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27 イアンと呼べ(イアンside)
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◆イアンと呼べ(イアンside)
読書をしていた我は、キリの良いところで本を閉じた。
時計に目をやると、昼間の十時を過ぎたところ。
あの者はなにをしているだろうか、と唐突に思いつく。
昨夜、剣を突きつけて以降、死神の顔を見ていない。
昨日、王城に到着して、すぐ仕事を始めていたやつだから、今もマイペースに仕事をしているのか?
それとも、剣を突きつけられ、王に恐怖して自室にこもっているのか?
どちらもあり得る。
無性に気になり、我は王の居室を出て、廊下に出た。
王城に死神がいるということで、シヴァーディが寝ずの番をしたので。今日の我の警護には、朝からセドリックがついていた。
サロンの手前の廊下で、我はセドリックを止める。
「ここにいろ」
セドリックは無言で会釈したが。なんか、気配がニヨニヨしていて。嫌な感じだ。
王の警護に人が張りつくことには、慣れているのだが。
クロウと会うときに、人を連れていたくなかった。
死神に会うのに、怖気づいているのか、と思われたくないし。会話に、他者が割り込むのも嫌で。
さっそく、アルフレドの提案を実行するのだなと、セドリックに思われるのも、嫌ではあるのだが…。
いいや、王が、たかがこんなちっぽけな存在の恐怖すら払拭できないのか、と思われる方が嫌だ。
我は、クロウが何者か、己の目で吟味し、己の頭で理解し、己の手で攻略してみせるっ。
踵を返して、セドリックに背を向けた。
開いているサロンの入り口から中を見やると、クロウは…引きこもることもなく、真面目に仕事をしていた。
スツールに腰かけ、白布を縫い合わせている。
昨日、サロンで彼を目にしたときと、全く同じ体勢だ。
前髪を、またマヌケな感じで結っているが。真剣な眼差しで。集中している空気感がビリビリ伝わる。
リズミカルな手の動き。
声をかけて、この隙のない空間が壊れるのを、なんとなく恐れた。
怖いというのではない…保持したい感じだな。
「にゃおーん」
そう思っていたのに。猫が鳴いて、クロウが顔を上げた。
部屋を支配していた緊張感が、ぷつんと途切れてしまう。邪魔をする気はなかったのに、あの猫めっ。
「あ、陛下」
髪のゴムを外し、クロウは笑みを浮かべる。
その途端、場がほのぼのした。
王城の使用人は、バミネに敵対し、常にピリピリしている者たちが多い。だから。クロウの緊張感のない笑みを目の当たりにし、なんだか新鮮だと感じた。
「どうぞ、こちらにおいでください」
針やハサミなどを片付けたあと、椅子から立ち上がり、部屋の中に王をうながす。その一連の仕草が、たおやかで。
我に威嚇する猫に注意する声音さえも、上品だ。
猫は…今日も可愛くない。
「昨日、途中になった計測をしてもよい」
用向きを告げると、死神は本当に嬉しそうな顔つきで、礼を言った。
我の顔を見ただけで、ビクビクオドオドするのではないかと、想像していたから。作り笑いでもない、にっこにこの笑みに、拍子抜けしてしまう。
「我が怖くないのか? 昨夜あのようなことをしたのに」
聞くと、怖かったけど、冗談だと聞いて納得したと。もじもじしながら言う。
「…僕ったら、陛下の冗談を真に受けて、本当に無粋で。申し訳ございません」
驚くほど前向きな解釈、そして真意を汲み取れなかった己が悪い、とまで言われて。
我は唖然としてしまった。
本当に、あれを、冗談で済ませていいのか?
いいや、どうせ。この城に滞在するため、水に流しただけに過ぎないだろう。
そうとしか、考えられない。
しかし。本気で殺すつもりだったと、ここで白状して。この者をこれ以上怖がらせることはないか。
こいつが無難におさめるつもりならば、それに乗ってやってもいい。そう思った。
「あの…もしや、昨夜の剣は、名高きミハエル六世陛下のものではありませんか?」
死神は、黒目をピカピカ輝かせ、聞いてくる。
ミハエルが、王家の中でも特に秀でた剣豪であることは知っているが。
あれが、彼の持ち物なのかは、我は知らない。
でも、一応宝剣扱いで残されているので、否定もできないな。
「まぁ、年代的には、そうだな」
イエスともノーとも言わずに、曖昧に答えるが。
彼は、ぱあぁぁぁっと、蕾が花開くように笑った。
「やっぱりっ…剣を抜いた陛下を見て、そうではないかと思っていたのです」
なんなんだ? この生き物は。
我のつんけんした態度にも、物怖じしないで。ポヤポヤした、春日めいた空気を放出してくる。
その感覚に圧倒された。
というか、のみ込まれた。
侍女でも、もっとパッキリ仕事をしているぞ?
