静かな夜をさがして

左衛木りん

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第3章 過去

辺境にて

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全員の注目を一身に浴びて、永遠が語り出す。

「…その頃北西地域の辺境を旅していた私は、立ち寄った村で星養いの原礎を拉致あるいは殺害する謎の人間の一団がいるらしいという噂を耳にした。もしその噂が本当ならこれは由々しき事態だと思ったが、その地域は同胞の行き来が少なくそれ以上の情報が得られなかったので、私は考えた末、何も知らない旅人を装って相手を誘い出し、わざと捕まって内部に潜入することにした」

「いくら戦闘能力の高いキミだからって、どうしてそんな危険なことを…ボクなら手は出さずに大森林に連絡してしばらく様子を見るけど」

「確かにそれが最も賢明だっただろう。だが私は時機を逸したくなかった。その地域は大森林からはかなり離れていて、知らせを送り対応や応援の到着を待っている時間はないと判断したんだ。そうして私は誰も通う者のない寂れた古い街道をひとり歩いた。すると案の定彼らは現れた…」



道沿いの木立の裏に潜んでいた複数の気配が突如動いたかと思うと、乾いた風を裂いて矢の雨が降り注いだ。

ダダダダッ!!

足許にぐるりと突き刺さった矢に逃げ道を塞がれ、露骨に驚いた顔で永遠は立ち止まった。そこへ数人の刺客が剣を抜いて襲いかかる。身軽な黒装束に、目以外の顔を隠す黒い布。永遠は地面に散らばった小枝を煌気で巻き上げ、旋風を巻き起こした。

「〈梢針しょうしん〉!!」

荒れ狂う棘の嵐に阻まれて束の間攻撃の手を緩めた刺客たちを今度は永遠の樹剣が急襲した。彼らの腕は自分の命を脅かすには遠く及ばないとすでにわかっていたが、あえて捕まるために非力と未熟の演技に徹した。

(さて、そろそろへばったふりをするか…ん?)

そのとき刺客のひとりが口笛を吹き鳴らした。すると他の者たちが一斉に身を引き、永遠を残して場を空けた。

(何だ…?)

永遠が訝しんだまさにそのとき視界に黒い疾風が躍り込んだ。一瞬狼かとも思ったが、それは人間の男だった。彼はたったひとり、狙い澄ました迷いのない動きとひと振りの大剣で斬り込んできた。

(…殺気!)

最初の一撃をとっさに煌気を強めた樹剣で受け流し、そこから猛烈な斬り合いが始まった。男は見るからに重そうな漆黒の大剣を自由自在に操り、人間相手に抑制しているとは言え森羅聖煌を含んだ樹生の秘剣と互角に渡り合う。人間の身でこれほどの技量を有する者を永遠はひとりも知らなかった。

(この男、並の剣士じゃない…まだ相当若いが、目も技術も身のこなしもすでに珠鉄の熟練者の域を超えてる)

その男もなかなか倒れない自分を一般の原礎とは違う者と認識したらしく、次第にその手筋に警戒感と慎重さを強め始めた。

(人間にしては勘のいい男だ…不利と見られて退却されるとまずいな。よし…)

「くっ…!!」

頃合いを見計らって永遠は足をわざともつれさせ、派手に尻餅をついた。すかさず男が胸許に切先をぴたりと据えてきた。

(…殺すのか?)

もし殺そうとしてきたらその前に殺すつもりで永遠はその男を見上げた。

彼は背が高く、鍛えられて均整の取れた体躯を揃いの黒装束に包み、長い黒髪をひとつに束ねている。同じように黒い布で覆っているため顔立ちはわからなかったが、唯一隠れていない目許を探ると曇りのない鏡のように美しく清澄な灰色の瞳をしていた。その瞳もまた森羅聖煌のきらめく永遠の茶褐色の瞳を見下ろしていた。

と、背後でずっと状況を見守っていた刺客のうちのひとりがあからさまに焦った声を上げた。

「副首領、どうなさったんです?早く始末を…!でないと人が来ます」

「殺さない」

「で、でもこの女は三礎ではありませんし…」

副首領と呼ばれた男は殺気を消して永遠の胸許から剣を離した。

「この女は他の原礎とは違う。狩るより生かしておいた方が利用価値がありそうだ。今回はここで任務を中止してこの女を砦に連行する」

「えっ!?もう帰投するんですか?」

「そう言った」

「で、ですが、成果がこの女たったひとりだけでは…」

「首領には俺が説明するからおまえたちは心配するな」

刺客たちは戸惑って目と目を見交わしていたが、それでも命令に従って銘々の武器を下ろした。

(殺す対象と捕虜にする対象が別々にあるのか…とにかくうまくいったみたいだ)

