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#2 二人なら
三人の約束
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仕事場から電車にのって、最寄り駅まで帰り、近くのスーパーで安い広告の品を買い、幼稚園に娘を迎えに行く。
残業の日は必ず最後の一人まで残してしまう。
「お待たせしました。」
「ママ。遅かったね。お腹空いた」
「ごめんね、美樹。お仕事で遅くなって」
頭を撫でてあげる。
「今日も美樹ちゃんはいい子でしたよ。
お家帰って一緒にアニメ見て、ママとプリン食べる約束したんだって。」
顔をみると彼女はニコッと笑った。
「美樹、そうだったね。お家に帰ったら食べようね。
今日も最後までありがとうございました。
いつも遅くなってすみません」
「いいんですよ、お忙しいのわかりますから。
帰ったら美樹ちゃんを沢山褒めてあげて下さいね。」
「はい!先生にバイバイしようね。」
「先生!バイバイー」
「美樹ちゃんさようなら」
正門から出て、手を繋いで薄暗い街灯の間を歩く。
「美樹、夜ご飯何食べたい?」
美樹は繋いだ手をブンブンと振り回した。
「オムライスー。ママ、お絵かき上手に出来たよ」
スキップをし、鼻歌まで歌ってる。
「よぉし、えらいぞ。ママが手を振るってオムライス作ってあげる」
「やったー!」
本当に我が儘も言わないし、機嫌もさすがに悪くはなるけどすぐに直る。
よく出来た娘だと思う。
渉さんが単身赴任に行って2年になるけど、正直この娘はお父さんの顔をあまり知らない。
仕事が出来るだけあって重要な役に就き、断れなかった。
マンションに近づいてきた。
「あら、相沢さん。今日も遅いわね」
声をかけてきたのは205号室同じ階の茅野さんだ。
「こんばんは。
残業があったので、今からご飯作らないといけないんです。」
「毎日大変ねぇ。
今日作った、ビーフシチューの残りでよければ食べないかしら。
良いお肉買ったから、きっと美味しく出来てるわ」
「心遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。」
茅野さんは気のいいおばさんで、いつもこうやって気をかけてくれる。
「いいのよぉ。美樹ちゃんに食べてもらうのが楽しみでもあるんだから。」
タッパーに入れたまだ暖かいビーフシチューを手渡してくれた。
そのまま、自分の部屋の前についた時とあることに気がついた。
部屋に電気がついている。不審者かも、私はかなり驚いた。
でも、鍵は合い鍵を作られない限り開けれないはず。
なんせ、オートロックで私の手持ちカードとそれの予備でしか開かないから。
まさか。そんなわけ、ないよね。
「美樹、ちょっとここで待ってて。ママ用事があるから」
美樹をエレベーターホールに残して恐る恐る玄関から靴も揃えず入り、ゆっくりとリビングの扉を開く。
テレビの前に座っているのは、ヨレヨレのTシャツの見慣れた後ろ姿。
ふと、こちらの気配に気がつき 振り向いた。
「おう、お帰り」
「帰ってきてたんだ。連絡ないよね?」
手に持っていた、荷物を落とした。
「仕事は?」
テレビに目を戻した。
「国内情勢の関係で暫く休み」
袖を掴む手が引っ張ってくる。
「ねぇ、ねぇったら。ママ」
呆然としているのを現実に引き戻してくれた。
いつの間にか横にいた。
「なぁに?美樹」
目の高さを合わせてあげる。不安気な顔で囁いた。
「このおじさん誰ぁれ?」
彼は傷ついた顔をした。
「えっ…と。この人はパ、ママの親戚のおじさんだよ。
事情でしばらく一緒に住むことになったの」
少し緊張が解けたのか、美樹は彼に向き直った。
「ママ、この人優しい?」
そりゃそうだ。一歳のときに海外出張が決まりそれから四年も会っていない。
ろくにビデオ通話などもせず、声で会っていただけだ。
「う…ん。優しいよ?ママもよく面倒見てもらってたから」
忽ち、笑顔に戻り近くに寄っていった。
「こんばんは、おじさん。美樹ね、これ描いたの?」
目を細めた後、人の良さそうに笑った。
「上手だな。偉いぞ、美樹。ところでご飯はまだだろう?」
