2 / 2
其之二:女子の誕生と覚悟
しおりを挟む
夫、十兵衛は、表向きは、家光公の勘気を被り、「廃嫡」「蟄居」ということを命ぜられている身分。里の人たちも、夫がどんなことをしているのか、その実際は知らない。そんな私たちを、柳生の里の人は、本当に良くしてくれた。夫は、本当に柳生の里の人に尊敬されていた。単に「大旦那様―柳生但馬守宗矩様―の長子だから」という理由ではなく、心から尊敬されている。頼りにされている。何故なのか。勘気を被ったがゆえに「廃嫡」にされた長子に対して、なぜみな優しくしてくれるのか。その事に気づいたのは、嫁いでから数ヶ月後に見た風景だった。夫と柳生の子供たちが、本当に「楽しそうに接している」姿を見た。子供たちが、本当に夫と楽しく遊んでいた。夫はそれを同じように楽しんでいた。その子たちの親も、それ故に夫を信頼していたのだと。この人は「野獣」などではない。誰よりも誰よりも優しくて、その優しさ故に、自分の持っている剣技との差に苦しんでいるのだと。政のような魑魅魍魎が跋扈する世界に対しては、その純粋さ故に耐えられない、本当に「純粋」な優しい人なのだと。
月日が流れ、私は一人目の子どもを身籠った。元嫡男ではあるけれども、廃嫡された人の子である。長男である必要はないはずだった。だが「柳生家」は「跡継ぎ」としての男子を望んだ。しかし、私が産んだのは女子だった。周囲、特に大旦那様が落胆するなか、女子であるにもかかわらず、夫は、誰よりも喜んだ。
「この子は女子だ。女子は剣技を覚える必要はない。俺みたいに、剣で人を殺めることに悩むことがない。こんなすばらしい事があるか。こんな嬉しいことがあるか。お市、ありがとう。ありがとう。俺はお主に頭が上がらぬ」
夫は、娘を抱きながら泣いていた。もしかすると、この娘は、将来、柳生の剣に興味を持って、女剣士になるかもしれない。私みたいに、夫同様の剣士の家に嫁ぐかもしれない。そういうことももちろん理解していただろう。それでも、私たちの娘は「自分のような剣の道に、修羅の道に進むことはない」ことを夫は本当に喜んでいた。
「この人の苦しみを、私は、助けてあげなければいけない」
と、私は、改めて思った。夫は、剣技が常人以上に優れているために、その性格とは裏腹に、それを使った仕事が、しかも「表向きには評価されない」立場で命ぜられている。その苦しみを、理解し、共有し、軽減すること。それが、私がこの人にすべきことなのだ。天命なのだと。そう思った瞬間だった。娘の存在が、その気持ちに安らぎを与えるのなら、それこそ、彼が思うだけ何人でも娘を産もうと思った。夫が子ども好きなのは、もうわかっていた。
だからこそ、逆に、男子をもうけた時、夫がどう思うかを考えると陰鬱な気持ちになった。その息子がどのような道を求められるのかを考えると、気も狂わんばかりの気持ちになった。夫の子を宿すのは望むところである。ただ、その子が男子であったのなら。それは、私たち二人にとって「苦しみ」以外の何物でもない。誰よりも夫が苦悩する姿が簡単に想像できた。夫は、自分の子に「柳生新陰流を学ぶ」ことすら、苦悶することだったのだから。
柳生家には申し訳ないことだが、私は「私たち二人の間の子は、女子でありますように」と、心の中で願った。本当に願った。「男子をもうけること」は、柳生家が求めることではあれども、夫のためには、実現してはならないことだったのだ。
私は、自分が産む子どもについて、柳生家の期待を裏切ることを意図的に願った。もちろん、産まれてくる子どもが男子なのか女子なのかはわからない。それは御仏のみぞ知ることである。それでも、私が男子が産まれる事を望むことはなかった。
また、夫が旅装束に着替えている。また江戸からの「密命」の文が来たのだ。今度はどれくらいの期間、戻らないのだろう。娘たちはまだ幼い。父の不在を寂しがるだろう。
「……お市」夫が言いづらそうに口を開く。「しばらく留守にする。娘たちのことを頼む」
私は夫の背中を見た。この人は、家族を残して旅立つことに罪悪感を感じている。でも、それは夫の役目なのだ。
「あなた」私は言った。「この家を守るのは私です。家のことは任せて、あなたは外でお役目を果たしてきてください」
