どうかあなたが

五十嵐

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「大地にはこの絵、どう見える?」
「幸せそうな家族」
「良かった、咲良さんからの依頼だったから、それが。それと、あなたの存在は何も歪みなんて生んでないわよ。誰よりも、あなたが生まれてくることを望んだのは咲良さんだから。咲良さん、わたしのお腹にあなたがいることに気付いた時、ただ確認したの、何ヶ月かだけを。相手のことも、産む気があるのかも聞かなかったわ」






三月のまだ寒い日だった、咲良が奏絵にこれからのことを『お願い』したのは。大学卒業を控え、定職に就けないでいるのに、胎に子供を抱えてしまった奏絵に未来の話をこれから死にゆく咲良がしたのだった。

咲良は医師から事前に言われていた余命を超えられたのは、恭祐の存在のお陰だと笑っていた。でも、もういつその時が来てもおかしくない。だから毎日を大切にしていた。恭祐と時間を共有し、多くの言葉を交わし合う、そんな何気ない毎日が少しでも続けばと願いながら。

「奏絵ちゃん、最後の絵は桜の木をバックにして欲しいの。字は違うけど、わたしと同じ名前の木だから。だから、ごめんなさい、本当は体を冷やすようなことは避けたいんだけど、どの桜の木がいいか選びに行きましょう」
「体が辛いようなら、わたしが選びに行きます」
「違うわ、冷やしてはいけないのは奏絵ちゃん。わたしは大丈夫。でもね、何度も行くのは無理だから先に木を決めて、だいたいを描いておいて欲しいの。それに、桜の花はそんなに長く持たないでしょ。花が咲く頃には仕上げるつもりでいてね。あと、この絵も水彩画でお願い出来るかしら」

一月中旬くらいから、咲良は油絵ではなく水彩画にして欲しいというリクエストをするようになっていた。すぐに仕上げられる水彩画を好むようになったのだ。それは、奏絵、ひいては秀一に咲良の時間がもうないことを告げているようだった。

今回も水彩画、そして咲良は自然に最後の絵と言った。それは、奏絵の仕事は終わりということを婉曲に伝えたのではない。本当に自然に出てしまった言葉のようだった。

咲良が気に入ったという桜の木をどのように配置するか奏絵は頭を悩ませた。咲良が最後と決めた絵だ。最高の出来にする為にも、全てのディテールにこだわりたかった。
構図が決まり、下書きが出来上がった時だった咲良からお願いがあると言われたのは。

学生だった奏絵が、大人の意味する『お願い』が時に全てをも賭ける取引になることを知った瞬間だった。
「奏絵ちゃん、お腹の赤ちゃんをわたしに頂戴。代わりに、わたしの持っているものを全部あげる。秀ちゃんと恭ちゃんを含めて」
咲良はお願いという取引を奏絵に持ちかけたのだった。

貧乏学生だった奏絵にとって咲良が住んでいた縁のない世界。その世界の住人である咲良が明日食べる心配どころか、好きな画材を好きなだけ買って好きなだけ絵を描いていていい生活をくれるという。しかも、親にも言い出せていないお腹の子の将来の為に奏絵に確固たる立場を与えた上で。

「その子は恭祐の弟か妹になるの。だって、一人じゃ可哀想でしょう。でも、わたしにはもう恭祐に兄弟をつくることは無理だから。お願い、奏絵ちゃん、その子をわたしに頂戴。そして、ゆくゆくはもっと恭祐に兄弟を作ってあげて。勿論、すぐでなくていいの。心の準備がそこには必要だろうから」







「咲良さんは、オレの父親が誰かは聞かなかったんだ。父さんと母さんが浮気していたと思ったから聞かなかったのかな」
「違うと思う。もし、わたしが咲良さんだったら、敵に塩を送らないわ。浮気相手に熨斗をつけて旦那を贈るなんて。それにね、咲良さん言ったの。大地以外にも恭ちゃんに兄弟を作ってあげてって。わたしの心の準備が整ったら」
「母さんの心の準備?」
「仮にわたしが秀一さんと浮気していると咲良さんが思っていたのなら、そんなこと言わないでしょう。今だから、何となく思うのだけれど、咲良さんが恭ちゃんの兄弟をあなた以外にも産んで欲しいと願ったのは、あなたにも兄弟が必要だと考えたからじゃないかしら。この若林家の中で」

それが、若林家という家族を形成する為に必要なピースだと咲良は考えたのだろうと奏絵は思った。
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