「あっ、ごめんなさい。いますぐ作ります。」
そそくさと料理を始める。なるべく、会話させないような雰囲気を作って。
「なぁ、何で敬語なんだよ」
あっちで、美樹はテレビを見ている。
怪我をしないようにそっちにも気を配りながら、ケチャップライスを炒める。
「渉さんは手伝わなくていいですから、あっちの部屋で一緒にテレビでも見ていて下さい。」
「おい、だから」
「渉さん、貴方の携帯鳴ってますよ」
突如なり響いた着信音。聞き慣れた音。
この人は、着信音だけは映画館であっても消さない。
仕事に応対スピードは命だと言っていた。
―変な着信音。俺はこれが気に入ってるんだ。―
見に戻ったがすぐにキッチンに戻ってきた。
モテるからどうせ浮気相手からの連絡だろう。
「こっち帰ってるの教えたら友達から、飲みのお誘いだ。あ、それと」
「おじさん。一緒に遊ぼう」
美樹の呼び声に、話の途中であるにも関わらず気まずそうに返事をした。
「いま、おじさんが行ってあげるぞ。おじさん…か。」
私はオムライスを片手にダイニングに向かった。
「ご飯出来たよ、美樹の食べたいって言ってたオムライスだよ。
お隣りの茅野さんからビーフシチューもらったよ。」
「わーいオムライス」
美樹はピョコピョコ跳ねた。四年ぶりに三人で食卓を囲む。
「あのねーそれで美樹がね」
いつも通りご飯を食べながら喋る。
二人に慣れてしまって完全に二人の世界になっている。
「ビーフシチュー美味しー」
「美味しいよねー、お隣さんのつくる料理。今度ありがとうって言おうね」
「なぁ聞いてる」
すると美樹が私をじっと見つめている。
「ママー、おじさんがなんか言ってるよ」
仏頂面で振り向いた
「そうね、どうしたの」
「やっと、聞いてくれたか。なんだよその顔は。俺がいない間の仕事は何してるんだ」
そんなの聞いてどうするんだろう。
「んー、会計してる。」
「へぇ、つまんなそうだな。」
私は腹が立ち顔を背けた。美樹はご飯を食べ終えてうつらうつらと眠りだした。
「こらこら、こんなとこで寝て。ほら、歯磨きしてお布団行こう」
美樹を抱き抱え、布団に入れた。
「おやすみ、美樹」
「ちゃんとお母さんしてるんだな。美樹も大きくなったなぁ。俺の顔も覚えてないくらい」
「それはそうに決まってるじゃない。」
私は部屋を閉めて、キッチンに戻った。
「お前、相変わらず俺のお下がりのグレーのパーカーを着てるんだな。袖もこんなにヨレヨレだし、料理で汚れてる」
袖を引っ張り、裾についた料理の汚れをつつく。
「触らないで」
海外出張に行くときはかなり倦怠期に入っていた。喧嘩も増えていた。
「隣の茅野さんって俺が出ていく前にはいなかったよな、男なのか」
「…どっちでもいいじゃん」
「どっちでもよくないだろ」
私は面倒くさくなり、ソファに座りテレビをつけた
「まさか、嫉妬してるの。」
彼はムッとして隣に座った。
「その、まさかだよ。なんていうか。俺が言うことじゃないけど、お前を目の届くところに縛っておきたい。こんな風に」
両手首を片手で握られる。
「何してるの。離して」
睨みつけると、頭にキスをされた。
「そんな顔するなよ。でも、なんか無性に触れたくなる」
「嘘でしょ。私はもう熱くないんだから」
顔を背ける。
「じゃあ、俺が久しぶりに熱くしてやろうか」
「はぁ?ふざけないで」
顔をみると真顔だった。
「大体、俺がふざけたことあったか?」
「大ありよ。ちょっとやめて。」
スタスタと足音が聞こえた。振り返ると目を擦る美樹がいた。
「ママートイレ。」
押し退けて美樹に駆け寄る。小声で抗議する。
「ちょっとどいてってば。子供になんて姿見せるの」
私は美樹をトイレに連れていった。
美樹を再び寝かせると私もお風呂に入って、洗濯を片付けて布団に入った。
既に布団は膨らんでいた。
一人でいる布団の冷たさがなく、四年ぶりの温かさだった。
「なぁ、由香。充電させて。ずっと会って抱き締めて、この温もりを感じたかった。」
ギュッと抱き締められる。
「変なことしたら怒るからね」
彼は鼻で笑った。
「変なことって?何だよ」
ふぅと耳元に息がかかる。
「今日はしないよ」
翌日もお弁当を作って美樹を起こして、幼稚園に送って会社に出る。
一度も彼は動かなかった。
