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プロローグ 六道

怪物の産声

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「っう!? コ、こハ、いっ体?!」
 
 青い宝珠に触れた桃弥だが、流れる情報の大河に意識の根幹が揺らぐ。

 辺りへ目を向けると、大量の文字が無秩序に流れていた。踏みしめるていたはずの大地はなく、見上げれば雲の代わりに文字の奔流が絶え間なく流れていた。

「ま、ズは、げん状の、ハ握、を」

 唯一の情報源ともいえる無数の文字へ目を向ける。

 素早く流れてはいるが、何故かくっきりと読めてしまう。
 しばらく流れる文字を見ていると、桃弥はあることに気づく。

「大、リヨウにある、ヨう、にミえるが、ほとンドガ、ちょう複シテいル」

 そして、最も多い文字はーー
 
 ーー『強』と『化』である。

 そう認識した途端、『強』と『化』の二種類の文字が桃弥のもとへ集い始める。

「っうあ……これは……思考が、まとまり始めた」

 濁流を流れる文字がごっそり減ったことで、桃弥の思考がまとまり始める。

 そのおかげで、周囲の風景にも目を向ける余裕ができた。

 やはりと言うべきか、踏み締めるべき大地はなく、しかしなぜか両足は地面についてる。
 周囲は真っ暗だが、遠く離れた無数の点が桃弥を照らす。まるで宇宙空間で1人漂っているようだ。

「なるほど、この空間は俺の認識で自在に変えられる。夢、明晰夢の一種なのか?」

 そこからは早かった。
 流れる文字の川から言葉を作り出し、拾い上げる。
 結果、集った文字によって作られた単語の一覧は今、桃弥の前に並べられる。
 
 
 ーー 視力強化 10
 ーー 嗅覚強化 10
 ーー 聴力強化 10
 ーー 視野強化 10
 ーー 脚力強化 10
 ーー 腕力強化 10
 ーー 記憶強化 10
 ーー 身体強化 10
 ーー(痛覚軽減)100
 ーー(恐怖軽減)100
 ーー(流血軽減)100
 ーー(衝撃軽減)100
 ーー(体力強化)200
 ーー(治癒強化)200


 単語が一つできた途端、その右側には数字が浮かびあがる。
 そして、右側に10と表示された文字だけ薄っすらと光っており、それ以外はくすんだ灰色をしていた。

 さらに二つ、言葉を全て作り終えたことで変化が生じていた。

 一つ目は桃弥の前後左右、そして上現れていた。目測で高さ3m、幅2mほどだろうか。それらの門は固く閉じられており、鍵穴が一つだけ添えられているだけの無骨なデザインだった。

 そして二つ目は、桃弥の手には先ほどの鬼の死体が落としたが握られていた。

「まあ、何をやるかは何となくわかるが、問題は何にするかだな」

 薄っすら光っている8つの言葉。このうちの一つを選ぶことで、門が開かれる。桃弥はそう直感していた。

(摩訶不思議な現象だが、利用しない手はない。恐らくこれはあの化け物共を殺すための力になる)

 青い珠は1つ。選べる力もまた1つということだ。

(無難なところだと、「腕力強化」か「身体強化」だが……今の俺でも、あの程度の化け物なら1対1で負けはしない。相手が複数の場合はさすがにまずいが、「腕力強化」を取ったところで多数相手に勝てる保証はない。ならば、戦闘を回避する能力がベターだろう。最低でも、多対一は避けたい)

 となると、「視力強化」、「嗅覚強化」、「聴力強化」、「視野強化」のどれかとなるが……

「うーん」

(町の惨状を見るに、「嗅覚強化」は役に立たないだろ。死体の腐敗臭がそこら中にまき散らされてるだろうし。「視力」と「視野」は視線が通ることが前提なはず。だったら不意打ち対策にはなりえない。こっちが求めてる能力は予想外のエンカウントの回避。だったら答えはーー)