内心胸を撫で下ろしていると男が目の前に例の大剣を再び突き出してきたのでぎくっとする。

「狩りはしないがしばらくの間抵抗できないよう煌気を少し削らせてもらう。おとなしくしていろ」

「何…?…ううっ…!!」

男が剣に意識を込めると永遠は息苦しさを覚えて思わず呻き声を漏らした。煌気の金色の光が風に煽られる炎のように激しく立ち昇り、どんどんと黒い大剣の剣身に吸い込まれていく。

(煌気が吸い上げられる…!何だこの剣は…それにこの男…いったい何者だ…!)

苦痛に耐えながら必死に視線を上げると男の方も何か予想外のものを感じているらしく、目許に少なからぬ驚きの色を浮かべている。森羅聖煌に触れるのが初めてだからだろう。そのうちにこれはあまり干渉しすぎない方がいいと判断したと見え、彼はそこで吸収をやめて永遠を解放した。

「これだけ吸い取れば普通は気絶するはずなのに…しかもおまえの煌気は他の原礎より輝きが格段に強い。…おまえはいったい…」

うずくまって顔を伏せたまま答えない永遠を男は不思議そうにじっと見つめていたが、やがて部下のひとりに縄で永遠の両手を後ろに固く縛らせ、さらに別の者を呼んだ。

耶宵やよい!」

奥の木立の陰からひと回り細身の黒装束の者がさっと走り出てきた。

「監視と世話を頼む。丁重に扱え。ただし刃向かったり逃げようとしたりしたら少々痛い目に遭わせても構わない」

「わかりました」

柔らかい少女の声に永遠は思わず振り向いてまじまじと彼女を眺めたが、彼女は永遠の視線を無視して強引に立たせた。

「しっかり見張っておけ。出発するぞ。今日は東の谷の隠れ処に向かう」

一団は木立の奥に隠してあった荷馬車のところに行き、毛布を被せた永遠と耶宵を荷台に乗せ、男たちは行商人と用心棒に扮して何食わぬ顔で街道を東に移動し始めた。荷馬車の揺れるゴトゴトという音に紛れて永遠は脇に張りついている耶宵にそっと話しかけた。

「あの…」

「声を出すな」

案の定ぴしゃりと撥ねつけられて永遠は黙る。

(訊きたいことは山ほどあるし、女同士なら話が合いそうな気もするが、今はとりあえず辛抱するしかないな。奪われた煌気が回復するのを待ちながら様子を見よう)

それきり永遠は一切口を開かず、一団は粛々と東へ進み、日暮れ前に目的地の隠れ処にたどり着いた。



隠れ処と言ってもそれは建物などではなく、名も知られぬ古の民が谷間の崖を掘り抜いて住居としていたらしい、生活するには支障はないという程度の殺風景な空間だった。なじみの寝ぐらに到着してようやく解放された気分になったのか、男たちは次々と旅装を解き素顔をさらけ出した。彼らは皆ようやく成年に達したばかりという年頃の若者だった。永遠はあの副首領の姿を捜そうときょろきょろしたが、すぐに耶宵に首根っこを摑まれ、奥の暗がりに連れていかれた。

「夕食までつないどく。何かあれば言え」

離れた燈の照り返しの中で初めて耶宵の容姿を見ると、彼女も見た目はやはり自分と変わらない年頃の娘であることがわかった。色白の面長で、勝ち気そうな目尻と口許に特徴のある美人だ。永遠がここぞとばかりに興味津々のまなざしをじっと注ぐと耶宵はむっとした顔で睨み返した。

「何だ、その目は。手洗いか?」

「いや。うら若いお嬢さんが、どうして男だらけの集団の中でこんな仕事をしてるんだろうと思って」

「あんただってまだ若い娘なのにひとり旅してるだろ。生き抜くのに男も女も関係ない。今更何言ってる」

永遠は思わず瞠目し、眉をそびやかす。と、耶宵はぷいっと目を背けた。

「つまらないおしゃべりをしてる暇はない。副首領が戻られるまでに食事の支度をしないと。食べ物が欲しいなら無駄口叩くんじゃないよ」

少し焦ったようにそそくさと離れていく耶宵の背中をかすかな微笑で見送る。やはりこの娘とは馬が合いそうだ。

(しかし、あの男は着いた途端にまた外出か…疲れてるだろうに、こんな山の中でいったい何の用事だろう)

