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第4章:兄と弟
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しおりを挟むドキドキと忙しなく脈打つ心臓。
エヴァルトの低い声が深侑の耳にこびりついて離れない。
彼が深侑の部屋を訪れるのはもしかしたら初めてで、いつ彼が来るのか分からなくてソワソワしっぱなしだった。
エヴァルトに会う前はスキップしながら軽快な足取りで帰路についていたのに、会った後は重い足を引きずって帰ったものだ。イヴにどこか怪我をしたのか問われた深侑は涙目で「今夜……小公爵様が俺の部屋に……」と途切れ途切れに言えば、彼女は目を輝かせ「お体の隅々まで磨いて差し上げます!」と違う方向にやる気が出てしまって参った。
「どうしよう……寝たフリでもするか……?」
いつも通り手触りのいいガウンだけを身に纏い、とりあえず深侑はベッドに腰掛けていた。これから説教が始まるのか、はたまた一週間触れていなかった分のマスター業務を強制されるのか――どちらにしても深侑にとってはあまり良くないことなので、ベッドの上で深いため息をついた。
「――先生。お邪魔してもよろしいですか?」
「あ、は、はい!」
まだ心の準備ができていない時に部屋のドアがノックされ、慌てて返事をしたものだから深侑の声はひっくり返ってしまった。恥ずかしいと思いながら頬を赤く染めて俯いていると、エヴァルトが近づいてくるのが足音で分かる。
彼の足先が視界に映ったかと思えば、大きな手に顎を撫でられて持ち上げられた。
「寝ましょうか、先生」
「へぁ……?」
顎下をすりっと撫でた後、エヴァルトは深侑の頭を優しく撫でる。そしてベッドの端に座っていた深侑の体を持ち上げて枕がある位置まで運び、エヴァルト自身も寝転がった。
想像していた説教やマスター業務と称した触れ合いはなく、ベッドに横になっているのにエヴァルトから抱きしめられてもいない。混乱する深侑をよそに、彼は片腕を頭の下に敷いて目を閉じていた。
「え、あの……小公爵様?」
「どうしました? 眠れないのなら香でも焚きましょうか」
「そうじゃなくて、えっと……えぇ?」
――なにもしないの?
なんて言葉が深侑の口から出かかって、ぐっと飲み込んだ。これではまるで『何か』を期待していたように聞こえるので、深侑はぷるぷると首を振って雑念を振り払った。
「御者から、先生が“いい気分だから歩いて帰る”と言ったのだと聞きました。どんないいことがあったんです?」
「今日、王太子殿下からレアエル殿下に魔法地図の贈り物が届いたんです。100年前から現代の様子まで見られる貴重なものだそうで……レアエル殿下が王太子殿下にお礼の手紙まで書いてくださいました」
「レアエル殿下が? それはまた、すごいですね」
「そうでしょう? だから嬉しくて……一歩前進ですよね」
このままレアエルとレインがお互いに歩み寄り、一般的な兄弟の関係になれたら好ましい。深侑は少しでもその手伝いができたらいいなと思っているのだ。
「……小公爵様はどんな一日でしたか?」
「私ですか? 普段とあまり変わりなく……騎士団の訓練と、ああ、でも……見合いを勧められましたね」
「え……?」
「王国騎士団の騎士団長であるクラウディーナ侯爵家のご令嬢だそうです。どうやら私のことを好いてくれているようで……まだ元婚約者との婚約解消手続きも済んでいないんですが、先に了承を取っておこうという算段らしいです」
ご令嬢ということは、つまり女性だ。エヴァルトの元婚約者は男性で、レアエルの口ぶりからはエヴァルトが彼を選んだ、というような話だった。
深侑は勝手にエヴァルトの恋愛対象は同性なのかと思っていたけれど、それはただの深侑の思い込みで女性も恋愛対象なのかもしれない。
16歳の莉音と18歳のレインに結婚の話が浮上するのだから、22歳で公爵家の跡取りであるエヴァルトはこの世界では適齢期を過ぎている可能性もある。彼ほど立派な人間はいないだろうし、引く手数多なのは深侑にも想像できた。
「……その話、お受けするんですか?」
「現実的に考えると、そうですね」
「そう、ですか……」
「でも、そのご令嬢はまだ15歳らしいです。さすがにそれは現実的ではないかと」
相手が15歳だから考えられない、という言葉を聞いて深侑はあからさまにホッとした。エヴァルトは相変わらず目を瞑ったまま話しているので、深侑が安堵した表情まで見ていないだろう。
彼の顔を見ているとなんとも言えない気持ちが込み上げてきて、深侑はエヴァルトの頬にそっと触れた。ぴくりと逞しい眉が動いたがエヴァルトは目を開けることも何か言うこともなく、深侑の好きに触れさせてくれている。
エヴァルトが本気を出したら触れることすら叶わないだろうが、深侑にだから無防備な姿を見せてくれているのかと思うと、きゅうっと胸が締め付けられた。
「先生、今日は別にしなくてもいいんですよ?」
「……業務ではなくて、やりたいからやっているんです」
「そうですか。それなら……あなたのやりたいようにどうぞ。私はなんでも受け入れますから」
相変わらず目を瞑ったままのエヴァルトに深侑は無意識に引き寄せられ、彼の瞼に口付けた。
「っせ、先生……?」
「目を……」
「なんですか?」
「目を瞑ったまま話をするのは、嫌です……」
避けていたのは深侑のほうなのに、変なわがままが口から飛び出していた。
自分の言ったことを理解した深侑は顔から火が噴き出しそうだったが、そう思ってもすでに遅い。ダークグリーンの瞳と目が合って、深侑は体が貫かれたような感覚を覚えた。
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