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46 天秤の傾き
「ただいま。あ、そっか、かおるさん、いらっしゃい」
「お邪魔しています」
「お邪魔じゃないよ、いつでも来てよ。特に美人は大歓迎!」
「…、あの、それじゃあ、わたしでは」
「何言ってんの、現にこの間よりきれいになってるじゃん。もしかして、会社辞めるの決まって、気楽になった?それでみるみるきれいになっているとか?」
「もう、大河ったら、そういう答えにくいことは聞かないの」
「ホントのことじゃん。ところで、母さん、兄貴は?」
「大地はまだよ。」
「じゃ、シャワー浴びて、着替えてこよっと」
「ごめんなさいね、かおるさん。あの子は思ったことを考えなしで口にするタイプだから。でも、それもありね?かおるさん、先週よりもきれいになってるもの、さっきも言った通り。会社辞めたら、どんな美人さんになっちゃうのかしら」
「あ、いえ、そんな」
和菓子作り、夕食と終始前回同様恭祐のいない若林家はかおるに優しい。当然のように、女性をこの時間に送らないなんてことはあり得ないと奏絵が言えば、息子二人が車を出すと直ぐに申し出てくれるほど。
前回と異なり、帰宅した順番は大河が先だった。それにもかかわらず、やはり奏絵の意志が働いたのだろう、この日も大地が送ってくれることとなった。
「かおるさん、これ、持っていって。餡子が一回分ずつ詰められているから、冷凍保存にも便利なようになっているの。水を足して温めれば、お汁粉が楽しめるわよ。出張前にも後にも、日本の味をどうぞ」
「ありがとうございます」
「では、行きましょうか」
大地は何も言われなくても、奏絵から荷物を受け取り、かおるを玄関にまわした車に連れだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます。大地さんて、身のこなしとかがスマートですよね。女性にもてそう」
「どうでしょう。あまりもてた記憶はないんですけどね」
そう言いながら車のドアを閉めると、大地は運転席へまわった。
「ところで、ありがとうございます」
「何がですか?」
「僕の話の後でも、先週と全く変わらないでいてくれて」
「変わりようがないです。特に過去の出来事に対しては」
「そうですね。ところで何かいいことでもありましたか?」
「えっ、どうしてですか?」
「なんとなく。そうですね、雰囲気が先週とは違います」
「わたしって分かり易いんでしょうか?奏絵さんには肌艶が良くなったと言われて、大河さんには、その、言いづらいんですが、きれいになったって」
「で、実のところは?」
「変化しようとしています。先週から気持ちや考えを変えることを始めたんです。これからの毎日が楽しくなるように。一週間ちょっとの成果が出たんでしょうか?」
「そうでしたか。だからですね、母さんの申し出を何も言わず受け入れてくれたのは。かおるさん、絶対遠慮するタイプだと思っていたから、母さんに押し切られて困っていたら可哀そうだなって先週大河とも話していたんですよ」
「今回はたまたま会社の人に、誰かの好意に甘えてみることも必要だって言われた後だったもので」
「そっか、タイミングが良かったんですね」
かおるの素直さに驚きを覚えつつも、大地は返事を返した。本人は分かっていないだろうが、『好意に甘える』なんて言葉は、男から言われた以外にあり得ない。
「きっとわたしにとってもその言葉はタイミングが良かったんです」
「では、これもタイミング的には丁度かな。木曜からの出張で困ったことがあったら、時差を気にすることなく電話してきて下さい」
「困ったこと?」
「あ、仕事の事はさすがに無理だけど、兄さんに関しては僕の方が知っているから。一週間以上ずっと一緒でしょ、愚痴でもいいですよ。聞いた内容を本人に言い付けたりは絶対しませんから」
「大丈夫です。わたし、どちらかと言うと、若林さん、あ、恭祐さんに避けられているというか、人間として相手にされていませんから。働くロボットみたいなものだとお考えなんだと思います。だから、仕事以外でご一緒することはないですよ」
かおるはそう言うが、大地は違うと感じていた。
あの兄が相手にしていないのに、何年も一緒に働くとは思えない。加えて、出張に同行させるとは。
