どうかあなたが

五十嵐

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39 明日の朝食、毎日の朝食

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「自分を受け入れてくれる人に抱きしめてもらうのはとっても心地いいことなんですね。」

相変わらずかおるの発言は微妙だと樹は思った。
受け入れてくれる人間なら誰でもいいということなのか、それとも『その誰か』は『特定の誰か』を指しているのか。

「キスしていい?」
別に聞かなくても、この空間でこの距離ならば容易に出来る事を樹はわざとかおるに尋ねた。
樹がこれからしようとしている行為を分からせるよう、そしてそれを樹がすると明確にする為。

「聞かれると、恥ずかしいです。」
「答えは、どっち?」
「答えは、…して下さい。ううん、して欲しいです。」

樹は自分の心が大きく揺れるのを感じた。もうこのまま最後まで行きついてしまえばいいのではないかと。けれど、抱きしめていた腕を緩めると、樹はかおるの額に軽く唇を合わせるだけのキスをした。考えを、行動を踏み止まらせる為に。

「さ、荷物をまとめて急ごう。」
急ぐのはかおるが荷物をまとめることではない。今、この空間から樹が立ち去ること。返事を待つと言ったことを守るには、この空間は危険過ぎるように思えた。部屋の雰囲気も、匂いも全てがかおるなのだから。

ところが、上手くかおるのアパートを立ち去ったというのに、車の中という密室も樹の心を落ち着かせることはなかった。

急ぐことはない。先ほど、かおるは2つの不揃いなマグカップをローテーブルに置いた。
その理由は明白。あの部屋に住んでから、一度もそれらしいカップを買う必要がなかったということ。そう、コンペティターはいない。

けれど…樹との距離の取り方を見てしまうとやはり不安にならざるえない。男との接し方に免疫がなさすぎる。
この距離を利用して、どうなってしまうか教えるべきだろうか。押し切れば、押し切り通せるだろう、容易く。そして、かおる自身も距離感を勉強する。
しかし、待つと言った以上はかおるの意思を尊重するべきだ。

男女の駆け引きなど、自慢にはならないが履いて捨てるほど経験してきた。それがかおるには全く役に立ちそうにない。今、自分がどうすべきなのか分からなくなるなんて。本気だから、大切だから、失敗したくなくて臆病になるなんて青さが樹にまだ残っていたこと自体不思議でならない。

エンジンを掛けることで、樹は自分のスイッチを切った。走り出せば、ハンドルから手を放してかおるに触れることはない。

「シートベルトした?」
「はい。」
「そうだ、言ってなかった。さっきはコーヒーありがとう。夕飯の時もだけど、ホントオレの好み通り。」
「良かった、わたしにはそれくらいしか出来ないから。」
「かおるは自分を過小評価し過ぎだ。もっと自信を持ったほうがいい。」
「そんなことを言ってくれるのは樹さんだけですよ。」

確かにそうかもしれない。ただそれは普段かおるが恭祐としか接しない状況で働いているからだ。
何か得体の知れない腹立たしさが増幅するのを樹は感じた。

「そうだ、夜も開いているスーパーがあったら、入ってもらえますか?」
「スーパー?、何か持ってくるの忘れた?」
「あの、明日の朝食、作ってもいいですか?大したものは作れないけど、二人で、その、一緒に、食べたいです。」
「えっと、」

樹はどもったしまった。予想していなかったかおるの言葉に。
作るのは毎朝そうする習慣があるから、その延長で作りたいのか。作ったついでに二人で食べるのか、それとも…。
真意を確認したいのに、適切な言葉が出て来ない。

「何を食べたいか教えて下さい。樹さんの為に作りたい、…作らせて下さい。」
「ごめん、嬉しくて、何が食べたいか、出て来ない。…二人で買い物しながら考えよう、二人で。」
「はい。」

かおるの言葉に樹は喜びを感じた。特に樹の為にと断定してくれたことに。しかし、わざと気付かないようにし続けているかおる話し方に苛つきも覚えた。教えて欲しい、作りたい、そう言えばいいのに、どうしていつも願うのか。
理由は簡単。骨の髄まで恭祐の躾が行き届いているということだ。恭祐の色濃い躾を抜き取るには、骨の髄まで愛する必要があるということだろう。
骨はリモデリングされるもの。その一瞬一瞬にこれからは自分を満たしたいと樹は思った。


「あの、樹さん、お鍋とかフライパンってありますか?あればお借りさせて下さい。」
「一応1つずつあったはず。新品同様だと思う。ああいうのって、使ってなきゃ壊れないよな?勿論、かおるの好きなように使っていいよ。それに、塩と胡椒もそれぞれミルに入っている。」
「ミル…?、あ、あれね、何かすごそうなものがありそう。…どうかしました?」
「あ、いや、かおるに朝飯作ってもらって一緒に食えるって楽しそうだと思って。あのさ、…一層の事、毎日にしない?」
「え?」
「ん、スーパー、ここでいい?」

樹の言葉を本当に聞きもらしたのか、はたまた確認のつもりでかおるが『え』と言ったのかは分からない。
ただ言いなおすよりは、はぐらかしてしまおうと樹は思った。
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