【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ

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1章 王都編

12 別れる人、出会う人

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「あらー、サルグミン嬢。またお会いしましたね」

 レイラは目ざとく私を見つけて、勝ち誇ったように言った。さすがに今日のドレスはかぶってないか。
 ロベルも気づいて、私に微笑んだ。もはや、罪悪感の欠片もないらしい。

 私の隣にいたお兄様が、怒りを滲ませてロベルに問いかけた。

「ショワジー小伯爵。これはどういうことだ? 説明してくれないか?」
「えっ……いえ、ディアには手紙で説明しているんですが……」

 ようやくロベルが決まり悪そうな顔を見せた。
 そんなロベルとお兄様の間に、レイラは割って入るように体を滑り込ませる。

「ねえ、ロベル様! あちらへ行きましょう」
「ご令嬢、今、僕は小伯爵と話しているところですので、ご遠慮いただきたいのですが」

 お兄様の冷たい声にも、レイラは挫けない。

「えー、そんな怖いお顔をしないでいただけますかー。ロベル様、行きましょう!」

 レイラは、私にだけ見えるように馬鹿にしたような歪んだ笑みを見せた。ロベルも、お兄様に問い詰められたくはないので、あえて逆らうことなくレイラに手を引かれるまま、さっさと立ち去ってしまう。

「おいっ!」

 後を追おうとしたお兄様の腕を、私はそっと引いた。

「お兄様。放っておきましょう」
「でも、ディア……」
「いいんですよ。ロベル様がショワジー伯爵様から、後継者としての資質を試すために商団の一部を任されたって、前に話したでしょ? その商団で、レイラ嬢の実家のクレモ男爵家と大きな取引をするんですって。その条件として出されたのが、彼女の今夜のエスコートだと聞いていましたから」

 少し嘘を混ぜた。相手がレイラ嬢だなんて、手紙には書いてなかったけれど。

「なっ、……そんな条件を出されたなんて。だが、そうだとしても、あの態度はなんだ!」
「いえ。私がいいと言っているんだから、いいんですよ。あとでロベル様が一人になったところを見計らって、彼と話してきますから」

 そこへ、お兄様を知る人たちが声をかけてきた。
 すでにもうだいぶ前からお父様の仕事を手伝っているお兄様には、ここに知り合いも多い。それこそ、王国内の全貴族家が集うこの場は、仕事に有益な情報を得るには格好の機会。お兄様は忙しいのだ。

「お兄様、どうぞお話ししてきてください。私は端のほうで、飲み物でもいただいて、座っていることにします。あの辺りに、知っている令嬢たちも何人かいるようですから」
「うん……じゃあ、僕もみんなに挨拶してくるよ」
「はい。どうぞ楽しんできてください」

 お茶会などで顔見知りの令嬢たちを見つけて、その輪の端に混じってしばらく過ごしていたが、視界の隅に不意にロベルとレイラ嬢が映る。湧いてくる不快な気分。これを振り払うには、彼らの姿を見ないに尽きる。

 私はホールのテラスから続く、広大な庭園へと足を伸ばした。

 庭園のあちこちに置かれたベンチには、ちらほらとホールの喧騒から逃れてきた人たちの姿がある。一人で休む人もいれば、静かに語らい合う恋人たちもいた。
 どこまでも念入りに整えられている王宮の庭園は、美しい。一人でそれを眺めるのにいい場所を探して歩いていたら、後ろをついてくる足音に気づいた。

「ディア、探したよ……」

 ロベルだ。さすがに少し気まずそうに、頭を掻いた。

「一人なの? レイラ嬢は?」
「彼女は知り合いと話してくるって。……それで、僕も君に謝らないと、って思ってね。君の兄上が怒っているようだったし……」
「そう……」

 謝る、と言われてもね……。
 しかも、お兄様が怒っているから? 私ではなく?

