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思い出せない、俺が嫌いだ。

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……目が覚める。鈍い痛みと、体のだるさが、次第に体中に回っていく。空気は夏にしては冷たく快適で、苦しさは特にない。だが、手から感じる冷たさと硬さから、次第に俺がどこにいるかを理解していく。

「……え……?」

 ゆっくりと目を開ける。視界がぼやけては、またはっきりしてを数回繰り返し、ようやくはっきり見えるようになる。目の前にあるのは、倒木。地面は濡れたアスファルト。そして聞こえてくる────大人たちの声。

「誰か、いないのか!」

 ようやく意識がはっきりとしてくる。俺は確かに、土砂に飲み込まれて死んだ。そしてその後────

……あれ、何があったんだっけ。記憶は夕焼けのような光に包まれて、眩しくて見えやしない。すごく大切なことなのに、思い出せない。俺がなぜここにいるのか、その意味であるはずなのに。

「……おい、こんな土砂のギリギリに、生存者が!」
「すぐに運んで治療だ!」

 自衛隊なんだろうか、俺は大人たちに発見され、意識はあるかと聞かれる。意識はある、答えることもできる、だが────本当に俺は、何を忘れてしまったんだろう。その胸に空いた、大きな穴がふさがらない限り、俺は治療という延命を望まない。
 それほどに、ここにいることに、大きな意味があるはずなのに────

……今回の災害は、大雨の中で震度6強の地震が起こったことによる土砂崩れとして、世間では片づけられた。死者0人という、歴史的な災害として。特に俺は、土砂崩れにギリギリ巻き込まれなかった、奇跡の少年として、しばらくメディアに取材されることとなる。

────もちろん、覚えていないので、取材はだいたい断った。それでもやってくるメディアには、生きていられることに感謝している、なんて、一般的なことを口にしていた。
 もっと大切なことがある、もっと大事な思い出がある。多くの人に知ってほしい、誰かがいる。なのに、俺はその人が思い出せなくて、ここ3日間の記憶だってぼやけている。それより前は、何とか思い出せるのに。

 多くの人に感謝されて、多くの人に褒められて、多くの人に「生きていてよかった」と言われる。だがその言葉の本当の意味を、俺はきっと理解できない。俺は感謝されることも、褒められることもしていない。生きていてよかったって言葉は、ただ俺が運よく生き残ったからだ。

「……なんで俺は生きている」

 メディアもいない、父さんもいない、誰もいない、俺一人の病室でつぶやく。ケガなんて軽い物だった。でも俺の脳裏には間違いなく死んだ記憶がある。だから死んだという事実が、。そればかりを考えていた。俺は本当は「あの場所で死ぬべき存在」だったのではないだろうか。

……町の人を避難させてくれてありがとう。危機を伝えに来てくれてありがとう。君は英雄だ、本当にありがとう……

「……何のために、俺はこの町を救ったんだ。何のために俺は、英雄になったんだ!」

 そこに確かに意味があった。それは思い出せない、誰かのためだった。俺はきっと、万人よりもその誰かを思ったんだ。もし俺を英雄と呼ぶならば、それは万人の英雄えいゆうではない、誰かのための英雄ヒーロー
だったはずなんだ。

「なぁ……返してくれよ。俺の……失った誰かを────返してくれよっ!!」

 泣いたって、叫んだって、うずくまったって、帰って来ないとわかっている。それでも、泣いて、叫んで、ベッドの上でうずくまった。俺は、遠く昔の物を愛してしまった。それを羨んだ、それに憧れた。でもそれは、もうすでにない物なんだ。でもどうして……どうして無い物を、俺は愛した?

「おーい、なんか声が聞こえたから来たけど、大丈夫? 起きてたのか、まぁまだ9時だもんね」
「……入ってくんなよ、父さん」

 ノックもせずに、父さんがドアを開けて入ってくる。高校生の男子に、それはあまりにもデリカシーがないってもんじゃないか? 今はこんな、涙でぐしゃぐしゃの顔を、誰かに見られたくなんてない。
……でも、それが父さんでよかった。父さんを見ると、なぜか安心して、涙がもっと出てくるんだ。

「まぁ、光輝。何を思うかは知らないけど、今は好きなだけ泣きなさい。父さんはいくらでも待ってあげるから」
「……そうする」

 俺の涙が引くまで、父さんは何も言わず、椅子に座って待っていた。思い返してみれば、父さんは昔から、優しい言葉だけをかけて、厳しいことを言わない人だった。だからこそ、母さんが死んだことも、美奈子が死んだことも、深くは話したりしなかった。現実を逸らす、それが父さんなりの優しさだった。
────あれ、あんなに忘れたかったはずの美奈子のことを、どうしてすんなりと、俺は思い出したんだ?

