四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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二章 渦巻く欲に、翻弄される

九話 ふたりの姫、それぞれ

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 陽炎殿にいったい何人の女官がいるのか、琴乃は知らない。顔ぶれを見るに、少なくとも五人以上いることは分かっている。
 朝餉あさげ夕餉ゆうげの配膳、寝床を整えること、巫女服の着付け。日々の様々な雑事は、補助を行う女官たちがいなければ立ち行かない。
 ところが、苛烈な火ノ竜として恐れられている焔はもちろんのこと、その巫女である琴乃もまた、恐れられているような気配がある。少なくとも、仲良くや楽しくなどという空気は微塵もなく、琴乃は居心地の悪さを感じていた。
 せめてもと、良い働きをしてくれた者には、素直に礼を言うことに努めている。毎日そうして過ごしているうちに、何人かは少しずつ、態度が柔らかくなってきたと感じていた矢先のこと。
 夕餉の後、琴乃の垂髪すいはつき終えたところで、思い詰めた様子の女官が突然平伏した。
「どうか、お許しください」
 戸惑う琴乃がなんのことかと尋ねるも、女官は泣き崩れるのみである。
 護衛の充輝は濡れ縁に控え、事の成り行きを見守っているのだろう。介入するような気配はまだない。
「面をあげて。なにを思い詰めているのか、教えてくれませんか」
 琴乃が優しく諭すようにしてようやく、女官は流れる涙をそのままに顔を上げ、口を開いた。
「……巫女様のお力は、御髪おぐしに宿ると。だから……切れと言われました。ですが! わたくしには、とてもできず」
 女官はぶるぶると震える手で懐から小刀を取り出し床に置くと、再び平伏した。
 夕焼けを反射してぎらりと輝く刃を目にした琴乃は、当然動揺する。
「いったい、誰がそんな酷いことを!」
「言えば、妹が殺されます」
「な……」
 平身低頭し、落ちた涙で板の上にいくつも黒い円を作る女の頭頂を、琴乃は愕然と見つめている。
 恨みを買うような覚えは、全くない。国を治める竜皇の側に居る身だから気を付けろ、と何度も充輝には言われていたが、こういうことかもしれない、とかろうじて思い至るのみだ。
 地位や権力とは無縁だった琴乃だが、御三家に会ったり風ノ竜の調度品を目にしたり、なんとなくここがどういう場所なのか、分かってきたところだった。
「ならば、この髪を切らなかったら、どうなりますか」
 今琴乃にとって一番気になるのは、この女官の処遇だ。妹を人質に取られているとしたら、失敗すればどうなるのか。嫌な予感しかしない。
「っ……」
 思い詰めた女官が、目の前に置いた小刀を衝動的に握り刃を首に当てた。
「だめ!」
 琴乃が叫ぶと同時に充輝が濡れ縁から走り込んできて、女官の腕を手刀で叩き落とすようにした。ぼとりと鈍い音がして、床に刃が落ちたのを見た琴乃は、ホッと力を抜く。
 一方で、女官は絶望に肩を振るわせていた。
「ああ……お許しください……わたくしにはもうこれしか……自害を、させてください」
「そんなこと。させない!」
 今度は琴乃がバッと小刀を拾うと、充輝が止める間もなく――
「巫女殿っ!」
「ああっ! おやめくださいませ!」
 左手で顔横の髪を一房握ったかと思うと、ざくりと切り落とした。
「なんという……なんということを!」
 間近でそれを見て顔面蒼白になった女官に向かって、琴乃はあえて大袈裟に笑ってみせる。
「髪なんかで人の命を奪わせないわ。大丈夫、どうせまた伸びるもの」
 琴乃はけろりと言ってみせたが、貴族の女性にとって髪は命と同等であり、生涯切らずに伸ばすものである。
 長ければ長いほど美人の証拠でもあり、顔の造作よりも髪の美しさと長さを問われる文化があるこの国で、琴乃がしたことはまさしく『女性の自殺』に近いものであった。
「巫女殿! なんということをなさったのだ」
 苦渋に顔を歪ませた充輝を、琴乃は毅然と見返した。
「高階様、お願いがあります」
「っ、は」