夫が振り返った。驚いた顔をしている。
「私は、あなたを信じています。あなたがなさっていることが、正しいことだと。だから、どうか安心して、あなたのなすべきことをなさってください。娘たちも、柳生の庄も、私が守ります」
私の「覚悟の言葉」に、夫は、ただただ黙っていた。
――簡単な「覚悟」で、あなたのもとに嫁いだわけじゃないのですよ、この私は。
そうして、私は、夫の出立を見送ったのだった。
月日が流れ、私は一人目の子どもを身籠った。元嫡男ではあるけれども、廃嫡された人の子である。長男である必要はないはずだった。だが「柳生家」は「跡継ぎ」としての男子を望んだ。しかし、私が産んだのは女子だった。周囲、特に大旦那様が落胆するなか、女子であるにもかかわらず、夫は、誰よりも喜んだ。
「この子は女子だ。女子は剣技を覚える必要はない。俺みたいに、剣で人を殺めることに悩むことがない。こんなすばらしい事があるか。こんな嬉しいことがあるか。お市、ありがとう。ありがとう。俺はお主に頭が上がらぬ」
夫は、娘を抱きながら泣いていた。もしかすると、この娘は、将来、柳生の剣に興味を持って、女剣士になるかもしれない。私みたいに、夫同様の剣士の家に嫁ぐかもしれない。そういうことももちろん理解していただろう。それでも、私たちの娘は「自分のような剣の道に、修羅の道に進むことはない」ことを夫は本当に喜んでいた。
「この人の苦しみを、私は、助けてあげなければいけない」
と、私は、改めて思った。夫は、剣技が常人以上に優れているために、その性格とは裏腹に、それを使った仕事が、しかも「表向きには評価されない」立場で命ぜられている。その苦しみを、理解し、共有し、軽減すること。それが、私がこの人にすべきことなのだ。天命なのだと。そう思った瞬間だった。娘の存在が、その気持ちに安らぎを与えるのなら、それこそ、彼が思うだけ何人でも娘を産もうと思った。夫が子ども好きなのは、もうわかっていた。
だからこそ、逆に、男子をもうけた時、夫がどう思うかを考えると陰鬱な気持ちになった。その息子がどのような道を求められるのかを考えると、気も狂わんばかりの気持ちになった。夫の子を宿すのは望むところである。ただ、その子が男子であったのなら。それは、私たち二人にとって「苦しみ」以外の何物でもない。誰よりも夫が苦悩する姿が簡単に想像できた。夫は、自分の子に「柳生新陰流を学ぶ」ことすら、苦悶することだったのだから。
柳生家には申し訳ないことだが、私は「私たち二人の間の子は、女子でありますように」と、心の中で願った。本当に願った。「男子をもうけること」は、柳生家が求めることではあれども、夫のためには、実現してはならないことだったのだ。
私は、自分が産む子どもについて、柳生家の期待を裏切ることを意図的に願った。もちろん、産まれてくる子どもが男子なのか女子なのかはわからない。それは御仏のみぞ知ることである。それでも、私が男子が産まれる事を望むことはなかった。
また、夫が旅装束に着替えている。また江戸からの「密命」の文が来たのだ。今度はどれくらいの期間、戻らないのだろう。娘たちはまだ幼い。父の不在を寂しがるだろう。
「……お市」夫が言いづらそうに口を開く。「しばらく留守にする。娘たちのことを頼む」
私は夫の背中を見た。この人は、家族を残して旅立つことに罪悪感を感じている。でも、それは夫の役目なのだ。
「あなた」私は言った。「この家を守るのは私です。家のことは任せて、あなたは外でお役目を果たしてきてください」
夫が振り返った。驚いた顔をしている。
「私は、あなたを信じています。あなたがなさっていることが、正しいことだと。だから、どうか安心して、あなたのなすべきことをなさってください。娘たちも、柳生の庄も、私が守ります」
私の「覚悟の言葉」に、夫は、ただただ黙っていた。
――簡単な「覚悟」で、あなたのもとに嫁いだわけじゃないのですよ、この私は。
そうして、私は、夫の出立を見送ったのだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる