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其之二:女子の誕生と覚悟
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夫、十兵衛は、表向きは、家光公の勘気を被り、「廃嫡」「蟄居」ということを命ぜられている身分。里の人たちも、夫がどんなことをしているのか、その実際は知らない。そんな私たちを、柳生の里の人は、本当に良くしてくれた。夫は、本当に柳生の里の人に尊敬されていた。単に「大旦那様―柳生但馬守宗矩様―の長子だから」という理由ではなく、心から尊敬されている。頼りにされている。何故なのか。勘気を被ったがゆえに「廃嫡」にされた長子に対して、なぜみな優しくしてくれるのか。その事に気づいたのは、嫁いでから数ヶ月後に見た風景だった。夫と柳生の子供たちが、本当に「楽しそうに接している」姿を見た。子供たちが、本当に夫と楽しく遊んでいた。夫はそれを同じように楽しんでいた。その子たちの親も、それ故に夫を信頼していたのだと。この人は「野獣」などではない。誰よりも誰よりも優しくて、その優しさ故に、自分の持っている剣技との差に苦しんでいるのだと。政のような魑魅魍魎が跋扈する世界に対しては、その純粋さ故に耐えられない、本当に「純粋」な優しい人なのだと。
月日が流れ、私は一人目の子どもを身籠った。元嫡男ではあるけれども、廃嫡された人の子である。長男である必要はないはずだった。だが「柳生家」は「跡継ぎ」としての男子を望んだ。しかし、私が産んだのは女子だった。周囲、特に大旦那様が落胆するなか、女子であるにもかかわらず、夫は、誰よりも喜んだ。
「この子は女子だ。女子は剣技を覚える必要はない。俺みたいに、剣で人を殺めることに悩むことがない。こんなすばらしい事があるか。こんな嬉しいことがあるか。お市、ありがとう。ありがとう。俺はお主に頭が上がらぬ」
夫は、娘を抱きながら泣いていた。もしかすると、この娘は、将来、柳生の剣に興味を持って、女剣士になるかもしれない。私みたいに、夫同様の剣士の家に嫁ぐかもしれない。そういうことももちろん理解していただろう。それでも、私たちの娘は「自分のような剣の道に、修羅の道に進むことはない」ことを夫は本当に喜んでいた。
「この人の苦しみを、私は、助けてあげなければいけない」
と、私は、改めて思った。夫は、剣技が常人以上に優れているために、その性格とは裏腹に、それを使った仕事が、しかも「表向きには評価されない」立場で命ぜられている。その苦しみを、理解し、共有し、軽減すること。それが、私がこの人にすべきことなのだ。天命なのだと。そう思った瞬間だった。娘の存在が、その気持ちに安らぎを与えるのなら、それこそ、彼が思うだけ何人でも娘を産もうと思った。夫が子ども好きなのは、もうわかっていた。
だからこそ、逆に、男子をもうけた時、夫がどう思うかを考えると陰鬱な気持ちになった。その息子がどのような道を求められるのかを考えると、気も狂わんばかりの気持ちになった。夫の子を宿すのは望むところである。ただ、その子が男子であったのなら。それは、私たち二人にとって「苦しみ」以外の何物でもない。誰よりも夫が苦悩する姿が簡単に想像できた。夫は、自分の子に「柳生新陰流を学ぶ」ことすら、苦悶することだったのだから。
柳生家には申し訳ないことだが、私は「私たち二人の間の子は、女子でありますように」と、心の中で願った。本当に願った。「男子をもうけること」は、柳生家が求めることではあれども、夫のためには、実現してはならないことだったのだ。
私は、自分が産む子どもについて、柳生家の期待を裏切ることを意図的に願った。もちろん、産まれてくる子どもが男子なのか女子なのかはわからない。それは御仏のみぞ知ることである。それでも、私が男子が産まれる事を望むことはなかった。
また、夫が旅装束に着替えている。また江戸からの「密命」の文が来たのだ。今度はどれくらいの期間、戻らないのだろう。娘たちはまだ幼い。父の不在を寂しがるだろう。
「……お市」夫が言いづらそうに口を開く。「しばらく留守にする。娘たちのことを頼む」
私は夫の背中を見た。この人は、家族を残して旅立つことに罪悪感を感じている。でも、それは夫の役目なのだ。
