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胎動・乱世の序章
第6話 予覚再び
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西方連合は評議会によって動かされている。逆に言えば、西方連合の全ての動きは、評議会に報告されることとなる。
「レナードが負けた?」
現在そう報告を受けているのは、評議会の上院議員であり、議会で議長の座に座っている銀髪の男。名は、ルーフェンス。商国という海沿いの国家で商人としてなりあがった男である。
常に目を細めているせいで、目線がどこに向いているのかすらわからない男だが、レナード敗北の一報を聞いて、僅かにその目を開く。
「やはり罠でしたか」
レナードとは、獣王国王都に奇襲を仕掛けた軍の総司令であり、ルーフェンスと同様、上院議員の一人である。議会の場でカエデと争っていた男でもある。
亜人に対する敵対心は強く、だからこそ今回の作戦の司令として選ばれたわけだが、どうやらルーフェンスは最初から罠だと疑っていたらしい。
当然だ。人間憎しの亜人から裏切り者が生じると考えにくい。ならば真っ先に罠を疑う。
それでも軍は送り込まれたのは、レナードの強い意見があったからだ。そして、ルーフェンスもそれを許可した。罠なら罠で、別にいいと考えていたのだ。
「まあ、いいでしょ。馬鹿一人失ったぐらい、大した問題にはなりません」
「し、しかし、上院議員の方が捕虜となってはーー」
「上院議員から下ろせばいいでしょ?」
「え? で、ですかーー」
「下ろせばいいでしょ? 違いますか?」
「い、いえ」
「そのまま戦争を続けなさい。教国の後ろ盾もありますし、我々が負けることは万に一つもありません。あのエルフ、リーシャは厄介ですが、所詮は一人。教国に敵う筈ありません」
そう言って、部下を退出させようとするが、部下はなかなか動こうとしない。
「なんですか? まだ何か?」
「そ、それが、じゅ、獣王国の書簡とともにもう一通、見覚えのないマークの手紙が届いています」
「見覚えがない?」
そう言って部下からルーフェンスは手紙を受け取ろうとする。そして、手紙に施された紋様を目にした途端、今まで細めていた目を見開く。
「なぁ!?」
奪い取るかのように手紙を手にするルーフェンス。慌ただしく、しかし中身を破らないように丁寧に開封していく。
中にある手紙を取り出し、素早く目を通す。
そして次の瞬間、手紙を握りつぶし、今までのルーフェンスの澄まし顔から想像できないほどの表情を歪めていた。手紙を握りしめたまま、プルプルと震えるルーフェンス。
「あ、あの、ルーフェンス議長?」
「あの馬鹿者がああ!」
「っひぃぃ!?」
「なんてものに手を出したのだ!!」
執務室の机をひっくり返す勢いで暴れ回るルーフェンス。その過程で地に封筒が落ちる。
国家間のやりとりでも滅多にお目にかかれない、それこそルーフェンスほどの商人でなければ一生お目にかかれないほどの紋章、皇国皇家を表す紋章がそこにはあったのだ。
◆
「間違いないのですか」
「ああ、私も一度しか目にしたことはないが、間違いなくあれは皇家の紋章だ」
「偽物って可能性は?」
「そんな命知らずがいるとでも?」
「……」
ルーフェンスは素早く議会を開き、状況説明を始めた。
しかし、議会が開いてもイマイチ状況を掴めない愚か者ばかり。中にはルーフェンスに責任の所在を問うものまでいた。議会制国家の悪いところだ。
(この、猿どもが!)
