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二章 渦巻く欲に、翻弄される
七話 三役との邂逅
しおりを挟む腰を痛めた琴乃は、巫女服の下にぐるぐると腰紐を巻いている。寝ても起きても痛いならば出仕する方が気が紛れるからと、いつも通り翌日も充輝を従え、清涼殿へやってきた。
竜皇の居室である清涼殿の昼御座、その南廂にある殿上間は、廊下ではあるものの、屋根と高欄があり広い。人の三、四人は余裕で座れるため、上級貴族が雑談をする場所にもなったりする。
その殿上の間に、見知らぬ男性が三人、畏って座していた。
三人ともが黒い衣冠束帯姿だが、刺繍が異なる。琴乃の背後で充輝が素早くその名を囁いた。
「手前が右大臣・石上殿、真ん中が太政大臣・有原殿、奥が左大臣・大江殿です」
琴乃にとってはありがたい助言であったが、中央にいる太政大臣・有原は笏を大袈裟に振りながら笑う。
「これ充輝。巫女殿には初めて目通りするんだから、儂らを知らんでも良い良い」
豪快な笑顔に嫌味はなく、目尻にしわがあることから、普段もよく笑うのだろうと琴乃は見てとった。
充輝は硬い表情で「は」と返事をしてから、御簾――昨日破れたものは既に直されていた――をたくし上げ、琴乃に室内に入るよう促す。
頭を下げ面布が少しずれたところを、手前に座っていた右大臣・石上がにやにやと見上げていて、琴乃の背中に怖気が走った。生理的嫌悪を一瞬でもたらす下品さに、琴乃は右大臣へ警戒心を持つことを心に決める。
まだ焔は来ていないようだ。今の間にお茶の準備でもしようと、琴乃が厨子棚に目をやると、少し胸に引っかかるものがある。
(なんだろう?)
いつも通りの順番で、茶器や提子が並べてあるのだが、琴乃はなぜか違和感を持った。
凝視してもその正体は分からない。ただただ、良くない勘が働いている。
「いやはや。職人が五年かけて仕上げた螺鈿細工を壊すとはなあ」
そんな琴乃の思考を、右大臣・石上のねっとりした声が遮った。今、唐櫃には割れた蓋の代わりに布が掛けてある。
我に返った琴乃が、慌てて両膝を突いて謝ろうとするのを、太政大臣・有原が止めた。
「良いではないか、石上の。また作らせれば良い」
「ふん。巫女殿は、懐の大きい有原殿に感謝するが良いぞ」
下卑た笑いを浮かべ、だらしのないでっぷりとした腹を揺らすような男でも、敬意を払わねばならぬと琴乃は眉間に力を入れる。
石上はこの国で最も権勢を誇る御三家であり、右大臣は式部省(人事・教育)、治部省(仏事・外交)、そして宮内省(宮中の庶務)を司る。内裏と陰陽寮を配下に置く政治の要であり、近衛府や兵衛府などの軍事を司る左大臣とは両翼を担う。
充輝から事前に内裏についての教育を受けていた琴乃は、千早の袖口を密かにきゅっと握り締めると、口を開くことなく座礼をした。
巫女の殊勝な態度を見た石上は、さすがに責めるのをやめたらしい。つまらなそうに手の中の笏をこねくりはじめる。
(陛下のお言葉通り。このような者ばかりなら、人の願いなど、叶えたくもなくなるわよね……)
この時、面布の下で唇を引き結びながら上体を起こす琴乃と、左大臣・大江との目が初めて合った。
大江は静かに成り行きを見守っていたものの、視線自体は鋭い。笏ではなく檜扇を手に持ち、ぱちりぱちりと弄びながら淡々と尋ねた。
「陛下は、何処か」
残念ながら琴乃は、答えを持たない。代わりに、琴乃の背後に座していた充輝が軽く頭を下げた姿勢で、言葉を発した。
「雪舎でございます。『障り見舞い』であると従者を走らせましたゆえ、そろそろお戻りになられるかと」
「わかった」
大江が口を閉じる代わりに、有原が大きく息を吐き出した。
「ふうむ。水ノ竜様を訪れたとは、よほどの障りであったかあ」
(水ノ竜様は、雪舎にいらっしゃる!)
琴乃にとって、最も重要な情報がもたらされたと言ってもいいだろう。
焔の爛れた頬はとても痛そうだったから、治療のようなものをしてもらっているに違いない。いつか、五典も治して欲しい。琴乃の胸中にまた、ほのかな希望の火が灯った――どうしても諦めきれない弟への想いを、抱え続けているからだ。そしてその様子を、大江がじっと見ていることに、琴乃は気づいていなかった。
主不在の中、どうしたものかとそれぞれが時間を持て余し始めたところで、ようやく昼御座の奥から、大層不機嫌な焔の声がした。
「なんだ、鬱陶しい」
声はしたものの御簾越しであり、姿を見せる様子はない。
「陛下、ご機嫌いかがですかな」
太政大臣・有原が代表とばかりに挨拶をするも、「いいわけがないだろう。去れ」と焔はつれない。
「そう仰らずに。御神酒をお持ちしましたゆえ」
「……置いてゆけ」
「それは困りまするなあ。三大臣で注ぐ決まりであるからして」
どうやら、有原に軍配が上がったようだ。
「はー」
盛大な苛つきと共に、琴乃と同じような緋色の面布を着けた焔が、どかどかと御簾の後ろから出てきた。いつものごとく、黒衣の上に緋色の狩衣姿だ。こころなしか、いつもより頭頂の角が太い気がする、と琴乃は焔を観察する。面布で隠しているのは、頬の爛れだろう。琴乃の予想通り、相当痛んでいるようで、時折焔は眉をしかめている。
「盃は」
どすんと茵の上に腰を下ろす焔に促され、琴乃は厨子棚に並べられた道具を手に取ろうと、身体の向きを変える。そこでまた、違和感があったことを思い出した。再び第六感が、警鐘を打ち鳴らしている。
琴乃は意を決して、棚の上に置かれていた盃に手を伸ばし――派手な仕草でもって、わざと落としてみせた。
「あ?」
「おや」
「怪我は」
「巫女殿!」
訝しげな焔、眉尻を下げる有原、心配する大江、すぐに手を伸ばす充輝。
「っ申し訳ございません!」
謝る琴乃を誰もが不問にする態度であるのに、右大臣だけが忌々しげに言い放った。
「はああ。七位とは、これほどまで行儀がなっていないものか」
(え! 私の家を、知っている⁉︎)
太政大臣有原も同じことを思ったようで、
「ん? 巫女殿は七位の出であるか?」
と素直に尋ねたところで、石上はハッと口を噤んだ。
「んんん? 石上の。儂の記憶では、巫女殿は三位より上の家から選ばれるはずだが? はて」
「知らぬ。選定は陰陽寮に任せている」
「それはそうだが」
議論になりかけたところで、焔が
「鬱陶しいと言っただろう。さっさと酒を置いていけ」
と苛立ち、中断された。
その間充輝がテキパキと、厨子棚下にある鍵付きの両開き戸の中から、予備で置いてあった土器の茶碗を取り出した。琴乃はそれを受け取って、焔へ持たせる。
「これは少将、かたじけない」
気を取り直した有原が膝だけで焔へにじりより、折敷に載っていた瓶子から土器の杯へ酒を注ぎ始めた。
「有原より」
焔が杯をぐいっと傾けて中身を飲み干す間、有原は振り返り、持っていた瓶子を石上へ手渡す。
「石上より」
石上もまた膝だけでにじりより、酒を注ぐ。出すぎた腹が邪魔をして動きの鈍い石上を気遣って、大江は既に焔の近くまでにじり寄っていた。
またぐいっと中身を傾けた後の空の杯に、大江は手に持っていたもう一つの瓶子から、慎重な手つきで酒を注ぐ。
「大江より。清らかならんことを」
「……心寄せ、聞きけり」
最後は、焔がぶっきらぼうに放った言葉で、『障り見舞い』は締めくくられた。
ただ見守るしかできない琴乃の背後で、充輝が簡単な解説をする。
「四竜皇国の起源は、ああして竜人の好む酒を御三家が振る舞ったことから始まったと言われているのですよ」
ところが今までに教育を受けたことがない琴乃には、さっぱり分からない。これはいよいよ気合を入れて学ばねば、と思い至った。
三大臣を見送った後、昨日の続きとばかりに半ば無理やり焔の髪の手入れ(焔は「おまえも鬱陶しい」と逃げようとした)をし始めた琴乃が、充輝に学びたいと申し出ると――
「ふうむ……だがな。教育は右大臣の管轄であるからして」
と即座に渋い顔をされる。
やはり駄目かと落ち込みかけた琴乃は、次に焔が放った言葉に、心底驚いた。
「落ち込むな。そんなに学びたいなら、そうだな、花嵐に聞けばいい」
(からん……そのお名前は、まさか!)
「あの、からん様、とは?」
「風ノ竜だ。どうせ暇してるだろう。花舎へ行くのを許す」
(水ではなく、風!)
琴乃は、濡れた手拭いを落としそうになりながらも、これは他の竜人に会うきっかけになるのではと心を震い立たせる。
「ありがたく存じます!」
「ああ。でも、頻繁には行くなよ」
「もちろんでございます。出仕を蔑ろになど、いたしません」
「それは……まあそうだが……あくまで勉強だからな。仲良くも、するなよ」
「わたくしが風ノ竜様と仲良くだなんて。ありえません。恐れ多いですから」
「っだから、そういうことじゃ……はあ、まあいい」
琴乃に許しを出したはずの焔の口調は、不機嫌に聞こえる。しかも――
「あー……えー……私も……ついていかねば、ですよね……」
珍しく充輝が、非常に嫌そうな顔をしたのが、気になった。
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