 琴乃の暴走を止められなかったことで、自責の念にかられている様子の充輝に、琴乃は言う。
「反対側も、同じ長さに切ってくれますか」
「! ……わかった」
 充輝は膝立ちで琴乃へにじり寄り、懐から取り出した小刀でもって、もう一房を切り落とす。それで、琴乃の顔脇の髪は、肩ぐらいの長さに切り揃えられたことになる。
 女官はただただ、ふたりを呆然と眺めていた。
「ありがとう。ええと、これとこれを紐でこうやって縛って……うん。できた。はい、どうぞ」
 切られた髪を組紐でもって束状に縛り、女官へ差し出す琴乃の顔には、曇りがない。明るい態度に背中を押されるようにして、女官は恐る恐る受け取った。
「巫女様……」
「妹は何歳?」
「ここのつ、です」
「まあ、私の弟と近い。十歳なの。可愛い盛りでしょう」
 紐で結ばれた髪の束を胸の前で握りしめる女官が、涙の乾きかけていた頬を再び濡らしながら、何度も何度も頷く。
「ああ……なんと……なんとお礼とお詫びを申し上げたら良いのでしょう」
「なら、貴女を『妹子いもこ』と呼ぶことにするわ。妹を守った子。ふふふ」
 女の名前はおいそれと他人に暴くことはない。女官たちに名前がないことに、密かに不便を感じていた琴乃は、この機会にと勝手に名付ける。
「巫女様! 光栄にございまする。この妹子、この御恩、働きにて返していく所存」
「そんな大層なことはいらないわ。いつも綺麗にしてくれていて、感謝しているの」
「もったいなきお言葉……うぅ」
 さめざめと泣く妹子の肩をさすりながら、琴乃は充輝を振り返る。
「少将におかれましては、どうかこの者の罪を問うことなく」
「そういう訳にはまいらぬ」
 正座し背筋を伸ばす充輝は、厳しい目をしている。武を極めた少将の迫力は、恐ろしい。だが琴乃はひるまなかった。
「妹子に罪を問う前に、まず貴方では?」
「何?」
「護衛ならばわたくしを守るのが役目でしょう。でも妹子に罪を問うのなら、守れなかったことになりませんか」
「……」
「わたくしは、高階様を罰したくはありません」
「いや。守れなかったのは事実。我も罰を受けねばならない」
「竜皇陛下の罰をですか。わたくしは、高階様以外の護衛は嫌です。そうなったら、巫女を辞めます」
「……そう言われては……はあ。致し方ない……」
 充輝は琴乃に一礼をすると、唇を引き結び妹子へ向き直る。
「巫女殿の命により、罪に問うことはせぬ。今まで通りにするがよい。誰が何をとも聞かぬ。内裏に近衛府このえふの人員を増やそう」
 妹子は頑なに首を振って罪に問うよう懇願したが、充輝の言も覆らなかった。結局妹子は渋々諦めた形で、床に額を突くようにして頭を下げる。
「高階様……心よりお礼を申し上げまする」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ」
 妹子が、心底分からないという顔をしながら頭を上げると、充輝は口角を上げた。
「巫女殿が、初めてわがままを通した。嬉しきことかな」
 充輝の言葉で冷静になった琴乃は、あたふたと慌て出す。
「わあ! 申し訳ございま」
「いや、いや。今までが遠慮しすぎである。もっと自我を出すべきだよ。妹子もそう思っていたであろう」
 充輝が促すと、妹子が何度も小刻みに頷いた。
「え? 妹子?」
「はい。この際申し上げますと、巫女様はただの人形であると揶揄やゆする者たちも、……」
 琴乃は、それきり言い淀んだ妹子の後の言葉を想像し、不本意だと言わんばかりの態度で口に出してみる。
「つまり、おとなしくて存在感がない、と」
 妹子は、複雑な顔をして口をつぐんだ。沈黙は肯定と同様である。
 代わりに充輝が、キッパリ言い切る。
「そういうことだ。これからはもっと、ご自身の意向や希望を口に出された方が良い」
 琴乃は思わず頭を抱えた。
「口に、出す……?」
 声を失っていた自分にとって、これ以上ない難題だと思ったが、妹子のように近しい者が利用されるのも、自分が侮られているせいだと思い直した。
「これからは……できるだけ、言うようにしてみます」
 琴乃の決意を聞いた充輝が、にやりと口角を上げた。
「ええぜひ。その髪のことも、ご自身で焔様にご説明を」