こうして、無為な時間ばかりがすぎ、次の情報が届くこととなる。
すなわちーー皇国軍10000、国境に迫る、と。
◆
一万の軍が動員され、西方諸国に迫っていた。皇国にしては少ない、いや少なすぎるという印象を見受けられる。速さを優先したせいであまり集まらなかったものそうだが、レオンハルトとしてはこれで十分だと思っていた。
「えらい早い降参やな」
「所詮は寄せ集めの国。急襲には弱い。特に前線に立たされる国は、一刻も早く投降をしたいのだろう」
「そういうもんかいな」
「そういうものだ。そもそも、西方連合は今まで獣王国を対大国の先兵として使っていたのだろ? だから身に危険が迫るこのもなかっただろ」
皇国に最も隣接しているのは獣王国であり、それよりも西の国家は大国の脅威に晒されたことがない。だからこそ、獣王国という盾を失った後の彼らは脆かった。
そして、その脆さに奴らは気づけなかったのだ。
10000の兵が近づいていると聞いただけで、レオンハルトに対して降伏の意を示したのだ。
そして今、レオンハルトとカエデが向かっている先は、会談の場である。和平を結ぶには、会話が必要だからな。
◆
礼服を纏ったレオンハルトとカエデが入室する。するとそこにはすでに、ルーフェンスともう一人の女性議員、さらに一人神官のような装束を纏った男が待っていた。
当然だ。皇帝を待たせるなどあり得ないのだから。そもそもこういった会談の場に皇帝自身が赴くことすら稀である。大抵は外交官で済ませるが、今回は背後に教国の影があることで、レオンハルトもこちら本腰を上げるつもりだ。
レオンハルトが登場した事で、部屋内の者たちは一斉に礼をとる。それをさも当たり前かのように振る舞うレオンハルト。側にはリンシアともう一人の直属騎士が控えている。
ゆっくりとした足取りで自席に向かうレオンハルト。そして、席に着くや否や。
「手早く済ませよう」
その一言だけ言ったのだ。
それだけで場が凍る。レオンハルトがいかにも不機嫌そうだからだ。
ただの不機嫌ならそれもいいかもしれないが、レオンハルトのそれは武威を伴う。変なことを喋ればこの場で首を刎ねられかねない恐怖。その恐怖が、今場を支配していた。無論演技であるが。
「で、では、まずは私から」
そう言って言葉を発したのはルーフェンスである。さすがは商人なだけあった、肝は座っているらしい。
「評議会議長ルーフェンスです。此度の、我が軍がレオンハルト陛下を襲撃してしまった件なのですが、誠に申し訳なく思っております。どうやら現場指揮官との齟齬があったようで、レオンハルト陛下が王都にいらっしゃったことが届いておらずーー」
「御託はいい。其方らは余に何を差し出す」
「っくぅ」
とりつく島もない。まさにその様子のレオンハルト。交渉を優位に進めるための技術の一つである。
あちらに非があるならば、それを徹底的に責め立てる。元々優位な立場に立っていたが、その優位を確固たるものにするためにレオンハルトは動いていた。
「こちらとしては皇国に金貨五十万、さらに平和条約3年でいかがでしょうか」
「余を馬鹿にしているのか?」
レオンハルトからさらに覇気が滲み出る。
金貨五十万。普通に考えたら大金だが、皇国皇帝を襲ったにしては安い。その上平和条約まで持ち込んでくるとは、舐めていると思われても仕方ない。
「い、いえ、決してそのようなことは」
「今のは聞かなかったことにしてやる。もう一度申せ」
「っうぅ」
ルーフェンスは言葉を詰まらせてしまう。事前に議会ではもっと上までの賠償金を想定しているのだが、ここでそれを言う訳にはいかない。
商人だからこそ、そう思うのだ。この後にすり合わせがあると。こちらが提示した条件以上のものをきっと相手も提示してくる。互いの納得するラインまですり合わせを行うのがいつもの交渉だ。
その交渉で自分が思い描く理想にどれほど近づけるかで、商人の腕は決まる。
しかし、こういった場ではそれは適していない。なぜなら相手は圧倒的権力者。頭を垂れること以外は許されない皇帝相手に、まさか値切るわけにもいかない。
さて、困ってしまったルーフェンスの代わりに、隣にいる女性が返答をする。
「評議会上院議員ローレット、発言よろしいでしょうか」
それに対するレオンハルトの返答は、僅かに顎前に突き出すだけだった。それは言っていいぞというサインでもある。
