反射鏡

司悠

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あっ、おばば、おばば……

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 文太は昼夜を置かずに雪を見ていることがある。
朝、雪を見る。目覚めの雪は光に映え、静かに輝いている。眩しい、眩しいのだ。その光彩は、なにものをも甦らせ、なにものにも生を能える。
昼の雪は木の枝にのし掛かって降る。その様は首の皮一枚でつながった自分の人生に似ている。あぁ、危ない、危ないのだ。夢幻に耽り、光のなか、白い虹さへ醸し出すような趣きがある。ファンタジーそのものだ。
夜の雪、それは真白な花火のように闇の向うから弾きだされる。そして、刹那に闇の彼方へ消える。それは儚い命、命のメカニズムに似ている。
 文太は、そんな観念に苛まれ ながらも、終日、雪を見ているときがある。
南風にのって、ヒラヒラ舞う雪を一番雪と言う。一番雪は春を告げる紋白蝶のように舞うという。そうだ、そんな時、文太は祖母が死んだ時のことを思い出す。
雪が舞っていく。平地に、高台に、小学校の校庭に、音もなく、ただただひたすらに、雪がひそやかにヒラヒラと降っていく。そんな日、文太のお祖母ちゃんが逝った。
「海サ消え入ら雪のよう死ねたらやいいだべさ」
「静がに海サ吸い込まれよう、逝けぇいれば……  だべっ」
「もう死に旬やきゃ」
その安らかな死に顔は、お祖母ちゃんの生前の言葉を思い出させた。
 
 弔問のために大勢の人が家にやって来た。その日、文太は昂ぶりながら学校へ行った。一番雪が舞っていく。
昼休み、体育館で皆と、『おしくらまんじゅう』をした。二つ上のルーちゃんも、担任のサト先(佐藤先生)もいた。文太は偶然をよそおってルーちゃんの下半身に自分の下半身を押し付けにいった。ルーちゃんは何事もなかったように笑っている。次に、サト先のふくよかな胸に体当たりもした。
ーー おばばが死んだんだ、死んだんだ、だから、だからーー と、ぶつかっていった。
「やめなさい」サト先が叱るように言った。

 家へ帰ると、障子や襖が外されて、八畳間に菊の祭壇があった。その前でお祖母ちゃんは寝ていた。
「戒名は? 」お寺さんが尋ねた。
「ブンちゃん、おばばの戒名や」ある時、お祖母ちゃんは紙を見せた。
「あぁ、あれなぁ…… 」文太は思いだした。
「どこへ? 」、「どこ、どこ? 」、「覚えていねぇ」
父たちは口々に言いながら、戒名を記した紙をさがした。だが見つけられない。どこにしまってあるのかわからない。
「どこへ置いたんだし…… 」父は北枕のお祖母ちゃんに聞く。
先程までと違い、お祖母ちゃんは『しかめっ面』をしている。
「あぁ、また『しかめっ面』や。何が気サいんねんだ」、「んだ、んだ」
もう一度、父は聞いた。文太が初めてみる顔、お祖母ちゃんはなおも『しかめっ面』だ。
「改めてお寺さんサ戒名いただいたっきゃーー 」、「んだ、んだ」
「待てよ、仏壇の隠れ引き出しが何んぼのこうの…… 」父が言った。
「あっだ、あっだ。戒名あっだ」母が叫んだ。
お祖母ちゃんの戒名は仏壇の隠れ引き出しの片隅にそっと納められていた。
「おが、あっだ」
その時、お祖母ちゃんの顔から『しかめっ面』が消え、穏やかな顔にーー 文太に見せるいつもの顔だ。文太は少しホッとした。
 戸外用の大きなストーブが運ばれてきた。
「夕んべ、何気なぐ雪ば見どったきや、菊婆さんの家からや大きの火の玉が雪ど同んなじようユラユラしどったで。ほんで雪みてサ消えたけぇい。あっ、婆さん死んだべ~ ど思っていたし、んだべっしゃ~ 」近所の長老がストーブに手をかざしながら言った。
「へぇ~ んだべっしゃ」、「雪ん精の仕業だべ」、「ふ~ん、んだ」、「……  さしてもお菊さん、奇麗だべ」「奇麗だべっしゃ~ 」、「雪美人だべ~ 」あちこちで声がした。
ーー 一番雪の夜に死ね女は雪女になって消えていく。そんな言い伝えを聞いたことがある。お祖母ちゃんは雪女になって消えた、文太はそう思った。
お通夜、葬式と、雪は、死者を見守るよう、しめやかに降っていた。そして、ときに、雪は舞って、東へいったり、西へいったり、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、まるで探し物でもするかのように逡巡しながら消えていった。
「雪の舞いサ、菊婆さんの魂が宿っているようだ」長老が合掌しながら言った。
また雪は風をおこし、東で逸れ、西で逸れ、あっちこっちで逸れ、それが宿命かのようにぐるぐる回る。あげく方向音痴、風が粉雪をデフォルメしていくのだ。
ーー でもやっと落ち着き場所を見つけたように平らに拡がる。均等に拡がる。リアルになる。粉雪は、東西へ、南北へ、平等に拡散しながら積もっていく。
ある時、「一番雪は紋白蝶のようサ、ヒラヒラ舞う。そして、その雪は消えて、春、紋白蝶サなる」お祖母ちゃんが言った。
 文太が大人になった今でも、その言葉は頭の片隅で息づいているのだ。特に雪がヒラヒラと舞うとき、そして春、紋白蝶が飛んでいる姿を見つけたとき、その言葉が甦って来るのだ。
ーー 一番雪は消えて、春、紋白蝶サなるーー
 何んと楽しい空想だろうか。神秘的な仮説だ。ワクワクする仮想ではないか。
消えるということの潔さ。人の死に顔はいつも潔い表情である。人が生まれ、そして死ぬ。それから、それからだ。その先を覗いてみたい。文太は思う。
 一番雪が紋白蝶になるのなら、俺は何になる? 
祖母を初め、父母、義母、友人、知人、幾多の人が俺の前から姿を消していった。彼等は何処へ逝った。彼らは何になったというのだ。

