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5、第一章最終怪異 平安京呪詛編

5-13「平安最強の陰陽師……」③

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「あ、分かった!!」と桃眞が何かに気付いた様子で、拳で自分の平手を叩いた。

「きっとコイツは影武者っすよ。本物は別に居る」

 目を細めながらズバリと主張する桃眞に向かって、吉樹が人差指を向けた。

「鬼束君ナイス!! 流石だね」
「馬鹿な事を申すな。俺が正真正銘の安倍晴明だっ」

 不意に近づく皇は暗く沈む笑顔を湛えながら、晴明の両頬に手を当てると爪を立てて肉を引き剥がそうとした。

「痛い痛い痛いッ!? 顔が剥がれるだろッ、アホ、ボケッ」と皇の手を振りほどき、晴明は赤くなった頬をさする。

「正体を隠す為の仮面ですよね? その下にきっと美しい顔がっ」
「何で俺が正体を隠さなならんのだ」
「ではさっきの男前の顔はどこに行ったのですか!?」

 晴明は狼狽うろたええながら「あ、あれは。式神にした妖怪の姿を憑依させていたのだ」と後ろめたさを滲ませながら答えた。

「なんで?」と桃眞が訊ねる。

「お、女ウケが良いからだ」

「おんなうけ……?」と眉を潜める桃眞に晴明は詰め寄ると、胸ぐらを掴みあげた。その勢いに圧倒されるかの如く、桃眞が仰け反る。

「だって。モテたいじゃないかッ。お前にも分かるであろう。お崩れの顔同士、辛い経験も沢山して来たはずだ」
「お崩れとか言うなよッ」

 そう言いながら、晴明は乱暴に振り上げた人差指を吉樹と皇に向け、がなり声をあげた。

「見よ、あの色男共を。きっと大勢の女をはべらかせて来たに違いない。良いなぁ、羨ましいなぁ!!」
「顔に唾が掛かってんだけど……。てか、アンタ。マジで安倍晴明なの? ただの変態じゃんかよ」

 変態と呼ばれた晴明は嬉しそうに笑みを零すや、すぐさま我に返ると「誰が変態じゃ!! 変態はお前達だろ」と怒った。

 すると春平が晴明の手を桃眞から引き離した。

「まあ、オドレがイケメンかシケメンかは、ワシにとってはどっちでもエエわい。肝心なんはどれだけ強いかやろ」
「強い?」
「オドレの伝説的な強さを見せてもらおうやないけ。おい、鬼束……」
「分かってるッ!!」

 その場を去る春平の背後から、桃眞の無限連弾が放たれた。

「あ、あなやッ!?」と叫んだ晴明は無数の青白い拳圧と共に、母屋を突き破り轟音と煙をあげた。

 あっけない幕切れに「え……弱っ……」と桃眞が拍子抜けする。

「いえ、きっとここからでしょう」

 二本の指で作った手刀を唇に当てた皇が、術を唱える。
 すると庭園の池から水柱が発生し母屋の残骸へと向かう。
 暫くの静寂の後、木材や瓦礫を弾き飛ばしながら水龍が現れた。
 水龍はとぐろを巻きながら上昇すると、大きく旋回しながら頭部を地上に叩きつける。
 その腔内で溺れながらも、白目を向いて失神する晴明が見えた。

「おぉ。ムンクの叫びだ」と桃眞は思わず見たままを表現した。

 水しぶきが爆散し、地面が揺れる。

 晴明の腹の上で、鯉が跳ねる様を見つめる桃眞達。
 不安げな様子で覗き込む。

「え? 死んだの?」と桃眞。

「生きとるやろ」と春平。

「ふん。すっきりしたわ」と櫻子が斜に構えた。

 晴明は朦朧とする意識の中で薄目を開けると、震える手を櫻子の方へ伸ばした。

「ち……乳房の……大きな……んごぉッ!?」

 野太い断末魔と共に晴明の後頭部が地面に埋まった。
 櫻子のフルスイングした巨大なバチによるものだ。
 晴明の体がピクピクと痙攣している。

 鬼の形相の櫻子に向かって、若干引き気味の桃眞が「お前、容赦ないな」と言った。



 いきなり晴明が飛び起きた。
 何事かと見やる桃眞達の前で、鼻血を垂れ流す晴明は懐から人形ひとかたを取り出すと術を口ずさむ。
 遂に安倍晴明の真骨頂を目の当たりに出来るのかと、一同が期待に胸を膨らませる。