そのまま一日中ごろごろしている。家事もしない。仕事もしない。
仕事をバリバリする彼が好きだったのに。
挙げ句の果てには、街中をウロウロして近所の奥さんに新しい彼氏ですかと馬鹿にされた。
布団で絵本を読んであげていると、美樹は俯いて呟いた。
「あのねーねねちゃんが言ってたの。ねねちゃんのママがね美樹のパパはお仕事でいないけど、うわきしてるんじゃないかって言ってたんだって。うわき?ってなに。」
おじさんがパパだと言うべきだろうか。
「そんなわけないよ、毎週電話くれるでしょ」
「ねねちゃんもまりちゃんも、ゆきちゃんもパパは土日は家にいて遊んでくれるんだって。どうしてパパは帰ってこないの」
美樹をギュッと抱き締めた。
「ごめんね、お仕事だから。」
気がつくと美樹は寝息を立てていた。
やっぱり苦しいな。お給料は送ってくれるし、十分すぎるくらいあるんだけど、幸せってお金じゃない。本当にどこにも行った記憶がない。
私はそのまま寝室に向かった。やることも全て終わったことだし、そろそろ寝よう。布団に入ると彼は隣で携帯を片手に寝ている。
この横顔を見られるのも月曜まで。心の奥がずしりと重くなった。
「美樹の小学校のことだけど考えた?それと、ランドセルも。
受験させるつもりなかったが、由佳がさせたいって言うんならいいぞ」
小さく溜め息をついた。
「今更何を言ってるの。それについて連絡したよね?答えを返してくれなかったのは誰なの?」
色々積もりに積もって、ついに爆発した。
「あなたはそうやって全部私に責任を押し付けて。美樹のことも何にも知らないくせに。」
「仕事だったんだから仕方ないだろう。」
彼は涼しい顔をして言った。
「それでも、年に一回くらい帰って来るぐらい出来たんじゃないの。
私達がどれだけ寂しい思いをしていたか。
美樹は毎日パパはどんな人か、パパはいつ帰ってくるのかって。
もういい加減にして。私達の生活をめちゃくちゃにしたいの。」
「そう、怒るな。」
彼は至って冷静にかえす。私がカッカッして悪いみたいじゃない。
「こんな好き勝手されて怒らない訳ないじゃない。どうせ女を作って遊んでたんじゃないの。」
「ごめん、謝る。本当に浮気なんてしていない。愛してるのは君だけだ。」
「嘘つき。絶対謝るつもりなんてないじゃない。」
いつも、そうだ。泣かされてばっかり。
「泣くなよ」
「泣いてない」
そして、なだめて。
「泣いてる。じゃあ、ここについた雫はなんだ。」
頬につたる涙を指で拭った。手を振り払うと、明らかに傷ついた顔をした。
傷ついてるのはどっちなのよ。
「貴方にとって私達って何。貴方は私達がいない方が重荷もなくていいんじゃない。こんなはずじゃなかったのに。」
肉体的にも精神的にも辛いとき、美樹が泣き止まないときもずっと独りで。三人で毎日楽しく過ごすと思っていたのに。
シーツに染みが出来る。
「そんなに追い詰められてるなんて知らなかった。」
後ろから抱きしめられると、彼の汗の匂いが少しする。
昔、借りたシャツと同じ懐かしいにおい。
二周りは大きい身体が背中越しに感じる。
「本当にごめん。許してくれ。」
「誠意を見せて。」
静まり返っている。
「本当に大切だと思っている。家族のためだから頑張って働ける。辛いことも独りで寂しい時も沢山あったけれど、乗り越えられた。
ランドセルは今週買いに行こう。」
ゆっくりと頷いた。
「参観には出来るだけ出てね」
いつも 最後には私を納得させながら、抱く。
私のブラウスのボタンを外しだした。
「あのさ、美樹にこの人誰って聞かれた時なんて答えた。俺、かなり傷ついたんだけど。」
「隠したい訳じゃない。だってあの時は」
「じゃあ、なんだよ」
声色が低くなった。
「貴方が父親だと知った美樹がどんな反応するか怖くて言えない」
「ほぉ、俺じゃ不満か。本当に嫉妬しちゃうよな、娘に可愛い奥さんを独り占めされちゃって。」
さらに、強く抱き寄せられる。
「やめて。離して」
「離さない。もう、美樹も寝たことだし。」
密着してる分熱がこもり、ほてってくる。
「熱い…」
「さすがに熱くて汗をかくな。顔が紅いぞ。なぁ、俺が父親じゃ嫌か」
「そんなわけないじゃない。離して」
「変わらないな、この細い腕。」
