四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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二章 渦巻く欲に、翻弄される

十話 苛烈な優しさ

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「髪を切った経緯を、陛下には言わないつもりか」
「はい」
 琴乃は焔のもとへ出仕しゅっししようと、巫女装束姿で清涼殿を歩いていた。背後を歩く充輝の表情は、硬い。前を歩いている琴乃には、当然充輝の表情は分からないが、声色だけで不満げなのは伝わっている。
「わたくしのようなものに、陛下の時間を使っていただくわけにはまいりません」
「巫女殿。竜皇と巫女というのは、繋がっているものだ。いずれ知られるならば、自ら告げた方が良い」
「あの。高階様は、なぜそれほどまでに巫女にお詳しいのですか?」
 琴乃が前々から思っていた疑問を投げかけると、充輝はたちまち無言になった。琴乃は、構わず思いを口にする。
「巫女の役目については、花嵐からん様にお借りした文献を読んで、多少理解したつもりです。その上で高階様は、まるで実際に巫女を見てきたかのようだと感じました」
 風ノ竜・花嵐は、まずお読みなさいと自身の『日記』を貸してくれ、琴乃は時間を作って読み進めている。竜人の書いた書物は、やはり竜語を持っている者にしか読めないらしい。その証拠に、側仕えの女官である妹子いもこは「さっぱり読めません」と笑っていた。
 花嵐は口も筆も饒舌じょうぜつで、ようやく千二百年前に四竜人を迎えた国のおこりから、一巡目――最初の四百年までを読み終えたところだ。波乱の地ならしを終え、人間が定住し、文化が根付き始めた頃、である。
「我は少将なれば。色々な記録を見ることができる」
 確かに少将ほどの身分なら、護衛のために様々なことを勉強するに違いない、と琴乃はいったん充輝の答えを飲み込むことにした。
 これ以上聞いたとしても、納得のいく答えは得られないだろうと感じたからだ。
「それより、怪我は大丈夫か」
「……はい」
 焔に突き飛ばされた時に打った腰の痛みは、実はまだ癒えていない。腰紐で縛って支えなければ、立ったり座ったりが辛いぐらい、痛む。
「はあ。巫女殿は頑固者であるな。まだ痛むであろうに」
「頑固だなんて、初めて言われました」
 背後の充輝が今、どのような表情をしているのか。気にはなれど、琴乃に振り向く勇気はない。
 呆れているのか、失望しているのか。
「自分のことなど二の次なのが、当たり前なだけです。一生弟の世話をするのだと、受け入れておりましたから」
 充輝の代わりに、珍しく殿上間てんじょうのままで出てきていた焔が、「不幸者」と言葉を投げた。いつも通りの黒衣と黒袴に緋色の狩衣姿で、柱に肩をもたせかけるようにして立ってこちらを見ている。
 簀子すのこ縁を歩いていた琴乃は足を止め、
「不幸などでは!」
 と身分を忘れ咄嗟にそれを否定したが、無礼に気づいて慌てて両膝を床につき頭を下げる。
「おまえじゃない。不幸なのは弟の方だ」
 礼をしたものの、続けて言われた焔の言葉にカッとなり、琴乃はすぐ頭を上げる。竜皇という存在を崇める上級貴族なら、ありえない振る舞いだろう。
 琴乃は、今まで竜都の端で細々と暮らしていたに過ぎない。だから琴乃にとって『竜皇』は、あまりにも遠く現実味のない存在である。現実での焔は、竜皇の前に『目の前で生きる存在』であるため、こうして煽られては、我慢することができなかった。
「なぜそんなことが言えるのです!」
「弟の立場になってみろ。自分のせいで、姉が人生を諦めた。病で動くのもままならず、おまえの手を放すこともできず、一生お前への罪を感じながら生きる。今ごろ、やっと死ねるとホッとしているかもな」
「なんと酷いことを……! 弟は……いつのりは! 新たな年を迎えて、安堵していたのです! 生きたいに決まって」
「災厄の年を迎えて、安堵するだと?」
 片眉を上げ、琴乃を蔑むように見下げる焔は、こともなげに放つ。
「そんな人間はいない。自殺願望でもない限り」
 それを聞いた琴乃の両眼からは、涙腺が決壊したかのように涙が溢れ出した。
「陛下っ!」
 ふたりのやり取りを見守っていた充輝が、さすがに言い過ぎだと言わんばかりに、前へ飛び出る。
 琴乃を庇うようにして焔に相対すると、焔は充輝へも苛烈な苦言を投げた。
「そもそも、充輝が甘やかしすぎるからこうなった。なんだあの醜い髪は。誰が許した」
「それは」
「切ったのは貴様か? ならばそのまげも切り落としてくれる。首じゃないだけ良いだろう」
「っ……」
 充輝は観念したと言わんばかりに床に片膝を突き、こうべを垂れた。
 琴乃は、なぜこのようなことになったのか、さっぱり分かっていない。分かっていないが、焔の暴力的な言葉の嵐に対して生まれて初めて憤怒し、とめどなく湧いてくる感情を剥き出しにした。
「おやめください! 切るなら、どうかわたくしのを!」
 叫びながら焔に立ち塞がり、充輝を庇うように両腕を広げる。
「うるさい、どけ」
 焔の黒い眼球に緋色の瞳が、琴乃の心臓を撃ち抜くほどの威圧を放った。だが琴乃は負けじと唇を噛み締め、足を踏ん張る。
「どきません! 悪いのはわたくしです!」
