死にたがりの私を生かす、死神の事情。

卯崎瑛珠

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第二話 天使の囁きに、負けそう

9. 初めての抵抗

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 仕事を終えた私が、いつものようになかなか落ちないパソコンの電源が消えるのを待っていると、鳴神さんが話しかけてきた。

「なあ、天沢。明日は休みだろ。予定あるか?」

 言われて、今日は金曜日だと思い出した、午後七時。
 営業課は飲みに行く人間がほとんどで、忙しなく退勤して行った。
 舞生くんは? と思いながらフロアに目をやると、鳴神さんがフッと息を漏らす。
 
「奴ら、日曜は休まないとならないからな。用事があるって、慌てて帰ったぞ」
「なるほど。私は特に予定ありませんが、なんでしょうか」
「そうか、ならちょっと行きたい場所がある。悪いが、付き合え」
「どこへ?」
「買い物だ」

 死神の買い物なんて、全く想像がつかない。
 鳴神さんと肩を並べてオフィスビルから外へ出て、最寄駅へと向かう。横を歩く鳴神さんを見上げると、目線に気づいた鳴神さんは、どうした? と目だけで尋ねてくる。
 
 私には、忘れてはならないことがあった。

「鳴神さん。今日、給料日なので。お金、返します。コンビニ寄っていいですか」
「分かった」
 
 最寄駅に近づくと、途端に色々な店が増えてくる。オフィス街で働く人々目当ての、コンビニやジム、飲み屋やレストランが主だ。
 道すがらにあったコンビニのATMで、お金を下ろす。残高は見なかったことにして、吐き出された紙幣を素早く財布に入れる。ATMを使うだけでは罪悪感があるので、申し訳程度に小さなミントタブレットを買ってから、店から出る。

 鳴神さんは、外で待ってくれていた。
 私の姿を認めると、フッと目線を道の向こうへ投げる。

「なあ。あそこの路地を入ったところにある、焼き鳥屋。うまいらしい。その一万で、食いに行かないか」
「……いいんですか?」
「俺が金持ってても、使い道ないぞ。美味い飯食う方がいいだろう」
「味、分かるんです?」
「さあ、どうだと思う?」
「……うーん?」

 鳴神さんは、答えを言わずに笑うだけだ。
 繁華街で行き交う人々は皆、浮き足だっていて、声も仕草も大きい。
 仕事帰りの会社員たち、国籍不明のグループ、成人しているか微妙な学生たち。

 いつもは足早に避けていくはずの人混みに、今日の私は自ら紛れに行っている。不思議な気分だ。

「しかし、本当に返すとは。律儀なやつだな」
「普通ですよ」

 ネオンと夜闇の間に溶け込んでいるかのような鳴神さんは、私の顔をじっと見つめてからまた前を向く。
 
「うん、また一日延びた」
「早死フラグ? 一日単位な感じなんですか」
「まあな」
「それはなんていうか。忍耐強いですね」
「それ、褒めてるのか?」
「どうでしょう」
 
 ――明日の約束があるから、まだ死んじゃいけない。
 
 心の中で、そんな言い訳なんかしてしまった自分に戸惑い、照れる。
 死神に悟られたくないなと思っていたら、鼻先に美味しそうな炭火焼きとタレの匂いが漂ってきて、お腹がギュルルと鳴った。

「うわー。いい匂い。匂いだけでもおかずにして、ご飯食べられそう」
「……やっぱり俺が払うか」
「あああ嘘です。ダメです。ちゃんと注文してください」
「天沢も、ちゃんと食えよ」
「はい」

 金曜日の夜、誰かとご飯を食べるだなんて。
 相手がたとえ死神でも、楽しいと思ってしまった。

  +++

 生ビールにつくね、鶏皮は塩で。ネギマの『マ』はなんだ? 砂肝おかわり。合間に梅きゅうり――

「ふが! あ、やば。準備しないと」
 
 あまりにも美味しすぎて、昨日の焼き鳥を夢にまで見てしまった、土曜日の朝。
 二人でお会計は九千九百九十円。もちろん途中から計算しながら食べた、一万円限界チャレンジ。
 悠人に貢いだのと、金額は同じ。
 鳴神さんの言った通り、ものすごく美味しかった。お腹が満足した一方で、心はますます虚しくなっていた。私は今まで、なんて無駄なことをしてきたのだろうか。

 時計は、朝九時を回っていた。

 九時半に迎えに行く、とアパートの玄関前で別れた隣人でもある鳴神さんは、結局目的地を教えてくれていない。
 もそもそとベッドから降りて、歯を磨きながら適当に髪をブラシでとかす。顔を洗い、申し訳程度の化粧水をつける。Tシャツの上に襟のよれたカーディガンを羽織り、何年履いているか数えるのも飽きたデニムを履く。
 三足どころか五足で千円の靴下は、黄色に変なさくらんぼ模様。黒いキャンバススニーカーは、某有名ブランドとよく似たデザインだけれど、雑貨屋さんで千円也。
 
