同棲契約

森川圭介

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#1同棲契約

愛なんて

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眠くて仕方ない。欠伸を噛み殺して廊下を歩いていると、ガラス張りの部屋の中に見覚えのある後ろ姿があった。
なんとなく気になって軽く中を覗いてみる。春川係長の部屋に浅田がいた。
「そういえば、この間の話なんだけど」
聞くつもりはなかったが、給湯室が隣にあって珈琲を入れている間に聞いてしまった。
「おいくつですか」
珈琲をタンブラーに入れて給湯室を出た。
「出来れば早く子供が欲しいです」
思わず手に持った珈琲を溢しそうになった。
「まだ早いんじゃないのか」
春川係長、何を言っているのですか。いや、俺も係長だけど。浅田に実は婚約者がいたのか。いや、春川係長と付き合っているのか。
俺は33だけど春川さんは35だから浅田となくはないか。
「退職前にいいお話をいただけてうれしいです」
浅田が退職なんて聞いていない。
「なかなかいいですね。」
春川係長とではないんだな。ひとまず胸を撫で下ろす。携帯の画面を覗いて二人は和気あいあいと話している。
その後「どうしたんです」と浅田にとうとう聞かれてしまった。
「体調悪いんですか。それとも、何か企んでいるんですか」
「何でもない。俺を何だと思ってる」
彼女の顔をまともに見られない。家に帰ったら聞いてみよう。
悶々としていてその日は仕事に身が入らなかった。
食事の途中でそれとなく切り出してみる。
「プライベートを詮索するのは誉められたことではない。答えたくなければいいが。」
肉じゃがを口に運ぶ。
「あの、あーつまり」
「歯切れが悪いですね。はっきり言って下さい」
食事の際に口に出しにくい。
「あまり複数の男とそういう関係になるのはよくない。俺がとやかく言う立場ではないと重々承知しているが。」
「なに言ってるんですか」
浅田が呆れた顔を向ける。
「俺は真剣に言っているんだ」
浅田は何も言わない。
「まぁいい。食事が冷めてしまう」
そのまま気まずい雰囲気が次の日も続いた。


昔馴染みの新井さんと食堂で会った。他愛もない会話をしていると、ある話を持ちかけられた。
「そろそろ相沢も独りは寂しいんじゃないか。いい人は見つかったか」
確かに最近、同期が次々と結婚していっている。
「いいや。」
「彼女はいたよな?」
俺は首を横に振った。
「そうか。いいこがいるから紹介してあげる」
「うーん、俺を好いてくれている部下がいてな。」
「相沢はその娘のことが好きなのか」
「いいや、分かんないな。可愛いとは思うけど」
新井さんは定食を食べ進めながら言った。
「一回会ってみなって。しかも、美人の秘書と社長の娘なんだよ。25と27で丁度いいだろう。相沢はみてくれは悪くないし、紳士的だし十分だと思うけど。」
俺は苦笑いをした。
「ありがとう。一回会ってみるよ」
「そうこないと」
俺はなんだかんだあってその二人とそれぞれ会うことになった。


