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四章 万世の炎、灯して
二十二話 呪い、祓え 前
しおりを挟む『竜人の真名』を知る者など、この世に居てはならない。
なぜなら、神をも従わせる力を持つということだからだ――
❖
風ノ竜・花嵐の日記を読んだ琴乃は、竜人や巫女という概念は分かっても現実味がまるでなく、絵空事のように思っていた。
自分が巫女のような高尚な存在になれるとは、到底思えない。ただ火ノ竜に寄り添えたらそれで良い。琴乃はそうして、毎日を積み重ねてきた。
焔の髪を梳き、酌をし、穏やかに過ごす手伝いをする。たとえ最初は本物の巫女でなかったとしても、焔とは気持ちが通じている感覚があった。
そんな琴乃が、ひたすらに邁進し続けた結果――
風ノ竜・花嵐、水ノ竜・慈雨に会う機会を得た。
まっすぐな正義感で、妹子に慕われることとなった。
焔の寵愛を目の当たりにした女房どもは、右大臣の傘下にある春姫に、迎合することがなくなった。それどころか、火の巫女の近くに侍ろうとする者が、そこかしこに増えてきていた。
それらは間違いなく、琴乃の巫女としての確かな実績である。
焔は、そんな琴乃のひたむきさに惹かれて真名を授けたが、後宮にあっても変わらないことを、心から嬉しく思っていた。
「ああ。久しぶりに、呼ばれたなあ」
火ノ竜が、炎に包まれた身を起こし、すくっと立ち上がった。周囲には、あまりの熱さで蜃気楼ができている。
そのまま、足元に横たわる陰陽師どもの遺骸の真ん中で、阿萬――憤怒の表情を浮かべ、わなわなと拳を強く握りしめながら立っている――を睥睨している。その様は竜皇ではなく悪鬼のようだ。琴乃は、思わず身をぶるりと震わせる。
「邪な陰陽師が、身に余る術を。破滅あるのみだぞ」
「邪? 儂には神が降臨しておる」
「神、ねぇ。貴様、今までにいったい何人殺した? ここにいる陰陽師だけではないな」
焔の苦言を意に介することなく、手のひらを上に向けた阿萬の体からは、再びばちばちと雷が発せられる。
「そんなもの、数えなどせん」
はあ、と焔は大きく溜息を吐いた。
「充輝が左大臣に命じられ、朝比奈の家に行った時。琴の母に、何度も男児安産の術を施した陰陽師が居たと聞いたらしい」
「それがどうした。陰陽師の仕事であろう」
「仕事だと? その時、胎にいた琴の弟を呪っただろ。それも、陰陽師の仕事か?」
琴乃は、衝撃の事実に動きも思考も固まった。
「……どうせ死ぬような下級の弱き命。世のために利用して、何が悪い」
ふてぶてしく開き直る阿萬を、焔はさらに追及する。
「朝比奈の当主に、裏に神の降臨する池があるなどと吹き込んだのも貴様だろう。そうと聞かされた優しい姉は、自分の代わりに弟を生かせと神頼みするに違いない。幼き子どもに人身御供を願わせるなど、まさに鬼の所業」
「くく。朝比奈が女子などいらぬと吐き出しよったのだ。捨てるより神のために使う方が良かろう」
「赤子を呪い。人身御供で竜人を呪う。そんな奴に、神が降臨すると思うか?」
「見ただろう。事実から目を逸らすな」
ふてぶてしい態度の阿萬に応えるかのように、ばちん! と大きな音を立て、雷が焔を襲う。すると、焔の爛れた左頬から、血が流れ始めた。
「くくく。竜皇に傷を負わせられる儂こそが、新たな皇帝」
「勘違いすんな阿呆。これはただの障りだ」
阿萬の言葉を遮って、焔は不機嫌そうに袖で血を拭うと、琴乃を横目で見た。
「結界に戻っておけ」
ところが、琴乃は動けない。息すらも忘れ目を見開き、直立不動のままでいる。
焔は眉尻を下げ、さらに背後にいる充輝へ目線を投げた。
「……縛縄」
焔が右人差し指と中指を揃えて立て、充輝に押さえられている鬼を差すと、青い炎が覆った。あれほど暴れていたのが嘘であるかのように、ぐったりと気絶した。
「それは浄化に時間がかかる。後回しだ。琴を頼む」
「は! 巫女殿、こちらへ!」
鬼から解放された充輝が、琴乃の二の腕を掴むと、部屋の中へ引きずり込むように引っ張った。
「なんだか、有利になったと勘違いしているなあ」
その間、阿萬は両手で雷をこねるようにして、力を蓄えていた。
「儂は、用意していただけだぞ」
見せつけるかのようにバチバチと大きな音で鳴る雷を前にしても、焔の表情は変わらず、淡々としている。
「阿呆に付ける薬はない。滅するのみ」
「ふはは! やってみるがいい!」
阿萬の大笑いを合図に、再び稲妻がドドン! と焔の頭上に落ちた、
ところが――
「効かん」
炎をまとった焔は、悠然とその場に立っている。
阿萬は体の前で不思議な形の手の印を結ぶと、先程の呪文を口の中で繰り返した。
「ノウマク サンマンダ……カン……ノウマク サンマンダ……」
またあの大きな落雷が来る、と身構えた琴乃だったが、辺りは静かなままだ。
「⁉︎」
わずかに片眉を上げた阿萬が、何度も同じように唱えるが、やはり何も起きない。
焔はいよいよ呆れたとばかりに、大きく息を吐いた。
「まだ分からないのか? 貴様は俺との問答で、自身が悪だと認めた」
「なんの話だ。認めてなどおらん!」
「いいや。人を呪うは、悪だ。それは貴様の魂に刻まれた理である。いくら言葉で否定しようが、変えようがない。人は、人だ」
焔の静かで低い声は、琴乃の心を穏やかにする。そして、辺り一面へ竜皇の威厳と共に、不変の真理が染み渡っていくようだ。
「そんな、ばかな」
「ばかは貴様だぞ。自分勝手にあつらえた正義は、所詮自己満足でしかない。世になんの影響も及ぼさない」
「そんなわけが! あるか! 実際、神は!」
今度は焔が、片眉を上げた。
「それ、本当に神か?」
「あ?」
焔は、おもむろに空を指さした。
「火ノ竜の真名のもとに問う。ソレは、神か?」
「ぐ、……」
問われた阿萬の後頭部が、突然ぼこぼこと波打ち始める。
「ぐ、ぎゃ、は、な、な、な」
体に起き始めた異変を信じられない阿萬を、焔は憐れみの目で眺めている。
「その昔。幽世には蛆のたかった姫がいてな。そいつの体にうぞうぞとまとわりついていたのが八雷神。神と名が付いてはいるが、なあに、俺からすれば隙を見て現世に出たいと画策する、ただの蛆だ。さっきからばちんばちん音がうるさいところを見るに、八雷神のうちがひとつ、鳴雷だろ」
そして、人としての阿萬の耳に残る、最後の一言は――
「出てこい、蛆虫」
だった。
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