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何百年もかかった、俺たちが────

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────ある老人は願った。もし願いが叶うなら、弟のそばに行きたいと。そして、ニ度と離れたくはないと。

「次こそは失うものか。この魂が、想いが、消えることは無いのだ」

────魂、幾度となく輪廻しようとも。 



「……どこだ?」

 それは、俺がやってきた田舎町。だが、周りを見るに、俺が見ているものは過去だった。
……そして、誰も俺に目を向けることはない。あぁ、俺は見ているだけ、ここには存在しないんだ。

「おーい! みんな、逃げるんだ! あの山は崩れ落ちる、俺は先を見たんだ!」

 そこへやってきた、貧しい見た目をした少年。服はぼろぼろ、継ぎはぎだらけ。体は泥だらけで、きれいな体とは正直言えない。それでも少年は真剣に、町の人たちに危機を伝える。

「ヤジロウかい!? あんた、また神のお告げを?」
「あの奇跡を起こし続けたヤジロウだ。今回も本当だろう、すぐにでもここから逃げるんだ!」

 町の人たちは不思議と、その少年の言うことを信じる。身なりがしっかりしているわけでもない。それでも、確かに信頼される少年に、俺はあこがれを抱いてしまった。
……身なりがしっかりしてなければ、今の時代ならだいたい、不信感を抱かれるだろう。ならば、少年の今までした行いがとてもよかったものなのだと、裏付けることができる。
 実際、俺の横を通り過ぎていく大人たちは口々に「2回目の災害を言い当てた」「溺れた幼子を助けた英雄」「貧しい人に食べ物を与えたいい子」と言い、そして最後に「だから信じる」と言い切った。

「ヤジロウ君は逃げないのかい?」
「いいや、まだ逃げないや。まだまだ、助けなきゃいけない人がいるし!」

 少年の笑顔を、誰もが「無邪気な笑顔」と認知する。そして安心して、その場を少年に任せて去っていく。

「嘘だ……あの笑顔は、きっと嘘だ」

 それを傍観していた俺だけが、その少年の異変に気づいていた。人たちに見せなかった手は、微かに震えている。誰もいなくなったところで、視線を落とす。
……あの少年がどこまで先の未来を見たのかは知らない。でもその未来が悪い物なら、その未来を変えたいと誰もが思うだろう。
 しかしそれが、自分の身に危険が及ぶとしたら? それはもはや自殺行為で、その恐怖は誰にもわかってもらえないものだ。

────そして思い出す。俺も確かに、死ぬ前に恐怖を感じていたと。たった一人で大勢の命を救って、その代わりに自分が死ぬ恐怖。僅かだが、俺も経験していた。でもそんなのは、今の彼と比べてはいけない。
 彼は俺より子供だ、この時代には避難警報も、消防もいない。俺の時とは全く状況が違う、たった一人の戦いだ。

 走り出した少年を、俺は追いかける。追いかけるたびに、記憶が次々と思い起こされていく。誰かと一緒に、3日間駆け抜けた。追いかけっこのような日々だ。いつも俺は負けて────当然だ、勝負する相手が大きすぎる。

「その……誰かの名前は……っ!」

 山が唸るような音がする。災害は、すぐ目の前に迫っていた。それでも少年は、自分の身を捨てるように、今を駆け抜けていく。

「兄ちゃん、そこにいたら危ない!」

 その先にいたのは、少年より大きな少年だ。彼の兄なのだろう、兄は必死に山に向かって手をかざしていた。その少年の顔は、どことなく俺に似ている気がする。

「いいや、ヤジロウ。俺がこの秘術で、あの崩れる山を少しでも食い止める。お前はその間に逃げろ!」

 よく見てみれば、確かに薄い壁のようなものが、山の方角に向かって広く張られていた。秘術……それが、父さんの言っていた魔法のことだと、俺は理解する。
 また記憶から、言葉が引き上げられる────全く、これが兄ちゃんの子孫か、と。

「誰かの、兄の……子孫……?」

 ほかにないほど特殊な阿藤家。阿藤家に伝わる魔法のようなもの。今、目の前の少年が使っている秘術。そしてその少年は、未来を見た少年の……兄。

「いいかヤジロウ、未来を見たのはお前かもしれない。でも、お前が犠牲になることはないんだ。未来を見たものが、この先のために死ぬなんて間違っている。俺は変えたいんだ、ヤジロウが死ぬという運命を!」