 何をどう頑張っても、私にこれ以上のファッションは無理だ。経済的にも、センス的にも。

「こんなんで、一緒に出かけていいのかな」

 姿見の前で、途方に暮れる。
 死神だろうと、並んで歩いてご飯を食べて、人間として認識されている存在だ。小汚いのと一緒にいることで、赤の他人にも悪く思われたらと、遠慮してしまう。
 
 ピンポン。

 時間ぴったりにインターホンが鳴ったので、ドアスコープを確認すらせず、ドアを開けた。

「よう」

 立っていたのは、鳴神さんではなく――悠人だった。昨日のスーツ姿のままで、無精髭も生えている。

「は?」
「あー、腹減った。朝飯なんか作って」
 言いながら私を押しのけるようにして、悠人は勝手に靴を脱ぎ、部屋に上がってきた。
 
「ちょっと!」

 申し訳程度の広さの玄関から、六畳一間の狭い部屋までたった五歩。廊下と兼ねた小さなキッチンで、悠人は私のツードア冷蔵庫を勝手に開け、水のペットボトルを取り出している。
 
 約束どころか、連絡すら来ていない。
 こんな横暴さも、私に心を許してくれているからだ、だなんて、今までなら思っていた。

「迷惑」

 でも今の私の口をついて出てきたのは、文句だ。
 悠人は驚いて目を見開いた後、表情を取り繕う。

「いーじゃん。オールでカラオケとかマジ久しぶりすぎてすげー疲れて、そいや六花の家近いと思ってさ」

 あまりにも身勝手すぎて言葉が出ない。
 けど、断らないと絶対に居座る。
 
「これから出かけるの。帰って」
「出かける? そんなん明日でいいだろ」
「良くない。約束してるから」
「んな嘘つくなよ。風呂入る」

 私の言うことをちっとも聞かず、悠人は緩んでいたネクタイをほどき始める。このままでは、なし崩しに面倒を見させられる。お風呂入って、ご飯食べて、寝て。その間に着てきた服を洗濯させ、気が済んだら帰る。あとに残るのは脱ぎ捨てたスウェットと、散らかした食べかすだ。

「今すぐ、帰って!」

 悠人は、私が強い口調で言っても、鼻で笑いながら探りを入れてくる。

「なに? 機嫌悪い感じ? 怖いよ~りっか~。機嫌直せよ~?」

 悠人は気崩れたスーツに、ボサボサ頭と無精髭で迫ってくる。
 酒臭いし、汗臭いし、口も臭い。体臭だけでなく、色々なものがこびりついた匂いがする。
 
「臭い」
「えー?」

 懐柔路線に切り替えた悠人の猫なで声は、私の神経を逆撫でする。猫なら可愛いけれど、立派な成人男性の甘えには嫌悪しか湧かない。せめて彼氏なら、可愛いと思えたかもしれないが。

「彼氏でもないくせに」
「……は?」

 衝動的に吐き出した私は、悠人の反応を見て初めて気づいた。
 恋人ではなかったと否定されたのは、自ら身を投げる前、悠人からだ。
 けれどこの現実では、違う。

 思い切ったことをしてしまった。心臓がバクバクと波打って、息苦しい。

 悠人は何かを言おうとしたが、ぽかんと大きな口を開けたまま、私の背後へ目線を向けた。
 何事かと背後にある玄関を振り向く私の目に入ったのは、開け放たれた扉と、立っている鳴神さん。
 給湯室の時と同じように気配を感じなかったけれど、黒いシルエットには迫力がある。

「ったく。家にも来るのか」

 心底呆れたような声を出されて、ようやく私は息を継げる。

「っごめんなさい、鳴神さん。断っても出て行ってくれなくて」
「は? 約束ってこいつとかよ!?」
 
 この私の言葉に焦ったのか、悠人が私の横から身を乗り出し、鳴神さんの顔を指さした。
 あまりにも失礼すぎる言動に、私の頭はますます冷えていく。
 一体こいつのどこが好きだったのだろうか。過去の私、脳みそお花畑すぎる、と頭を抱えたくなった。

「そうだ。天沢には俺との約束がある。分かったら、さっさと帰れ」
 
 鳴神さんがキッパリと言い切ると、悠人は宙に浮いた指を泳がせたまま勢いを失った。

「嘘じゃなかったでしょ。はい、帰って」
「……ちっ」
「「あ」」

 舌打ちは、死神が冥土の使いっ走りを呼ぶ合図だ、と以前鳴神さんが言っていった。 
 悠人が玄関から出ると、どこからかカラスがギャース! ばさばさっ! と飛んできたので、慌てて鳴神さんの手首を掴んで部屋へ引き入れ、扉をバタンと閉める。

「いでっ!」

 薄いドアの向こう側で、おそらくカラスの嘴に突かれたであろう悠人の、盛大な悲鳴を聞いた私と鳴神さんは――顔を見合わせて笑った。
 
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