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二章 渦巻く欲に、翻弄される
八話 学び、知る
しおりを挟む三大臣の『障り見舞い』の翌日。
焔から今日の出仕はいらないと言われたのを良いことに、琴乃は朝餉の後、清涼殿の東にある花舎に向かっていた。
先導するのは、いつも通り水色の狩衣姿の充輝であるが、先ほどから溜息が尽きない。
「はあ……」
「あの。高階様? それほどまでに気が進まないのでしたら、無理はせずとも」
琴乃が背後から遠慮がちに声を掛けると、充輝は顔だけ振り返って眉尻を下げた。
「あ、いや。ちょっとな……気にしないで欲しい」
「そうですか」
気にするなと言われても、充輝の態度はあからさまに憂鬱そうである。
琴乃は罪悪感を抱えつつ、それでも他の竜人と会う機会を逃すこともできず、黙って歩くことにした。
清涼殿から東に伸びている渡殿を過ぎたところ、花舎の入り口には色とりどりの四季の花が描かれた屏風が建てられている。
その手前で充輝はすっと跪き、畏まって告げた。
「……火の巫女殿が風ノ竜様へのお目通りをしたく参った。通せ」
誰に何を言っているのか、琴乃にはさっぱり分からない。
五つほど呼吸をした後で、充輝はすくりと立ち上がった。
「良いそうだ。参ろう」
「えっ。は、はい」
返事も気配もないのに、と琴乃は戸惑いつつも、背を伸ばし颯爽と歩く充輝に従う。
花舎へ足を踏み入れると、その名の通り華やかな香りがした。
「いい香り……」
思わずひとりごちた琴乃に、すぐさま応える声がある。
「白檀だよ」
「⁉︎」
どこからした声だろうかと首を巡らせると、御簾の上げられたすぐ横の室内に、琴乃より頭ひとつ分背の高い人物がひとり立っていた。
烏帽子は被っておらず、結い上げた髪が頭頂に髷のように立ててある。檜扇で顔の下半分を隠しており、大きな翡翠色の目には好奇心が滲み出ていて、目力が強い。
装束は、萌葱色の生地に山吹色の鳳凰の刺繍が入った水干で、胸元には紫と白の菊綴があり、蘇芳色の長袴を合わせている。装束も声も中性的な上、当然誰か分からず、琴乃は混乱した。
「あの」
「よく来たね、火の巫女。焔は息災? でもなさそうだけど。ふっふ。まあいいや、お茶でも飲む? それとも歌でも詠む? 琵琶でもいいよ」
琴乃が戸惑っている間に、次から次へと言葉を投げかけられ、そのどれも返事の機会を逸してしまった。
「花嵐様、どうかゆっくりお話ください。巫女殿が困っていますよ」
見かねた充輝が、助け舟を出す。
「ん? あらやだ。ごめん。会えたの嬉しくって。うっふ」
「花嵐様……であらせられ……?」
「うん。そうよ~。はじめまして」
(風ノ竜⁉︎ この方が⁉︎)
「ん? あそっか、焔しか見たことないなら、驚くかあ。あれが基準じゃね。大丈夫よ、アタシ優しいから」
「あの、お目通りの機会をいただき、誠にありがた」
琴乃が慌てて膝を突こうとすると、花嵐はすぐにそれを止めた。
「いいのいいの、そんなの適当で。気楽にして」
本当に気楽で良いのかと、不安になった琴乃が振り返ると、充輝は眉間に深い皺を寄せ怫然としている。
「ちょっと何よ充輝、その顔。せっかく二十年ぶりぐらいに会ったのにさ~」
(二十年⁉︎)
驚いた琴乃が目を見開くと、充輝は大袈裟なぐらいにハアアと溜息を吐いている。
「そんなわけがないでしょう。いいですか巫女殿。このお方はこのように、適当なのです」
「えっ」
「ちょっと~! なによその言い方。ひどくない?」
頬を膨らませた花嵐に、充輝は琴乃が初めて見るぐらいの冷たい目線を投げた。
「では言い方を変えましょう。人間とは尺度の違う生き物ですから。全て本気にはなさらぬよう」
琴乃は、迂闊に頷くことはできなかった。
❖
「立ち話でごめんね。こっちおいで」
花嵐に招かれた部屋には、三方に色とりどりの几帳が立てられ、厨子棚には、漆に金粉での蒔絵を施された漆器が並ぶ。
質素な焔の部屋と比べると、誰もが派手に感じることだろう。
花嵐が、結い上げた髪に雅な金の櫛を挿していることからも、本人の趣味かもしれない。琴乃は、あまりの豪華絢爛さに、圧倒されている。
「そこ、座って」
