柳生十兵衛の妻 ―お市の物語―

いわん

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其之一:「ケダモノ」との見合い

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初めて会ったときは、「なんだこのケダモノは」と思った。それが正直な気持ちだった。
それは身体から放たれる異臭だけでの印象ではなかった。およそ、この平和な時代の武家のものとは思えない殺気をまとっていた。見合いの席になぜ大小を差しているのか。女性を前にしているのに、なぜこんな殺気を放つのか。彼も今回の話にそもそも納得していない感じがすぐにわかった。もちろん、その程度で気圧される私ではない。むしろ「その程度で私を気負らせられるとでも」と思った。ただ、互いに「無理矢理会わせられた話であり、互いの気持ちが無視されている」という共通認識はあったように思う。そんな性格だから、互いに「行き遅れていた」のだろう。
初めての会話の内容は、実はよく覚えていない。ただ、婚姻の話というよりは、今の時代に関する問題点の言い合いばかりしていたように思う。何がきっかけだったろうか。親同士の話であったはずなのに、気がついたら言い合いをしていた。私の方から絡んだのだろうか。あの頃は、互いに意地を張っていた。相手が持っている問題意識と、私の持っている不条理なことに関する憤り。そのときは互いに理解することはなかった。見合い後、父に「もう少し女子らしゅうせい。また破談か。せっかくの相手だというのに」と、ずいぶんと怒られたものである。
てっきり、それで今回の話は終わると思っていた。見合いの最初の席でそれだけのことをしでかしたのだから、相手からお断りの連絡が来るだろう、と。ところが、むしろ、向こうから、嫌でなければ、今回の話を続けさせてくれないか、という話になった。正直、面を喰らった。どう振り返っても、どう考えても、私が相手に好印象を与えた点は全くなかったからだ。それなのに、相手は、今回の話を進める意志を示した。「私のどこを気に入ったのか。酔狂な人間もいたものだ」と思った。
その後、彼が幕府から命ぜられていることの実際を、偶然知った。酔っぱらった父が口を滑らしたのだ。「幕府の密命を成す」という内容を知り、その行為に彼が苦悩していることを理解した。自分自身の有り様に苦しんでいることも。彼はそれ故に苦しんでいることは容易に想像できた。私と同じ。現状に納得できないが、それをどこから変えたらいいのか、どこから手を付けたらいいのか分からないという、自分自身の力量不足による苛立ち、焦り。そういう気持ちを持っている人なのだと知った。結局のところ、彼と私は「同類」なのだと。「問題があることはわかっている。では、自分はどう行動したら、それを直せるのか。その方法が見つけられない」という、同じ苦しみを持っている同朋なのだと。

話を進める方向になっていたので、その後も、幾度か彼と会う機会があった。相変わらず、彼は「野獣のような異臭」を放っていた。殺気を放っていた。ぶっきらぼうな対応だった。でも、それはただ、「女性に慣れてない」がゆえの緊張から来ることなのも、その頃には理解していた。

彼は、ただただ、その手の表現について「不器用」なだけなのだと。純粋であるが故に、不器用なのだと。小細工の出来ない人なのだと。それ故に、今の自分の状況に苦しんでいるのだと。だからこそ、「嫁を貰ったら、余計に自分の苦労が増えるだけだ。そして、そんな自分は、相手をただただ苦しめてしまうだけでしかないのだ」と思っている。だから、彼はこのような態度を見せているのだ。彼が「相手に忌避されるような態度」を示すのは、婚姻後、相手が背負う苦しみを知っているが故に、「自分の相手がそうならないためにも、相手から拒否される」という状況に持っていくためにしている意図的な行為なのだと。「不器用」な彼の、彼なりに考えた末の、「相手を思いやっている行為」だったのだ。彼は「自分と一緒になることで、相手に面倒をかけたくない」と思っていたのだ。これまでの彼の態度は、それ故の「不器用な」彼なりに考えた末に行っている「不器用な」、私に対して気遣った結果としての態度であることに気づいた。

いつしか、私は、彼のそんな繊細な苦しみを見て、「彼を助けるのが、私の天命なのだろう」と思うようになっていた。優しさ故に、気遣いが出来るが故に、自分を殺してしまう苦しみは、私も経験していたのだから。彼の気持ち、思いやり、優しさは、その頃にはすっかり理解していた。

そうして、私は、柳生家廃嫡の長子、「柳生十兵衛三厳」の元に嫁いだのだった。
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