どうかあなたが

五十嵐

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44 アンバランス

豪華なキッチンは使い勝手が良いというわけではないことを、かおるは理解した。樹が日本に戻ってきてから住んでいるというマンション。その割には真新しく見えるキッチン。意味することは、住人が料理をしないということだ。そして、多分、出入りしたことがある人も。

面白いのは、冷蔵庫や棚に調味料だけは色々あること。賞味期限が切れたものもあるけれど。試してみたい時、もしくはそれを好んだ人が欲した時に購入して、そのまま、そして今に至るということだろう。

中には、継続的に使用されているようなものもある。
その代表的な一つであると思われる、自分では絶対買わない発酵バターをかおるは冷蔵庫から取り出した。ついでに、棚にあった乾燥バジルなどのハーブ類を作業スペースに置くと、ボール代わりの深めの皿に卵を割り入れた。

パンはあると言っていたが、樹に金銭感覚はないようだ。近くのコンビニで買っているというパンは高級ラインのもので付いてる値段はこれまたかおるでは普段使いしそうにない金額。
けれどコーヒーはインスタント。不思議なアンバランスさが樹にはある。

だから…、なんだろうか。樹が昨晩かおるにプロポーズをしたのは。毎日ステーキだと飽きるから、たまには素朴な味のものが食べたい、のような。このキッチンにあるインスタントコーヒーとかおるは同じに思える。気安い、というか、簡単というか。事実、かおるは恭祐から受けるプレッシャーの日々に手を差し伸べてくれた樹に簡単に身を委ねた。



樹が言った『約束を守る』はどれくらい守られたのか非常にグレーだが、かおるは処女のままだ。処女を失うのが山頂ならば、九合目くらいまでは登ったような気がするが。
でも、九合目だとしてもどうしてそこまで到達してしまったのか、自分でも理解に苦しむ。あの後二人でシャワーを浴びて、一つのベッドで眠ってしまったのも。

眠りに落ちるまでも、ベッドの中で睦み合った。経験がないかおるにもそれは濃厚だったと分かる程。起きた時には薄い肌掛け布団の下のかおるも樹も全裸なのは睦み合いながら眠ったのだから当然のこと。

樹を起こさないようにかおるとしてはこっそりベッドを抜け出したが、とんでもないものを朝からうっかり見てしまったのはしょうがない。朝の静寂の中で見えたそれは、昨夜バスルームで見てしまったときよりも淫らに見えた。

あの淫らなものが自分を貫いたらどんな感じなんだろうとかおるはふと思った。樹から教えられた言葉通りの状況になったら。固く、太く、獰猛なそれが奥へ奥へと侵入しきたら…。指の比じゃない、きっと。初めては痛いと聞くけれど、樹の言葉を信じるのなら乳首のように痛い先に気持ち良いがあるはずだ。
そんなことを考えながら朝食の支度をしていると、かおるは自分の入り口が昨夜のように疼くのを感じた。そして、濡れてしまっていることも。


「おはよう。すごい、いい匂いだ。」
自分の状況を恥じて樹と顔を合わせ辛いと正に思っているときだった、樹に声を掛けられたのは。

「あ、あの、おはよう、ございます。油が探せなくて、バターで、スクランブルエッグを…。あまりあちこちを探すのも悪い気がして、直ぐに見つかったバターを使ったんですけど、」
「ああ、あるものは何でも使っていいよ。」

キッチンに現れた樹は朝とは思えない程艶っぽい。そんな樹が柔らかい笑みを浮かべて朝の挨拶をしてくれるとは、なんて贅沢なんだろうか。そこまで思って、かおるは気付いてしまった。また、恭祐との違いを思っていたと。どうしても、樹を通してその先にいる恭祐の影をかおるは見てしまう。

「どうかした、何か心配事?」
「あ、あの、味が心配で。」

心配事というよりは不意に恭祐に対する恐怖心が浮かんだのだが、樹がそれに気付いたことにかおるは驚いた。咄嗟に吐いた嘘は不自然でなければいいが。

「心配なんていらない、すごく美味そうだ。温かいうちに食べよう。」
「はい。」

かおるの吐いた嘘に、樹は丁寧に対応してくれた。味を褒めてくれた上に感謝まで言って、嘘の心配を払拭してくれたのだ。
余りの居た堪れなさに、かおるは曖昧な笑みで返すしか出来ない。

「信じて、ホントに美味かった。」
「はい、ありがとうございます。」
「もっとこうして居たいけど、会社へ行く支度もしないとな。」
「あの、わたし、先に出てもいいですか。」
「一緒に行こう。オレも一緒に早めに出るよ。別に悪いことはしていないのだから、堂々と二人で出社すればいい。」
「…はい。」

樹のマンションから会社までは近い。だから、直ぐに着いてしまう。優しい空間から、緊張を強いられる空間へまるで突き飛ばされたかのように。

ただ、今日は不安と恐怖に支配されるのは午前中だけで済む。樹と過ごした次の日が若林家へ午後から行く日で良かったとかおるは思った。なぜか、恭祐と同じ空間にいるのがいつもより怖かったのだ。
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