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第1章
10 極秘任務
しおりを挟むご主人様からの『お仕置き』は、とても痛くて、すごく恥ずかしいものだった。
「これに懲りたら、勝手に出て行くんじゃねえぞ」
「はひ……」
ルカはご主人様の膝の上で、うつ伏せのまま屍と化していた。
何度も尻を叩かれたせいで、お尻が痛くて身体に力が入らない。感覚が鈍いし、じんじんと熱を帯びているような気がする。ルカは羞恥と痛みで涙を滲ませた。
このお仕置きは年齢的に恥ずかしいので、いい加減止めてほしいと泣きながら訴えたが、ご主人様は聞き入れてくれなかった。絶対、ワザとだ。
「魔力制御もまともにできないのに、勝手な行動してんじゃねえよ。魔物に襲われて食われたいのか?今のお前が自立して、外で一人で生きていける訳ないだろ」
「……わかってますよ。僕は、出来損ないなので」
ルカは涙目のまま項垂れた。ルカの魔力はそのままだと闇属性のもの、つまり魔物を引き寄せてしまう、らしい。ルカは、城の中やその周囲は、自由に出歩くことを許されているが、月に一度、街に出かけるときは、ご主人様から入念に魔力を上書きされ、魔物を誘引する魔力を抑えている。
「なんでそう卑屈になるんだ?お前は俺が拾ったんだから、俺のものだ。勝手に死ぬことは許さねえよ」
「……はい」
捕まったからには、仕方がない。
ルカは、抵抗を諦めることにした。
ご主人様は気に入ったモノをとことん愛でる癖があり、執着しているモノには甘い反面、興味がなくなるとすぐに捨ててしまうのだ。
今はまだルカに飽きてないようなので、側に置いてくれてはいるが、いつかご主人様に捨てられてしまうのではないかと思うと、ルカは胸が苦しくなるような不安感に襲われる。
それならば、いっそ捨てられる前に自分から出ていけばいいと考えたのだが、なかなか上手くいかない。
ルカは溜め息をついた。
「ルカ」
名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間にかご主人様の顔がすぐ間近にあった。整った顔立ちに不意に微笑まれ、ルカは思わず見惚れてしまう。
視線で促され、ルカは戸惑いながらも身を起こした。ご主人様の肩に両手を乗せると、豪奢な衣服を身に着けたままの彼の膝の上に慎重に跨った。先ほど叩かれた尻がまだ痛いので、あまり体重はかけたくない。
外出先からそのままルカを捕獲しに来たからなのか、ご主人様は煌びやかな制服らしき衣服を身に纏ったままだった。長い髪もきちんと整えられている。
ルカはいつもと違うご主人様の雰囲気に慣れず、少しだけ緊張していた。ご主人様の膝の上でモゾモゾと身動ぎしてしまう。
「……これ、皺になりませんか?」
「大丈夫だろ」
ご主人様は愉快そうに笑うと、ルカの腰に手を回した。そのままぐっと引き寄せられる。ゆっくりと魔力を流し込まれた。
「あっ……」
ルカは小さく悲鳴を上げて身体を震わせる。反射的に離れようと腰を浮かしかけたが、ご主人様の腕によって阻止されてしまった。そのまま強く抱き締められてしまう。
「力抜け」
耳元で囁かれるご主人様の声に従って、ゆるやかに力を抜いていくと、密着した身体から彼の魔力が体内へ入り込んでくるのが分かった。その心地良さに酔いしれる。
徐々に身体の熱が上がり始め、息が荒くなる。ルカは思わず目の前のご主人様の首に縋りつき、首筋に頬を擦り寄せた。
ご主人様がふっと笑う気配がした。
そのままルカの左耳に指先を這わせ、耳朶を軽く引っ張られる。
「動くなよ」
ご主人様がそう囁いた瞬間、左耳に激痛が走った。
「いっ……!?」
思わず彼の首筋に埋めていた顔を上げると、ご主人様の満足そうな瞳と視線が合った。反射的に身を捩ってしまう。
「こら、逃げるな。大人しくしてろ」
「ううぅ……っ」