「相沢係長がこの間、秘書課の杉山さんと歩いてたの見ましたよ。」
「私も。とても仲良さそうだったよね」
昼食の時、隣のテーブルの後輩の言葉が耳に入る。
最近、家に帰っても妙に余所余所しくて変だった。
やっぱりそうだったんだ。相手がいたのに。
「お待たせしました」
影山ちゃんが目の前に座る。影山ちゃんに聞かせないように私は僅かに大きな声で話した。
影山ちゃんは気にせずに一人でペラペラ話してくれた。
「ここのカレー美味しいですよね。個人的にはもっと辛くてもいいと思うんですよー。」
小動物が嬉しそうにカレーに食いついている。
「こう見えて激辛いけるんです。カレーとか絶対に辛口ですもん。チゲ鍋とかキムチとか韓国料理なんかは特に。今度、新しく出来たビビンバ屋さん行きません?」
「いいね。私ちょっと辛いの苦手だけどビビンバは食べれる。冷麺とか美味しいよね」
彼女は嬉しそうに頷く。
「決まりですね。来週の土曜日に相沢さんと美術館に行くんです。ずっと好きだったルノワールの作品が日本に来るんです。」
「楽しみだね」
私はグラグラと揺れている。影山ちゃんを応援してるのに、正直に言ってあげていいのか、本当に応援してるのか分からなくなってきた。
これは確めなくては。二人のために。
帰ると先に帰っていた相沢さんがお風呂を洗って、ハンバーグを作っていた。
「見た目によらず料理出来るんですね」
「大学でてからずっと一人暮らしだから長いが、料理はもっぱら出来ない。最近、調べて作るようになった。」
フライパンの上でハンバーグが音を立てている。
部屋着に着替え戻るとテーブルには料理が並んでいた。
向かい合って黙々と食事を食べる。この前の気まずさが抜けず空気が悪い。
「彼女がいたのに、どうして言ってくれなかったんですか」
彼はふと顔を上げ眉間に皺を寄せた。
「仮にいたとして言う必要があるのか。」
そんな言い方ある。
「彼女さんがいたならもっと慎重にすべきです。私と同居なんてしていたら嫉妬されて、喧嘩になりかねないし。」
「第一君に報告する義務はない。ただの、同居人だからな。心配ご無用。」
頭に血が上がってくる。
「そーですね。私はあくまでも他人で同居人ですからプライベートを詮索するのはおかしいですよね。ご馳走さまでした」
相沢さんもムスッとしている。
「それより、浅田に聞きたいことがあって。もしかして退職するのか」
どこからその話を聞いたんだろう。まだ春川係長にしか言ってないのに。
「貴方には関係ないですよね。」
相沢さんは口をつぐんだ。私はお皿を洗うとそのまま風呂に入った。
どうしてあんなにムキになってしまったんだろう。
私のこと部下以上友人以上恋人未満くらいに思ってくれていると過信していた。信頼されてないどころか、突っぱねられた。
風呂から出ると顔も見ず部屋に向かった。すると、扉の前で立ち塞がれた。
「ちょっと待ってくれ。冷静になれ。俺はそんなに気に障ることを言ったか。」
真剣な眼差しが見下ろしている。
「ええ、私のあんな姿やこんな姿を見たことあるんですよね。あんなことしちゃった後で今更。最低。」
押し退けて扉を開け部屋に入ると鍵を閉めた。

次の日に帰宅すると先に帰ったはずの浅田がいなかった。
一人で夕食をとったが、時計が十時を過ぎた頃になっても帰ってこない。
もしかして家出か。
「ったくどこに行ったんだ」
友達の家か実家にでも帰ったんだろう。
「難しいやつだな」
同棲はしたことがないから分からなかったが、女性と生活するのってこんな感じなのか。小さなため息が部屋に響く。
会社につくといつものままでちゃんと出勤をしている。
顔を合わせても事務的にしか話をしないし、顔も上げない。焦れったい。
おまけに五日間も家に帰っていない。なんだか腹が立ってきた。
「彼女さんの浮気ですか」
部下の佐伯が笑っている。
「すごい不景気面ですよ」
「ん、分かってる。佐伯に聞いていいものか悩むんだが。部下であれ上司であれ女性が気難しいと思う。この前ちょっと怒られてさ、俺の何が悪かったんだろうと思って。」
珈琲を飲みながら頷く。
「相沢さんは言葉が足りないんですよ。ほら、いっつも簡潔すぎて伝わらないんですよ。基本はいつ、どこで、だれが、どうしたですよ。何をどうしてほしいのかを具体的に言うんです。」
「そうなのか。」
「例えば、雨が降ってる日だとしますね。何か会話をしたときに、相沢さんは『雨が降ってるだろう』みたいに言うんです。
それは答えにならないんです。『雨が降ってるから早く帰ろう。』とか『雨が降ってるから洗濯物を取り込んでほしい』とか「雨が降ってるから出掛けるのはやめよう」って言うんです。
愛してるも女性にとっては言ってもらわないといけないんです。言わなくても伝わってるは大間違いなんです。」
さすがモテ男の佐伯 良幸。
「なるほど。ありがとう。参考にする」
そして今日も一人の部屋に帰る。
顔を洗って部屋に入ると出勤前と何か違う。テーブルの上のものが動いていたり、閉まっていたカーテンが僅かに開いていたり、浅田の部屋の扉に隙間が開いている。俺のいない間に荷物を持っていっている。
テレビを見ると今から大雨の予報が出ていた。
窓を見るとガラスに大粒の雨粒が当たる。寒くないだろうか。
ちょっとドライブに行こう。キーを持って下に降りた。
車を走らせていると公園のベンチに座っている人影を見た。
そのまま通りすぎようとしたが気になって見た。
俯いている顔が上がった。浅田だった。
近くに車を止めて駆け寄った。なんて声をかけていいか分からず、横に立った。
「浅田、どうした。」
髪と服が濡れている。顔を上げた瞳に涙が浮かんでいた。
「心配だった。本当に。こんな暗闇で危険だろう。寒くないか」
肩に上着をかけた。
「ほら帰ろう」
浅田は俺の手をとって立ち上がった。
家に帰る間も無言で部屋に入ると鍵をしっかりと閉めてしまった。
何で泣いていたのかは聞かないでおこう。
すぐに出てくると思ったが中々出てこない。
着替えているにしては時間がかかっている。部屋の扉の前に立った。


