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4,怪異其の弐「地図に無い街」

4-11「さよなら吉備 春平……」

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 胸を貫く刀が勢いよく抜かれた途端「がふぁっ…………」と春平が吐血した。

 そのまま膝から崩れ落ちる春平は、その時ようやく自分の身に起きた事態を把握する。
 蟲夜叉は、黒紫の刀身に纏わりつく血を振り払うと、漆黒の鞘に納めた。

 桃眞と慎之介が春平の名を叫ぶ。
 春平はアスファルトの上で横たわり、薄目を開けながら弱弱しい声を絞り出した。

「おぉ……どれら。さ、櫻子ちゃんには…………内緒やで……」
「馬鹿な事言ってんじゃねぇ!!」

 桃眞と慎之介は蟲夜叉の存在を気にもせず、重い体を持ち上げ春平の下へと駆け寄る。

 蟲夜叉は近寄る二人を攻撃する事なく静観を始めた。
 もう勝敗は決したと思っているからなのかも知れない。
 焦って殺す必要もないのだろう。
 どうせなら家族に変えるはずだ。

「こないなところで……死んでまうとはなぁ……。いっぺんでエエから……さ、櫻子ちゃんの……お、おぉ、オッパイを……もみもみしたかったわ」

 春平はそう言い残し、ゆっくりと瞼を閉じた。

 静寂が辺りを包む。

 桃眞は目の前で亡骸へと変わり果てる春平を見下ろしながら、内なる悲しみが怒りに変換されてゆく事に気付いた。
 体の奥底で新たなエンジンが起動するかのような震えが全身に伝わる。
 グッと拳を握りしめ、蟲夜叉をめ上げた。

「コイツは俺もよりもずっと馬鹿だったよ。馬鹿で変態でどうしようもないヤツだったけど……ずっと真直ぐで一途なヤツだった……」

「鬼束……」と慎之介が桃眞の名を呟く。

「俺らがどんなに落ち込んでても、暗くなってても。コイツだけはいつも明るくその場の空気を変えてくれた。そんなムードメーカーを……テメェ……何してくれてんだぁぁああッ!!」

 桃眞の怒りが臨界点を突破したのと同時に全身から法力の爆風が発生した。
 その光景に驚いたのは蟲夜叉と、そして慎之介もだった。
 既に法力は枯渇し、疲労困憊だという事は慎之介にも分かっていたからだ。
 どこにこれだけの力が残っていたのか?
 その瞬間、ある一つの可能性に気付く。

「残っていたんじゃない……。引き出せていなかったんだ」

 横でその状況をみていた漣季も、慎之介と同じことを考えていた。


 慌てて刀を掴む蟲夜叉。
 鞘から刀身を引き抜こうと力を入れた瞬間、視界が横に揺れた。
 強烈な衝撃が頬を伝い、首が捻じれる。
 そのままオフィスビルの外壁を貫き視界が縦横へとグルグルと回転した。
 何層も壁を突き破り、道路を横断し、次のマンションを貫通……。

 ようやく動きがとまり、壁に穴があいた空室で起き上がろうとした蟲夜叉は、目の前に迫る蒼白い拳圧を見やる。
 黒い複眼が慌てて収縮した直後、追撃の無限連弾が全身を射ち貫いた。
 さっきまでの無限連弾よりも数倍重い拳圧を浴び続けながら、蟲夜叉は更に遠くへと飛ばされる。
 建物を貫く度に爆発と炎上が起こる。
 その爆炎の中心を弾丸ほどの速度で突き進む桃眞。

 吹飛ぶ蟲夜叉に追いつくと、突き蹴りの連打を放った。
 だが、満身創痍まんしんそういではない蟲夜叉は、冷静に態勢を整えながら桃眞の攻撃を刀で弾く。

「だぁぁッ!!」

 桃眞の蹴りが蟲夜叉を顎を打ち上げる。
 オフィスビルの天井を突き破り五フロアを一瞬で貫通。
 追尾する桃眞に振り下ろされた刀身が、突き出された腕に触れるや爆散した。

「喰らえッ!!」

 蒼白いオーラを纏った拳を全力で振りかぶる。
 が、途端に蟲夜叉の体が無数のコバエへとほぐれ、桃眞の霊撃をかわした。
 背後でコバエが集合し、蟲夜叉が新たな刀を背中に突き立てんとしたが、春平に使った技を覚えていた桃眞は振り向きざまに刀身を手で掴み、蟲夜叉を引き寄せると重い霊撃を腹に打ち込んだ。


