どうかあなたが

五十嵐

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道は殊の外空いていた。車は夜の都心を滑るように抜けて行く。
樹は正面を見ながらも、かおるに様々な話を投げかける。そして、信号で止まれば必ず振り向いてくれた。

暗がりの中だというのに、表情を確認してくれているであろう樹の心遣いをかおるは感じずにはいられなかった。だから『大丈夫』と言う代わりに笑みを浮かべるよう努力した。

そんなことを何度か繰り返すうちに、車は初めて樹と唇と合わせた場所に再び停められた。
「荷物、取りに行こう」

当然のように樹は運転席から出て助手席側に移動しかおるの為に扉を開けてくれた。
「ありがとう、ございます。なんだか、照れます、こんな風にされると。荷物をまとめたらすぐに戻ってきますね」
「いいよ、急がなくて。荷物を持つためにも、オレも一緒に行くから」
「そんな、いいです。1日分だから大した量じゃないし」
「かおるはオレにとって大切なプリンセスなんだから、エスコートをしないなんてあり得ないだろ。ましてや、荷物を持たせるなんて」
「あの、真顔で言われると、その冗談に笑って返せません」
「笑わなくていいよ。冗談じゃないから。こんな台詞を真顔で言えるくらいかおるが大切で好きだってことを理解して」

心がふわふわする。樹にこんなことを言われた女性はみんな同じような感覚に落ちるだろう。
それとも恋の経験すらまともにないかおるだから過剰反応してしまうのだろうか。

かおるは今まで恭祐に仕える召使いか奴隷でしかなかった。それがいきなりプリンセスだなんて、しかもこんな男性に言われてしまったら、心が浮ついて当然だ。


「あの、そのへんに座っていて下さい。コーヒー淹れますから」
「いいよ」
「でも、わたしの気が済みません。だからコーヒーくらい淹れさせて下さい」
「じゃあ、オレ好みのコーヒーを淹れて」
「はい、分かりました」

部屋の中で荷物をまとめる行為が、こんなにも恥ずかしいとかおるは思わなかった。狭い部屋なので下着を選ぶのも、取り出すのもきっと樹の視界に入ってしまう。しかも、かおるの今日の姿は残念ながらタイトスカート。動作の度に、ヒップラインが気になってしょうがない。

「あの、楽な服に着替えていいですか?」
「どうぞ」
「それで、あの、そのまま、樹さんのお部屋にお邪魔するってありですか?そうすれば荷物が少なくて済むので。」
「勿論、荷物は少ないほうが楽だからそれでいいと思う。若林のおじさんのところへ行くのに色々持っていくのもなんだし」

ユニットバスで素早く着替えて出てきたかおるは、自分で言ってそうしたものの、やはりこれはこれで恥ずかしいと思った。
「ごめんなさい、これじゃあの車に乗るのはちょっとまずいですよね」
「そんなことないよ。可愛くて抱きしめたくなる。こっちにおいで」

広げられた樹の両腕は、とても心地よさそうな空間をかおるに提供してくれそうだった。
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