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其之五:江戸城内の思惑
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「柳生の」左門は、老中、稲葉正勝に声をかけられた。
「最近、上様の様子が、以前とは違って見えるのじゃが、何か心当たりはないかね?」
「違い、でございますか?どのような?」左門は尋ね返した。
「以前より、格段に御政道に勤勉になられた。また、福殿の寄こす側室とも懇ろになっているようでな。どういう風の吹き回しかと……」
「それは良きことではありませぬか。上様が御政道を果たしてこそ、天下泰平の基礎でございますからな」
「その、上様の心変わりに、おぬしが絡んでいると見たのだが?」稲葉正勝が問いかける。
「私は、私の本分を勤め上げているだけでございます。それ以外は、特に……」左門はそう伝えた。
「そうか」稲葉正勝は左門を見る。「まぁ、これからも『良き稽古』を、上様につけてくだされ」そう言うと、稲葉正勝は笑うのだった。
「御老中」松平信綱が稲葉正勝を呼び止めた。その後ろには阿部忠秋もいた。
「あの小姓とどんな話を?」
「上様の話を」稲葉正勝は答えた。「上様を今のように変えた一因であろうと思って」
「あれは、但馬守殿のご子息であるからなぁ」松平信綱がぼやく。「下手に上様に取り入られても我らが困る話なのだが」
「あの小姓に、そんな野望はないでしょうに」稲葉正勝は笑った。「野望があるのは、むしろ我が母上の方じゃな。困ったものです」
「稲葉殿はあの小姓に甘いですなぁ」阿部忠秋が続く。
「我々の言葉を聞くことがなくても、上様はあの小姓の言葉は聞くみたいなようですからな。上様に意見が通り易くなるのなら、手懐けておいて損はないでしょう」
「……しかし、必要以上に上様に近づけるのは、御政道にとって危険では……」松平信綱の心配は収まらない。
「堀田殿のようになられては困る、と?」稲葉正勝は意地の悪い笑みを浮かべた。
堀田正盛の名を出されては、松平信綱も阿部忠秋も黙るしかなかった。家光公に寵愛され「六人衆」にまで上り詰めた元小姓、堀田正盛。彼ら、松平信綱も阿部忠秋も、その「六人衆」だったからである。
「おぬし、上様に何をした」
堀田正盛は左門に問いかけた。
「何を、とは?堀田様、話がよく見えませぬが……」左門は答えた。
「上様の御政道に対する態度が、明らかに変わり申した。ぬしが何かしたのではないか?」堀田正盛の顔は紅潮していた。それは、怒りか嫉妬か、それとも、その両方か。
「上様に、新陰流の稽古の相手をしただけであります」左門はことも無げに答えた。「上様が立ち合いを所望されたゆえに」
「その後、上様と何があった」堀田正盛の追求は止まらない。「上様と何をした」
「何も」左門はあえて冷徹に答えた。「ただ、稽古のお相手をしまして。それでおしまいでございます」
そして、左門は言葉を続けた。
「それ以外、何がありますかな?堀田様は、何があったと思われるのですか?」
「……ぬしは、小姓であろう。ならば、上様のお相手をすることもあろう……」
「はい。剣の稽古のお相手なら、先ほどお話しした通り……」
「その『お相手』の意味ではないわ!」堀田正盛はとうとう怒り出した。
「……では、どのような意味でしょうか?私めは一介の小姓にすぎませぬ。堀田様のように、目をかけられ、取り立てられているわけでもございません。そのような私に、上様に対して、一体何ができましょうや」
堀田正盛は言葉に詰まった。ますます顔は紅潮していった。
「……上様に余計なことをするでないぞ……」
そう吐き捨てると、堀田正盛は逃げるようにその場から離れたのだった。
――兄上が逃げ出したくなったのもわかる……なんというめんどくさい世界なのだ、ここは……
左門はため息をついた。
「最近、上様の様子が、以前とは違って見えるのじゃが、何か心当たりはないかね?」
「違い、でございますか?どのような?」左門は尋ね返した。
「以前より、格段に御政道に勤勉になられた。また、福殿の寄こす側室とも懇ろになっているようでな。どういう風の吹き回しかと……」
「それは良きことではありませぬか。上様が御政道を果たしてこそ、天下泰平の基礎でございますからな」
「その、上様の心変わりに、おぬしが絡んでいると見たのだが?」稲葉正勝が問いかける。
「私は、私の本分を勤め上げているだけでございます。それ以外は、特に……」左門はそう伝えた。
「そうか」稲葉正勝は左門を見る。「まぁ、これからも『良き稽古』を、上様につけてくだされ」そう言うと、稲葉正勝は笑うのだった。
「御老中」松平信綱が稲葉正勝を呼び止めた。その後ろには阿部忠秋もいた。
「あの小姓とどんな話を?」
「上様の話を」稲葉正勝は答えた。「上様を今のように変えた一因であろうと思って」
「あれは、但馬守殿のご子息であるからなぁ」松平信綱がぼやく。「下手に上様に取り入られても我らが困る話なのだが」
「あの小姓に、そんな野望はないでしょうに」稲葉正勝は笑った。「野望があるのは、むしろ我が母上の方じゃな。困ったものです」
「稲葉殿はあの小姓に甘いですなぁ」阿部忠秋が続く。
「我々の言葉を聞くことがなくても、上様はあの小姓の言葉は聞くみたいなようですからな。上様に意見が通り易くなるのなら、手懐けておいて損はないでしょう」
「……しかし、必要以上に上様に近づけるのは、御政道にとって危険では……」松平信綱の心配は収まらない。
「堀田殿のようになられては困る、と?」稲葉正勝は意地の悪い笑みを浮かべた。
堀田正盛の名を出されては、松平信綱も阿部忠秋も黙るしかなかった。家光公に寵愛され「六人衆」にまで上り詰めた元小姓、堀田正盛。彼ら、松平信綱も阿部忠秋も、その「六人衆」だったからである。
「おぬし、上様に何をした」
堀田正盛は左門に問いかけた。
「何を、とは?堀田様、話がよく見えませぬが……」左門は答えた。
「上様の御政道に対する態度が、明らかに変わり申した。ぬしが何かしたのではないか?」堀田正盛の顔は紅潮していた。それは、怒りか嫉妬か、それとも、その両方か。
「上様に、新陰流の稽古の相手をしただけであります」左門はことも無げに答えた。「上様が立ち合いを所望されたゆえに」
「その後、上様と何があった」堀田正盛の追求は止まらない。「上様と何をした」
「何も」左門はあえて冷徹に答えた。「ただ、稽古のお相手をしまして。それでおしまいでございます」
そして、左門は言葉を続けた。
「それ以外、何がありますかな?堀田様は、何があったと思われるのですか?」
「……ぬしは、小姓であろう。ならば、上様のお相手をすることもあろう……」
「はい。剣の稽古のお相手なら、先ほどお話しした通り……」
「その『お相手』の意味ではないわ!」堀田正盛はとうとう怒り出した。
「……では、どのような意味でしょうか?私めは一介の小姓にすぎませぬ。堀田様のように、目をかけられ、取り立てられているわけでもございません。そのような私に、上様に対して、一体何ができましょうや」
堀田正盛は言葉に詰まった。ますます顔は紅潮していった。
「……上様に余計なことをするでないぞ……」
そう吐き捨てると、堀田正盛は逃げるようにその場から離れたのだった。
――兄上が逃げ出したくなったのもわかる……なんというめんどくさい世界なのだ、ここは……
左門はため息をついた。
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