それを受けて、ローレットと名乗る女性議員が発言する。
「こちらからとしては、金貨100万、そしてレナード上院議員の首でお怒りを鎮めていただきたく思っております」
「お、おい!」
ケロッとした顔でとんでもないことを言うローレット。そんな話は聞いてない、と言う風のルーフェンス。
当然だ。ローレットがこの場で勝手に決めた判断なのだから。そもそも議会ではレナードの身柄引渡しは絶対とした筈だが、ローレットはそれを平気で破っている。
驚くルーフェンスに対し、レオンハルトは至って冷静だった。
「では、其方らは余に何を求める」
密かにガッツポーズを決めるローレット。レオンハルトがこの条件を受け入れたと思っているのだろう。おまけに、これで馬鹿を一人始末できると。
「獣王国への不干渉、それだけでございます」
「期日は?」
「3年、というのはいかがでしょうか?」
「ふむ、悪くない」
「ではーー」
「だがレナードとやらの首は要らぬ。持って帰れ」
「へ?」
レオンハルトの返事に対して、ポカーンとするローレット。なぜなら、会議室の扉はパタンと開き、手錠をつけられたレナードが入ってきたからだ。
怒りに満ちた表情のレナード。その視線の先はもちろんローレットとルーフェンス。なんせ、自分を見殺しにしようとした相手だからな。
「レナード!?」
「ルーフェンス、ローレット、てめえら」
「ち、違います! これはローレットさんの暴走であり、私の意志ではーー」
「ちょっと!」
「ほう? では貴様ら、余を前にして戯言を吐いたと?」
「い、いえ」
ルーフェンスの言い訳はレオンハルトによって止められる。ここで全てローレットの勝手だといえば、全て振り出しに戻る上に、レオンハルトの不興も買ってしまう。
場を一番丸く収めるには、今までの全てを認めるほかない。
「後で覚えとけよ」
「「……」」
黙り込む二人の上院議員。この二人からこれ以上引き出すものは何もないと判断したレオンハルトは視線を横にいる神官風の男に向ける。
「教国の代表か?」
「イブライドと申します。神聖アルテミス教国で枢機卿をやっております」
中々の大物だ。まあ、相手が皇帝となっては枢機卿以下のものが相手するわけにはいかない。そう判断したのだろう。
イブライドと名乗った教国の枢機卿はペコリと腰を折り、レオンハルトに頭を下げる。態度こそ丁寧なものの、どこか不気味さを感じさせる。
イブライド枢機卿から違和感を感じるものの、その正体がわからないレオンハルト。しかし、戸惑いを表に出すことなく言葉を続ける。
「此度の失態、どう落とし前をつけるつもりだ?」
「此度の西方連合の失態につきましては、こちらも誠に残念に思っております」
「……」
イブライド枢機卿の言葉に対し、沈黙で返すレオンハルト。あくまで続きを待つ姿勢を示している。しかし、イブライド枢機卿の口から吐き出された言葉は予想だにしていないものだった。
「しかしながら、我々教国は西方連合とは一切関係がございません。我々に落とし前を求めるのは筋違いでしょう」
「「なぁ!?」」
(なるほど、そうきたか)
イブライド枢機卿の言葉に、西方連合の議員たちは驚きを露わにする。実際、今まで戦争を続けて来れたのは教国のおかげだ。数々の証拠も残っている。
関係がないと言い切ることなどできるはずがない。探ればいくらでも追求できる。それなのに敢えてこの場でそれを言うということは、狙いがあるはず。
「ほう? では余の早とちりだったと?」
「失礼ながら、その通りかと」
「では、教国は西方連合に援助をしたと言う事実はないと?」
「ありません」
「これからも?」
「もちろんでございます」
この戦争から手を引く。そう教国は言っているのだ。
元々レオンハルトの目的は、西方連合から力を削ぐこと、そして教国を戦争から離脱させること。相手もそれがわかっているのだろう。
ーー望むものを提供してやるから目を瞑れ
イブライド枢機卿は暗にそのことを言っている。
ここで教国の責任問題を追求してしまっては、大国間の戦争に発展しかねない。穏便に済ませたいなら、全てをなかったことにした方が都合がいい。
皇帝の面子に傷をつけずに、なおかつ大きな戦争を避けるには、イブライド枢機卿の提案に乗るのが最善だろう。だが、レオンハルトはどうしても引っかかっていた。その並外れた勘が告げているのだ。
(やけにあっさり引いたな。わざわざ海路を通じてまで援助していたというのに。皇国が割り込まなかったら、続けていたはずだ。つまり、皇国との争いを避けている? なんのために? 内患か、外敵か。いや、もしかしたらもっと別の何かを)
「帝国との関係が良好そうで何よりだ」
「ええ、新皇帝陛下にはお世話になっておりますので」
この男は、簡単にはボロは出さないだろう。
帝国との戦争を控えているのか。それとも真逆で、3年前のように手を組んで皇国を狙っているのか。レオンハルトにわかる術はない。
「ちょっと! イブライド卿! なに仰っているのですか!?」
レオンハルトが思考している間に、ルーフェンスはシャルマンの言葉に異議を唱える。この展開は彼らにとっては非常にまずいからだ。
「何を、とは?」
「何もかもです! そもそも、この戦は教国の援助なしではーー」
「わかった。それでいい。教国は此度の戦争には一切関与していないことを認めよう」
ルーフェンスの言葉をぶった斬るように、レオンハルトはそう告げる。
教国が戦争から手を引くと言った以上、これ以上求める物は何もない。西方連合などと言う小物相手にこれ以上せびるのは大人気ないと言う物だろう。
「なぁ!? し、しかしーー」
「さすがはレオンハルト陛下。御英断、感服いたしました」
ルーフェンスは何か言おうとするが、イブライド枢機卿はそれを遮る。そして、ルーフェンスの言葉を待たずしてレオンハルトたちを送り出す。これ以上変なことを言われてはかなわないからだ。
レオンハルトたちを送り出した後、イブライド枢機卿もすぐに場を立ち去る。
会議室に残されたのは、呆然とする西方連合の議員たちのみである。
◆
会談の場から帰路に着くレオンハルトたち。その間に、レオンハルトは言葉を発することなく、ただぼんやりと外を眺めるだけ。
会談では理想的な結果が得られたにも関わらず、レオンハルトの顔は明るくない。まるで未来を案じているかのようだ。
「レオはん、どないしたん?」
「……別に。何かあるわけではない」
「……の割に、浮かへん顔しとるけど?」
「……」
カエデの問いに、レオンハルトは言葉を返すことはできなかった。いつも通り、悪い予感がする。それだけだ。しかし、その勘は大抵あたる。そして今回はーー
「荒れるな。今までで一番」
レオンハルトの勘は当たっていた。今から一年後、大陸は長い長い戦火に包まれることとなる。
「レナードが負けた?」
現在そう報告を受けているのは、評議会の上院議員であり、議会で議長の座に座っている銀髪の男。名は、ルーフェンス。商国という海沿いの国家で商人としてなりあがった男である。
常に目を細めているせいで、目線がどこに向いているのかすらわからない男だが、レナード敗北の一報を聞いて、僅かにその目を開く。
「やはり罠でしたか」
レナードとは、獣王国王都に奇襲を仕掛けた軍の総司令であり、ルーフェンスと同様、上院議員の一人である。議会の場でカエデと争っていた男でもある。
亜人に対する敵対心は強く、だからこそ今回の作戦の司令として選ばれたわけだが、どうやらルーフェンスは最初から罠だと疑っていたらしい。
当然だ。人間憎しの亜人から裏切り者が生じると考えにくい。ならば真っ先に罠を疑う。
それでも軍は送り込まれたのは、レナードの強い意見があったからだ。そして、ルーフェンスもそれを許可した。罠なら罠で、別にいいと考えていたのだ。
「まあ、いいでしょ。馬鹿一人失ったぐらい、大した問題にはなりません」
「し、しかし、上院議員の方が捕虜となってはーー」
「上院議員から下ろせばいいでしょ?」
「え? で、ですかーー」
「下ろせばいいでしょ? 違いますか?」
「い、いえ」
「そのまま戦争を続けなさい。教国の後ろ盾もありますし、我々が負けることは万に一つもありません。あのエルフ、リーシャは厄介ですが、所詮は一人。教国に敵う筈ありません」
そう言って、部下を退出させようとするが、部下はなかなか動こうとしない。
「なんですか? まだ何か?」
「そ、それが、じゅ、獣王国の書簡とともにもう一通、見覚えのないマークの手紙が届いています」
「見覚えがない?」
