの少しなのに、かおるの心の深い部分に楔のように打ち込まれている。
とても重要なことを忘れないように、いつでも思い出せるようにと。
「樹さんは、色々なお店を沢山知っていそう」
「純粋にそう言っている?それとも、色々な女性と付き合ったのかってことを匂わせている?」
「あ、前者です。でも、そうですよね、色々な方と食事へお出かけになるから知っているんですよね、お店」
「さあ、どうだろね」
これくらいの内容ならば、質問の真意を確認してみたいと樹は思った。本人は意図していないようだが、かおるとの会話は表と裏の理解がありそうな表現が良く登場する。
さっきの言葉もそうだった。後者であれば、そこに女としての感情が見えるものだったが、残念ながら前者。
けれども、樹のわざとはぐらかした言葉をかおるはどう受け取っただろうか。
自分を誠実な人間だと思って欲しい反面、女としてやきもちを焼いて欲しい気もする。
樹は覗けるものならば、かおるの心中を余す事なくみたいと思った。
「ところで、最近オレといる時間が長くなったと思うけど、どう?」
「どう?…」
「そ、一緒にいて嫌とか楽しいとか。もっと一緒にいたいとか。色々あると思うけど」
「あ、楽しいです。って言うより、何かドキドキします」
「ドキドキ?それって」
「わたしもそれなりに考えます。特定の誰かと特に距離を縮めるってどういうことか」
上司も上司なら、部下も部下だ。かおるからはなかなか樹が期待する回答が得られない。話の本筋はそこへ向かっているというのに。
追うから逃げる、それとも逃げるから追うのか。樹はそれならば捕まえてしまえば良いと思った。
「ゆっくり進んで行こうと思ったけど、限界っぽい。ニューヨークから戻ったらオレと男女として付き合っていけるか返事、もらえる?」
普段の様子、そして簡単に想像がついてしまう今までの男性経験から、慌てるだろうと思っていたかおるは意外にも落ち着いて小さな声で『はい』と答えた。
「自分で言っておいてなんだけど、判決を待つ気分だな」
「白なら判決は待ち遠しいもので、黒なら量刑がどんなかはらはらするんじゃないでしょうか。樹さんはどう言う意味で判決を待つって言ったんですか?」
「さあ」
かおるが裁判官なのだから、聞くよりは示してくれる方がそのものズバリだと言う代わりに、樹はまたもや話をはぐらかした。
食事が終わり、再び車に乗りながらかおるは思った。こうして樹と一緒にいる時間は楽しいと。
会社にいるときのように辛くない。
一方的ではない会話のやり取りはかおるに、今、自分がここにいて会話に参加しているという現実を与えてくれる。
樹は即答ではなく余裕を与えてくれたが、かおるは8割がたYesと返事をするつもりだった。
今までは、誰かと付き合うということを考える心の余裕も時間も、更にはチャンスもなかった。
それが、一緒にいて楽しいと思える樹からの申し出だ。断る理由など何もない。
思い起こせば、直接の上司ではない樹に退職の相談をしていた。菜々にもしていなかったというのに。
それは、かおるが心のどこかで樹を信頼し、求めていたということなのかもしれない。
ただ残りの2割は様々な不安だ。
まったく経験のないかおるを樹が受け入れてくれるのかという。
樹を知れば知るほど分かってしまう、今まで付き合ってきた女性は皆、自分に自信のある美しい女性だろうと。でないと釣り合いが取れない。
それに、友達の会話から大人の恋愛においては体の相性という重要なファクターがあることをかおるも知っている。
合う合わないは経験のないかおるにはあやふやだが、樹にとって面白みはないであろうことは容易に想像がつく。
もっと早くに経験していたらそうじゃなかったのかもしれないが、この歳まできてしまうとノリや流れで軽々しく出来るものではない。それが故にかおるは経験がないまま今に至っている。
決してもったいぶっていた訳でも何でもない。
ただ、怖い。行為そのものも、その後のことも。
そして、Yesでも不安でもない感情があるのをかおるは理解していた。何かは分からないその感情は、ほんの少しなのに、かおるの心の深い部分に楔のように打ち込まれている。
とても重要なことを忘れないように、いつでも思い出せるようにと。
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