手を握り長い指を絡めてくる。耳元で深く溜息をつく音が響く。
「はぁ、一度も目を合わせてくれないのな。
いいよ、俺から目を合わせさせるから」
少し伸びた髭が頭に当たる。
「こっちを見ろ。」
じっと目を見つめてくる。目が合わないように顔を背ける。
「お酒は控えたみたいね」
鼻先が触れるくらいの距離で見つめられると痺れる。
「あぁ、あれは身体に悪いし。」
「でも、お酒の匂いがする。焼酎飲んだでしょ。」
「あぁ、君の目はごまかせないな。今日はちょっとだけ」
「髭、剃ってないのね。あんなに一本でも生えてたら嫌がってたのに」
「不正解。髭は毎日少し剃っていつも同じ長さにしてるんだよ。キスした時に当たらない長さにな。」
ほんのり、酒の香りが近づいた。
「それと仕事の日は必ず剃ってる。試してみるか、当たらないってこと」
近づいてきた口を片手でおしかえす。
「駄目」
静かに唇を重ね合わせてきた。吸い込まれるような漆黒の瞳が薄く開いた瞼から覗いている。
「流れに流されないんだから」
「じゃあ、今までしたことのない長いのにしようか。抵抗の気力も無くすようなやつ。」
手を肩にかけて押し返すが、そのまま抵抗も虚しく倒れ込むようなすごく長いキス。新婚当初よりも長く息が詰まるほど深い。
肩を押し返してもビクともしない。
「一人暮らしだとどうしても剃らない時が多いな。君の前ではかっこよく居たかったから毎日剃ってたんだが、一週間も休みをもらうとどうしてもな。
こら、暴れるな。男女には力の差があるからそう簡単には動かせないぞ。」
胸を押し返してみる。
「い、息が出来ない」
「確かに息が上がってるな。ゆっくり鼻から息をするんだ。
俺の舌と絡めて。数年してないだけで下手になったか。」
「はぁ、息出来ないって。離し…て」
本当に執拗な口付けだった。
「しゃべるなよ。喘ぎ声なら聞くが」
噛み付くように、押さえ込むように深く深く。
身体も熱をもち密着している部分が熱い、熱すぎる。意識が朦朧としてきた。
「変態。」
「男は皆変態だし、狼だ。俺自体は全く変わってない」
彼の首元から落ちた雫が私の部屋着を黒く染める。男の匂いがする。
「もしかして、営みも出来なくなってたりしてな。
困るな。俺がまた初めから身体に教えこまねぇといけないんだからな。
まぁ、それはそれでいいけど。恥ずかしがってるお前が見れるから。」
彼は私の服に手を滑り込ませた。
残業の日は必ず最後の一人まで残してしまう。
「お待たせしました。」
「ママ。遅かったね。お腹空いた」
「ごめんね、美樹。お仕事で遅くなって」
頭を撫でてあげる。
「今日も美樹ちゃんはいい子でしたよ。
お家帰って一緒にアニメ見て、ママとプリン食べる約束したんだって。」
顔をみると彼女はニコッと笑った。
「美樹、そうだったね。お家に帰ったら食べようね。
今日も最後までありがとうございました。
いつも遅くなってすみません」
「いいんですよ、お忙しいのわかりますから。
帰ったら美樹ちゃんを沢山褒めてあげて下さいね。」
「はい!先生にバイバイしようね。」
「先生!バイバイー」
「美樹ちゃんさようなら」
正門から出て、手を繋いで薄暗い街灯の間を歩く。
「美樹、夜ご飯何食べたい?」
美樹は繋いだ手をブンブンと振り回した。
「オムライスー。ママ、お絵かき上手に出来たよ」
スキップをし、鼻歌まで歌ってる。
「よぉし、えらいぞ。ママが手を振るってオムライス作ってあげる」
「やったー!」
本当に我が儘も言わないし、機嫌もさすがに悪くはなるけどすぐに直る。
よく出来た娘だと思う。
渉さんが単身赴任に行って2年になるけど、正直この娘はお父さんの顔をあまり知らない。
仕事が出来るだけあって重要な役に就き、断れなかった。
マンションに近づいてきた。
「あら、相沢さん。今日も遅いわね」
声をかけてきたのは205号室同じ階の茅野さんだ。
「こんばんは。
残業があったので、今からご飯作らないといけないんです。」
「毎日大変ねぇ。
今日作った、ビーフシチューの残りでよければ食べないかしら。
良いお肉買ったから、きっと美味しく出来てるわ」
「心遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。」