 お祖母ちゃんが亡くなって初めての春が来た。海は静かに、山は生気を取り戻していく。子供らが戸外で遊び始めた。
「ブンちゃん、塚穴(つかあな)へ行かねーー 」ルーちゃんが自転車で、スカートを翻し、白いパンツを見せてやって来た。ルーちゃんは二つ上の小学校四年だ。
「う~ん? 」と言いながら、文太はルーちゃんの白いパンツを見てしまう。
「あっ、見だ? 」ルーちゃんはスカートを戻しながら、「嫌ならいいし、独りで行くし」「その代わり、ブンちゃんのおがサにワのパンツ見たって言うし」と続けて言った。
「行く、行く」いつもそう、文太はいつもルーちゃんの言いなりになってしまう。
 塚穴は子供らの冒険心をそそる洞窟だ。雪女の墓という伝説もある。
「仁神社ば通っていくんだべ? 」、「タカチン、神社で雪かけ婆ぁ見だって言っていた」
文太はちょっと憂鬱だ。そして、なおもルーちゃんに雪かけババァのことを言う。
「雪ばかけられたら何んぼしょう。放射能の雨よりもっどおっかね。死んですまう」
「雪解けぇで、雪かけババァも出てこきゃー」、「ブンちゃん、怖がりだべ」ルーちゃんは立て続けに言う。
「いう通りや、んだや、雪解けぇで大丈夫でや」文太はいつもルーちゃんに納得させられる。
 仁神社の前を通った時、文太とルーちゃんは、
♪月光仮面のおじさんは正義の味方よ よい人よ…… ♪と、テレビドラマの月光仮面を歌いながらペダルを踏んで行った。
「サタンの爪、待てぇ~ 」とルーちゃんは白いパンツを見せ、文太を追いかけて来る。雪かけババァは出ない、出なかった。
文太が、安心したところ、右前方に塚穴が見えてきた。小高い山にぽっかりと空いた穴。異次元へ続く穴ぼこのように奇怪な存在感だ。
文太は竦みながらもシーちゃんとその洞窟の入口に立った。
「ヒャー、怖っ! ゾクゾクすらワ」文太が言う。
「ヒャー、怖っ! ゾクゾクすらワ」ルーちゃんも言う。
「ひゃぁ、ひゃぁ、ひゃぁ」文太は背中が冷んやりした。
「本当だワ」
文太もルーちゃんも無口になって洞窟の中へ入っていく。ルーちゃんが前を行く。文太は後ろを見ない、上も絶対見ない。ルーちゃんの背中だけを見る。目が、目が霞んでいく。暗くなっていく。風の声が聞こえる。暗闇が風に流れる。何にも見えなくなった。心が覚束無い。
風が吹き溜まっていったところ、その時、その時だった。真っ暗な中に白い姿が見えたのだ。出た、出た! 雪女だ。闇の中から白くゆれている、ゆれていく。雪女だ。
おいで、おいで、と白い姿がゆれている。文太は一目散に明るい入口へ逃げた、ルーちゃんも。
入口へ出ると,紋白蝶があっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラ舞っていた。文太は紋白蝶を見て、ーー 一番雪は消えて、春、紋白蝶サなるーー あっ、おばば、おばば…… と思っていた。
あれは一体何だったのだろう。文太は今でも思う。夢だったのか。いや、ルーちゃんも見たという。
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