どうかあなたが

五十嵐

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75 物語と欺瞞

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どうして唇と唇が合わさるのか。
たまたま向きを変えられた時に当たってしまった。それならば偶然の産物だ、これは。
でも、無理がある、その説明では。偶然では舌は絡まない。

かおるが口を開き引き入れたのか、恭祐がこじ開けたのか。しかし、そんなことは考えなくていい、瑣末なことだ、と男を知ったばかりのかおるの本能は言う。
今はこのまま、本当に欲しかったものを享受すればいいと。

ずっと手に入らないと知りながら近くに居続けた遠い存在。報われることなど無かった五年の重みを甘さに変えてしまう口付け。
苦しみを甘さに変えるなんて、得体の知れない悪い薬物のようだ。そして、それは大抵最初の内は簡単に手に入れられる。けれど時が経つに連れ高価になり、知らずの内に副作用に蝕まれてしまう。依存してしまえば、最終的に待ち受けるのは身の破滅。それなのに、分かっているのに、求めてしまうとは。
自分はもう囚われて逃げ出せない所まで来てしまっていたようだとかおるは思った。もっと早くに、こうなる前に逃げるべきだったのに。

もうこのまま諦めて落ちるところまで落ちてしまおうと思った時だった、求めて止まない唇が離れていった。そしてゆっくり動く、音を発する為に。




恭祐の出張は必要だった。しかしかおるの同伴が必要だったかと誰かに尋ねられれば、答えはYESでありNO。

かおるが退社することを通知されるのがもう少し後ならば、予定を組み替える必要はなかった。
かおるが退社など決めなければ、同伴させる必要もなかった。
樹が必要以上に近づかなければ…。

何年も掛け、恭祐好みに仕立て上がったかおる。かおるは常に恭祐の為にいれば良い存在だった。怯えた目や態度で、恭祐に興奮を与え男としての本能を高めてくれる存在であれば。それを今更樹だろうと、仕事上でも取られたくないと思うのは恭祐のエゴ。分かっているのに、捨てられない、だからこそのエゴ。

昔目にした古典の物語を思い出す。女性によって書かれた物語の割には男の根深い心理を表しているようなあの物語。本当の意味で手に入れられない女性に限りなく似た女性を作りあげる話とは。
あの中の登場人物もまた様々な女に手を出している割には、自分の手元に本当に欲しい女性の代わりを置いていた。

物語の幼女とかおるの年齢は勿論違う。しかし、社会に出たばかりで仕えた上司の立場が故、上の者ばかりと接してきたかおる。会社という社会の中では、幼女とは言わないまでも子供に過ぎない。秀一の周囲にいた人物は人の良い笑みを浮かべようと海千山千ばかり。

加えてかおるにとって不幸だったのは、物語同様たった一人の人物との接触がメインだったこと。秀一、そして恭祐。名前ではなく具体的な言い方をするならば、既に退任することが決まっているとは言え社内での最高権力者に育ててもらったという恩を感じながらその息子に引き渡されたということだ。

恭祐の立場も、会社の中では物語同様とも言えよう。権力と金を光り輝くものとすれば尚のこと。お陰で様々な女と楽しんだ。物語の流れとは異なるが、ニューヨークにいたことすら須磨にいた主人公と重ねてしまう。勿論、実際に罪など犯していないが、過去に秀一達に暴言は吐いている。

しかし、全てが物語をなぞっているわけではない。その息子、恭祐は決して幼女を慈しみ大切に育てた男とは違った。自分好みにしたことは同じだが。
否、他にもある。恭祐の好みの服、髪型、そして共に食事をする。極め付けは、恭祐が男を教え、女にしたことだろうか。

物語の最初は、確か父親が寵愛していた母親に似ている親子ほど歳の離れた女性を妻に迎えるというものだった。その新しい妻に横恋慕する主人公。
奏絵は咲良に似てはいないし、親子ほど歳が離れているわけでもない。ただ、あの頃の恭祐は女性としてではなく、人として奏絵が好きだった気がする。秀一と結婚後も母親としての奏絵が好きだった。子供がどうやって出来て、何ヶ月胎の中で育つか知るまでは。

恭祐は思った、かおるを縛り付ける為に種付けをしてしまえばいいと。奏絵は大地が出来たから若林家から離れられなくなった。秀一と同じことをすればいいのだ。

この出張では、ニューヨーク到着後数日以内にかおると体の関係を持つつもりでいた。一度持ってしまえば、後は無しではいられなくなるようあらゆる技巧で陥落する、それだけのことだったはず、当初の予定は。

冷遇から最高の快楽を与えるセックスで体を繋ぎ止めればいいだけだった。
かおるは何年も緊張の中で、その緊張を強いる恭祐と時間と場所を共有し、剰え仕事においては信頼と結束を抱いていたに違いない。誘拐や監禁犯に恋愛感情を抱く精神状況と同じように。でなければとっくに会社を辞めていただろう。

恭祐とかおるの性質は正しく合致したのだ、恭祐に都合の良い状況を作り出すように。
かおるの本当の気持ちなど知る由もない恭祐は、現状をそう把握していた。
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