そう言って部下からルーフェンスは手紙を受け取ろうとする。そして、手紙に施された紋様を目にした途端、今まで細めていた目を見開く。
「なぁ!?」
奪い取るかのように手紙を手にするルーフェンス。慌ただしく、しかし中身を破らないように丁寧に開封していく。
中にある手紙を取り出し、素早く目を通す。
そして次の瞬間、手紙を握りつぶし、今までのルーフェンスの澄まし顔から想像できないほどの表情を歪めていた。手紙を握りしめたまま、プルプルと震えるルーフェンス。
「あ、あの、ルーフェンス議長?」
「あの馬鹿者がああ!」
「っひぃぃ!?」
「なんてものに手を出したのだ!!」
執務室の机をひっくり返す勢いで暴れ回るルーフェンス。その過程で地に封筒が落ちる。
国家間のやりとりでも滅多にお目にかかれない、それこそルーフェンスほどの商人でなければ一生お目にかかれないほどの紋章、皇国皇家を表す紋章がそこにはあったのだ。
◆
「間違いないのですか」
「ああ、私も一度しか目にしたことはないが、間違いなくあれは皇家の紋章だ」
「偽物って可能性は?」
「そんな命知らずがいるとでも?」
「……」
ルーフェンスは素早く議会を開き、状況説明を始めた。
しかし、議会が開いてもイマイチ状況を掴めない愚か者ばかり。中にはルーフェンスに責任の所在を問うものまでいた。議会制国家の悪いところだ。
(この、猿どもが!)
こうして、無為な時間ばかりがすぎ、次の情報が届くこととなる。
すなわちーー皇国軍10000、国境に迫る、と。
◆
一万の軍が動員され、西方諸国に迫っていた。皇国にしては少ない、いや少なすぎるという印象を見受けられる。速さを優先したせいであまり集まらなかったものそうだが、レオンハルトとしてはこれで十分だと思っていた。
「えらい早い降参やな」
「所詮は寄せ集めの国。急襲には弱い。特に前線に立たされる国は、一刻も早く投降をしたいのだろう」
「そういうもんかいな」
「そういうものだ。そもそも、西方連合は今まで獣王国を対大国の先兵として使っていたのだろ? だから身に危険が迫るこのもなかっただろ」
皇国に最も隣接しているのは獣王国であり、それよりも西の国家は大国の脅威に晒されたことがない。だからこそ、獣王国という盾を失った後の彼らは脆かった。
そして、その脆さに奴らは気づけなかったのだ。
10000の兵が近づいていると聞いただけで、レオンハルトに対して降伏の意を示したのだ。
そして今、レオンハルトとカエデが向かっている先は、会談の場である。和平を結ぶには、会話が必要だからな。
◆
礼服を纏ったレオンハルトとカエデが入室する。するとそこにはすでに、ルーフェンスともう一人の女性議員、さらに一人神官のような装束を纏った男が待っていた。
当然だ。皇帝を待たせるなどあり得ないのだから。そもそもこういった会談の場に皇帝自身が赴くことすら稀である。大抵は外交官で済ませるが、今回は背後に教国の影があることで、レオンハルトもこちら本腰を上げるつもりだ。
レオンハルトが登場した事で、部屋内の者たちは一斉に礼をとる。それをさも当たり前かのように振る舞うレオンハルト。側にはリンシアともう一人の直属騎士が控えている。
ゆっくりとした足取りで自席に向かうレオンハルト。そして、席に着くや否や。
「手早く済ませよう」
その一言だけ言ったのだ。
それだけで場が凍る。レオンハルトがいかにも不機嫌そうだからだ。
ただの不機嫌ならそれもいいかもしれないが、レオンハルトのそれは武威を伴う。変なことを喋ればこの場で首を刎ねられかねない恐怖。その恐怖が、今場を支配していた。無論演技であるが。
「で、では、まずは私から」
そう言って言葉を発したのはルーフェンスである。さすがは商人なだけあった、肝は座っているらしい。
「評議会議長ルーフェンスです。此度の、我が軍がレオンハルト陛下を襲撃してしまった件なのですが、誠に申し訳なく思っております。どうやら現場指揮官との齟齬があったようで、レオンハルト陛下が王都にいらっしゃったことが届いておらずーー」
「御託はいい。其方らは余に何を差し出す」
「っくぅ」
とりつく島もない。まさにその様子のレオンハルト。交渉を優位に進めるための技術の一つである。
あちらに非があるならば、それを徹底的に責め立てる。元々優位な立場に立っていたが、その優位を確固たるものにするためにレオンハルトは動いていた。