   ❖

 四竜皇国御三家のうちのひとつ、石上家には、ひとり娘がいる。春姫はるひめと呼ばれるその女の年は、十七。年頃の姫の評判は、自然と歌会や花見での男性貴族たちの口にのぼる。
「大層美しいと聞いたが」
「誠か? ……父親の……見目を見るに……なあ」
「文を見るに、器量もそれほど、よの」
「いやいや。差し引いても、御三家よ」
「左様。多少のことは、大したことではない」
「うん、うん。石上の権勢なくして、とも言う」
 好き勝手に言い放った彼らは、咄嗟に大きな檜扇ひおうぎで顔を隠すが、皆で肩を揺らしている。
 人前に姿を現すことのない貴族女性は、こうして無責任な噂で評価されていくものであるから、知識や教養は非常に大事なものとされていた。残念ながら、春姫にはそれらが無い、ということだ。
「まあ、とはいっても、少将に夢中であるからして。我らの出番はないぞ」
「年初めの儀の話だろう?」
「几帳越しに、わざわざ会いに来たとか」
「熱烈よなあ」
 ところがこうして、春姫が充輝に懸想けそうしていることは周知の事実となっているため、多少の評判の悪さなど無関係な存在になりつつある。
「少将の出方に注目であるな」
「楽しむの間違いであろう?」
「――白雪の溶けるころかな武人の勇 春の花咲く つまたづぬらむ」
「お見事なり」
「だが、歌会で披露する勇気は」
「ない!」
「ははは。少将のお覚悟、見守るべし」
 そしてその評判は、春姫自身の耳にも当然届いている。

   ❖

「これだけ周囲に広まれば、少将も無視できないはずよ! ね、陰陽師」
 右大臣・石上の豪華な屋敷にある釣殿つりどの
 池をのぞむ橋の上、高欄にだらりと身をもたせかけるようにして座る春姫がいる。
 そこから少し離れた軒先で、池を覗き込むようにあぐらをかく坊主袈裟姿の陰陽師が、黙ってその言に耳を傾けていた。
 無言で頷くだけである陰陽師を、春姫は特に気にしていない。
 満足そうな笑みの一転、開いた扇の影からつまらなそうにアクビをひとつ放つ。
「うぬの動きが遅いから、口のない女の髪、切らせてやった。せいせいしたわ。少将を独り占めなんて許さないんだから。まあ、女官が怖気付いたせいで、一部だけっていうのが気に食わないけど」
 陰陽師は池の方向を向いたまま、深く頭を下げた。頭の先では、錦鯉が餌を懇願するように、口をぱくぱくと水面へ出している。
 春姫から陰陽師の表情は見えないが、代わりに固い声音が耳に届いた。
「して、姫様。その御髪おぐしは、いずこに?」
「知らない。内裏のどこかにあるんじゃない?」
 興味を失った春姫はそれだけ言い捨てて、挨拶もせず室内へ引っ込んだ。
「どこかに……」
 陰陽師は立ち上がってきびすを返し、あっという間に石上の屋敷を後にする。
 その背で、バシャンと鯉が、跳ねた――
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