────少年は、運命に抗った。弟が死ぬという運命のために。そこにあったのは、万人を救おうとする英雄えいゆうではなく、ただ一人のためだけの英雄ヒーローだった。

 だが、少年は……震える手を隠しながら笑う。そして言うんだ────

「いいか、兄ちゃん。俺は神から選ばれて、この地のために死ぬんじゃない。人間として、最悪の未来を回避するって決めたんだ」

 だから、そう言って少年は、兄の手を下へと降ろす。

「俺たち、こんな力が使えるけど、それは人間の範囲じゃない。ここから先は、人間の時代なんだ。人間にできることをやればいい」
「……ヤジロウ、そんなの受け入れられるわけないだろ。お前の見た先じゃ……ここでヤジロウは死ぬんだ。家族が死ぬんだぞ? 黙って見ている兄がどこにいる!」

 兄の気持ちは、痛いほどわかった。それが俺の心から、誰かとの別れを思い出させる。
────届かないと知っていた。そういう運命だとわかっていた。それでもそんなもの、そう簡単に受け入れられなくて。自分のことならすんなりいくのに、どうしても、大切な人のことを考えると、できなくて。

「兄ちゃん、それでも兄ちゃんは生きてくれ。俺だってもちろん、もっと生きていたい。もっといろんなものを知りたいとも」
「なら……!」
「それでも、多くの人を助けるために、代償はつきものでしょ。それが俺の命だった、それだけなんだ」

 そして小さな少年は、兄に向かって手をかざす。すると兄は、目の前にいる少年を見失った。俺からはどちらも見えているのだが、なぜか兄のほうからは見えないようだ。

「ヤジロウ、どこにいる……! そうかお前、秘術で隠したのか!」
「あぁ、声さえ出さなければ、見えないだろうね。だから最後に、兄ちゃんに聞きたい」

 土砂がすぐそこまで迫ってきていた。その問いかけを、俺は知っている。眩しい光の中にある、失いたくない彼の最後の言葉を。

「なぁ、兄ちゃん。俺はちゃんと英雄えいゆうかな?」

 それが記憶の中の問いかけと、違うことに気付く。そして俺は、迫りくる土砂を背景に立つ、少年を見て……気づいたのだ。彼が何百年かけて、もう一度俺に聞いた質問が違う理由。
────彼は、英雄になりたかったわけではなかった、ヒーローになりたかったんだ。
 それはどちらも、同じ意味なのかもしれない。時代が違うだけで、同じものを指しているのかもしれない。それでも俺は、英雄を万人と、ヒーローを誰かのためにと、そう捉える。

……兄は答えずにその場から走って逃げていった。答えなかったんじゃない、答えられなかったんだ。生きるためには、その一言の時間が命取りだったと。
 残酷だ。弟の最後の質問に答えられなかった。生きることを、今を、その先の未来を優先した。一番大切なものを切り捨てて生きることを決意した。その兄の心は、尋常じゃない苦しみに苛まれただろう。
 だからこそ、その少年に聞こえていなくとも、俺が代わりに答えると決めた。その一瞬を後悔した兄の子孫が俺ならば、今こそそれを果たそう。

「あぁ、もちろん。最高の英雄になるとも……!」

────瞬間、景色は突然温かい光に包まれる。その光の中で、俺は忘れていた記憶を思い出していく。あの3日間に経験したすべてを。そして俺が見た過去を。
 ここに切れた縁は繋がった。なんだか、とても時間が経ったような感じがする。その縁をもう一度繋ぐために、途方もない旅をした気がする。それでも俺は思うのだ。

「また、会えてよかった」

 夕焼けの景色に染まる町、それを俺はヤジロウと一緒に眺めている。それは俺たちが最初にあった、あの赤い社の前で。ヤジロウは唇を尖らせ、どこか不満そうだ。

「────あーあ、ここに来てほしくなかったんだけどなぁ」
「……縁を切ることで記憶を閉じて、別れを忘れさせた。初日にヤジロウを一瞬忘れたのは、その魔法だろ?」
「そう、簡単に切れる縁なら、死ぬ運命も切れると思ったんだけど……無理だったなぁ。俺の魂をかけた魔法だって、僅かな糸を手繰って、縁を引き寄せた……そりゃうまくいくわけないよなぁ」

 そうだ、俺たちの縁は友情なんてものじゃない、もっと、ずっと昔の魂から繋がっている縁だ。簡単に切れるものじゃない。だからこそ、ヤジロウは俺を止められなかった。もう会わないつもりだったんだろう、だけど俺は会いに来た。

────ヤジロウが切ったのはあくまでも俺との縁。その奥にがあったとは、どちらも予想していなかったのだ。

「そうだな、うまくいかない。どれだけ縁が無くなっても、お前のことを忘れても。心に残り続ける限り、俺はお前のそばに行く────そういうもんだろ、俺たちって」

 それこそが、俺たちの運命。ヤジロウは大きくため息をついて、呆れたように俺を見た。だが口元は、ニヤリと笑っている。

「うーん、さすがと言うべきか。兄ちゃんの生まれ変わりは。その執念は、死ななかった」

 過去視、未来視。そのすべてが神に選ばれつつあったからではない。。それもまた一つの理由だ。
 だからこそ、俺はヤジロウを信頼し、そして失いたくないと願った。それが、あの時の俺を突き動かした力の正体だ。