「こちらとしては皇国に金貨五十万、さらに平和条約3年でいかがでしょうか」
「余を馬鹿にしているのか?」
レオンハルトからさらに覇気が滲み出る。
金貨五十万。普通に考えたら大金だが、皇国皇帝を襲ったにしては安い。その上平和条約まで持ち込んでくるとは、舐めていると思われても仕方ない。
「い、いえ、決してそのようなことは」
「今のは聞かなかったことにしてやる。もう一度申せ」
「っうぅ」
ルーフェンスは言葉を詰まらせてしまう。事前に議会ではもっと上までの賠償金を想定しているのだが、ここでそれを言う訳にはいかない。
商人だからこそ、そう思うのだ。この後にすり合わせがあると。こちらが提示した条件以上のものをきっと相手も提示してくる。互いの納得するラインまですり合わせを行うのがいつもの交渉だ。
その交渉で自分が思い描く理想にどれほど近づけるかで、商人の腕は決まる。
しかし、こういった場ではそれは適していない。なぜなら相手は圧倒的権力者。頭を垂れること以外は許されない皇帝相手に、まさか値切るわけにもいかない。
さて、困ってしまったルーフェンスの代わりに、隣にいる女性が返答をする。
「評議会上院議員ローレット、発言よろしいでしょうか」
それに対するレオンハルトの返答は、僅かに顎前に突き出すだけだった。それは言っていいぞというサインでもある。
それを受けて、ローレットと名乗る女性議員が発言する。
「こちらからとしては、金貨100万、そしてレナード上院議員の首でお怒りを鎮めていただきたく思っております」
「お、おい!」
ケロッとした顔でとんでもないことを言うローレット。そんな話は聞いてない、と言う風のルーフェンス。
当然だ。ローレットがこの場で勝手に決めた判断なのだから。そもそも議会ではレナードの身柄引渡しは絶対とした筈だが、ローレットはそれを平気で破っている。
驚くルーフェンスに対し、レオンハルトは至って冷静だった。
「では、其方らは余に何を求める」
密かにガッツポーズを決めるローレット。レオンハルトがこの条件を受け入れたと思っているのだろう。おまけに、これで馬鹿を一人始末できると。
「獣王国への不干渉、それだけでございます」
「期日は?」
「3年、というのはいかがでしょうか?」
「ふむ、悪くない」
「ではーー」
「だがレナードとやらの首は要らぬ。持って帰れ」
「へ?」
レオンハルトの返事に対して、ポカーンとするローレット。なぜなら、会議室の扉はパタンと開き、手錠をつけられたレナードが入ってきたからだ。
怒りに満ちた表情のレナード。その視線の先はもちろんローレットとルーフェンス。なんせ、自分を見殺しにしようとした相手だからな。
「レナード!?」
「ルーフェンス、ローレット、てめえら」
「ち、違います! これはローレットさんの暴走であり、私の意志ではーー」
「ちょっと!」
「ほう? では貴様ら、余を前にして戯言を吐いたと?」
「い、いえ」
ルーフェンスの言い訳はレオンハルトによって止められる。ここで全てローレットの勝手だといえば、全て振り出しに戻る上に、レオンハルトの不興も買ってしまう。
場を一番丸く収めるには、今までの全てを認めるほかない。
「後で覚えとけよ」
「「……」」
黙り込む二人の上院議員。この二人からこれ以上引き出すものは何もないと判断したレオンハルトは視線を横にいる神官風の男に向ける。
「教国の代表か?」
「イブライドと申します。神聖アルテミス教国で枢機卿をやっております」
中々の大物だ。まあ、相手が皇帝となっては枢機卿以下のものが相手するわけにはいかない。そう判断したのだろう。
イブライドと名乗った教国の枢機卿はペコリと腰を折り、レオンハルトに頭を下げる。態度こそ丁寧なものの、どこか不気味さを感じさせる。
イブライド枢機卿から違和感を感じるものの、その正体がわからないレオンハルト。しかし、戸惑いを表に出すことなく言葉を続ける。
「此度の失態、どう落とし前をつけるつもりだ?」
「此度の西方連合の失態につきましては、こちらも誠に残念に思っております」
「……」
イブライド枢機卿の言葉に対し、沈黙で返すレオンハルト。あくまで続きを待つ姿勢を示している。しかし、イブライド枢機卿の口から吐き出された言葉は予想だにしていないものだった。
