【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ

文字の大きさ
17 / 81
2章 公爵領編

17 公爵様のお戻り

しおりを挟む
「奥様、申し訳ありませんっ!」

 メイドは床に這いつくばるようにして謝罪した。周りに居合わせた使用人たちも皆、不安そうに見守っている。私が彼女を罰するのではないかと危惧しているのだ。
 確かに、この程度のことでも使用人を鞭打ちする主人の話を聞いたことはあるが、私にそんな趣味はない。

「あ、あの……私……本当に申し訳ありませんっ!」

 私は床に額をつけたメイドに手を差し出した。彼女の手を握り、その場に立ち上がらせる。
 今にも泣きだしそうな顔をして、体を震わせている彼女の足元に視線を落とすと、泥水で靴下がぐっしょりと濡れていた。これではおそらく靴の中にも水が入っているはずだ。 

「突然現れて、驚かせてしまったようね。大したことじゃないから、お仕事を続けて」

 すかさずモルガンも詫びの言葉を口にする。

「申し訳ありません、奥様。この者の不注意を私からもお詫びいたします。すぐにお着替えを……この者はどういたしましょうか?」

 その言葉に、自分が今、女主人としての対応を試されているのだと言う気がした。だとしたら、この場を単純に大丈夫だと見逃すだけで収めてはいけない。

「あなた、お名前は?」
「えっ、あ……エルマと言います」

 不意に名前を問われて、メイドはぴくっと身を震わせた。罰を覚悟したのだろう。

「では、エルマ。着替えるから手伝ってもらえるかしら?」
「へっ、あっ……はい!」
「それとエルマも、靴と靴下を履き替えなさい。そのままでは足が冷えてしまうわ」

 言いながらエルマに微笑みかけると、その意図が伝わったのか、表情がみるみる明るくなった。

「承知いたしました、お手伝いいたします! ありがとうございますっ、奥様!」

 モルガンをはじめ張りつめた空気の中で見守っていた使用人たちが、一斉に息を吐いた。

「そういえばモルガン、ひとつお願いがあるんですが」
「はい。何でしょうか、奥様?」
「その、奥様という呼び名だけれど、少し気が早いと思うの。今はまだ婚約したというだけなので、別の呼び方をお願いしたいのだけれど……」
「承知いたしました。……では、お嬢様とお呼びするのでいかがでしょうか?」
「いいですね。それでお願いできますか?」
「はい、お嬢様。……では皆にも、そのように伝えます」

 ついでのことではあったが、使用人たちに呼び名を徹底することができた。


 そうして三日が経った。
 この日はモルガンに城の最上階を案内してもらっていた。最上階の奥まったところにあったのは、兵士に扉を厳重に守られた一室。

「こちらのホールは、宝物庫となっております」

 その広い室内には、公爵家に伝わるさまざまな美術品が整然と収められていた。宝石、宝剣、絵画に並んで、肖像画が掛けられている。歴代の公爵家一家が描かれたものだ。

 モルガンが、先代の公爵夫妻のものだと教えてくれた何枚かの肖像画のうちの一枚に、騎士服を着て、帯剣した夫人の立ち姿が描かれていた。その凛とした眼差しと佇まいに、同性ながら見とれてしまう。

「前の公爵夫人は、騎士でもあったのですか?」
「はい。亡くなられた奥様は、騎士として、前公爵様と一緒に戦場に出られていました。魔物の討伐にも、常に一緒に出られていたんです。当代のノルマン様のお顔立ちは、そのお母上によく似ておいでです。主君の碧い瞳は、お母上譲りなのです」

 描かれている女性騎士の碧い瞳に、どこか初めて見る気がしない。

「実は私、婚約者である公爵様のお顔を知らないんです。現ご当主の公爵様の肖像画はどちらでしょう?」
「なんと……そうでしたか。ノルマン様の正式な肖像画はまだ描かれていないんです。なにせ、爵位の継承が急で、その後も魔物の討伐などで何かとお忙しかったものですから。ですが、お小さい頃の私的なものでしたら、いくつか掛けてあるお部屋があります。弟君のジュール様と並んで描かれているものがほとんどですが」
「そのジュール様も、公爵様と共に討伐に出ているのですか?」
「いえ……」

 冗長だったモルガンが、口ごもる。それに少し引っかかるものを感じて彼を見ると、それまでと変わらぬ口調で続けた。

「ですが、ジュール様はモントロー騎士団の団員としての別の任務で、公爵様とは別行動をとっております。ジュール様の行動については、私どももはっきりとは把握してはいないのですよ」

 つまりは、血のつながった最も信頼できる弟として、公爵の陰の右腕となり、秘密裏に動いているということか。だから、私にどこまで言っていいものか悩んで、口ごもったというところだろうか?

「公爵様とジュール様は、とても仲のよろしいご兄弟なのです。……では、お二人の肖像画が掛けられている部屋にご案内いたしましょう」

 モルガンに促されてホールを出ると、使用人がこちらへ向かって走ってくる。

「執事様! 先ほど報せがあり、まもなく公爵様と騎士団がお戻りになられるそうです!」

 その報せに、私たちは公爵一行を出迎えるため、急いでホールに降りた。
 いまだ顔も知らない公爵に初めて会うのだと思うと、緊張で体が強張る。

 使用人たちと並んでその到着を待っていると、騎士たちを従えてやって来たその人の姿に、私はぎょっとした。しかし使用人たちには見慣れた光景なのか、特に表情を変えてもいない。

 騎士団の先頭を歩いてきた彼の服やマントのあちこちには、魔物のものと思われる紫色の血が生々しいシミを作り、その頬にも、拭いきれなかった魔物の血がべったりと乾いてこびりつくように残っていた。

 まさに、冷血公爵の異名の通り――。

 だが、その一瞬で、私はすべてを理解する。
 黒髪の下に灯る碧い瞳に、私は覚えがあったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」 夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。 王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。 「左様でございますか」 彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ】伯爵令嬢の責務

ごろごろみかん。
恋愛
見てしまった。聞いてしまった。 婚約者が、王女に愛を囁くところを。 だけど、彼は私との婚約を解消するつもりは無いみたい。 貴族の責務だから政略結婚に甘んじるのですって。 それなら、私は私で貴族令嬢としての責務を果たすまで。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

悪役令嬢は自称親友の令嬢に婚約者を取られ、予定どおり無事に婚約破棄されることに成功しましたが、そのあとのことは考えてませんでした

みゅー
恋愛
婚約者のエーリクと共に招待された舞踏会、公の場に二人で参加するのは初めてだったオルヘルスは、緊張しながらその場へ臨んだ。 会場に入ると前方にいた幼馴染みのアリネアと目が合った。すると、彼女は突然泣き出しそんな彼女にあろうことか婚約者のエーリクが駆け寄る。 そんな二人に注目が集まるなか、エーリクは突然オルヘルスに婚約破棄を言い渡す……。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...