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世界のおわり
第37話 滅亡への道をゆく
しおりを挟む別邸では、訪問を見越していたかのように執事のオウィスが待っていた。
「どうぞ先に湯浴みを。それからお部屋で傷の手当てを」
「助かる」
と素直に従うアンディに対し
「ひつじが……しつじ……」
ネロは呆然としている。
「こら、ネロ! はあ。侍従が失礼で申し訳ない」
「いえいえ」
「いや殿下っ、お言葉ですが! 殿下はガウル殿と接していたご経験がおありかもしれませんけど、自分は初めてなんですよ!? 獣人もエルフも!」
これにはガウルが
「なるほど……ネロ殿の言うことも一理あるな」
と考え込んだ。
「アズハのお陰で、俺らはすんなり仲良くなったもんなぁ」
はは、と笑うのはジャスパーだ。
「ネロのは恐らく極端な例ではない。相当な抵抗感が予想される。万事に備えるのは無理でも、せめて人との話し合いでは殿下と俺が前で対応しよう」
ダンが言って、全員頷いた。
――そうして、湯浴みと手当てを終えたアンディとネロを、ダイニングルームで迎える。
「腹が減っているだろう」
ガウルが食事を手配し、アンディたちは貪るようにそれらを食した。
「すまない、何日も食事ができていなかった」
「逃げるのに必死でした」
食べながら言葉を吐き出す二人からは、信じがたいソピアの現状を聞くことができた。確実に滅びに向かっているのに、何の手立てもされていないのだと言う。
一方でランヴァイリーが代表して、過去の『魔王』の話もする。横で捕捉するのは、ブランカだ。
「なんだと……では魔王は、自ら望んだわけではないのだな」
「知らなかったノ? 前回の魔王はソウダネ。でも今回のは、恐らく意図して成ったネ」
「ああ。私も王太子として前からそう睨んでいて、陛下に進言は続けていたのだ。だがソピアの宰相マードック・ノアは、国王以上の権力を握っていて」
「ちょっと待て。マードック・『ノア』、だと!?」
「うわー。偶然とは思えないんですが」
グルルル、とガウルやクロッツが思わず牙を剥き出しにしたのも、無理はない。
アンディはその迫力に、少しのけぞりつつも
「……どういうことだ?」
と疑問を呈す。それに答えたのは、ブランカだ。
「我が国リュコスの宰相もセル・『ノア』と言うのです」
「!!」
「まーさか。んな~、わざわざ分かりやすい……」
ネロが口角を上げてわざとらしく肩を竦めると
「いや。むしろ、自己顕示欲の現れではないか?」
とダンが言う。
「アタイもそう思うにゃね」
リリがテーブルに手を突いて立ち上がり、全員に向けて声を張った。
「思えば、セル・ノアはずっと変な匂いだったんにゃ。お香や香水で誤魔化していたけど……」
「リリさんの感知能力はすごいっすからね。きっと何かあるっすよ。てことで、ボクは離脱してセル・ノアの方に向かうっす。魔道具で盗聴するってことは、多分この近くにいるっすから。ウネグ連れて。ね?」
ニヤリと笑うドーベルマンに、逆らえる狐ではない。ごくりと唾を飲み下してから、
「はい」
と縮こまって答えた。
「んじゃ~エルフも何人かそっち付けるネ」
「助かるっす、ランさん。ちゃーんと見張ってくださいね」
コテン、と首を傾けるクロッツに、ランヴァイリーは
「わかってるヨー」
と苦笑を返した。
「じゃあブランカはここにとどま……」
「わたくしも、ソピアへ参ります」
「ブランカ!」
「黙って待っていろと? 嫌ですわ」
「危険だ」
「あらガウル。わたくし、十三歳までは貴方より強くてよ」
「え!? すごい!!」
素直に感心する杏葉に、ブランカはいたずらっぽくウインクを返す。
「はあぁ~。今でも勝てる気がせん」
項垂れるガウルに反して、
「うわぁ、強い狼の女性って、素敵だなぁ」
アンディが目をキラキラさせている。
「あら。光栄ですわ殿下」
「こちらこそ、ブランカ嬢」
「あーもう分かった好きにしろ、ブランカ。ただし装備は自分で整えろ」
「分かっているわ、ガウル」
ブランカがにっこり微笑むと、執事のオウィスがバタバタとダイニングルームを出て行った。
「まさかそれも……」
「備えは必要でしょう? 皆様の携行食糧も用意してございましてよ」
男性陣一同、ぽかんである。
「あー、ブランカ殿。ありがとう」
ダンが、気を取り直して深く礼をすると
「いいえ。平和を勝ち取った暁には、是非冒険者ギルドにもお品物を卸したいですわね。我が領は刃物と干し肉の生産が盛んですのよ」
「ひえええ! すげえ!」
今度はジャスパーがのけぞる。
「はっは! ギルマスをクビにならなかったら、是非に!」
ダンが右手を差し出し、ブランカとしっかりと握手を交わした。
これらの様子を見ていたアンディは、
「これこそ、新たなる時代の兆しではないか……」
と目に輝きを取り戻す。
「殿下……」
「ネロ。何が何でも、どうにかするぞ」
「御意」
話を終えるや、アンディとガウル、ランヴァイリーが連名で、リュコス国王レーウ、そしてエルフの里長ククルータヴァイリシュナへの手紙を書いた。