ご主人様はルカの左耳の耳朶に、何かを装着させている。ピアスだろうか? 耳に穴を開けられた痛みに耐えながら、ルカは涙目でご主人様を睨み上げた。
「……痛いです」
「睨むなよ。もう終わった」
ご主人様は宥めるようにルカの頭を優しく撫でた。ルカは、ジンジンしている左耳に触れる。硬い何かが耳に埋まっている感覚がする。
「……何ですか?これ」
「ただの魔導具だ。絶対外すなよ。勝手に外したり捨てたり壊したりしたら殺す」
ご主人様はにっこりと笑った。だが、目が笑っていない。本気で殺すつもりだと分かったので、ルカは慌てて頷いた。
「はい、分かりました」
「……いい子だ」
ご主人様は目を細めて微笑むと、再びルカを抱き寄せた。
「……お前、俺の仕事手伝いたいって言ってたな。ひとつ極秘任務を命じる」
「はい。……極秘任務?」
ルカはごくりと喉を鳴らした。ご主人様の仕事はよく知らないが、厄介事の匂いしかしない。
「非常に危険な任務だ。引き受けたからには、途中で投げ出すことは許されない」
「……」
何だろう、やはり暗殺稼業だろうか。ルカは緊張に身を引き締めた。
「はい。謹んでお受けいたします」
「……そうか」
ご主人様はルカの返事に仰々しく頷いた。ルカはご主人様の反応に少しだけ気分が上昇する。役に立たずとして捨てられるよりは、いっそ暗殺でも何でも仕事をして役に立てば、捨てられる可能性も減るかもしれない。
しかし、ご主人様の次の台詞に、ルカは絶句することになる。
「ターゲットは、この王国の第二王子だ」
「……は?第二王子?」
「そうだ」
「え、でも、第二王子って……」
ルカは困惑した。まさか、王族殺しを命じられるとは、予想外だった。
「……流石に、警備が厳し過ぎて、すぐに暗殺するのは難しいです。ちょっと時間をください」
「……おいコラ、何で暗殺前提なんだ」
「え、だって……」
ルカは目を瞬いた。違うのか?
「……ご主人様の仕事は、暗殺かスパイですよね?」
「ちげーよ」
ご主人様に睨みつけられた。どうやら違うらしい。だが、それだと一体?
「……極秘任務って……」
ルカが尋ねると、ご主人様が溜め息をつきながら、口を開いた。
「第二王子は、ずっと母親の母国である東の帝国で、留学という名目で療養していたんだが、病気が快方に向かい、二年前この国に戻ってきた。極秘任務は、第二王子の監視だ。なんかおかしな動きがあったら、俺に逐一報告しろ。普段もこまめに連絡するように」
「……はい、承知しました。えっと王宮に忍び込む感じですか?」
ルカはおずおずと尋ねた。現在の王家の警備態勢がどうなっているか知らないが、王宮に侵入するとなると、それなりに準備が必要だし、難しい気がする。あまり大っぴらに動くと目立ちそうだし……そんなことを考えていると、ご主人様が首を振った。
「違う」
「え?じゃあ……?」
「第二王子は、二年前とある学園に編入した。学友としてなら近づきやすい。お前もその学園に編入させる。俺の命令だ」
「は?あ、あああっっ!?」
ルカはぎょっとした。とんでもないことに気が付いたからだ。しかし、ご主人様は全く動じた様子もなく、しれっとした表情で告げた。
「何か問題でもあるか?」
「……い、いえ」
ハメられた。ルカはそう悟った。
第二王子と言われたからすぐに気が付かなかった。第二王子はルカが唯一面識のある王子様だ。そう、ルカは前世では一応、第二王子と同じ学園に通っていたのだ。
「……その学園って?」
「国立アストレア学園だ」
「……デスヨネ」
予想していた通りの答えが返ってきて、ルカは顔を引き攣らせた。極秘任務などと語っていたが、多分ルカを学園に通わせるための口実だろう。ご主人様は最初からそのつもりであったらしい。
「……命令なら、仕方ありません」
ルカがしょんぼりしながら了承すると、ご主人様は片眉を上げて、ルカの顔を覗き込んできた。
「お前、俺に命令されたら、従うのか?」
「はい」
主人様の質問に、ルカは即答した。ご主人様はルカの答えを聞いて、一瞬面喰らったような表情を浮かべた後、そのまま軽く溜め息をつく。
