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第3章
35 浄化
しおりを挟む庭園でお茶会をしていた貴族たちは、突然現れた魔物の群れに混乱していた。人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。そこに別の魔物が空から襲撃してきた。王宮から迎撃部隊が出動して、騎士団と共に魔物の群れに向かって行く。
王宮内の建物は強固な結界で守られているとはいえ、庭は上空から侵入されたら意味がない。無防備な状態であった庭園は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
宮廷魔術師たちは動かないのだろうか?とルカは空を仰いで首を傾げる。
「……鴉?」
ルカが呟いた。上空の魔物は鴉の姿をしている。その大きさは人の二倍ほどだ。しかし、普通の鴉ではない。その黒い翼は蝙蝠のような皮膜状で、大きな嘴と爪を持っている。そして何より大きいのはその頭部だ。人間の頭蓋骨によく似た形をしたそれは、まるで死神のように見えた。
鴉は魔の者の遣いだと言われている。そしてその死を司る鳥は、魔物の中でも厄介で強いとされている。
「すげぇ数だな」
オスカーが大庭園の上空に出現した魔物の群れを見て、感心したように呟いた。禍々しい魔力の波動が渦巻き、鴉の大群はそれに包まれていた。
サミュエルが疲れたように呟いた。
「……まさか、本当に襲って来るとはなあ。王都で魔物騒動なんて勘弁してほしいね」
「……っ!殿下、お下がりください!窓際は危険です」
エリオットはサミュエルを庇うように立ち、腰の剣に手を掛けた。しかし、サミュエルは「大丈夫、大丈夫」と軽くいなしている。
「よく見てみなよ。魔物の数は多いし禍々しい雰囲気だが、死者はいないし、怪我人も自ら逃げ惑った結果、転んだり地面に転がったりした者ばかりだ」
サミュエルの言う通り、庭園ではパニックに陥った人々が右往左往しており、中には怪我をしている者もいるが、死者は一人もいない。
「彼の狙いは一人だけだからね」
サミュエルは窓の外を見据えながら、そう呟いた。
ルカは窓の外の庭園全体を注意深く眺めた。薄っすらとだが、学園で見た魔法陣と似た紋様が大庭園の地面に描かれている。やはりクライヴの研究していた魔法陣に酷似している。まだ発動はしていない。多分魔物を多数呼び寄せて闇の魔力を集めているのだろう。礼拝堂の聖剣は恐らく囮だ。本命はこちらだったのだろう。
学園の魔法陣の発動には、闇属性の魔力が込められた魔道具が使われていた。
シモンによれば、自分が関わって制作した魔道具が使われた疑いがあるとのことだった。発動条件を予め仕込んでおけば、その場にいなくても発動可能な魔道具らしい。シモンはファーレンホルスト公爵家の支援を受けて、その手の魔道具開発に勤しんでいたという。闇属性の魔道具は一般に流通していないが、関係者なら入手可能だ。
だが、今日は魔道具は必要無い。自分自身がこの場所にいるのだから。必要なのは、召喚のための魔法陣と、膨大な闇の魔力と、対価となる光属性の者だ。
「……いた」
ルカは、庭園に佇む一人の少年を視界に捉えて呟いた。全く逃げる素振りもなく、魔物の群れを静かに見据えている。
「え?何がだ?」
オスカーがルカの呟きを拾って尋ねる。しかし、ルカはその問いには答えず、窓枠に足を掛けた。
「おい、何してんだ?まさか飛び降りるとか言わねえよな?」
オスカーの慌てた声を無視してルカは窓枠によじ登った。そしてそのまま窓から身を乗り出すと、躊躇なく身を投げた。
「うお、マジか!」
オスカーは驚きの声を上げ、慌てて窓に近づいた。サミュエルとエリオットも窓に駆け寄る。ルカは地面に落下する寸前で、ふわりと風魔法を使って身体を浮かせた。そしてそのまま庭園に降り立つと、その少年に向かって一直線に駆け出した。
「ルカ、待て!」