若者たちは寝ぐらに戻ったのがよほど嬉しいのか、いそいそと張り切って料理や食卓の用意をしている。鍋で炊かれているスープのいい匂いを嗅ぎながら明かりと薄闇の境目にじっと身を潜めている永遠に二人の若者が目を止め、こそこそとささやき合った。

「あの娘、ちょっと気が強そうだけどなかなかの上玉だよな。ひょっとしたら副首領の好みなのかも」

「でも副首領はお父君と違って綺麗な女にも見向きもしないよ」

「じゃあ他の利用価値って何…」

「副首領のお戻りだ!」

見張り番の大声が響き渡った瞬間、空気ががらりと入れ替わる。と言っても彼らの表情に恐怖や緊張はない。皆待ってましたとばかりに仕事の手を止めて立ち上がり、安心したように彼を迎え入れた。

「お帰りなさい、静夜さん!」

「静夜さん、お疲れ様です」

ひとりひとり労をねぎらいながら中に入ってくると彼は葡萄酒の壜の並べられた卓に例の黒い大剣を立てかけ、腰を下ろし、軽く息をついた。

(…名前は静夜か…)

その名のとおり無音の夜闇を身にまとったような深々と謎めくそのたたずまいを遠目に眺めていたとき、不意に彼が顔を覆った黒い布を外し、初めてその素顔を露わにした。凛々しく精悍な造作の中にかすかな甘さと物憂さを忍ばせた端整な顔立ちが目を惹きつける。年の頃は部下の若者たちの兄くらいといったところだろうか。感情の水位が常に低く保たれている気質の人間のようで、口は重たく思慮深そうな印象だった。

賑やかな夕食が始まり、そこに酒が入ると、明日以降任務もなくあとは家に帰るだけの若者たちはすっかり気が緩んでますます盛り上がった。こうして見ていると皆年相応の素朴で血気盛んな若者ばかりだが、静夜ひとりだけは羽目を外すこともなく、時折彼らの様子を柔らかな目で眺めながら黙々と食事を進めている。葡萄酒は、最初の一杯を空けた後は壜に手を伸ばすことはなかった。食事や酒の席ではその者の人となりがよく見える。永遠は自分の推測を確信に変えていた。そこに耶宵が近づいてきた。

「ほら、あんたの分だよ。食べる間だけは特別に手を使わせてやるけど、逃げようだなんて考えないでね」

足許に堅そうなパンとチーズとごった煮のようなスープが置かれ、縄が解かれる。

「副首領は捕虜に対しても公平だ。ありがたく食べて明日に備えな」

(公平?殺すときは情け容赦なく命を取る気のくせに…まさしく生殺与奪だな)

並べられた質素な品々に、ふと故郷の弟が作ってくれたとびきりおいしい料理の数々を思い出す。野菜のたっぷり入った山羊のミルクのシチューも温かな焼きたてのパンも、もう長いこと食べていない。

「星の恵みと主殿のご慈悲に感謝します」

何食わぬ表情で両手を合わせ、耶宵に見張られながら出されたものをただ腹に収めていった。さすがに落ち着かない気分だったが、手が自由な間は耶宵が側を離れないのを逆手に取って彼女に話しかけた。

「君、名前は耶宵だね」

「…あ、ああ」

「私は永遠。樹生・アリスタ・永遠。これからよろしく」

「何だよ、いきなり…」

「せっかく女同士なんだし、仲良くなれそうだから。それに名前がわからないと呼びにくいだろう」

呆気に取られていた耶宵は返事を待つような永遠のまなざしに気づくと頬をぱあっと赤く染めた。

「な、なんで捕虜と仲良くならなきゃいけないんだ!静夜さんが特別扱いしてくれてるからって調子に乗るなよ!」

思わず喚いてしまってからはっと口を押さえた耶宵だが、向こうの酒盛りの喧騒にかき消されて誰も聞いていなかった。

「しーっ!…ところでひとつ訊きたいんだが、その静夜はなぜ私を殺さないんだ?特別扱いは嬉しいが、私を生かしていったいどうするつもりなんだ?」

「そんなこと、あたしの口から言えることじゃない」

「それは…やはり奴隷のように働かせるとか、あるいは…人形や娼婦のように私を…」

「馬鹿言え、静夜さんはたとえ自身が優位でも女を絶対そんなふうに扱ったりしない。任務のときも必ずあたしのような女をひとりは連れていくし、誰に対しても無礼で粗野な振る舞いなんてしない真面目で律義な人だ。だからみんな信頼してついてきてるんだ」