茅野さんは気のいいおばさんで、いつもこうやって気をかけてくれる。
「いいのよぉ。美樹ちゃんに食べてもらうのが楽しみでもあるんだから。」
タッパーに入れたまだ暖かいビーフシチューを手渡してくれた。
そのまま、自分の部屋の前についた時とあることに気がついた。
部屋に電気がついている。不審者かも、私はかなり驚いた。
でも、鍵は合い鍵を作られない限り開けれないはず。
なんせ、オートロックで私の手持ちカードとそれの予備でしか開かないから。
まさか。そんなわけ、ないよね。
「美樹、ちょっとここで待ってて。ママ用事があるから」
美樹をエレベーターホールに残して恐る恐る玄関から靴も揃えず入り、ゆっくりとリビングの扉を開く。
テレビの前に座っているのは、ヨレヨレのTシャツの見慣れた後ろ姿。
ふと、こちらの気配に気がつき 振り向いた。
「おう、お帰り」
「帰ってきてたんだ。連絡ないよね?」
手に持っていた、荷物を落とした。
「仕事は?」
テレビに目を戻した。
「国内情勢の関係で暫く休み」
袖を掴む手が引っ張ってくる。
「ねぇ、ねぇったら。ママ」
呆然としているのを現実に引き戻してくれた。
いつの間にか横にいた。
「なぁに?美樹」
目の高さを合わせてあげる。不安気な顔で囁いた。
「このおじさん誰ぁれ?」
彼は傷ついた顔をした。
「えっ…と。この人はパ、ママの親戚のおじさんだよ。
事情でしばらく一緒に住むことになったの」
少し緊張が解けたのか、美樹は彼に向き直った。
「ママ、この人優しい?」
そりゃそうだ。一歳のときに海外出張が決まりそれから四年も会っていない。
ろくにビデオ通話などもせず、声で会っていただけだ。
「う…ん。優しいよ?ママもよく面倒見てもらってたから」
忽ち、笑顔に戻り近くに寄っていった。
「こんばんは、おじさん。美樹ね、これ描いたの?」
目を細めた後、人の良さそうに笑った。
「上手だな。偉いぞ、美樹。ところでご飯はまだだろう?」
「あっ、ごめんなさい。いますぐ作ります。」
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「なぁ、何で敬語なんだよ」
あっちで、美樹はテレビを見ている。
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「渉さんは手伝わなくていいですから、あっちの部屋で一緒にテレビでも見ていて下さい。」
「おい、だから」
「渉さん、貴方の携帯鳴ってますよ」
突如なり響いた着信音。聞き慣れた音。
この人は、着信音だけは映画館であっても消さない。
仕事に応対スピードは命だと言っていた。
―変な着信音。俺はこれが気に入ってるんだ。―
見に戻ったがすぐにキッチンに戻ってきた。
モテるからどうせ浮気相手からの連絡だろう。
「こっち帰ってるの教えたら友達から、飲みのお誘いだ。あ、それと」
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美樹の呼び声に、話の途中であるにも関わらず気まずそうに返事をした。
「いま、おじさんが行ってあげるぞ。おじさん…か。」
私はオムライスを片手にダイニングに向かった。
「ご飯出来たよ、美樹の食べたいって言ってたオムライスだよ。
お隣りの茅野さんからビーフシチューもらったよ。」
「わーいオムライス」
美樹はピョコピョコ跳ねた。四年ぶりに三人で食卓を囲む。
「あのねーそれで美樹がね」
いつも通りご飯を食べながら喋る。
二人に慣れてしまって完全に二人の世界になっている。
「ビーフシチュー美味しー」
「美味しいよねー、お隣さんのつくる料理。今度ありがとうって言おうね」
「なぁ聞いてる」
すると美樹が私をじっと見つめている。
「ママー、おじさんがなんか言ってるよ」
仏頂面で振り向いた
「そうね、どうしたの」
「やっと、聞いてくれたか。なんだよその顔は。俺がいない間の仕事は何してるんだ」
そんなの聞いてどうするんだろう。
「んー、会計してる。」
「へぇ、つまんなそうだな。」
私は腹が立ち顔を背けた。美樹はご飯を食べ終えてうつらうつらと眠りだした。
「こらこら、こんなとこで寝て。ほら、歯磨きしてお布団行こう」