「あなた」私は言った。「この家を守るのは私です。家のことは任せて、あなたは外でお役目を果たしてきてください」
夫が振り返った。驚いた顔をしている。
「私は、あなたを信じています。あなたがなさっていることが、正しいことだと。だから、どうか安心して、あなたのなすべきことをなさってください。娘たちも、柳生の庄も、私が守ります」
私の「覚悟の言葉」に、夫は、ただただ黙っていた。
――簡単な「覚悟」で、あなたのもとに嫁いだわけじゃないのですよ、この私は。
そうして、私は、夫の出立を見送ったのだった。
月日が流れ、私は一人目の子どもを身籠った。元嫡男ではあるけれども、廃嫡された人の子である。長男である必要はないはずだった。だが「柳生家」は「跡継ぎ」としての男子を望んだ。しかし、私が産んだのは女子だった。周囲、特に大旦那様が落胆するなか、女子であるにもかかわらず、夫は、誰よりも喜んだ。
「この子は女子だ。女子は剣技を覚える必要はない。俺みたいに、剣で人を殺めることに悩むことがない。こんなすばらしい事があるか。こんな嬉しいことがあるか。お市、ありがとう。ありがとう。俺はお主に頭が上がらぬ」
夫は、娘を抱きながら泣いていた。もしかすると、この娘は、将来、柳生の剣に興味を持って、女剣士になるかもしれない。私みたいに、夫同様の剣士の家に嫁ぐかもしれない。そういうことももちろん理解していただろう。それでも、私たちの娘は「自分のような剣の道に、修羅の道に進むことはない」ことを夫は本当に喜んでいた。
「この人の苦しみを、私は、助けてあげなければいけない」
と、私は、改めて思った。夫は、剣技が常人以上に優れているために、その性格とは裏腹に、それを使った仕事が、しかも「表向きには評価されない」立場で命ぜられている。その苦しみを、理解し、共有し、軽減すること。それが、私がこの人にすべきことなのだ。天命なのだと。そう思った瞬間だった。娘の存在が、その気持ちに安らぎを与えるのなら、それこそ、彼が思うだけ何人でも娘を産もうと思った。夫が子ども好きなのは、もうわかっていた。
だからこそ、逆に、男子をもうけた時、夫がどう思うかを考えると陰鬱な気持ちになった。その息子がどのような道を求められるのかを考えると、気も狂わんばかりの気持ちになった。夫の子を宿すのは望むところである。ただ、その子が男子であったのなら。それは、私たち二人にとって「苦しみ」以外の何物でもない。誰よりも夫が苦悩する姿が簡単に想像できた。夫は、自分の子に「柳生新陰流を学ぶ」ことすら、苦悶することだったのだから。
柳生家には申し訳ないことだが、私は「私たち二人の間の子は、女子でありますように」と、心の中で願った。本当に願った。「男子をもうけること」は、柳生家が求めることではあれども、夫のためには、実現してはならないことだったのだ。
私は、自分が産む子どもについて、柳生家の期待を裏切ることを意図的に願った。もちろん、産まれてくる子どもが男子なのか女子なのかはわからない。それは御仏のみぞ知ることである。それでも、私が男子が産まれる事を望むことはなかった。
また、夫が旅装束に着替えている。また江戸からの「密命」の文が来たのだ。今度はどれくらいの期間、戻らないのだろう。娘たちはまだ幼い。父の不在を寂しがるだろう。
「……お市」夫が言いづらそうに口を開く。「しばらく留守にする。娘たちのことを頼む」
私は夫の背中を見た。この人は、家族を残して旅立つことに罪悪感を感じている。でも、それは夫の役目なのだ。
「あなた」私は言った。「この家を守るのは私です。家のことは任せて、あなたは外でお役目を果たしてきてください」
夫が振り返った。驚いた顔をしている。
「私は、あなたを信じています。あなたがなさっていることが、正しいことだと。だから、どうか安心して、あなたのなすべきことをなさってください。娘たちも、柳生の庄も、私が守ります」
私の「覚悟の言葉」に、夫は、ただただ黙っていた。
――簡単な「覚悟」で、あなたのもとに嫁いだわけじゃないのですよ、この私は。
そうして、私は、夫の出立を見送ったのだった。
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