ちょっと鎌をかけてみたつもりが思いの外熱の入った調子で語ってくれるので、もう少し乗ってもらうことにする。

「そうなのか。どうりで皆士気が高く、よくまとまってるわけだ」

「静夜さんと外に出る任務のときは特にな。静夜さんは仕事には厳しくてごまかしや怠けを許さないが、本当はとても優しくて面倒見のいい人なんだ。孤児だったあたしや兄貴にも目をかけてくださって…」

「兄貴?君の兄さんもここにいるのか?」

「ああ。今静夜さんの前に座ってる…あれがあたしの兄貴の暁良」

指を差されてそちらを見ると、優しげな横顔の青年が静夜と向かい合って小声で何か話している。他の若者たちとは少し異なり、二人の間はずいぶん真剣で親密な雰囲気だ。

(さしずめ副首領の片腕というところか…それにしても皆若い。きっとやむにやまれぬ事情があるんだろうな)

「君の兄さんは副首領の信頼を得てるようだな。…ところで君にお願いがある。少しでいいから静夜と二人で話をさせてもらえないだろうか」

「食べ終わったのならおしゃべりももう終わりだ。そろそろ片づけと寝る準備をしないと。静夜さんの機嫌を損ねないよう、いい子にしてるんだね」

本題はここからだったが、今夜はもう潮時のようだった。ただ耶宵が案外おしゃべり好きで友好的な性格だということはわかったので、彼女とは明日もまた話す機会は十分にあると思えた。だが永遠が本当に話したいのは他でもない静夜だった。

(私が彼と彼の剣のことを知りたいのと同様に、彼も私の力や素性が気になってしかたないはず…とすれば向こうが近づいてくる可能性もある)

再び縄で両手を括りつけられながら目だけ動かして話し込んでいる静夜と暁良を見る。すると静夜の方もまるでこちらの様子を窺っているように感じられた。



翌日の夜は街道筋の森の奥で野営をすることになった。

荷台から下ろされた永遠は今夜は木の幹にぐるぐる巻きに縛りつけられた。背中に当たる樹皮の感触にほっとする。

(不本意ではあるが、荷台の上や洞窟よりは安心する)

料理担当以外の者は焚き火の明かりの外周で手際良く地面に杭を打ち綱を渡して続々と天幕を張っていく。顔ぶれを見渡すと、やはり静夜だけがいない。

(今日もまたひとりでどこかに行ったのか…?)

無性に気になったのでたまたま近くにいた者に尋ねると意外な答えが返ってきた。

「静夜さんならこの先にある墓だ。…ご自身が狩った原礎を埋葬して墓を作り、近くを通ったり逗留したりするたびに必ず花を供えに行かれるんだよ。せめて祈りだけでもと…その…悪く思わないでくれ。それが副首領の使命なんだ」

(矛盾してる…自ら殺し、悼み、そしてまた殺すだと?なぜそんな所業を…!)

永遠は胸が潰れそうになりながら冷静に感情を鎮めると、瞑目し、背中に触れている木に煌気を少しずつ注ぎ込んだ。永遠と最も親和性の高い木の内側を流れる水に混じって上へ上へと昇り、張り出したすべての枝の末節に至るまで行き渡ると、煌気の視覚が目を覚ました。果たして一本の梢の先端が求める姿を捉えた。静夜は大木の根元に立てられた簡素な墓標の前に片膝をつき、摘んだばかりの小さな花の束をそこに手向けている。土の色や草の生え方が周りと少し違って見えるのが亡骸が埋められているところなのだろう。頭を垂れて無言で祈りを捧げるその後ろ姿に義憤の念は不思議とするすると退き、代わりに憐憫の情が強く心を揺さぶった。自然と涙がひと筋頬を伝っていた。命を奪われた同胞に寄せる思いからなのか、それとも忌まわしい宿命を背負った彼を憐れむ気持ちからなのか、自分でもわからなかった。