美樹を抱き抱え、布団に入れた。
「おやすみ、美樹」
「ちゃんとお母さんしてるんだな。美樹も大きくなったなぁ。俺の顔も覚えてないくらい」
「それはそうに決まってるじゃない。」
私は部屋を閉めて、キッチンに戻った。
「お前、相変わらず俺のお下がりのグレーのパーカーを着てるんだな。袖もこんなにヨレヨレだし、料理で汚れてる」
袖を引っ張り、裾についた料理の汚れをつつく。
「触らないで」
海外出張に行くときはかなり倦怠期に入っていた。喧嘩も増えていた。
「隣の茅野さんって俺が出ていく前にはいなかったよな、男なのか」
「…どっちでもいいじゃん」
「どっちでもよくないだろ」
私は面倒くさくなり、ソファに座りテレビをつけた
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「その、まさかだよ。なんていうか。俺が言うことじゃないけど、お前を目の届くところに縛っておきたい。こんな風に」
両手首を片手で握られる。
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睨みつけると、頭にキスをされた。
「そんな顔するなよ。でも、なんか無性に触れたくなる」
「嘘でしょ。私はもう熱くないんだから」
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「じゃあ、俺が久しぶりに熱くしてやろうか」
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私は美樹をトイレに連れていった。
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既に布団は膨らんでいた。
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「なぁ、由香。充電させて。ずっと会って抱き締めて、この温もりを感じたかった。」
ギュッと抱き締められる。
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「そんなわけないよ、毎週電話くれるでしょ」
「ねねちゃんもまりちゃんも、ゆきちゃんもパパは土日は家にいて遊んでくれるんだって。どうしてパパは帰ってこないの」
美樹をギュッと抱き締めた。
「ごめんね、お仕事だから。」
気がつくと美樹は寝息を立てていた。
やっぱり苦しいな。お給料は送ってくれるし、十分すぎるくらいあるんだけど、幸せってお金じゃない。本当にどこにも行った記憶がない。
私はそのまま寝室に向かった。やることも全て終わったことだし、そろそろ寝よう。布団に入ると彼は隣で携帯を片手に寝ている。
この横顔を見られるのも月曜まで。心の奥がずしりと重くなった。
「美樹の小学校のことだけど考えた?それと、ランドセルも。
受験させるつもりなかったが、由佳がさせたいって言うんならいいぞ」
小さく溜め息をついた。
「今更何を言ってるの。それについて連絡したよね?答えを返してくれなかったのは誰なの?」
色々積もりに積もって、ついに爆発した。
「あなたはそうやって全部私に責任を押し付けて。美樹のことも何にも知らないくせに。」
「仕事だったんだから仕方ないだろう。」
彼は涼しい顔をして言った。
「それでも、年に一回くらい帰って来るぐらい出来たんじゃないの。
私達がどれだけ寂しい思いをしていたか。
美樹は毎日パパはどんな人か、パパはいつ帰ってくるのかって。
もういい加減にして。私達の生活をめちゃくちゃにしたいの。」
「そう、怒るな。」
彼は至って冷静にかえす。私がカッカッして悪いみたいじゃない。
「こんな好き勝手されて怒らない訳ないじゃない。どうせ女を作って遊んでたんじゃないの。」
「ごめん、謝る。本当に浮気なんてしていない。愛してるのは君だけだ。」
「嘘つき。絶対謝るつもりなんてないじゃない。」
いつも、そうだ。泣かされてばっかり。
「泣くなよ」
「泣いてない」
そして、なだめて。
「泣いてる。じゃあ、ここについた雫はなんだ。」
頬につたる涙を指で拭った。手を振り払うと、明らかに傷ついた顔をした。
