【完結】落ちこぼれ聖女は王子の寵愛を拒絶する〜静かに暮らしたいので、溺愛されても困りますっ〜

雨沢雫

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幕間1.青と黒の邂逅

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 リズベット・ナイトレイ。

 新しく屋敷に来た医者は、まるで太陽みたいな女性だった。

 最初は、とても厄介だと思った。

 殺気を向けても怖がらない。乱暴な言葉を放ってもどこ吹く風。
 何度も何度も拒絶しているのに、彼女は今までの医者とは違って、決して逃げ帰ることはなかった。

 もしまた、魔力暴走を起こしてしまったら。そう考えると怖くて、早く彼女を遠ざけたかった。でも彼女は、絶対に自分から離れていかなかった。

 無遠慮に触れてくるその手は温かく、彼女の言葉には不思議と人の心を癒やす力があった。

 彼女のおかげで、生きようと思うことができた。ズタズタに壊れた心が、次第に形を取り戻していった。

 そんな折、奴が現れた。

 あれは、剣の鍛錬のために、屋敷の庭に出ているときのことだった。

「殿下、そろそろ中に入りましょう。風が冷たくなってきました。お体に障ります」

 リズベットに声をかけられ、レオナルドは汗を拭きながら剣を鞘に収め、彼女の元に歩み寄った。しかし、彼女の目の前まで来たその時、首筋にピリリとした視線を感じた。

 その方向――屋敷の二階の窓をバッと見遣るも、そこには誰の姿もない。

(……侵入者か)

 レオナルドは幼い頃から戦場に赴き、数々の死線をくぐり抜けてきた。そのため、人の気配には人一倍敏感だ。先ほど感じた視線は、決して勘違いなどではない。

 姿は見えないが、確実に誰かが屋敷に入り込んでいる。

(一体どうやって入ってきた……?)

 レオナルドには護衛が一人も付いていない。いつまた魔力暴走を起こすとも知れない体で、必要以上の人間を近くに置きたくなかったからだ。

 その代わりに、この屋敷には目に見えない結界が何重にも張られている。こちらが招き入れなければ、誰もこの屋敷に入ることはできない。護衛がおらずとも、その結界だけで警備としては十分のはずだった。

 そんな強固な結界をくぐってくるとは、只者ではなさそうだ。

「どうかしましたか? 殿下」

 リズベットに尋ねられ、レオナルドは瞳の鋭さを消してから彼女に視線を戻す。

 美しい空色の髪に、大きな茶色の瞳。体格はやや小柄で、整った可愛らしい顔立ち。そして、彼女が笑うと、そこだけ花が咲いたように明るくなる。レオナルドは、リズベットの笑顔を見るのが好きだった。

 不思議そうにこちらを見つめてくる彼女を愛らしいと思いながら、レオナルドは彼女を不安にさせないよう「なんでもない」と答えたのだった。


* * *


 その日の晩、皆が寝静まった頃。

 レオナルドは剣を片手に、奴の気配を辿りながら屋敷を進んでいた。そして、一階の廊下部分で立ち止まる。

「出てこい。いるのはわかっている」
 
 鈍った体でどこまで手練れとやり合えるかわからないが、屋敷の者は絶対に守らなければならない。

 レオナルドは全神経を集中させながら、相手の反応を待った。

 すると、闇の中から男の声が聞こえてくる。

「流石は英雄だな。気配を気取られたのは初めてだ」

 そして、靴音とともに、男の気配が近づいてくる。

「なんで王太子に護衛がひとりも付いてないんだろうなと不思議に思ってたんだが、ここまで結界が張られてたら、誰も手出し出来ないわな」

 靴音が止まり、男が窓から入る月明かりに照らされた。

 服も、髪も、瞳も、全てが黒い。まるで、影そのもののような男だった。

 レオナルドは、黒い瞳の人間に生まれて初めて出会った。それほどまでに、黒目は珍しい。

(なるほど。道理で結界が効かなかったわけだ)