永遠はとてもそれ以上盗み見ていられなくなり、そこで煌気の視覚を閉じた。ふるふるっと頭を振ると涙はたちまち乾いて消えた。

ちょうどそこへ永遠と耶宵のための天幕を張るために彼女の兄の暁良がやってきて作業を始めた。永遠は静かに抑えた声音で彼にこう問いかけた。

「君たちはいったい何者だ?何が目的で原礎を殺したり、殺さずに連れ去ったりする?」

暁良ははっとして永遠を見下ろし、困った様子で答えた。

「…そんなこと訊いたところで、どうにもならないよ」

「原礎は星の命であり意思だ。私たちを殺したり害したりすれば人間たちの命や暮らしもたちまち危うくなる。今の君たちは自分で自分の首を絞めているのに等しい」

「何言ってる?私たちの首を絞めているのはおまえたち原礎だろう」

「そんな教え、誰に吹き込まれた?あの副首領か?」

暁良は永遠の恐れを知らない瞳の輝きに圧倒され、脂汗が噴き出すのを覚えながら必死にぶるぶると首を振った。

「そんなこと私には言えない…それに、どうせ知ったところでどうにもなら…」

「知ったところで死ぬまで逃げられないのだから、どうせなら教えてやる」

暁良の肩をぐいと押しのけて立ちはだかったのは冷たい目をした静夜本人だった。

「俺たちは“煌狩り”。星の病巣である原礎を殺して煌気を奪い、新たな人間世界を構築するための力の源にする。特殊な知識や技術を持つ原礎は労役に従事させ、それ以外の者は狩って煌気を奪うか、拘束して死ぬまで何度でも煌気を搾り取る。おまえの運命は後者だ」

目を見張り、次第に険しく眉を逆立てる永遠の足許に静夜は抜き放ったあの黒い大剣をぐさりと突き立てた。

「これは“迦楼羅”という。煌気を吸い、蓄積し、放出することができる“煌喰い”の剣…俺だけが扱える、この世でひと振りだけの剣だ。俺たちはこの力で原礎の手から支配権を取り戻し、世界を変える」

永遠は瞋恚の燃える断固たる表情で彼をきっと見据えた。

「君たちの考えは間違ってる…いや、あまりにひどく偏ってる。君たちは正しい教えを受けてないのか?人間ならば誰でも私たち原礎の星養いの旅について教わったりその仕事を見たりした経験があるだろう」

「偽りを語り弱者を欺く者ほど自らは善と真実を装うものだな。ここにいる同志たちこそ真実だ。おまえは彼らの前でも自分たちが十分な働きをしていると言えるのか」

暁良が静夜の背後で唇をぐっと噛みしめるのがわかる。

「…私たち原礎がすべての人間を完璧に幸福にできるわけではないということは否定できない。…しかし」

(彼らは何者かによって意図的に誤った価値観を刷り込まれている。若すぎる者や孤児出身の者ばかりなのはそのためか…だとすると静夜自身の出自にも秘密が…)

永遠は静夜を諌めながら心中で情報の欠片を拾い推測をつなげていった。

「私たちはいつ何時でも君たち人間の声なき声に耳を傾けている。そして星からの声にも。君たちの視界は、君たち自身の責任ではないとは言え、少々狭すぎるようだ。できることなら私の話を聞い…」

「ふざけるな。詭弁と欺瞞はもういい」

静夜は少し苛立ちを覗かせて踵を返そうとしたが、静夜と話す貴重な時間を可能な限り引き延ばしたい永遠は粘り強く言葉を連ねた。

「待て。賢い君なら、星の上で不必要な血を流すことは原礎と人間双方にとってひとつも利を生まないということがわかってるはずだ。それなのに、自分自身を血で汚してまでなぜ原礎を殺すような仕事をする?」

「それが生まれついての俺の役割だからだ。他に選択肢はない」

「質問を変えよう。なぜ君は忌み嫌い排除した者に哀悼の祈りを捧げるのか。もし君がこの問いに答えないとしても私にはわかる。君の中にはきっと二人の君がいるのだと」

そのとき静夜は射抜かれたような強い動揺を瞳の奥に走らせた。

「誰かが漏らしたのか?…余計なことを…!」

苦々しげに歯噛みし、目をそらす。永遠は精一杯真摯な言葉で食い下がった。

「君の中のもうひとりの君は私の話を聞いてくれているはずだ。今すぐには無理でも、少しずつ…」

「黙れ!憐れみや薫陶で俺を懐柔しようとしても無駄だ。今夜は食事は与えない。朝までそうしていろ」

「あ!待って…」

静夜は制止を振り切って今度こそ歩き去る。常ならず怒りに満ちたその背中を、後ろ髪を引かれるように時折こちらを振り返りながら暁良が追っていく。

永遠は肩を落として深い溜め息をついた。

(私としたことがつい感情が勝ってうっかり踏み込んでしまった…これで当分話させてもらえないだろうな)

