どうかあなたが

五十嵐

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47 やり直しのプロポーズ

「こちらに置いておきますね。」
かおるはカフェオレを恭祐のデスクの隅に置きながら、声を掛けた。

「三上、いや、いい、」
どうしたのだろうか、恭祐からの言葉は歯切れが悪いものだった。不思議なくらい。
けれど、歯切れの悪さの先に何があるのかを気にするのはもう止めようとかおるは思った。その必要はもうないだろう。
いや、最初から不要だったのかもしれない。ただ、不思議な何かに囚われていただけで。

そもそも恭祐のことだ、仕事上必要なことならば必ず言う。言わないということは、仕事上差し障りがない程度の何かだったということだ。
何より樹と食事に出かける為にも、仕事をどんどん片づけなくては。不要なことに囚われて時間を使うのはいただけない。


仕事は予定よりも早めに片付いた。席に居れば、恭祐から何を言われてしまうか分からない。だから、かおるは樹へ近所で時間を潰しているというメッセージを送り、退社した。
心はこんなにまでも軽くなれるのかと驚いてしまう。気にかけない、囚われない、それだけで。

オーダーしたロイヤルミルクティが冷めないうちに現れた樹は、開口一番かおるに謝った。
「ごめん、今日はちょっと気取った店だけど許して欲しい。」
「わたし、樹さんと一緒だと実は緊張がゆるむみたいなんです。話をしたり、一緒に食事をしていると、それ以外のことに気を取られないみたいで。ですから、許すも何もありません。」
「実はオレが緊張している。」
「え、そんなに格式が高いお店なんですか?」
「違う、違う、ちょっと訳があって、だから。」
樹が連れてきてくれたのは、とある高級ホテル内の和食の店だった。

「秋山様、いらっしゃいませ。」
樹の来店連絡を受けた支配人らしき人物がわざわざ挨拶にやって来た。
当然のことながら、かおるは今までこんな高級店に足を踏み入れた事などなかった。
けれど、樹は違う。ホテルの責任者らしき人物が直々にやって来て、挨拶をしていくだけの価値がある人物ということなのだ。
考えるまでもなく分かっていることだけれど、かおるは樹の身分を改めて知らしめられた気がした。更にはその先の恭祐も。


席につき、落ち着いた頃合いを見計らったであろうタイミングで料理が運ばれてきた。
「口に合うといいけど。」
「合うも何も、きれいすぎて手を付けるのがもったいないくらいです。」
「でも、食べないと、もっともったいない、だろ?」
「はい。」
「そう考えると、料理と女性は同じだな。好み過ぎてもったいないからって、手をつけないのは良くないか。」
「…なんだか、」
「ま、いいから、さ、食べて。」

こんなに格式が高い店だというのに、樹のお陰でかおるは楽しい時間を過ごすことが出来た。
「とっても美味しかったです。それに、楽しかったです。だから、明日からの出張、頑張れそうです。」
「ちょっと長めだから辛いことも多いかもしれない。でも、全てがあと少しだから。」
「辛い…?」
「もう頑張るな。かおるがあの環境で、何を支えにここまでやってこれたのかは正直言ってオレには理解できない。でも、もう辞めると決めたんだから、気を抜け。」
「気を抜いたら…」
「いいよ、泣けば。出張中、辛くなったら時差なんか気にしなくていいから、電話してこい。」
「樹さん…、」
「今日、食事に誘ったのはこのこともだけど、もう1つ、伝えたいことがあるんだ。この間のはなしにしたい。やっぱ、こういうことはシチュエーションを選びたい。」
「この間?」
「ああ、この間帰ってきてから返事をして欲しいって言ったこと。仕切り直させて。…結婚しよう。かおるとかおるの時間をオレにくれないか。ちょっとした喧嘩くらいはするだろうけど、楽しい毎日を過ごそう、二人で。ゆくゆくは三人以上で。」
「…」
「返事は勿論出張明けでいい。ただオレのけじめとして、シチュエーションを選んだ上で言葉にしたかった。」
「待っていただく必要はありません。今でも、出張後でも答えは同じだと思います。あの、わたしの退職理由を、…寿退社に変えてもらえますか?」
「本気で言ってる?」
「樹さんこそ、冗談でした?」
「まさか、だから緊張してた。出張から戻ったら、指輪を選びに行こう。それで、今度はホテルのスイートルームでその指輪を捧げながらもう一度言わせて。愛と未来を誓いたい。」
「未来…」
「どうかした?」
「わたし、樹さんとならこの先の未来を思い描ける気がして。」

かおるの返事に樹は緊張から一転、気持ちが舞い上がるのを感じた。けれども、恭祐同様鋭い観察力は失っていなかった。
だから引っかかりを感じた、かおるの言葉に、表情に。
かおるの言った、『樹となら』とは…。比較とも強調とも取れる『なら』。いや、強調だとしても大前提としてやはり比較すべき対象があるはずだ。
じゃあ誰とならば、どういう未来を思い描くのか。

「かおるは、オレと、」
樹はそこまでを言葉にして、とっさに誰と比べているのかという言葉の代わりにどんな未来を思い描けるのかと質問をすり替えた。
もしかしたら、『なら』という言葉に何の意図もなかったことだって考えられる。
「わたしは、…今は良くわかりません。でも、確実に言えるのは、わたし達の前には白い画用紙があるってことです。二人でなら、そこに、好きな色で何でも描いていける気がするんです。」

再びかおるの口からは『なら』という言葉が出た。
普段の樹だったら、いつものように物事を様々な側面から冷静に見ただろう。けれども、この日はプロポーズをするという緊張が続いていたせいで、冷静な判断力が阻害されていた。
だから、都合良く考えてしまったのだ、この「なら」には何の意味もないと。ただ、立て続けに使ってしまっただけだと。

けれど、かおる自身もまた自分の言葉に引っかかっていた。なぜ画用紙にわざわざ『白い』という形容詞を付けたのかを。

通常画用紙と言ったら、白い画用紙を意味するのに、かおるはわざわざ『白い』とつけた。
そして、気付いてしまった、対極には黒い画用紙があると。決して何も描くことのできない黒く塗りつぶされた画用紙…。
でも、かおるもまた『樹となら』、『二人でなら』とわざわざ樹を強調していたことまでは、残念ながら気付いていなかった。
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