「しかしながら、我々教国は西方連合とは一切関係がございません。我々に落とし前を求めるのは筋違いでしょう」
「「なぁ!?」」
(なるほど、そうきたか)
イブライド枢機卿の言葉に、西方連合の議員たちは驚きを露わにする。実際、今まで戦争を続けて来れたのは教国のおかげだ。数々の証拠も残っている。
関係がないと言い切ることなどできるはずがない。探ればいくらでも追求できる。それなのに敢えてこの場でそれを言うということは、狙いがあるはず。
「ほう? では余の早とちりだったと?」
「失礼ながら、その通りかと」
「では、教国は西方連合に援助をしたと言う事実はないと?」
「ありません」
「これからも?」
「もちろんでございます」
この戦争から手を引く。そう教国は言っているのだ。
元々レオンハルトの目的は、西方連合から力を削ぐこと、そして教国を戦争から離脱させること。相手もそれがわかっているのだろう。
ーー望むものを提供してやるから目を瞑れ
イブライド枢機卿は暗にそのことを言っている。
ここで教国の責任問題を追求してしまっては、大国間の戦争に発展しかねない。穏便に済ませたいなら、全てをなかったことにした方が都合がいい。
皇帝の面子に傷をつけずに、なおかつ大きな戦争を避けるには、イブライド枢機卿の提案に乗るのが最善だろう。だが、レオンハルトはどうしても引っかかっていた。その並外れた勘が告げているのだ。
(やけにあっさり引いたな。わざわざ海路を通じてまで援助していたというのに。皇国が割り込まなかったら、続けていたはずだ。つまり、皇国との争いを避けている? なんのために? 内患か、外敵か。いや、もしかしたらもっと別の何かを)
「帝国との関係が良好そうで何よりだ」
「ええ、新皇帝陛下にはお世話になっておりますので」
この男は、簡単にはボロは出さないだろう。
帝国との戦争を控えているのか。それとも真逆で、3年前のように手を組んで皇国を狙っているのか。レオンハルトにわかる術はない。
「ちょっと! イブライド卿! なに仰っているのですか!?」
レオンハルトが思考している間に、ルーフェンスはシャルマンの言葉に異議を唱える。この展開は彼らにとっては非常にまずいからだ。
「何を、とは?」
「何もかもです! そもそも、この戦は教国の援助なしではーー」
「わかった。それでいい。教国は此度の戦争には一切関与していないことを認めよう」
ルーフェンスの言葉をぶった斬るように、レオンハルトはそう告げる。
教国が戦争から手を引くと言った以上、これ以上求める物は何もない。西方連合などと言う小物相手にこれ以上せびるのは大人気ないと言う物だろう。
「なぁ!? し、しかしーー」
「さすがはレオンハルト陛下。御英断、感服いたしました」
ルーフェンスは何か言おうとするが、イブライド枢機卿はそれを遮る。そして、ルーフェンスの言葉を待たずしてレオンハルトたちを送り出す。これ以上変なことを言われてはかなわないからだ。
レオンハルトたちを送り出した後、イブライド枢機卿もすぐに場を立ち去る。
会議室に残されたのは、呆然とする西方連合の議員たちのみである。
◆
会談の場から帰路に着くレオンハルトたち。その間に、レオンハルトは言葉を発することなく、ただぼんやりと外を眺めるだけ。
会談では理想的な結果が得られたにも関わらず、レオンハルトの顔は明るくない。まるで未来を案じているかのようだ。
「レオはん、どないしたん?」
「……別に。何かあるわけではない」
「……の割に、浮かへん顔しとるけど?」
「……」
カエデの問いに、レオンハルトは言葉を返すことはできなかった。いつも通り、悪い予感がする。それだけだ。しかし、その勘は大抵あたる。そして今回はーー
「荒れるな。今までで一番」
レオンハルトの勘は当たっていた。今から一年後、大陸は長い長い戦火に包まれることとなる。
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2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
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