「ああそうだな。だがおまえは言葉ではそう言うが、本心では自分が悪いと思っていない。タチが悪い」
「⁉︎」
「正義感という押し付けを振りかざして、なんになる」
 ずん、とたちまち琴乃の腹の底が重くなった――図星だ、と思ってしまったからだ。
「純粋な悪人より、おまえの方が悪人だぞ、善人面。今までに充輝の言を、ひとつでもまともに聞いたことがあるか? 休め。無理するな。痛いなら言え。何ひとつ聞かず、俺が来るなと言えばいいかと思えば、勉強しに花舎かしゃへ行っただと? 出仕しゅっし免除した意味がないだろうが。自己犠牲もいい加減にしろ。自分さえ我慢すればいい、というのは傲慢だ」
 ところが、焔の言葉を聞いているうちに、琴乃はふと思い当たった。
「あの、陛下……もしかして。わたくしを心配してくださっているのですか」
「っ」
 問われた焔は、途端に口ごもる。
 今までの流暢な罵倒が嘘であるかのように、しんとした静寂が訪れた。
 冬の冷たい風がひゅううと音を鳴らしながら通り過ぎ、庭先では枯葉がかさかさと舞っては落ちる。
 しばらくののちに、静けさを破ったのは――
「……っく。くくくく」
 充輝がこうべを垂れたまま、肩を小刻みに揺らしている。
「おい充輝。なに笑ってやがる」
「いやあ陛下。初めてではないのですか? 本心を見破られたのは」
「ほっ!? うるせえ!」
「おや、違うのですか?」
「うぐ」
「だから何度も言ったでしょう。きちんと説明しないと絶対に伝わらないと。それなのにめんどくさがって、『来なくて良い』しか言わなかったのは、陛下でしょう。来なくて良いなら別のことをしますよ」
「ぐぐぐ」
「きちんと休め、と言うべきです。違いますか?」
 充輝の舌鋒に、さすがの焔も反論しきれず、もぐもぐと口を動かすに留まる。
 そんな焔を見た琴乃の頬が、紅葉もみじのように赤く染まった。
「あの。わたくしも、はじめて、です……」
「あ?」
「こんなに自分の感情を出したの……」
「……そう、か」
 琴乃は、袖口で涙を拭ってから、再び顔を上げた。
「陛下の仰るとおり、わたくしが五典を無理やり現世へ引き留めていたのかもしれません。でも、寄り添いあって生きてきた可愛い弟です。なんとしてでも、生きていて欲しいのです。それこそ、わたくしの命を懸けてでも」
「おまえは相変わらず……。懲りないやつだな」
「え?」
 焔は眉根を寄せると、庭へ目線を投げた。
「ふん。もういい。当たり散らして、気が済んだ。茶を淹れろ」
「え、陛下? あの、おとがめは」
「聞こえなかったのか?」
 焔の急な変わりように琴乃が戸惑っていると、背後で充輝がぶっと吹き出した。
「はあ、おかしい。言ったでしょう、巫女殿。焔様は幼な子と同じ。謝ることを知らないのですよ」
「え! 陛下が謝るだなんて、滅相もございませんが⁉︎」
「だとよ、充輝。おまえが代わりに謝れ」
 しかめっ面でどかどかと室内に入り、しとねへ雑に腰を落とす焔を呆れ顔で眺めてから、充輝は琴乃へ向き直った。
「あーはいはいそうですね。うおっほん。では、巫女殿。機嫌が悪いからと怒鳴り散らした挙句泣かせてしまい、大変申し訳なかった。焔様を許してもらえるだろうか」
「ええ⁉︎」
「あ、ちなみにここまで焔様の機嫌が悪くなったのは、巫女殿の綺麗な御髪おぐしが切られたからですよ。俺の大事な巫女に、手を出しやがったのは誰だ⁉︎ です。だから正直に言えと言ったのに」
「おいこら充輝、言い過ぎだぞ。そこまで言えとは言ってない」
「えええええ⁉︎」
 焔は頬を膨らませて脇息きょうそくに肘をつけると、ぷいっと顔を逸らす。
「あの、えっと」
 琴乃はただただ動揺していて、何を言えば良いのか分からない。
 充輝はそれを微笑ましそうに眺めて、
「許す、と言えばいいのですよ」
 と助言した。
 琴乃は、今度は素直に頷いてから、焔の手前で膝を折って座り、意を決して口を開く。
「許します。陛下……わたくしのことも、許していただけますか?」
 焔は、琴乃の黒目がちな瞳をちろりと横目で見てから、小声で返事をする。
「ん」
「それから今日も、御髪おぐしを洗わせていただいても?」
「許す」
「はい。ではお茶を淹れますね」
 ようやく心を落ち着けることができ、準備のため厨子ずし棚に向き直る琴乃へ向かって、焔が追い討ちをかけた。
「ああそうだ。ついでに言っておく。そこに毒が盛られていても、気にするなよ。俺には効かんからな」
「え」
さわり見舞いの時。わざと杯を落としただろ」
「はい……毒……毒⁉︎」
 琴乃は、違和感を持ったから行動しただけであり、当然毒の存在などには気づいていない。
「ああ、心配いらない。お前にも火の守りがあるから、大丈夫だ」
「火の、守り?」
「火が側にあれば、お前に害は及ばない」
 焔が顎をしゃくった先には、湯を沸かすための炭櫃がある。なるほどあれがあったから、違和感で手が伸びなかったのか、と腑に落ちた。
「で。その髪切ったの誰だ?」
「はあ、えっと、その、色々ありまして」
 しどろもどろで説明をするものの、いよいよ心が追いつかない琴乃は、致し方なく
「高階様、お助けを」
 と助けを求めたが――
「なんでまた充輝なんだ!」
 せっかく機嫌の直った焔が、また拗ねてしまった。
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