「づぇぇええいいいッ!!」と叫びながら人形を地面に叩きつけると、そこに現れたのは三人の白拍子しらびょうしだった。

 艶やかな黒髪と清楚で品のある顔。
 そして胸元がガッツリと開いたひとえからは、櫻子に匹敵する程の豊満なバストが顔を出す。
 式神であろう彼女達は晴明の身を案じている様だ。

「晴明様、お可哀想に」「私が晴明様を癒して差し上げますわ」「よしよしですわ」
「ありがと皆。やっぱり俺には君達しかいないよん。あとでいっぱいモミモミさせてくれよぉ」
「はい喜んでぇ」
「ぐへへ。もーみもーみやでぇ」
「はい。もーみもーみですぅ」

 それはまるで、美女に励まされる子供の様に見えた。
 晴明と式神達は、桃眞達を無視し、庭園に散らばる自宅の残骸を拾ってゆく。

「な、何なんだ?」と呆気にとられる桃眞の前に櫻子が出る。

「何を無視してんのよ? やり返しなさいよ。この意気地いくじなし。それでも平安最強の陰陽師なの?」
「平安最強? 誰が? お前達の様な妖術使いに勝てるワケなかろう。俺はただの陰陽師ぞ」

 その言葉を聞いて、桃眞達は顔を見合わせた。
 聞いていた話とまるで違う。
 一体どう言う事なのだろうか?
 伝説や伝承は偽りだったと言う事では?

 白拍子達が扇を取り出し舞を踊ると、残骸が宙を漂いながら結合し元の母屋へと再生してゆく。
 不思議とその光景自体は素直に凄いと感心した。
 怪伐隊が損傷した家屋を修復する際の術よりも速い。

 元に戻った母屋を確認すると、ずぶ濡れの晴明は縁側に腰を下ろした。
 そして式神の膝枕に頭を預けた晴明は、別の式神に扇で仰いで貰う。

「して、お前達は何者なのだ? この俺に何の用だ?」と問いかけるが、その声は門から出ようとしていた一同の背中には届いてはいない。

「ちょ、待てよ!!」

「はい?」と甲高い桃眞の声が響く。

「なんや……今のチムタクみたいやったでなぁ」と春平が眉を潜めた。

「これだけ初対面の俺を酷い目に遭わせておいて、詫びもなく去るのか?」

 桃眞は鼻をほじりながら「だって。アンタ弱いもん。人違いと言うか……情報違いと言うか」と冷めた眼差しを向けた。

「イケメンじゃないし。シケメンだし」と櫻子が冷たい視線を向ける。

「黙れ、乳房の大きな女」
「またそれを……」
「それにもうお前に興味はない。触れぬ乳房に価値はないからな」
「どう言う意味よ」
「どうせお前はあと数年もすれば垂れ乳房だ。ダラーンと、もう餅みたいにダラーンと。誤って踏んづけてしまうかも知れんな。アヒャ、アヒャヒャ……」

 小馬鹿にした様子の晴明の態度を前に、櫻子の側頭部から血管の弾ける音が聞こえた。
 振りかぶったバチが空を切り裂く。

 だが、晴明は式神が仰いでいた扇を掴むと「甘いッ!!」と言い、真っ二つに切り裂いた。

 裂けたバチは勢いを落とすことなく、晴明の顔面にめり込んだ……。

「み、見事だ……ぐふっ」


「オドレやったら、ソウルイーターを倒せると思ったんやけどな」

「そうるいーたーとな? それは何だ」と晴明は顔面にバチがめり込んだまま、縁側の上で胡座あぐらをかぐ。

 吉樹が口を開いた。

「吸魂鬼の事だよ」
「…………!?」

 そう言った途端、桃眞達は不思議な力で門の外へ追いやられた。
 音を立てて勢い良く門が締まる。

 尻餅をついた桃眞はゆっくりと起き上がり「ったく何なんだよ急に」と頬を膨らませた。

 皇は五芒星が彫られた木製の門を見つめながらズレた烏帽子を調整する。

「吸魂鬼と聞いた時の彼の表情……。何かありますね」
「そうだね浩美ッチ。怯えている様にも感じたね」
「そうですね。これは何かありそうですね」
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