人様の会社だから、かおるがどんな仕事をして、何の為にアメリカへ行くかは分からない。
けれども、兄のことは分かる。かおるよりは。
「人間として相手にされていない、かぁ」
「すみません。表現が悪かったですよね。どう言ったらいいのか…、あ、ビジネス上の関係ですから、仕事を離れれば」
「離れれば?」
「ごめんなさい、適切な言葉が今は見つかりませんが、…そんな感じです」
きっぱり切り離される、視界にも入れられない、出てくる言葉は先ほどの表現より悪くなってしまうとかおるは思った。
「あの兄さんが、こんなにも長く一緒に働いているわけですから、実はちゃんと評価していると思いますよ」
大地はひとまずこの会話を区切ろうと、それなりの言葉をかおるに掛けた。
もしかしたら、本当に大地の取り越し苦労で、実はあの兄でも、かおるを食事に誘い労をねぎらうことくらいするかもしれない。
今までが今までなだけに、日本ではしづらいから出張を利用して。
「大地さん、ここだけの話ですよ。わたしと秘密を共有して下さいね。わたし、もう、評価とかそういうの本当のところどうでもいいんです。元々どうでも良かったんですけどね。そして、後は辞めるだけです。だから仕事が終わったら、ガイドブックにあるようなレストランへ行ったり、ショッピングや、土日に天気が良ければセントラルパークへも行ってみようと思っているんです。勿論、やるべきことはちゃんとやった上でですよ」
「いいんじゃないですか。僕は賛成しますよ。というより、労働時間外はそもそもかおるさんのものだから、美味しいものを食べたり、のんびりして下さい。今までがあまりにも兄と会社に縛られていたわけで」
「そんなことはないですよ。あの、不謹慎ですけど、最後の最後にニューヨーク出張だなんて、ついてますよね、わたし」
「ですね。天秤はつり合うように出来ていたという事でしょう」
「大地さん、つり合っていなかったことはなかったですよ。むしろ、最近は良い事がありすぎで。これでバランスとなると、そうとう悪い事を引きうけないと」
「謙虚だな、かおるさんにはもっと良い事がありますよ」
言った通りになればいいと大地は思った。嫌な予感よりは、言霊を信じたかった。
「お邪魔しています」
「お邪魔じゃないよ、いつでも来てよ。特に美人は大歓迎!」
「…、あの、それじゃあ、わたしでは」
「何言ってんの、現にこの間よりきれいになってるじゃん。もしかして、会社辞めるの決まって、気楽になった?それでみるみるきれいになっているとか?」
「もう、大河ったら、そういう答えにくいことは聞かないの」
「ホントのことじゃん。ところで、母さん、兄貴は?」
「大地はまだよ。」
「じゃ、シャワー浴びて、着替えてこよっと」
「ごめんなさいね、かおるさん。あの子は思ったことを考えなしで口にするタイプだから。でも、それもありね?かおるさん、先週よりもきれいになってるもの、さっきも言った通り。会社辞めたら、どんな美人さんになっちゃうのかしら」
「あ、いえ、そんな」
和菓子作り、夕食と終始前回同様恭祐のいない若林家はかおるに優しい。当然のように、女性をこの時間に送らないなんてことはあり得ないと奏絵が言えば、息子二人が車を出すと直ぐに申し出てくれるほど。
前回と異なり、帰宅した順番は大河が先だった。それにもかかわらず、やはり奏絵の意志が働いたのだろう、この日も大地が送ってくれることとなった。
「かおるさん、これ、持っていって。餡子が一回分ずつ詰められているから、冷凍保存にも便利なようになっているの。水を足して温めれば、お汁粉が楽しめるわよ。出張前にも後にも、日本の味をどうぞ」
「ありがとうございます」
「では、行きましょうか」
大地は何も言われなくても、奏絵から荷物を受け取り、かおるを玄関にまわした車に連れだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます。大地さんて、身のこなしとかがスマートですよね。女性にもてそう」
「どうでしょう。あまりもてた記憶はないんですけどね」
そう言いながら車のドアを閉めると、大地は運転席へまわった。
「ところで、ありがとうございます」
「何がですか?」
「僕の話の後でも、先週と全く変わらないでいてくれて」
「変わりようがないです。特に過去の出来事に対しては」