 魔法で作る結界は、魔力を持つ者にしか反応しない。そのため、魔力なしの黒目には効果がないのだ。しかし、そんな人間はこの世にほとんどいないので、普通は魔法の結界を張っておけば困ることはそうそうない。今回は完全にイレギュラーだ。

「何者だ?」

 レオナルドが鋭く殺気を放つも、黒の男は全く怯むことなく、余裕綽々といった様子だった。それどころか、笑みを浮かべる始末だ。

「よせよせ。俺はあんたと戦うつもりはない。それに、今のあんたじゃ俺には勝てないよ」

 男の言葉は、とても虚勢には聞こえなかった。

 恐らくこの男は、今まで出会った中で最も強い武人だ。

 レオナルドはこれまでの人生の中で、一対一での戦いでは負けると感じたことなど一度もなかった。

 しかしこの男に対しては、勝てるかどうか自信が持てない。魔法も使えず、剣の腕もなまった今の状態ではなおさらだ。

 先の言葉通り、この男からは一切の殺気を感じない。どうやら「王太子の命を取りに来た刺客」というわけではなさそうだ。だとしたら、この男は一体何者なのか。

 その疑問に答えるように、男は口を開いた。

「俺はグレイ。リズの護衛で、あいつを守るためにここにいる。勝手に屋敷に入って悪かったな」
「護衛だと……?」

 リズベットがこの屋敷に来ることになったとき、王城から彼女の経歴がまとめられた書類が届いた。当然それには目を通したが、特におかしな点はなかったはずだ。

 ただの子爵令嬢に、こんな手練れの護衛がついて回るのは、いささかおかしい。

 レオナルドが訝しげな表情を浮かべていると、グレイは苦笑しながら言った。

「普通、不思議に思うわな。でもまあ、色々と訳アリでね。リズには俺が来てること内緒にしといてくれ。絶対怒るから」

 リズベットがこの男の侵入に無関係だったことに、ホッとしている自分がいた。

 もし彼女がこの男を黙って招き入れていたとしたら、流石にお咎めなしとはいかない。自分を支えてくれている彼女を、今ここで失いたくはなかった。

「気配を感づかせたのはわざとだろう? 俺に何の用だ」
「あれ、バレてたか」

 グレイはそう言って、いたずらっぽく笑った。

 恐らくこの男は、リズベットがこの屋敷に来た時から護衛としてそばにいたのだろう。そして自分に用があり、今日の昼間、わざと視線に気づかせた。

 今レオナルドが気配を辿ってこの場所にたどり着いたのも、この男に導かれていたからに違いない。

 するとグレイは、人差し指を立てながら思いがけない問いを投げかけてきた。

「ひとつ目は質問。あんた、リズのこと気に入った?」

 あまりに突拍子もない質問に、レオナルドは思いっきり顔を顰めた。

「その答えがどうであれ、お前に教える義理はない」
「いい、いい。その反応が見られただけで十分」

 グレイはカラリと笑った後、スッと笑みを消し真剣な表情になった。黒の瞳は、まっすぐにこちらに向けられている。全てを覆い尽くす、闇のような瞳だ。

「もうひとつは忠告。もしこの屋敷でリズの身に何かあったらすぐに連れ帰るから、そのつもりでいてくれ」

 その瞬間、わずかに空気が張り詰めた。グレイのまとう雰囲気で、今の言葉が冗談ではなく、本気であることがよくわかる。

 しかし、グレイはすぐにふざけた調子に戻り、こちらに向かって丁寧に一礼してきた。

「それじゃあ、リズのことよろしく。王子殿下」

 そう告げた後、グレイは闇の中に消えていった。

 跡を追おうとするも、既に一欠片の気配も感じられない。闇に紛れられたら最後、あの影のような男を見つけ出すのは、もはや不可能だった。

 やはり、只者ではない。

 そんな男が護衛しているリズベットは、一体何者なのか。

(……少し調べてみるか)

 レオナルドは剣を鞘に収めると、静まり返った廊下を進み、自室へと戻るのだった。
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