 遠くで激しい戦闘を感じる慎之介と漣季。

「アイツ……一体何者なんだ」と指を押さえる漣季が慎之介に訊ねる。

「さぁな。だが今のアイツなら……もしかしたら」
「それよりも、どうする?」
「力は使い切ってしまったが、櫻子や他の皆を助けないと」
「だったら俺達はアソコに向かうか。法力が回復するまでは呪符がある」

 振り返り異形のショッピングモールを見やる二人の前へ現れた存在に、慎之介と漣季は目を疑った。




 マンションの屋上を貫いた無限連弾が夜空を駆け巡る。
 上空で刀を振り回し拳圧を斬り伏せる蟲夜叉。
 屋上から跳躍した桃眞は、十数メール先の蟲夜叉に追いつくと猛攻撃を開始した。
 刀をへし折り、腕を弾き飛ばす。
 弾き飛んだ腕はコバエになり、再び元へと戻る。

「ギャャャアア!!」

 突然叫んだ蟲夜叉が全身を大の字に開くと、皮膚を形成する線虫が飛び出し、鋭い針の如く桃眞に襲い掛かる。
 咄嗟にクロスガードで防ぐが、腕に突き刺さった線虫が体内に侵入しようとドリルのようにうねり進む。

「キモイッつの!!」

 自分の腕に霊撃を打ち付け、線虫を滅却した。
 刀に頼っていた蟲夜叉が剣技以外を使い始めたのだ。
 より本能的で冷静さを欠いた技でもある。
 つまり、命を危機を感じているのだ。

 降下を始める桃眞と蟲夜叉。

 と、蟲夜叉の顔が中央から開き大きな口が現れた。
 口の外側から幾本かの白く細長い触手が飛び出し、桃眞を襲う。
 霊撃で跳ね返す桃眞の腕に巻きつくと一気に引き寄せ距離を縮める。
 口の中心から槍の様に飛び出した赤黒く太い触手が、顔を傾けた桃眞を掠めた。

「俺を家族に変えるってか? そうはさせねぇ」

 再びうねりながら飛び出した触手を反対の手で握り止めた。
 先端から白い幼虫が顔を出しグネグネと蠢く。
 これが体内から内臓や筋肉、骨を全て食べるのだ。

 ――握りつぶす。
 そう決めた桃眞は、手に力を込めた。
 次第に苦しそうに悶える蟲夜叉。
 人間で言えば生殖器を握り潰されるのと同じなのだ。
 全身を小刻みに震わせ手足をバタバタと振りだす。
 胴体が逃れようとコバエに分解するが、触手だけはそうはいかないようだ。
 桃眞はそのまま触手を引きちぎった。

 蟲夜叉の甲高い悲鳴が繁華街に響く。

 途中でちぎれた触手がのた打ち回り、透明の液体が吹き出した。
 腕に巻きついていた白い触手が力を失い離れる。
 桃眞は空中で蟲夜叉と体の位置が入れ替わると、地上に向かって全力の無限連弾を発射した。
 蟲夜叉を飲み込み、マンションの屋上から地上まで貫き押し込む。
 
「うわぁぁぁぁぁッ!!」と咆哮しながらありったけの力で拳圧を連射した。


 地上に着地した桃眞は、瓦礫の中で絶命していた蟲夜叉をみるなりその場に倒れ込んだ。
 限界のその先の力を使い切ったのだから無理はない。

「もう、無理だ。指一本動かねぇよ」

 そう言うと、桃眞の意識が途絶えた。





 慎之介と漣季は、目の前へ現れた存在に言葉が出なかった。

「どう……いうことだ……」と呟く漣季。

「どういう事もなにも……そういう事だろう」

 二人の目の前には、不敵な笑みを浮かべる――蟲夜叉が立っていた。

「一体じゃなかったんだ……」
「二体だけって事でもねぇだろうな……」
「だろうな」

 蟲夜叉が鞘に刺さっている刀を握る。

 力なく笑った漣季が慎之介に訊ねた。

「なぁ、力どれだけ戻った?」
「これっぽっちも戻ってねぇよ」
「だよな……」
「呪符ならまだ少しはある」
「それでアイツを倒せそうか?」
「逃げる事ならできるかもな」

 そう言った時、背後から足音が聞こえた。

「鬼束か!!」と淡い期待を胸に振り返った慎之介の顔が青ざめる。

 そこに居たのは蟲夜叉だ。
 三体目である。

「絶体絶命ってやつか」

 そう言うと、漣季と慎之介が背中を合わせ蟲夜叉と対峙する。

「人生の最後がテメェみたいな低俗な家系のガキと同じかと思うと、反吐が出るぜ」
「俺だってお前と最後なんて虫唾むしずが走る」
だけにってか?」
「笑えないな」
「笑えよ。最後くらい」

 そして遂に、二体の蟲夜叉から斬撃が放たれた。
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