四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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三章 業火、舞い上がる

二十話 火ノ竜人

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「……ち。苦戦してるな」
 焔が立ち上がり、簀子すのこ縁に出て外の様子を窺う。
 空模様は、さきほどまで明るかったのが嘘のように、いつの間にか暗雲立ち込めている。
「あの、悪鬼討伐の令ということは、悪鬼が出たということでしょうか」
 動揺を呑み込むように問う琴乃に、焔はあえて軽く返す。
「ああ、そうだ」
「なぜ、そのようなものが……」
 琴乃の言葉を耳だけで聞く焔は、空を見つめたまま溜息を吐く。
「恨みは、なくならない。だから、俺がいる」
「それは、どういう……」
「今は話している時間がなさそうだ」
 外の空気がどんどん重たくなっていく。背中が粟立つぐらいの寒気が、琴乃を襲う。
「後で、お聞かせください。約束ですよ」
「ふ。分かったから。そう怖い顔をするな、琴」
 おもむろに焔は振り返り、琴乃を愛しそうに見つめてから人差し指と中指を立て、琴乃のいる辺りを囲むように、空中で円を描いた。
「結界を作った。そこから動くなよ」
 焔が珍しく真剣な様子で警戒しているので、琴乃は素直に頷く。
「焔様……わたくしにできることは」
 巫女ならば、竜皇の助けになれないのだろうか。
 琴乃のそんな気持ちは、竜人である焔へ届くとは限らないが、尋ねずにはいられなかった。
「ある。俺を信じろ」
「はいっ」
 満足そうに頷いた後で、焔の赤い目は、再度庭へ向けられた。
「厄介だな。ここまで来るか」
「え?」
 首を傾げる琴乃の耳に、誰かの叫び声が遠くから聞こえてきた。
 あっという間にその声はすぐそこまで近づき、同時に、何かが腐ったような臭いが鼻につく。
「……哀れよな」
「ひ!」
 開け放たれた格子こうしの向こう、玉砂利の敷かれた庭に、何かが立っている。
 黒い、と思ったのは、乱れた長い髪の毛がの全身を覆っているからだ。
 袖の破れた薄い単衣、適当に縛られた帯、はだけた裾からのぞく、白くて華奢な脚。
 ――女だ。
 琴乃はすぐに、そう思った。
 だが、人ではない。
 額からは細く尖った黒い角が二本生え、宙を掴むように前へ出された手の爪は、黒くて長い。口角からは、鋭い牙と真っ赤な舌が出ている。
「女の鬼は、厄介だ。執念深いからな」
 忌々しそうに言う焔の背中越しに、琴乃は女を見つめる。
「女の……鬼……」
 初めて見る怪異に、琴乃は恐ろしさで身を震わせた。あちらこちらから、「昼御座ひのおましにいるぞ!」「陛下!」と声が聞こえる。
「あああ、死ね、しね……」
 鬼が、突然喋り出した。腹の底からひねり出したような、怖気おぞけのする低い声だ。
「ふうん? おまえ、成ったばかりだな」
 焔が手で何かの印を作りながら相対すると、鬼はぐるるると喉を鳴らす。白目まで黒く染まった代わりに、虹彩は白く濁っている。ぎろりと刺すような視線が、焔を射抜いた。
「陛下! ご無事で!」
 すると、部下を数名引き連れた陰陽師の阿萬あまんが、庭の端に姿を現した。
 途端に焔が「失態だな」と毒を吐くかのように言う。
 阿萬は、いつもの飄々ひょうひょうとした余裕のある態度ではなく、緊迫した声で答えた。
「説教は後ほど! これほどの外法げほう、油断めされるな」
「わかってる。おい、鬼。貴様の恨みは、なんだ」
 阿萬が札を手に構え持ち、何らかの呪文を唱えはじめるのを見ながら、焔は鬼に話しかけた。
「しょう、しょう」
 何かを言っているが、牙の隙間から漏れる息しか、聞こえない。
「あ?」
「しょう、しょう」
「成ったばかりでもう喋れないかよ……まさしく外法だな」
 問答の合間に阿萬が、腹からの声を発する。
「整いまして!」
「おう」
 パキパキと乾いた音を鳴らしながら、焔の頭上の角が太くなる。
 と――
 ごおおと地面から噴き出した真っ赤な炎が、鬼の全身を包み込んだ。
「せめて、苦しめずに浄化してやる」
 炎の周辺の地面には、紫に光る何らかの陣が浮き出ている。阿萬が宙に札を掲げ、途切れることなく何かを唱え続け、陣は一層強く光っていく。
「しょう、しょう!」
 すると鬼は、笑いながら飛び上がり空中へ身を躍らせ、同時に、長く黒い爪で宙を引っ掻くようにした。そして焔の数歩先に降り立ったと同時に、焔の頬からは――血がぶしゃっと飛び散った。
「焔様!」
「ちっ」
 鬼の長い黒髪が舞い上がり、その顔をあらわにした時、琴乃に衝撃が走る。
「その、目は! まさか……春姫様⁉︎」
 鬼の目は、扇合の際檜扇ひおうぎ越しに睨まれた目に、よく似ていた。
「しょう、しょう!」
 琴乃の声に激昂げきこうした様子の鬼が、焔の脇を素早くすり抜け、室内にいる琴乃へと襲い掛かる。
 ギン!
