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5、第一章最終怪異 平安京呪詛編

5-5「秘密結社八咫烏」①

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「ルーシーサイモクぅ……」
「ルーシーサイモクぅ……」
「ルーシーサイモクぅ……」

 道を曲がる度に、吉樹は謎の言葉を発しながら車内のあちこちに視線を向ける。

「ルーシーサイモクぅ……」

 気が狂ったかの様に呟き続ける吉樹を見かねて、タオルで体を拭いていた桃眞は流石に訊ねた。

「先生。さっきから何を言ってるんですか? それ呪術っすか?」
「ちがうよ……。ルームミラー、指示器、サイドミラー、目視。教習所で習うんだよ、道を曲がるときの大事な言葉。この順番で確認するのさ。それぞれの頭文字を並べてルーシーサイモクなんだ」
「でも、それ、毎回口に出すんですか」
「出した方が確実じゃないか。ルーシーサイモクぅ……」
「ルーシーサイモクぅ……」


 今度は助手席で黙ったままの皇へ、シラセの事について訊ねた。

「皇さん。さっきの奴の事知ってるんですか? 八咫烏って何すか?」

 皇は大きな溜息をつくと「桃眞さんも厄介な相手に目を付けられたものです」と言った。

「そんなに厄介なんですか……」
「秘密結社 八咫烏」

「ひみつけっしゃ? なんすかソレ?」と桃眞は眉を潜めながら首を傾げる。「ルーシーサイモクぅ……」

「別の名を裏天皇と呼びます。古来から帝……つまり天皇家に仕え身の回りの世話などをしています。ですが表向きにはその存在は無いとされ、今では都市伝説の中でだけその名を聞くくらいですかね」
「あんな危ない奴らと一緒に居るとか……もしかして天皇ってそんなにヤバいんすか?」

「ルーシーサイモクぅ……」

「いえいえ。そうではありません。天皇が一年で行う祭儀は百以上もあって、その全てを行うのは現代では難しいモノも多かったりします。中には道義的に表立って出来ない儀式もありますからね。まぁ、それによって日本の安寧あんねいが保たれ、大きな災いは起こらないのですが」

「皇さん」と桃眞が真剣な表情でルームミラーに映る皇の目を見つめた。

「はい」
って……何すか?」
「……………………」
「……………………」
「ルーシーサイモクぅ……」

 何とも言えない空気が車内に拡がる。

「社会が穏やかで平和な事と言う意味です。安泰あんたいと言ったりもしますね」
「それってつまり……ラブ&ピース的なヤツって事すかね?」
「ま、まぁ。そんなところでしょうかね……」

 難しそうに頷く桃眞を尻目に、皇は咳払いをして話を続けた。

「話を戻しますが。そう言った天皇が本来行うべき祭儀を裏でこなして行くのが八咫烏の主な仕事です」



 皇がそう語る八咫烏の活動内容とシラセの人間性が一致しないと感じた桃眞。
 シラセは間違いなく、極悪人で狂人タイプであり、天皇を支えるべき人間では無い。

「そんな八咫烏に、シラセみたいな人間がどうしているんですか?」
「秘密結社だからです」
「はぁ?」
「秘密結社はその存在を知られてはいけない。そして、儀式には命を持って執り行われるモノもあれば、天皇家や日本の安寧……いや、ラブ&ピースを脅かす存在を暗殺する任務もあるわけです。彼らの痕跡すら残してはいけない。その結果……彼らには戸籍が有りません」
「それってどう言う事?」
「名前が無ければ生きた証も無い。つまり存在していないと言う事です」

 だからシラセは自分の名を偽名と言ったのか。と桃眞はようやくその意味が分かった。

「また、彼らは特殊な呪いを自分に掛ける事で長寿を手に入れ、何百年も生きている訳で。その結果、シラセのように本来の人格を忘れてしまう者も中にはいるのです」

「僕との呪いの授業を覚えているかい?」と吉樹が言った。

「えっとー」と言いながら、桃眞は吉樹との授業を脳裏に蘇らせる。

 ――『"しゅ"とは呪いの意味ではなくて、形のないものを第三者が言葉……つまり言霊によって縛ると言う事なんだ』
 ――『かの有名な安倍晴明も『眼に見えぬものさえ"名"という呪で縛ることができる』と言葉を残しているのさ』
 ――『ちなみに、この世で一番短い"しゅ"は名前なんだよ』
 ――『そうなの?』
 ――『名前を付ける事でその名にふさわしいエネルギーが名のついた場に縛られるんだ。つまり、君という場には「君の名前にふさわしいエネルギー」が宿っている事になる』
 ――『……うん』
 ――『君が生まれて、まだ白紙の状態の肉体と魂に、君のご両親が色んな思いや願いを込めて名前で縛ったから、今、君は「鬼束 桃眞」として存在しているんだ』

「呪いと名前か……」と桃眞が呟くと、吉樹が頷く。

「名前が無いと人は人であっても、人で無くなるんだ。縛るモノがないから心が壊れるのさ」

「だから彼らは偽りの名で自分を縛る。つまり、自分にしゅを掛けて、存在を保とうとしているのです」と皇がサイドガラス越しに外を見ながら言った。

 納得はできたのだが、同時に別の感情が桃眞の中に現れた。

「なんか……可哀想ですよね……親が名前を付けてくれなかったって事でしょ?」「ルーシーサイモクぅ……」

「そうかも知れませんね。人間がこの世に生まれて、最初に親から与えられる愛こそが名前ですからね」
「だけどね鬼束君。彼らは目的の為ならどんな事だってする。例えそれが世の為人の為、日本の為であってもね。それがどう言う意味か分かるよね?」
「まぁ。はい……」



 皇は信号を渡る子供達を見ながら「彼らを擁護する訳ではありませんが。間違ってはならない事は、彼らの目的は世界の破壊や鬼を持って混沌の世界に変えるなどではありません。手段や道筋は違えど、向いている方向は我々と同じなのです」と言った。そして。

「ですが。やはり考え方は危険ですし、その結果、過去にいざこざは絶えませんでした。今でこそ互いに干渉する事は無くなっていたものの……。桃眞さんが新たな火種にならなければ良いのですが」
「俺、もしかして結構ヤバい事しちゃったんですかね?」

「ヤバいと言うか軽率だったとだけ言っておきましょう。それに何故、桃眞さんが八咫烏の存在に気付いたのかが気になりますがね」

 決して黙っていた訳ではない。
 相談する時間が無かったのだ。
 今がどこに向かっているかは分からないが、まだ時間はあるだろう。
 桃眞は応声虫との戦いで自分の身に起きた事、そして、見たビジョンの中でシラセや八咫烏のメンバーがいた事を話したのだった。
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