「……お前、奉仕しろとか命じても、何も考えずに平然とやりそうで怖いな」
「……?よく分かりませんが、教えていただければ、やります」
ルカは首を傾げた。命令されれば何でもやるが、ご主人様からの指示がなければ、動けない。
「……お前、少しは自分で考えろよな」
ご主人様は何故か頭を片手で抱えて溜め息をついている。
「怪しい奴からお菓子を口にいれられても食うなよ。知らない奴にホイホイついて行くのも駄目だぞ」
「そんなことしませんよ、失礼な」
ルカはムッとして言い返した。すると、ご主人様は少しだけ困ったように眉尻を下げて笑った。そのままルカの頰に手を伸ばし、優しく撫でてくる。
「ルカ。……とりあえず、この先俺以外の奴の魔力、絶対に受け入れるなよ」
真剣な口調で言われ、一瞬息を呑む。ご主人様の大きな手が、ルカの頰から首筋を撫で下ろした。くすぐったい感触に目を細めると、ご主人様はルカを見つめながら口元を緩めた。
「命令だ。返事は?」
有無を言わせぬ口調だった。ルカが黙って小さく首肯すると、ご主人様は満足げに微笑んだ。
「……逃げだそうとしてたのに、捕まえて悪かったな」
ご主人様に謝罪され、ルカは驚いて目を見開いた。訝しげにご主人様を見返す。
「今度は何を企んでいるのですか?」
「どういう意味だよ」
「はじめて謝られました」
「……」
ご主人様は微妙な表情で沈黙した。ルカは首を傾げた。
「……俺の育て方が悪かったんだろうな。お前のことはそれなりに可愛がって、俺としては楽しくやってるつもりだったが……、唯一、自分の意志で行動したのが逃亡だもんな。反省した」
自嘲気味に呟くご主人様は、少しだけ悲しそうに見えた。
そんなご主人様を見るのははじめてで、ルカは何故か胸が苦しくなった。ただその気持ちを伝える術を知らず、どう言葉を紡げばいいか分からなくなる。
「お前、くれぐれも自分の魔力属性を人にばらすなよ。面倒くせぇことになるからな。……まあ社会勉強だと思って『普通に』学園生活頑張れ」
命じられた指令に、ルカは眉を寄せた。ルカにとってそれは無理難題ともいうべき困難な命令だったからだ。暗殺を命じられた方がまだマシである。目的が明確であるからだ。
ルカは『普通』が分からない。
他人と交流することが怖い。学校という名前の集団生活にうまく馴染める気がしない。
(行きたくないなあ)
心の中でぼやきながらも、ご主人様の命令に逆らうことはできない。
「……はい、分かりました」
ルカは無表情のまま頷いた。ご主人様はそれを苦笑しながら眺めた後、ルカを抱き寄せ、頬に軽く口付けを落とした。
「帰ってきたくないかもしれんが、お前の居場所は、ちゃんとここにあるからな。辛くなったらいつでも帰って来い」
頭を撫でられながら告げられた言葉に、何故か目頭が熱くなった。
この男はどこまでルカの心の内を見透かしているのだろうか。
ルカは自分からご主人様の背中に腕を回して抱きつき、その胸に顔を埋めた。
「……どうした?離れるのが寂しくなったのか?」
頭上から降ってくる声は愉しげで、ルカは無言でご主人様の背中に回した腕に力を込めた。
「僕を捨てないでくださいね」
「……お前、たまに可愛いこと言うよな」
ご主人様は呆れたように笑うと、ルカの髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。普段の乱暴な言葉とは裏腹に、優しい手つきだった。
「……お前のことは、最期まで責任持って面倒みてやるから、心配するな。まあ、もし拉致られたら俺の名前を呼べ。何処へでも助けに行ってやる」
耳元で囁かれたその言葉に、ルカは素直にこくりと頷きを返した。心が少しだけ安定する。
「初任務、頑張れよ。一級魔術師」
ニヤニヤしながらご主人様に言われ、ルカは唇を尖らせた。
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