 琴乃が恐ろしさのあまり目をつぶると、鈍い音が鳴り響いた。
「……⁉︎」
 恐る恐るまぶたを開けば、真っ先に水色のころもが目に入る。
「あっ!」
 逆手に構えた刀で鬼の爪を受け止めた充輝が、琴乃の前に立ち塞がるようにして、守っていた。
「させるか!」
 不敵に言いながら、充輝は力で鬼を押し返す。
「しょう、しょう!」
 ところが鬼は、全身で喜んでいるかのように飛び跳ね、さらに力を増し、充輝に覆い被さっていく。
「ぐ! 馬鹿力め……」
 押され気味の充輝の背後で、琴乃ははたと気づく。
「しょうしょう……少将! 少将と言っているのね⁉︎」
 琴乃の言葉に、焔は眉根を寄せ唸った。
「ちいっ、右大臣の娘の恋慕れんぼこじれさせたか。失態だなあ充輝」
 一方の充輝は、
「お詫びのしようも、ございませんっ」
 と、鬼の猛攻に耐えつつ謝罪する。
「となると、とんでもねえ穢れだ。竜語の血脈をにえにしたんだから、俺が直に祓うしかないだろう」
「陛下! いけません!」
 慌てる充輝が、鬼の猛攻を刀一本で押しとどめつつ、言葉で焔を止めようとする。
 だが焔は、淡々と準備を進めていく。
「何かあった時の暫定の竜皇は、慈雨に任せる」
「焔様! どうか! おやめください!」
 充輝を無視した焔は鬼に向かって
「こいつはまだ成ったばかりだ。戻れるだろ」
 と驚くほど優しい声を発した。
「焔、さま?」
「あー、琴。もし俺が暴走して正気を失ったら……預けてある俺の――で止めろ。火の巫女たるおまえなら、大丈夫だ」
(俺の、何⁉︎ 預けてある、て、知らないわ!)
 焦る琴乃に向かって、焔は笑う。
「こいつを放置したら、国中に穢れが広がる。俺の存在より、世の障りを滅する方が大事だ。もし俺が消滅しても、次代の火ノ竜は、そのうち天が産むから案ずるな」
「なにを」
「俺を選んでくれて、感謝している」
 言い終わるや否や、めきめきと音を立てて、焔が姿形を変えていく。
 赤い鱗が肌を覆っていき、黒い翼が背に生える。口角からは息と共にメラメラと赤い炎が漏れる、まさしく火ノ竜人だ。
「ぐ」
 鬼の力に押された充輝がついに片膝を折ると、焔が鬼の背後から肩に手を掛け、背後へぎ払った。
「ぐぎゃっ」
 なにかが潰れたような声を発しながら、鬼は地面に叩きつけられた。
 阿萬とその部下たちが、姿勢を崩さず一心不乱に真言を唱える中、倒れた鬼はケタケタと笑いながら上体を起こす。切れた唇から血を流しながら、牙を剥き出しにして「しょう、しょう」と呼んでいる。
「哀れだな」
 じゃり、と庭に降り立った焔が鬼へ手のひらを向ける。
「今、祓ってやる――浄」
 手のひらから放たれた赤い炎が鬼を覆っていくものの、
「ぐぎゃぎゃ」
 さもおかしそうに笑う鬼は、炎の中で踊るように身悶えるだけだ。
「充輝、姿を隠せ! おまえがいたら……」
 焔が背後を振り返ったその瞬間、
「隙あり!」
 とが叫んだ。
「ああ⁉︎」
 陰陽師たちが、驚く焔を取り囲み、より一層高い声で真言を唱える。
「阿萬、貴様……!」
「おやあ、竜皇陛下ともあろうお方が。この程度で動けなくなりますかあ」
 充輝が琴乃を背に庇いながら、「裏切ったか!」と鋭く声を発すると、阿萬は愉快そうにハッハッハと高笑う。
「さあてね」
「春姫を操っていたのは、弓削ではなかった……!」
 充輝の悲壮な声を聞いた琴乃は、焔の膝から力が抜ける様を見ても、動揺で体が動かない。
「ちい。どうりで、ことが、あっという間に」
「ええ、陛下。方位たがえの術で巫女の力を削ぎ、火ノ竜の信を得て穢れを与え、隙を作らせる。大変でしたよぉ」
 地面では、強力な紫の光を発する何かの陣が、発動しはじめている。
「ほむらさまっ!」
 悲鳴のような声を上げることしかできない自分に、琴乃は歯噛みしつつ、何かできることはないかと必死に考えはじめた。
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