花嵐の茵と琴乃との間には御簾があり、直接顔を見ることはできなくなっていた。とはいえ会話に不自由はなく、琴乃にはそれで充分だった。むしろ最初に姿を見せたことは、かなり異例なことに違いない。
「ごめんね。火ノ竜って強いからさ~。慣れるまでこうさせてね」
花嵐の気遣いに、琴乃の顔は自然と綻ぶ。
「とんでもございません。お会いでき、嬉しゅうございます」
「あらま、うれし。いい子ね~。焔、喜んでるんじゃない?」
「それは、どうでしょうか……」
髪の毛を触らせてくれるようにはなったものの、相変わらず会話は最低限である。下手をすると、「ん」「あれ」「おまえ」だけで終わるのだから、喜びからは程遠いのではないかと思い返していると、花嵐が先に言った。
「ま、いっつもしかめっ面だし。わかんないか」
「ふっ」
花嵐の軽口に思わず吹いてしまい、琴乃は慌てる。
「あ! いえその」
「あはは! いいのいいの。ここでは礼儀とか気にしないで。思う通りに話してね。その方がアタシ嬉しい」
「はい!」
琴乃は、この明るく裏表のない花嵐の態度を、素直にありがたいと感じた。何やら腹に一物ありそうな三大臣や、迫力のある陰陽師の阿萬、それからぶっきらぼうで粗雑な焔に接しているから、余計かもしれないが。
「では、お言葉に甘えて」
「ん! それにさぁ、充輝に聞いたけど。巫女について学びたいんだって? 真面目でいいことね~! 焔って無愛想だしめんどくさがりだから、何も教えないよね~、よ~く知ってるわよ。だからアタシで良ければ何でも聞いて~! 何から教えよっかな? 巫女の役割は充輝から聞いてるよね? うーん、何がいいかな」
花嵐はこちらの一言に対して、十喋る。
充輝はこれが苦手なのかもしれないが、今まで言葉を失っていた琴乃からすると、むしろ助けられる思いだ。
「竜皇陛下のお役目のことを、知りとう存じます。障りとはなにかや、儀式など」
「なるほどね~。えっとね、障りのことはごめん、焔じゃないと話せない決まり。アタシが話せるギリギリの範囲で言うと、火ノ竜だけに起こるってだけかな! だから、障りが出たら、がんばれ火の巫女! かな~」
だが、早速出鼻をくじかれてしまった。
「がんばれ……と言われましても……」
「あーそか。分かりやすく言うと、焔の身を清めることに集中、かな。『障り見舞い』で御神酒。飲んでたでしょ?」
三大臣が、瓶子から酒を注いでいたことを、思い返す。
「ええ。なるほど、清める……」
「そ。そうねぇ、部屋の四隅に盛り塩置いてあげて。やり方は、充輝。教えてあげてね~」
部屋の隅に静かに座していた充輝が、短く
「は。承りまして」
と返事をする。
琴乃は、自分にもできることがあるとわかり、嬉しくなった。
「ありがとうございます。戻ったら早速」
「まあ! ほんといい子ね~。焔ってあんなに怖い顔してるのに、それでも優しくしてあげられるの、すごいわあ。もし焔にいじめられたらさ、いつでも花舎に逃げておいでね。火の巫女の道、開けとくから」
「え⁉︎」
道を開けておくとは、なんだろうか。琴乃が考える間に、充輝が慌てる。
「花嵐様、それではお身体に差し障りが」
「なによ、いいじゃない。話し相手欲しいんだってば。暇なんだもん」
「っ……」
絶句する充輝に構わず、花嵐は明るい声で続けた。
「んじゃ他の質問ある?」
❖
「巫女殿。花嵐様はああ言われたが、訪問の頻度は考えねばならぬよ。伺うのであれば、必ず我とともにゆこう」
陽炎殿へ戻る道すがら、充輝が言いにくそうに述べるには、風は火に弱いということだった。
「この世のあらゆるものは、決まりに則っているのだ。火は風に強く、水に弱い。その性質は、竜人様であれど同じ。この世が拮抗するよう神が定めた法則である」
言われた琴乃は、はたと思い至った。
「まさか……火の巫女である私も、花嵐様にとっては」
「うむ。巫女は竜人の性質を受け継ぐ部分があるからな。花嵐様にとって巫女殿は非常に強い存在であるからして、御簾越しとなったのだ」
「肝に命じます」
充輝が、眉尻を下げる。
「なあに、心配はいらない。何事も我とともにいれば、大丈夫であるよ」
「高階様……ありがたく」
少将で護衛という立場を超え、心の支えとなってくれる充輝に、琴乃は手を合わせたくなった。
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