「あのさ、光輝。僕もちょっと、話したいことがあったんだ。ほら、なんかメディアとかいろいろあって、忙しかったからさ。こうやって話せるのは、5日ぶりだろ?」

 そうか、俺が生き残ったあの日から、もうそんなに経っていたのか……こうやって話す?

「父さん、俺は覚えてないけど、父さんは覚えているの?」
「ん? あぁ、そうか。。もちろん、父さんは覚えているよ」

 父さんが覚えているなら聞きたい。俺には災害の前の記憶がぼんやりしている。この町に来てから、何をしていたのか覚えていない。だからこそ聞きたい、俺がいったい「何者」なのかを。

「父さんから見たら、この町に来る前は……はっきり言って、心が死んでいたね。それでも、この町に来てから、光輝は心を開放して、自由になっていった。そして誰かのために自分の命を使う……なんていう、勇気と覚悟まで持って行った。そんな光輝の3日間はね、とてもすごい成長だったんだよ」

 父さんは笑顔で、俺を見つめる……何故だろう、そこに懐かしさを感じるのは。父さんの後ろにずっと続く何かに、俺はどこか覚えがある。

「あぁ、本当、3日前より大人になったよ、いい意味でね。普通は大人になることはいいことじゃない。子供の柔軟性を失って、世界を閉ざしてしまう。それがこの世界での、成長するうえで失うものだからだ」

 でもね、と言って、父さんは楽しそうに話を続ける。

「光輝は……その逆だね。大人の世界でこそ求められる柔軟性を手に入れて、世界を見つめる覚悟をした。そんな感じかな。まぁ、僕は全部見たわけじゃないから「見たままと推測」だけどね」

……見たままと推測、その言葉が心のどこかに引っかかっていた。いいや、心より記憶。ぼやけて見えない光の奥に、手を伸ばしたかのような感覚。

「なぁ……光輝。どれだけ残酷でも「すべてを思い出す覚悟」はあるかい? 思い出すことで気づくだろう「彼の言ったことが嘘だった」と。それでも、前を向いて……未来へと歩む覚悟はあるかい?」

 忘れてしまった何か、それに気づく時、きっと俺は何かを失う痛みを感じるんだろう。美奈子のように、母さんのように。
 それでも、それを乗り越えるだけの勇気と覚悟を、俺が身に着けていたというならば────!

「────思い出したい。俺の忘れた記憶を、大切な何かを、取り戻したい!」

 すると、父さんの優しい顔は、真剣な男性の顔へと急変する。その落差は、一瞬身震いしてしまうほどだった。部屋の空気が張り詰めていく。普通ではない何かが渦巻き始めるのを感じる。

「ならば────阿藤家に伝わる「魔法」でそれに応えよう。魔法、と呼ぶには少し違うが、今はそれとしよう」
「────魔法……と呼ぶには、少し違う?」
「あぁ、阿藤家はほかにはないほど、少しばかり特殊でね。この町の一番古い歴史を語り継いでいる家なんだ。神の子孫ではないのか……そんな歴史もあるようだがわからない。だが、少なくとも家ではあったそうだ。だからこそ、魔法のようなものが使えたのかもしれない」

……魔法、その言葉で少しずつ見えてくる、無くした3日間の記憶。俺にはできないことが、すべて魔法に見えたような、そんな記憶だ。人は自分にできないこと、不可能なことを、奇跡や魔法と呼ぶのかもしれない。
────なら、俺が死んだという記憶を持ちながら生きているのは、魔法?

「そして、何百年と必要な歴史、魔法は引き継いできた……と言っても、僕にできる魔法は一つだけ。引き継いだものも少ないけど、僕にはそもそも素質がない」

 そう言って、父さんは優しく、俺の両目に手を当てた。まるで、今ある現実を多い隠すように。

────その真っ暗闇なら、きっと自分でも作れるはずだ。なのにその闇は、不思議と焼けるように熱い。その手からか、はたまた脳からなのか。記憶の断片のようなものが、ぼんやりと映し出されていく。
……いや、これは記憶なのか? こんな景色を俺は知らない。見たことなんて、絶対にない……!

「何か見える? 僕にできる魔法は「切れた縁を繋ぐこと」だ。長くは続かないが、何とか記憶を取り戻してくるんだ!」
「切れた縁……?」

 それが、今いる現実での最後の言葉となった。俺の意識は自然と闇の中に沈んでいく。抵抗はしない、その闇の向こうが、決して悪い場所ではないことを、どこかで感じ取っている。
────それは懐かしい場所。そこは自分の起源。そこは忘れた誰かの守った場所。だが、忘れた誰かが、留まっている場所。
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