オスカーの静止の声も聞かず、ルカは走りだした。
その少年は庭園の中心で一人佇み、空を見上げていた。お茶会に出席するため、華美な装飾は控えめだが上質な衣装を身に纏っている。
「……逃げ出した人質が自ら戻ってくるとは。お前、馬鹿なのか?それとも死にたがりか?」
少年がルカに向かって、冷ややかに語りかける。黒髪にアイスブルーの瞳。やや幼さが残る端正な顔立ちは、そう言われれば、マティアスに似ている気がしなくもない。ルカを睨みつけているその瞳は、まるで氷のようだ。けれど、どこか悲しみの色を含んでいる。
「ノア。君は騙されている」
ルカは目の前の少年に向かって、静かに呼びかけた。ノアは眉を潜めた。
「この魔法陣で呼び出せるものは魔界の禍々しい魔のものだ。君のお兄さんじゃない。死んだ者は生き返らない。マティアスはもう……」
「死んでない」
ノアはルカの言葉を遮って、きっぱりと断言した。ノアの表情には怒りのような悲しみのような、複雑な感情が滲み出ている。
ルカには、ノアの気持ちが痛い程分かった。自分の大切な人が自分のせいで死んでしまったと絶望しているときに、甘い言葉をかけられれば、きっと彼のように縋ってしまうだろう。ルカもそうだったから分かる。
ただ、たまたまルカの目の前に現れた悪魔は本物で、ルカはなんとか間に合ったが、ノアの前に現れた奴は恐らく偽物だった。それだけの違いだ。
「……お前の方こそ騙されてるぞ。学園にいるあの男は光属性持ちだが、サミュエル殿下じゃない。偽物だ。光属性だからと言って、善人だとは限らない」
ノアはルカを憐れんで、諭すように語りかける。ルカはノアを真っ直ぐ見据えて、はっきりとした口調で答えた。
「知ってるよ」
ルカの言葉にノアは大きく目を見開いた。その表情には驚愕が浮かんでいた。
前世のノアはサミュエルの熱狂的な信奉者だった。その彼がサミュエルを対価として差し出すのはおかしいとルカは感じていた。やはり、ノアはレオがサミュエルに成り代わっていることに気が付いていたのだ。
「国でも乗っ取るつもりか?」
ノアはルカに鋭い視線を送った。
「そんなつもりは無い。ノア。彼がサミュエル殿下に成り代わっているのは殿下の意思だ。だから……」
「うるさい!」
ルカの言葉を遮ってノアが叫ぶ。風がうねり、周囲に鋭い刃のような疾風が吹き荒れた。周囲の木々が激しく揺れ動き、庭園の薔薇は無残に切り裂かれた。
「……っ!落ち着け、ノア」
ルカも風魔法を使って対抗する。魔力がぶつかり合い、空間が歪んだ。その衝撃に庭園の花々は吹き飛び散り、地面に亀裂が入る。庭園にもまだ残っている人はいるが、ルカとノアの周囲には誰もいないようだ。ルカは冷静に周囲の状況を確認するが、ノアの様子が明らかにおかしかった。学園で右手首に嵌めていた白銀の腕輪は、今は外されている。
空を見上げれば、大庭園の上空に召喚された魔物たちが、その黒い翼をはためかせている。すると、そのうちの数匹が、上空からこちらに向かって急降下してきた。明らかにルカに狙いを定めていた。
ルカは舌打ちをして、襲いかかってくる魔物の群れに向かって風の刃を飛ばす。魔物は真っ二つに切断されて地面に落下したが、その後ろからさらに別の魔物の群れが襲いかかってきた。このやり方ではきりが無い。
ルカが溜め息をついた瞬間、目の前を緋色の炎が駆け抜けた。その炎はルカを狙っていた魔物の群れを一瞬で焼き尽くし、灰へと変える。ルカはゆっくりと振り返った。
「……オスカーさん」
「大丈夫かよ?」
剣に纏わりついた炎を振り払いながら、オスカーがルカの元へ駆けつけてくる。
「あの、その術の使い方、カッコいいですね。僕も今度真似していいですか?」
ルカは魔力を纏わせたオスカーの剣を指差して尋ねた。目をキラキラさせている。
「……お前、この状況でよくそんな呑気なこと言えるな」
オスカーは呆れた表情でルカを見つめた。しかしすぐに何かに気が付いたようで真剣な面持ちに変わる。
「ターゲットを変更したみたいだぞ」