 迷った末、桃弥が選んだのはーーである。

 桃弥は青い珠を握りしめる手とは反対の手で、聴力強化の文字を掴む。そして両手の掌を合わせる。すると青い珠と文字が合わさり、鍵へと形を変える。

「で、これを差し込むっと」

 正面の鍵穴に鍵を差し込み、捻る。
 そして力いっぱい門を押すと、思いの他スムーズに開いた。

 見た目ほど重くないのだなと、桃弥は感想を漏らす。

 その思考を最後に、桃弥の意識はホワイトアウトしーー気づけば、家の前に座っていた。

「っ!! これは、戻ってきた、のか」

 少なくとも、意識が飛ぶ前とは同じ光景がそこには広がっていた。唯一異なるのは、そこにあった青い珠が消えている点だけである。

「聴力強化……使ってみるか」

 耳を澄まし、周囲の音を取り込む。するとーー

「っう!!」

 恐ろしいほどまでに、周囲の音がよく聞こえる。
 しかし、それは大量の情報と共に、人々の怨嗟も耳にすることと同義である。
 

 ーーい、いやああ、どうして、なんで僕がこんな目に

 ーーし、死にたくない、いやだ、いやああああああ

 ーー警察は何をしているのだ!! こういう時に命を張って市民を守るのがお前らの責務だろうが!

 ーーてめえ、邪魔だああどけええ!

 ーートロいんだよ、クソジジィ、いい加減にしろ!

 ーーい、いや、助け……

 ーーお、お前たち、この俺を誰だと思っている! うぎゃああああ
 

 戦いにの興奮から覚めた今、周囲の惨状と人々の醜悪な叫びが桃弥の脳を揺さぶり、同時に大量の胃酸がこみ上げる。

「う、うおおおおえええええ」

 不幸中の幸いというべきか、朝飯前だったため胃に消化物は溜まっていなかったのが功を奏した。

 しかし、桃弥の声に反応して、一階から悪鬼が登ってくる。

 不意打ちのエンカウントを避けるはずの聴力強化は、いきなり不意な敵襲を呼び込んでしまった。

「……くそが、やってやるよ、畜生ども」

 包丁を片手に、今度は桃弥から鬼に襲い掛かる。


 ◆

 幸い桃弥の住んでいるアパート内に侵入した悪鬼は2匹だけだったようで、事なきを得た。

 しかし、桃弥は自身を戒める。

(ったく、たかが怨み言で心を乱しすぎだ。これで2匹以上がいたらマジで危なかった)

 だが、いつまでもくよくよしていられない。聴力強化をコントロールしつつ、アパート内の安全を確認する。

 案の定、オートロックは壊されていなかった。

 だが、入口の外には住人と思しき女性の屍が横たわっていた。
 近くにはゴミ袋も転がっているため、ゴミ出しの最中に襲われたのだろう。

 桃弥が住むアパートは2階建て、計6部屋の小さなアパートである。
 そのため、アパート内の確認はすぐに終わる。

 結論からいうと、このアパート内で生きているのは桃弥だけだ。

 一階の3人の住人のうち、二人は無残な死体とかし、1部屋は住人が不在である。2階も同様1部屋は住人不在、そして桃弥以外のもう一人は、ゴミ出し中に襲われた女性である。

 外は阿鼻叫喚の地獄とかしているが、アパート内の悪鬼を排除したことで桃弥はしばしの安寧を得ることができる。

 そして何よりーー

「もう一つの青い珠」

 今度は強制的に意識を飛ばされることはなかったが、桃弥はあの時の感覚をはっきり身に刻んでいる。
 そして、意識を文字の濁流へと沈めることで、桃弥は再びあの空間へと旅立った。

 
 ◆

 悪鬼の襲撃を受けてから3時間。様々な検証を済ませた桃弥はついに、アパートの外へ踏み出す準備を整えていた。

 耳を澄まし、大地を踏みしめ、いざ阿鼻叫喚が広がる新世界へ。

 ◆

 崩壊しつつあるこの世界に、亘桃弥は圧倒的な速さで適応していった。

 強すぎる猜疑心。平和な社会ではメリットよりもデメリットの方が大きいその能力は、敵味方が入り乱れる乱世では強力な武器となる。

 さらに桃弥自身は気づいていないが、彼には闘争の才が秘められている。

 普段は無意識に脳を酷使する理性的なタイプだが、戦闘時は本能むき出しで最良の選択肢をつかみ取る。それでいて内心は冷え切っているなのだから一層たちが悪い。

 世が世なら一大国家を築き上げていたかもしれないその才能は、今産声を上げる。


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