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三章 業火、舞い上がる
二十一話 呼ぶのは、真の
しおりを挟む紫色の光を発する陣から、光の縄がいくつも立ち上り、何かの文様を描きながら焔の全身を覆っていく。
「ぐ、が」
赤い炎をまとった鬼が、愉快そうに充輝を振り返る。
「しょう、しょう!」
「くっ」
体勢を整え刀を構え直した充輝が、「近衛はまだか!」と叫ぶのに返事をするように、遠くで怒号が行き交っている。
「入れぬ!」「結界か⁉︎」「陰陽師を呼べ!」「陛下はご無事か⁉︎」と聞こえてきた。
「結界は、阿萬の仕業か! 用意周到だな」
言いながら充輝が、自身を鼓舞するかのようにチャキンと鍔音を鳴らすのを、琴乃は背後から見守るしかできない。
(せめて……せめて祈る!)
無力な自分を恥じている余裕はない。焔は、「俺を信じろ」と言った。琴乃は体の前で手を合わせ、必死に祈り始める。
(天の神様。どうか、火ノ竜を。焔様を、お助けください!)
巫女なれば、想いが力になるはずだと信じて。
「ほう、さすが巫女殿。なかなかの信心ですなあ」
ところが阿萬の小馬鹿にしたような口調に、たちまち心が乱される。
(こんなことなら、早く修行すればよかった)
後悔がじわじわと、琴乃の心を侵食していく。きっとそれこそ阿萬の狙いであると理性で分かっていても、どうしようもない無力感が琴乃を襲った。
「ぐ、は」
焔がいよいよ苦しげに呻き始めると、阿萬はそれを嘲笑うかのように、両腕を大きく広げる。それに呼応した部下たちの、真言を唱える声がどんどん大きくなっていく。
「ふふ。巫女殿の心が暗くなればなるほど。その穢れを吸った影響は大きくなりますぞ」
「阿萬! き、さまが、琴に」
「ええ。女官の口に穢れを載せるなど、容易いこと」
充輝が、ぎりぎりと刀の柄を握りしめ「狙いはなんだ!」と叫ぶと、
「しょう、しょう」
びょんっと飛び上がった鬼が、嬉々として充輝に襲いかかる。横目で状況を確かめた焔が、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「くそ、鬼に充輝を足止めさせるか。考えやがったな」
「ええ、少将はかなり手強いですからねえ」
「火鉢の呪いを返して信用を得たのも、気に食わねえ」
「はっは。弓削などという小者がしたこと、都合が良かったなあ。陛下にはずっと胡散臭いと嫌われていましたからねえ。さて」
パン! と阿萬が大きく柏手を打つ。
暗雲の立ち込める空に乾いた音が轟いて――大きな雷が空を横切った。
「神よ、今こそ降臨せよ。ノウマク サンマンダ……カン」
「ぐ、は。火ノ竜を依代に、神を降ろすつもりか」
「いいえ。人の世は人の手に返すだけですよ、陛下」
頭上で、雷がいくつも激しく鳴る。
「ノウマク サンマンダ……カン!」
「傲慢だな!」
真言に対抗するよう叫ぶ焔が、全身に力を入れ「うおおお」と叫ぶが、頭上の雷は止まらない。そして――
どおん!
一際大きな雷が、庭へ落ちた。
❖
眩い光に包まれた刹那、琴乃の脳裏に、穏やかな声が聞こえてくる。
「いいか。俺は竜人だ。万が一にも死ぬ訳にはいかない。俺の命ともいえるものをおまえに預けるから、おまえも死ぬな」
――なんて優しい、ぬくもりだったのだろう。
(思い出しました、焔様……貴方様がずっとわたくしと五典を、守ってくださっていた……ならば)
❖
焦げ臭い匂いが、琴乃の鼻をついた。
庭に倒れている焼け焦げた人間どもは、一心に真言を唱えていた陰陽師たちの成れの果てだ。
ぜえはあと肩で息をする充輝が、畳の上で鬼の背中に片膝を乗せ、のしかかるようにして押さえている。鬼はぐるぐると唸りつつも、所詮は成ったばかりで元は貴族の若い女である。充輝に力では敵わなくなってきたようだ。
「っ、巫女殿! 陛下はっ」
必死の形相で問いかける充輝に背中を押されて、琴乃は恐る恐る簀子縁まで様子を見に出た。
「あ……陛下……?」
焼け焦げた鈍色の袍に身を包む袈裟姿の阿萬の足元に、緋色の狩衣姿の焔が――跪いている。
「この儂に、神は降臨した! 竜皇がひれ伏す儂こそが、人の世の皇帝となろう」