先ほどまでルカを狙っていた魔物の群れが、今度は庭園の中心にいる人物に狙いを定めたようだ。上空の魔物たちがゆっくりと旋回し、標的をその人物の方へ変えた。
「……レオ!」
ルカが叫ぶと同時に、鋭い閃光がルカの背後から飛来し、標的目掛けて一直線に伸びていく。ノアが風魔法で攻撃したのだ。だが、それは標的に届く前に結界に弾かれ、跡形も無く消滅した。レオは予想していたのか特に驚いた様子は無く、無表情にノアの方を見据えたままだ。
「何であいつ、あんなところにいるんだよ?」
舌打ちしながら、レオのいる方向へ駆け出そうとするオスカーをルカが制止する。
「……多分、大丈夫、です」
ルカは上空を見上げて、思わず呟いた。庭園の上空に召喚された魔物の群れを覆い尽くすように巨大な結界が張られている。魔物が外へ逃げ出すことを許さないような強力な結界だ。
今世では、結局レオの光の力を封印することが叶わなかった。レオは手元にあの礼拝堂にあった聖剣に似た長剣を持っていた。あれはレプリカだ。けれども彼が持つと本物に見えてしまう。
レオは迫りくる魔物の群れを見上げながら、右手を薙ぎ払う仕草をした。その刹那、上空で鋭い閃光が瞬き、光の矢が次々と魔物の群れに降り注ぐ。レオが剣を振るう度に、光属性の魔力の塊は魔物たちを次々に消し去っていく。それはまさに輝く光の雨だった。
ルカはその美しい光景に見惚れて、しばらく動けなかった。前世で死ぬ前に一度だけ、レオがその力を奮う光景を見た。そのときより少しだけ手を抜いているように見えるのは、レオに余裕があるからだろうか。
「……すげぇな、あれ。どういう原理なんだ?」
オスカーは呆気に取られたような表情で呟いた。
レオは、闇の力を無効化させる『浄化』の力を持っている。そして光属性の魔力を剣に纏わせると、魔物を滅する光の刃を生み出す。その原理はルカもよく分からない。ただ、圧倒的で美しい力だった。
「やっぱり、カッコいいなぁ」
「……は?」
オスカーが眉を顰める。ルカは溜め息混じりに言葉を紡いだ。前世で死ぬ間際に見た、強固な力を感じさせるあの光と同じ。
降り注ぐ光の刃は、かつて一緒に見た流星群を彷彿とさせた。心の奥底に封じ込めていたルカの記憶の中から、一度目の人生のあの日に経験した幸福と絶望感が自然と蘇り、涙が零れそうになる。
『浄化』の力は闇属性の術を無効化する。もし『洗脳』や『暗示』の術をかけられている者がいたら、『浄化』の力を浴びることによって、術が無効化されるはずだ。
ノアは虚ろな目のまま、上空を見上げてぼんやりしていた。
「……ノア。気をしっかり持て。闇に呑まれるな」
ルカが声をかけると、ノアはノロノロと視線をルカの方に移した。
「……俺は、生まれ落ちたときから、闇に染まっている。今更だ」
ノアは無表情のままポツリと呟いた。ノアは数少ない生まれつき闇属性を持つ者だったのだろう。ルカのように自分で魔族と取引した訳ではないのに、それなりに辛い目に遭ってきた筈だ。
マティアスが闇属性持ちの者に否定的でなかったのは、恐らく身近にいたノアの存在があったからなんだろう。
「……兄さんがまだ俺の傍にいた、あの日に戻りたい。そうしたら、もう二度と新月の夜に外出なんてしないのに……」
ノアは肩を震わせながら、悔しそうに言葉を絞り出した。ルカは、彼になんと声をかければ良いのか分からなかった。そのまま、唇を噛んで俯く。
「……ごめん。ノア」
ルカは小さな声で詫びた。ノアとマティアスの運命を、ルカが変えてしまった。
「何で、お前が謝るんだよ」
「……君になんて言葉を掛ければいいか、分からないんだ。ごめん」
涙目に成りながら、ルカは言葉を紡いだ。
どんなにたくさんの書物を読んでも、算術と違って、やっぱり言葉は難しい。ルカには最適解が分からなかった。
ノアはルカの返答を聞いて、自嘲気味に笑った。
「謝罪は不要だと言っただろう」
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