傷ついてるのはどっちなのよ。
「貴方にとって私達って何。貴方は私達がいない方が重荷もなくていいんじゃない。こんなはずじゃなかったのに。」
肉体的にも精神的にも辛いとき、美樹が泣き止まないときもずっと独りで。三人で毎日楽しく過ごすと思っていたのに。
シーツに染みが出来る。
「そんなに追い詰められてるなんて知らなかった。」
後ろから抱きしめられると、彼の汗の匂いが少しする。
昔、借りたシャツと同じ懐かしいにおい。
二周りは大きい身体が背中越しに感じる。
「本当にごめん。許してくれ。」
「誠意を見せて。」
静まり返っている。
「本当に大切だと思っている。家族のためだから頑張って働ける。辛いことも独りで寂しい時も沢山あったけれど、乗り越えられた。
ランドセルは今週買いに行こう。」
ゆっくりと頷いた。
「参観には出来るだけ出てね」
いつも 最後には私を納得させながら、抱く。
私のブラウスのボタンを外しだした。
「あのさ、美樹にこの人誰って聞かれた時なんて答えた。俺、かなり傷ついたんだけど。」
「隠したい訳じゃない。だってあの時は」
「じゃあ、なんだよ」
声色が低くなった。
「貴方が父親だと知った美樹がどんな反応するか怖くて言えない」
「ほぉ、俺じゃ不満か。本当に嫉妬しちゃうよな、娘に可愛い奥さんを独り占めされちゃって。」
さらに、強く抱き寄せられる。
「やめて。離して」
「離さない。もう、美樹も寝たことだし。」
密着してる分熱がこもり、ほてってくる。
「熱い…」
「さすがに熱くて汗をかくな。顔が紅いぞ。なぁ、俺が父親じゃ嫌か」
「そんなわけないじゃない。離して」
「変わらないな、この細い腕。」
手を握り長い指を絡めてくる。耳元で深く溜息をつく音が響く。
「はぁ、一度も目を合わせてくれないのな。
いいよ、俺から目を合わせさせるから」
少し伸びた髭が頭に当たる。
「こっちを見ろ。」
じっと目を見つめてくる。目が合わないように顔を背ける。
「お酒は控えたみたいね」
鼻先が触れるくらいの距離で見つめられると痺れる。
「あぁ、あれは身体に悪いし。」
「でも、お酒の匂いがする。焼酎飲んだでしょ。」
「あぁ、君の目はごまかせないな。今日はちょっとだけ」
「髭、剃ってないのね。あんなに一本でも生えてたら嫌がってたのに」
「不正解。髭は毎日少し剃っていつも同じ長さにしてるんだよ。キスした時に当たらない長さにな。」
ほんのり、酒の香りが近づいた。
「それと仕事の日は必ず剃ってる。試してみるか、当たらないってこと」
近づいてきた口を片手でおしかえす。
「駄目」
静かに唇を重ね合わせてきた。吸い込まれるような漆黒の瞳が薄く開いた瞼から覗いている。
「流れに流されないんだから」
「じゃあ、今までしたことのない長いのにしようか。抵抗の気力も無くすようなやつ。」
手を肩にかけて押し返すが、そのまま抵抗も虚しく倒れ込むようなすごく長いキス。新婚当初よりも長く息が詰まるほど深い。
肩を押し返してもビクともしない。
「一人暮らしだとどうしても剃らない時が多いな。君の前ではかっこよく居たかったから毎日剃ってたんだが、一週間も休みをもらうとどうしてもな。
こら、暴れるな。男女には力の差があるからそう簡単には動かせないぞ。」
胸を押し返してみる。
「い、息が出来ない」
「確かに息が上がってるな。ゆっくり鼻から息をするんだ。
俺の舌と絡めて。数年してないだけで下手になったか。」
「はぁ、息出来ないって。離し…て」
本当に執拗な口付けだった。
「しゃべるなよ。喘ぎ声なら聞くが」
噛み付くように、押さえ込むように深く深く。
身体も熱をもち密着している部分が熱い、熱すぎる。意識が朦朧としてきた。
「変態。」
「男は皆変態だし、狼だ。俺自体は全く変わってない」
彼の首元から落ちた雫が私の部屋着を黒く染める。男の匂いがする。
「もしかして、営みも出来なくなってたりしてな。
困るな。俺がまた初めから身体に教えこまねぇといけないんだからな。
まぁ、それはそれでいいけど。恥ずかしがってるお前が見れるから。」
彼は私の服に手を滑り込ませた。
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