ノックの音がする。ベッドから立ち上がろうとすると「そのままでいい」と制止された。扉の向こうから声がする。
「そんなに俺の顔が見たくないか」
いつもの強気なのとはうってかわって穏やかな声だ。
「なぁ。聞こえてるか分からないが、聞こえてたら少しだけ聞いてくれ。」
耳を澄ませてみる。
「言い訳かもしれないが。君がいない間に気がついたことがあってだな。
俺は言葉が少ないかもしれない。伝えたいことを上手く伝えられなくて、いつもすれ違ってしまう。ごめん。」
そっちから謝ってくるなんて。
「こちらこそすみませんでした。私も意地を張ってしまって。」
扉を開くと、肩を落とした相沢さんがいた。
私の顔を見ると気まずそうな顔を上げた。
「お腹がすきました。ご飯を食べましょう。話はそれからです。」
二人で食卓を囲むのは一週間ぶりだった。
「浅田に言わなくてはいけないことがあってだな。」
わざとらしい咳払いをした。
「きっと勘違いしていると思うが、俺と浅田の間には何もなかった。
あの朝、勘違いしてるのがわかって笑いを隠すのに必死で。
ちょっと意地悪をしたくなったんだ。
意識してドギマギしていた浅田を見ると正直、我慢できそうになかった」
目を伏せている。
「えっ、ひどい。考えすぎて損した。」
睨み付けると相沢さんは笑った。
「浅田はその方がらしくていいぞ」
らしいって何よ。
「それより、相沢さんは影山ちゃんとご令嬢とどちらかはっきりして下さい。そんな態度は影山ちゃんに失礼ですよ」
「それは、今度のデートではっきりさせる。そんなんより」
「そんなん?女の子にとっては大事なんですから」
「分かってる。ちゃんとする」
相沢さんは面倒くさそうに手を振った。
「退職するんだってな」
やっぱり何処かで聞いたのか。ビールをあおった。
「退職はしません。」
相沢さんは動きを止めた。
「しないのか」
「ええ、副業として同時並行の方が効率も金銭面もいいからです。」
心なしか安心したように見える。
「それとお見合いの話なんだが。決まりそうか。相手が見つかったら出ていくつもりなんだろう。子供がなんとかって」
お見合い?何の話か分からない。
「それは知りません」
面食らった様子だ。
「いや、だって春川係長と話をしていただろう。聞くつもりはなかったんだが、子供がほしいとか、いい人ですねって」
「それですか。うちのショコラのお相手を探してるんですよ」
「ショコラ?」
首を捻っている。
「ずっと隠してたんですけど、ネコを飼ってるんです」
私は部屋の隅で寝ているショコラを抱き上げて連れてきた。
彼は猫を前に表情をほころばせた。
「お前は美人さんだな。ショコラっていうのか。一緒に生活しているのに気がつかなかった」
「ショコラはお利口さんだからですよ。ここのマンションはペット可ですから」
よしよしと猫を甘やかすいつもと違う顔を見る。
「猫好きなんですか」
「あぁ」
相沢さんになついて早速、膝の上で眠りだしたショコラを撫でる。
「ショコラ宜しくな。」
ショコラはにゃーと小さく返事をした。
「えらいなショコラは。にゃー」
私を見てハッと顔を赤くした。萌えるじゃん。

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