────それに、俺は気づかされた。過去の魂と縁を繋いだからこそだろう。

「……なるほどねぇ。神に選ばれただけじゃなく、兄ちゃんがついていたとは、予想外だった。光輝を運命に選ばれただけの人間と、甘く見てたなぁ」
「それでも、ヤジロウにとっては、想定内なんでしょ? 3日間、お前はずっとそうだった」

 そうなんだよなぁ、と言いながら、ヤジロウは自慢げにマントを広げる。やっぱりな、そう思いながら俺はくすくす笑う。このあたりは、やはり子供っぽさがあるな。
……そんな非日常のようで、日常のような感覚が好きだった。この3日間も、今も。
 それもやはり、終わるときが来るようだ。夢から覚めるように、風景はぼやけていく。声はこだまして、心に響いていく。

「でも、もう二度と会いに来ちゃダメだ。中身の一部が兄ちゃんでも、お前は。兄が今に繋げたこの命、俺たちが見つけた、光輝の才能……生きる意味には、それで足りる!」

 ヤジロウは笑顔で、自信満々に言う。俺もつられて笑顔になった。人を助けるために、少しでも「死んでもいい」なんて思った自分がバカだった。
 誰かの分まで生きる、それだけが何かを失った人間の生きる意味じゃない。もっと根本にあるもの────繋いだ命を無駄にしないことだ。

「そりゃ、本音を言えば、光樹と別れたくないに決まってるだろ。でも、俺とお前じゃ、生きる世界がそもそも違う」
「俺だってそうだ。でも、ヤジロウ……ここで別れれば本当に二度とはない。父さんは言ってた、ヤジロウの言ったことが嘘だって……完全に消えちゃうんでしょ、ヤジロウは」

 そういうとヤジロウは目を逸らした。やっぱりあれは、期待を持たせるような嘘だったか。

「あいつぅ……おとといに黙っててって……いったのに喋ったのかっ!」

 まぁ、そうじゃないと、力を使って送り出さないよなぁ、と呟きながら、ヤジロウはボリボリと頭を掻く。緊張感はないのかお前に。

「だがまぁ、それは本当。俺は嘘をついた、また会えるなんて希望を持たせてしまった。もう光男とも喋れないし、光輝の前に立つことはない」

────魂はここに解放された。人に、この地に縛られる必要はもうない。魂は、魂のあるべき場所へと向かうんだ。

 人が神を必要とすることは、もう無いだろう。この災害で、人が人を助けられることが証明された────

「でも、俺は少し先の未来を見た。本当だったら、何人も被害に遭ったかもしれない。災害なんて、人は予知できないんだから……」
「予知夢見るやつなんていくらでもいるぞ。俺が言いたいのは、何か行動に移したそのだ。例え予知できなくとも、あの場で何かしら災害が起こるのは、さすがに科学でわかるだろー?」

……それもそうだ。まだ地震が起こる可能性も、土砂災害も、洪水も、なんだってあった。専門家をつれてきたら、それらしいことを言うに違いない。
 だからこそ、人と人が助け合うことが、あの場で求めれた……なるほど、俺にはそれができたんだな。

「俺にでもできたこと……か」
「そうそう、小さく見えるけど大きなこと。勇気もお前の才能だよ」

 あー、でもねちっこい執念はなぁ……とヤジロウはぼやく。そこに俺は幸せを感じて笑っていた。ヤジロウはきっと────裏表のないその笑顔が、真実を語っている。
 最後の最後まで、大人なんだか子供なんだか、わからないやつだった。

……ヤジロウの体は次第に透けていく。光の泡となり、輝き始めていた。

「さーて、ようやく俺は前に進めそうだな。さすがに英雄なんてものになるのはこりごりだが、ヒーローならまたやってもいいかなーっと!」
「……ヤジロウが前に進むなら、俺も進まねぇとな。今度ばかりは、勝負とはいかないけど」
「はぁ? 何言ってんだよ。今度ばかりはハンデをくれてやる。、ちゃーんと、広い世界を知っておけよ!」

……生まれ変わるまでのハンデ。そうか、そうだよな。ひょっとしたら遠い未来でまた会えるかもしれない。その時、お互いの顔なんてわからないかもしれないけど、きっと不思議な縁で、俺たちはまた会える。

「……そうだよな! 今回ばかりは俺が一歩先を行く。また会えたら、また勝負! だって俺たちは────」

────友達だからな!

……二人の声は重なる。そして最後には二人そろって、子供のように、無邪気に、楽しく、笑い続ける。

────世界が夕焼けの色に溶けても。笑い声はそのままで────
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