道のりは長く、問題は山積している。だがもし数日を無駄にするにしても、今夜静夜の心の扉を叩くことができたとすれば、無駄にはならないはずだ。音を残しただけでもいい…そう、少しずつ。



永遠が少し間を置くと、光陰がそっと口を開いた。

「…つまり煌狩りの目的とは原礎から煌気を奪って人間世界を富ませ、星から原礎を排除することか…しかし彼らの言葉を借りて言うなら、煌気に頼る限り人間は依然として原礎の支配を免れないことになるが」

「それこそまさに真理です…忌避と羨望、憎悪と憧憬は表裏一体です。ですが原礎を排除することでよりいっそう失われるものが増えるということに彼らは気づいていませんでした」

静夜は責め苦に耐えるようにじっとうつむいている。久遠と界の二人もそれぞれの思索に沈んでいた。

「それにしても彼らは煌気をどのようにして利用するつもりなのだろう。迦楼羅を操れる静夜くんはともかくとしても、普通の人間が原礎と同じように煌気を操ることはできないし、まして若者たちだけで成し遂げられる業とも思えない。もしや彼らの背後に何か得体の知れない強大な力が潜んでいるのでは…」

「私もそのことをずっと考えていました。彼らの本拠地に入り込むことができればその手がかりが摑めるかもしれない、と…その後数日間何事もなく街道を進み、私たちは本拠地の砦まで半日という地点まで来ました。そこでちょっとしたことが起こりました」



「止まれ、止まれ!」

森の中を縫う道がやや上り坂に差しかかったとき突然先頭の者が叫び声を上げ、一団に緊張が走った。

「どうした?」

「じ…地面が…!」

殿を守っていた静夜が前方に出てくると、若者たちが眼前の光景に目を剥いて固まっていた。道の傍らの地面に巨大な亀裂が走り、そこを中心とした斜面一帯がまるで呼吸をするかのように規則的な膨張と収縮を繰り返しているのである。

「どうなってるんだ!?木も…一緒に動いてるぞ…!」

「前はこんなことなかったのに…倒れてきたりしないだろうな…」

「荷馬車を通すと陥没するかもしれません。副首領、どうしましょう?遠回りですが迂回して裏門を目指しますか」

静夜が少し考え込む。瞬時に原因を推察した永遠は居ても立ってもいられなくなり、彼の真横に身を乗り出した。

「私が対処する。だから縄を解いて手を自由にしてくれ」

「…しかし」

静夜は躊躇ったが、永遠が背中を向けて早くしろとばかりに縛られた両手を見せつけてくるので、押し切られる形で致し方なく縄を解いた。

「今だけだぞ。早く終わらせろ」

「ああ」

両手が自由になると永遠はすぐさま荷台から飛び降りて亀裂の際に駆け寄った。地面にしゃがみ込んで一心不乱に調べ始める小さなその背中を、若者たちが不審そうに、また不思議そうに見守る。

やがて永遠は立ち上がってこう結論づけた。

「思ったとおりだ。ここの地質は粘土層で、地中の水分量が減ると亀裂を生じやすい特性がある。たまたまその状態のときに風が吹き込むと空気の流れがこのように土や木の根を押し広げて、あたかも呼吸をしているかのような奇妙な現象が起こるというわけだ」

永遠はそう解説した後、地面に煌気を注いで亀裂を閉じさせた。

「これで大丈夫。だが今後通行の際は留意しろ」

教師のように知識を授ける永遠に多くの若者たちはぽかんと口を開けて聞き入っているが、中には露骨に疑わしそうにじろじろと不躾な視線を投げつけてくる者もいるので永遠は肩をすくめた。

「別に力を見せつけるつもりはない。私はただ、いつもどおりの自分の仕事をしただけだ」

静夜は安全が確保された道を固くこわばった顔つきで食い入るように見つめている。一方永遠は堂々とした涼しい表情で荷台の上の耶宵の隣に戻ると、後ろ手を回した背中を静夜に向けた。

「ほら、用は済んだから縛り直せ」

「…」

「どうした?」

眉間に神経質そうな深い皺を作り、彼はぶっきらぼうに言った。

「面倒だ。砦はもう目と鼻の先だからそのままでいい」

意外な反応に、永遠は拍子抜けしたように自分の両手を見つめる。手首には縛られた痕がくっきりとついていた。
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藤吉めぐみ
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国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

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