 黙り込んだ私に、ロベルが近づいてきた。そして私に手が伸ばされた時、香水の香りがぷんと漂ってきて、その手に触れられる前に無意識に体を引いた。

 これは彼女がつけていた香水の残り香か。
 あれだけロベルにべったり引っ付いていたら、彼の服にも移るだろう。だからこそ、その香りがたまらなく不快だ。しかし、たとえ他の誰から香ってきたものであろうと、この香りを私は好まない。

 行き場を失って虚空を掴んだ腕を引き、ロベルが言い訳を並べ始める。

「断れなかったんだよ……仕事に関わることだったから。それでも、さすがに最初は断ったんだ。でも、どうしても僕と行きたいって何度も頼まれたから、レイラ嬢が気の毒になってね……。だから」
「私は気の毒じゃないの?」

 ロベルは自分の言葉を遮った私に、驚いたような目を向ける。

「えっ……いや……それって、どういう?」
「……わからないんですね」

 礼儀に欠けた振る舞いと思いながらも、はあーっ、と少し大げさなため息をついてみた。

「私たち、婚約してから、だいぶ経ちましたよね……」

 こんなこと、私から言いたくはないけれど。いくら家同士で決められた婚約とはいっても。
 でも、言わないと。いい加減、はっきりさせないといけない時期なんだろう。
 だから、必死の思いで口にしてみることにした。

「まだ婚約だけの関係だから、こういうことが起こるんじゃないかと思うんです。まだ、どうにでもなる、曖昧な関係だと思う人もいるから。たとえばレイラ嬢みたいに。だから、この辺りでもう、ちゃんと結婚しませんか? 正式に既婚者となれば、こんなことはなくなると思うんです。結婚しましょう、私たち」

 いくら愛から始まった婚約ではないとは言っても、こういうことを私から言いたくはなかった。ロベルからプロポーズされる日を夢見ていたのに。たとえそれが、形式的なものだったとしても。

 でも、ロベルから返ってきたのは、待ち望んでいた言葉ではなかった。

「……あのね、僕はまだ、結婚したくないんだ……。まだしばらくは、一人で自由にしていたんだ」

 あまりの惨めさに、泣き出してしまいそうだった。あんなに思い切って、言ってみたのに。
 言い出した私は、もう後には引けない。

「じゃあ、結婚してくれないなら、別れる、と言ったら? 婚約を破棄したい、と言ったら?」

 これに対してロベルは、非情なほどあっけなく答えを出した。

「うーん……ディアがそう言うなら、仕方ないよね。それがディアの意志なら、僕はそれを尊重するよ。……婚約を破棄しよう。僕はまだ、結婚はできないから」

 私の中で、辛うじて心をつなぎとめていた何かがぷつんと切れた。ぷっつりと、もう完全に。

 思えば、ロベルが自分の口で、私たちの関係について何かをはっきり意思表示したのは、今が初めてだったんじゃないかな。
 いつも曖昧に濁されていた気がする……。

「僕はまだ自由でいたいんだ」と繰り返したロベル。
 そんなロベルにそれ以上は何も言わず、私は彼に振り返ることもせず、一人でホールに戻った。

 出くわした給仕から飲み物をすすめられた私は、トレーに載せられたグラスを適当に掴んだ。それをぐいっと勢いよく飲み干したら、それが果実酒だったことに気づく。てっきり、果実水だと思ったのに。

 お酒が飲めないわけじゃないけれど、そんなに強くはない。
 しかも頭に血がのぼっている時に一気に飲み干してしまったせいか、酔いも一気にきた気がする。

(あんなに簡単に、婚約破棄しようなんて、言えちゃうんだな……)

 それなら結婚しよう、と言ってくれると、どこかで信じて期待していた私。
 だから、勝負をかけた。でも結果は、あえなく惨敗。

(笑っちゃうな……)

 私だけが、どこか舞い上がっていたんだな。子供の頃に貰った、たった一度の優しさを信じて。

 ロベルのあの優しさは、私だけにじゃない、ってわかってたはずなのに。
 私、何をしているんだろう……。

 酔いを覚ますために、今度は果実水を、と思って給仕から受け取ったグラスを口につけると、明らかにまた、果実酒の香り。
 取り換えてもらうのも面倒になって、果実酒の入ったグラスを持ったまま、ふらふらと庭園に向かう。
 外で冷たい風にあたれば、酔いも冷めていくだろうし、少しは気も晴れるだろう。

(あの借金の返済を助けたのも、私の独りよがりのお節介だったんだな……)

 馬鹿な私。
 お父様とお母様には、なんて言おうかな。
 婚約破棄した、って言ったら、悲しむよね……。
 お兄様はロベルに怒るだろうな……。

 グラスを片手に、覚束ない足取りで庭園の奥へと進んだ。
 月明かりに照らされた白い大輪のピオニーが目に留まる。導かれるようにそばに置かれたベンチに腰掛けると、手にしたグラスの中身を飲み干した。

(なんだか、眠くなってきたし、目が回る……)

 ぐらっ、とベンチに座ったままの体が傾いた時、傍らに置いた空のグラスが地面に落ちた。

 カシャンッ!