阿萬が傲慢な笑みを浮かべているのを見た琴乃は、悲しくてたまらない。
人の愛する心や命までもを犠牲にして、人の世を統べようとする。
それはもう人ではないのではなかろうか。
事実、阿萬の両手からはびしびしと雷のような力が溢れ出している。
火ノ竜が炎ならこちらは雷神だろうかと、琴乃が首をひねると、阿萬と目が合った。
「さあ、さあ、巫女殿。儂に跪くか、抗うか。選べ」
「な……」
「そなたならば、愛でてやってもよい」
にっこりと笑う阿萬の顔に、琴乃は寒気を覚えた。
自身を絶対に正しいと妄信している狂気が、口の端々から漏れているからだ。
「駄目だ、巫女殿!」
背後で叫ぶ充輝は、鬼を押さえるのに手一杯で、琴乃を言葉でしか止めることができない。
無言でひれ伏すような態度の焔はぴくりとも動かず、陰陽師たちは死に絶え、今の阿萬と対峙しているのは琴乃だけだ。
昼だというのに、暗い空。結界内に閉じ込められた自分たちの他は、誰もいない。
あれほど聞こえていた近衛たちの怒号も、今は聞こえない。落雷で絶命したのか、と半ば非現実的な気持ちで琴乃は頭の隅に思う。
「選ぶ前に、教えてください。貴方様が何をしたのか」
静かに問う琴乃は、阿萬の目をじっと見つめた。
ふうう、と大きく息を吐いた阿萬は、竜皇を従えているという自尊心があるのだろう。
余裕のある態度で、琴乃に向き直った。
「何をしたと聞くか。人の世を取り戻しただけだよ」
「取り戻す?」
「人ではない生き物が国を治めるなど。厳しい修行を重ねてきた儂には、ずっと疑問でねえ。竜人とはいえ、長寿なだけで何もしていない。部屋でごろごろして酒を呑むだけで、何が竜皇かと思ったのさ」
確かに焔は、昼御座で好きなように過ごしていただけだった。
それでもそこにいるだけで、絶大な安心感があった。人には見えない何かを見ていて、人には理解できない力で何かをしている。近くにいれば、そのぐらいは、分かった。だがそれは巫女として側にいればこそ、感じられたことなのかもしれない。
「儂の信じる神が、このような怠惰を許すものかとねえ。問うた結果が、これだ」
にこにこと、阿萬は右人差し指で空を指差す。呼応するように、また雷が鳴った。
「火ノ竜は跪いた。それが答えだ」
「なんたる無知でしょう。嘆かわしい」
「はあ? たかがひと月、巫女であっただけの女に何が分かる?」
明らかに見下してきた今こそが、琴乃の好機だ。
心の乱れこそが隙だと、先ほど学んだばかりだからだ。
「わたくしは、花嵐様の書き付けを読みました。そして、竜人がなんたるかを知りました」
「そんなもの、都合よく書いただけに過ぎない」
「いいえ。竜人は自然そのものです。風ノ竜様は風そのもの。だから種を蒔き、季節を移ろわせ、気まぐれ。書き付けも気まぐれだから、読むのに苦労しましたが……それすらも愛おしい存在です。まさに人を治めるに相応しい純粋さで、そこに欲などない」
阿萬が、みるみる眉根をひそめる。
「小娘が偉そうに語らっても、何も変わらぬぞ」
「いいえ。……そこで何をじっとしているのですか。緋焔。起きなさい」
「ぬ⁉︎」
阿萬が思わず一歩、後ずさった。
大人しく跪いていた焔から、尋常でない炎が噴き出てきたからだ。
「ま、さか……今のは……! 竜人の、真名かっ! なんと呼んだ! 教えよ!」
泡を食った様子の阿萬に、琴乃はきっぱりと首を横に振る。
「おまえに呼べるはずもない。これは、わたくしにしか許されない『竜語』だ」
呼んだ瞬間、琴乃の全身に力がみなぎった。いつか充輝が「竜皇と巫女は繋がっているものだ」と言っていた意味がよく分かる。一心同体で、一蓮托生。琴乃は、焔の真の巫女として力を発揮することを、覚悟した。
「くそ、まさか『竜皇の真名』を知っていたとは」
さらに阿萬は、焔から距離を取る。玉砂利が赤々と炎を発しながら、敷かれた紫の陣を覆い尽くしていく。
紫から赤へ変わる様を、琴乃は簀子縁から見下ろし、強く願いながら、呼ぶ。
「さあ、今こそ目覚めよ……真の火ノ竜よ」
五年前のあの日。
純真たる命を懸け、深く縁を繋げた竜人が今、再び目を見開いた――
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