まさに一刻の猶予もない。なるべく早く獣人騎士団を編成して、渡河の準備を進めて欲しい旨をしたため、そしてそれにエルフも賛同する、と。
その書状を届けるのは
「行ってきます」
バサリ、と大きな黒い翼を広げたアクイラだ。
――セル・ノアが、いつどこで会話を盗み聞いているか、分からない。手紙こそが、我らに残された最後の共闘の道だ。
ガウルはそう紙にしたためてアクイラに見せ、彼は喜んでこの任務を受けた。
杏葉が
「アクイラさん。どうかどうか、お気をつけて」
と声を掛けると、ガウルも
「鷲の速さなら、一日かからず両方へ届けられるだろうが……絶対に無理はするな。自分の命を優先しろ」
と言い、
「鷲は空の覇者。自信もって。頼んだヨ!」
ランヴァイリーの激励を背負って、新人の黒鷲は別邸のバルコニーから飛び立った。
新人の自分が、これほどまでに期待と重責をかけられるとは。
アクイラは身震いしつつも「自分が、できることを!」と前を向いた。背が痺れるほどの暗く重たい空気が、今まさに国境を越えようとしているのを振り切るように、大きな翼を何度も羽ばたかせる。
翼がちぎれるまで、飛ぶことになるかもしれない。
アクイラは、その覚悟を既に――決めている。
◇ ◇ ◇
ソピアの貴族たちは、魔王復活をどこか対岸の火事のような感覚で捉えていた。
古い書物に残った史実。語り継がれる真実。備えよ、と言われていたものの――現実味がなく、他人事だった。
王都はもちろん、領主たる貴族たちも、領民へその事実を伝えることはせず、ひたすら土地の管理や税の徴取を行ってきたにすぎない。
「あ、あ、あ、……」
じゅるるるるーぐるるるるーーーー
そんな彼らが今、目の前で魔獣が数匹よだれを垂らして徘徊している事実に、打ちひしがれている。
なぜか、王都周辺には現れないらしい。が、周辺の町や村など人間が生活している場所には、どこからともなくやってきて。
狙いはもちろん、
「た、たす、たすけ……」
人間たちだ。
「くそ、こっちもか!」
「王都へ向かって逃げろ!」
冒険者の有志たちや、騎士団がいる町はまだ良かったが――それ以外のへき地から、人の姿はほとんど消えていってしまっている。
「ああぁ……世界の……滅亡だ……」
澱んだ空が、いっそう暗くなっていく。
ソピアに、永遠の夜が訪れようとしていた。
◇ ◇ ◇
装備を整えたガウルたちは、クロッツとウネグを除いて裏庭の巨大な門扉をくぐった。
「お気をつけて」
深々礼をして見送るのは、オウィスだ。
「あ、オウィス~これ、伯爵の反対の腕にドウゾ」
「え」
「ブランカ嬢のアクセサリーを拝借して、特急で作ったンダ。『精霊の息吹』が入ってるヨ」
ランヴァイリーが手渡すのは、細い金の鎖のブレスレットだ。
「!!」
「多少、あの腕輪を抑制してくれると思うカラネ」
「ああああ! ありがたく存じます、ランヴァイリトリウス様」
「アハ、ちゃんと名前覚えてくれタノ。さすが名門伯爵家の執事ダネ」
「どうかどうか、ご無事のお戻りを!」
「うん、ご馳走用意して待ってテネ」
ひひ、と笑うランヴァイリーに、杏葉は思わず横から抱き着いた。
「んお!?」
「ランさん! ありがとうございます!」
「わーお! やったネ、すごい報酬ダ! ……ってオイラ殺されソ~いいじゃん少しぐらイ~」
ガルルルル、と唸るガウルは咳ばらいをしてから、
「では、いくぞ!」
と門扉の中に足を踏み入れる。
「フォーサイス極秘の連絡橋だ。皆、この存在、決して口外はするなよ」
ガウルは先頭を歩きながらそう声を掛けた。
皆が頷いているのは、雰囲気で分かる。
「フォーサイスのお陰で、人間王国から文化や技術を取り入れたって言ってたケド……最初は大変だったんだろうナア」
ランヴァイリーのその発言に、杏葉はふと、半郷の人々を思った。
あくまで杏葉の想像に過ぎないが……半郷の人々が「ガウルなら信頼できる」と言っていたのは、もしかしてこの橋のこともあるのではと。
「ええ。相当なご苦労をされたと聞いているわ。でも、平和を取り戻して、もっと大々的に貿易したいわね」
ブランカがそう笑う。
「ははは! 王太子としてもそれを支援したいな。お互いの経済が潤うだろう!」
「あら、お話が早いですわ殿下」
「光栄です、レディ」
アンディが恭しく手を差し伸べると、深い草むらの中歩きづらそうにしていたブランカが、破顔してそのエスコートを受けた。
杏葉は杏葉で
「アズハ、おんぶしよう」
「はい、ガウルさん!」
と、いつも通りガウルの背に乗せてもらう。
ネロはそれらを見て
「ふぐぅ。うらやまし」
と下唇を噛みしめ、リリに
「あの赤髪、なかなか気持ち悪いにゃね」
と陰口を言われ、笑いを懸命に我慢したジャスパーの腹筋が悲鳴を上げた。
一行がやがて足を踏み入れたソピアの土地は――太陽は陰り暗雲立ち込め、重苦しい空気の中で危険な魔獣が跋扈する、まさに『世界のおわり』だった。
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