 大きな音がして、地面に散らばったグラスの破片を集めようと、手を伸ばした時。

「危ないですよ」

 地面に伸ばした手をそっと掴まれた。
 顔を上げると、黒髪の若い貴族の令息が、ふらつく私の体を支えて、ベンチに座り直させてくれた。

「ありがとうございます……」

 酔ったせいで、どこかぼやけた私の視界に、彼の碧い瞳が煌めいて見えた。王都の社交界では、見かけたことのない顔だ。
 これほど整った顔立ちの令息なら、年頃の令嬢たちの噂にのぼらないはずがないのに。
 ロベルの整っているけどどこか腑抜けた顔より、ずっと凛々しくて、かっこいい……。

「酔っているな……」
「えっ? あ……大丈夫です……。これくらいで酔うはずないです……」
「そんなわけないだろう? 誰か呼んでこようか?」
「……いいです、誰かなんて、呼ばなくても。しばらく一人でいたいんですから……」
「おいっ……」

 またぐらっと横に倒れそうになった私の背中が、大きな手のひらに支えられた。薄手のドレスの布越しに伝わる温もりに、何だか胸が詰まってきたと思ったら、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

「やだ、私……。こんな……」

 見知らぬ人の前で、恥ずかしい……。
 でも、一度せきを切ってしまった感情を止めるのは、今の私には難しかった。
 
 いつの間にか彼が、私の隣に座っている。私が倒れないように、支えてくれているのだ。

「困ったな……」
「ごめんなさいっ、ご迷惑ですよねぇ……。まったく、私ったらぁ、どうしようもないん、ですよぉ……」

 なんだか、思うように口が回らないな……。
 そんな自分がおかしくなって、笑いがこみ上げてくる。たまらず、けらけらと声にして笑いだしてしまった。

「まったく、なんでこんなに酔ったんだ?」

 隣で彼が、呆れたように苦笑する。
 でも、隣に人の温もりがあるせいか、その人が黙って隣にいてくれるだけだからなのか、壁にでも話しかけている気分になってきた。

「なんで、酔ったぁ、か、ですってぇ? 酔ってぇるつもりはぁー、ないん、ですぅけどーねぇ……。まあちょっとぉ、やなことがぁ、あったと言えば……」

 ロベルとのことを、思いつくままつらつらと口にした。彼は黙って聞いてくれている。うなずきもせず、反論もせず。やっぱり壁だ。

「……って話、なんですう。わかっていただけましたー?」
「ああ……何があったかは、わかったけど。そんな話、俺に話していいのか?」
「いいも、何も―。あんな奴、もーう、どーでもいいって思ったらぁ、誰かにぶちまけたくなった、だけなんですよー。まー、どーせ私は、一人でも大丈夫、ですからねぇ―。私はー、夫に頼って生きていく人生なんてぇ、まっぴら、ごめん、なんですぅ……そんな人生なんて、お断りしたいです……」
「へぇ……」

 彼が、くすっと笑った。それが何だかしゃくに触って、私は彼を、きっと睨んだ。

「あ、馬鹿にしてますー? そんなこと、できるわけないって!」
「してない、してない。……でも、聞いてもいいか?」

 私はこくんと首を振った。

「君はどうやって、一人で生きていくつもりなんだ? ご令嬢たちは、よい家門に嫁いで、夫に頼って暮らすことを望むものだろう?」
「……まったくー。みーんな一緒だと、思わないでくださいよぉ……。私はぁ、どんなことになってもぉー、自分で生き残る道を探しますぅ。……あきらめ、ませんっ……。私はあきらめが悪ーい人、なんですよぉ……。だってね……」

 急に強い眠気に襲われた私は、ぐらっと自分の体が揺れたのがわかった。

「あ、おいっ! 君っ! ご令嬢っ! ……」

 耳元で叫ぶ声が、だんだん遠ざかる。心地いい温もりに包まれて、私は眠りに落ちた。
 嫌なこともあった一日だったけれど、今は何だかとても心地いい……。
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