「そうですね。ところで何かいいことでもありましたか?」
「えっ、どうしてですか?」
「なんとなく。そうですね、雰囲気が先週とは違います」
「わたしって分かり易いんでしょうか?奏絵さんには肌艶が良くなったと言われて、大河さんには、その、言いづらいんですが、きれいになったって」
「で、実のところは?」
「変化しようとしています。先週から気持ちや考えを変えることを始めたんです。これからの毎日が楽しくなるように。一週間ちょっとの成果が出たんでしょうか?」
「そうでしたか。だからですね、母さんの申し出を何も言わず受け入れてくれたのは。かおるさん、絶対遠慮するタイプだと思っていたから、母さんに押し切られて困っていたら可哀そうだなって先週大河とも話していたんですよ」
「今回はたまたま会社の人に、誰かの好意に甘えてみることも必要だって言われた後だったもので」
「そっか、タイミングが良かったんですね」
かおるの素直さに驚きを覚えつつも、大地は返事を返した。本人は分かっていないだろうが、『好意に甘える』なんて言葉は、男から言われた以外にあり得ない。
「きっとわたしにとってもその言葉はタイミングが良かったんです」
「では、これもタイミング的には丁度かな。木曜からの出張で困ったことがあったら、時差を気にすることなく電話してきて下さい」
「困ったこと?」
「あ、仕事の事はさすがに無理だけど、兄さんに関しては僕の方が知っているから。一週間以上ずっと一緒でしょ、愚痴でもいいですよ。聞いた内容を本人に言い付けたりは絶対しませんから」
「大丈夫です。わたし、どちらかと言うと、若林さん、あ、恭祐さんに避けられているというか、人間として相手にされていませんから。働くロボットみたいなものだとお考えなんだと思います。だから、仕事以外でご一緒することはないですよ」
かおるはそう言うが、大地は違うと感じていた。
あの兄が相手にしていないのに、何年も一緒に働くとは思えない。加えて、出張に同行させるとは。
人様の会社だから、かおるがどんな仕事をして、何の為にアメリカへ行くかは分からない。
けれども、兄のことは分かる。かおるよりは。
「人間として相手にされていない、かぁ」
「すみません。表現が悪かったですよね。どう言ったらいいのか…、あ、ビジネス上の関係ですから、仕事を離れれば」
「離れれば?」
「ごめんなさい、適切な言葉が今は見つかりませんが、…そんな感じです」
きっぱり切り離される、視界にも入れられない、出てくる言葉は先ほどの表現より悪くなってしまうとかおるは思った。
「あの兄さんが、こんなにも長く一緒に働いているわけですから、実はちゃんと評価していると思いますよ」
大地はひとまずこの会話を区切ろうと、それなりの言葉をかおるに掛けた。
もしかしたら、本当に大地の取り越し苦労で、実はあの兄でも、かおるを食事に誘い労をねぎらうことくらいするかもしれない。
今までが今までなだけに、日本ではしづらいから出張を利用して。
「大地さん、ここだけの話ですよ。わたしと秘密を共有して下さいね。わたし、もう、評価とかそういうの本当のところどうでもいいんです。元々どうでも良かったんですけどね。そして、後は辞めるだけです。だから仕事が終わったら、ガイドブックにあるようなレストランへ行ったり、ショッピングや、土日に天気が良ければセントラルパークへも行ってみようと思っているんです。勿論、やるべきことはちゃんとやった上でですよ」
「いいんじゃないですか。僕は賛成しますよ。というより、労働時間外はそもそもかおるさんのものだから、美味しいものを食べたり、のんびりして下さい。今までがあまりにも兄と会社に縛られていたわけで」
「そんなことはないですよ。あの、不謹慎ですけど、最後の最後にニューヨーク出張だなんて、ついてますよね、わたし」
「ですね。天秤はつり合うように出来ていたという事でしょう」
「大地さん、つり合っていなかったことはなかったですよ。むしろ、最近は良い事がありすぎで。これでバランスとなると、そうとう悪い事を引きうけないと」
「謙虚だな、かおるさんにはもっと良い事がありますよ」
言った通りになればいいと大地は思った。嫌な予感よりは、言霊を信じたかった。
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