なんというか。我の周りには、我が幼少の折から、キビキビ仕事をする、ゆえに優秀な者しかいなかった。そういう者は、おおよそ、私生活においてもしっかりしていて。
つまり、性格面からキビキビしている。
以前は深窓の御令嬢だったという母上も、バミネの脅威にさらされ、今は警戒心が強力であるし。
そんな母上に育てられた妹のシャーロットも、勝ち気な面が勝る。
まぁ、バミネに隙を突かれたくないので、警戒も油断もないくらいで良いと思っているのだが。
つまりなにが言いたいのかというと。
クロウのような、柔らかい印象の。そばにいて心地よい温かさを感じる。のほほんとか、ほわわんとか、そういう擬音が似合う人物に、初めて遭遇した。ということだ。
「…それでは陛下。失礼して、採寸をさせていただきます」
だが、そんなクロウも。仕事に入ると和やかな表情をキリリと引き締めた。
メジャーで計測して、メモする。それを繰り返す。
しかし、本当に細かく、あちこち測るものだから。そして触れるか触れないかのところを、かすめるから。
なんだかくすぐったくなってきて、頭の後ろがゾワゾワする。
「…そのように、細かく測っても。出来上がりに大差ないのではないか?」
「そんなことはありません。体に合った服は動きの制限を感じさせず、とても気持ちの良いものですから」
死んだあとに着る服に、動きの制限など関係ないのではないか?
我はそう思ったが。そういえばクロウは、婚礼衣装を作っているつもりなのだった、と思い返す。
この言葉を昨日聞いていたら、馬鹿にされていると思い、また怒っただろう。
しかし理由を知った今は、逆に微笑ましい。
王を想って、彼が手を尽くしているのだと。素直に感じられるようになったから。
足の計測をしているクロウが、我を見上げて、ニコリと笑いかけた。
我は…。指先で彼の顎を持ち、クロウをジッと見下ろす。
ふむ。顔は美しいな。
目尻が切れ上がり、ともすればきつい印象を与えそうな目元だが、一重の目蓋で気だるそうに見え、中和されている。鼻と口は小さめで控えめだが、全体のバランスが優美に整っている。
彼は熱いと感じる眼差しで、我をみつめていた。
見れば見るほど、黒い瞳。
潤んで、光が入り込み。球形が際立ち。まるで、黒真珠のような美しさ。
いつまでも見入っていたくなる、魔性の色だな。
しかし、まぁ、綺麗ではある。
書物の挿絵で、死神は骸骨で表されていたが。悪魔は美しい容姿で人をたぶらかすというから。
クロウが美しいのは、我をたぶらかすため…かもしれぬ。
「これほど見事な黒瞳は、初めて見る。まぁ、死神には相応しいか」
つぶやくと。彼は少し不満そうな表情をした。
「恐れながら…結婚は人生の墓場などと言う者もおりますが。僕は、婚礼衣装を手掛けるだけの仕立て屋で、死神ではありません」
「いいや、おまえは死神だ。この衣装で、我を墓場へと案内するのだからな」
結婚の意味ではなく、本当の意味での、墓場に。
と、胸の内で、苦くつぶやく。
「おまえが、死神ではないと言うのなら、人間であるおまえの話を聞かせろ。そうして、死神ではないことを証明してみせるがいい」
その黒い瞳に魅入られそうになり。正気に戻るべく、我はクロウの顎から手を離した。
彼も、目覚めたと言わんばかりに、ふたつまばたきをした。
「…ハードル高すぎ問題。えぇぇぇっと」
なにか、よくわからないことを死神はつぶやく。ハードルってなんだ?
「では、僕の名前の話をいたします」
採寸に戻りながらも、クロウは話を続けた。
「僕の名は父、クロードから一部いただきました。陛下は博識で、クロウにカラスという意味があるのをご存知でしたね? しかし他にも。僕の髪色と同じ黒の意味もありますし。ある国の有名人の名前でもあります」
その話に、我はギョッとした。
エントランスホールで、初めてクロウと相対したときの話だ。
初対面の者に対し、カラス呼ばわりは、大概失礼な物言いであったと反省する。
「…我が、カラスと言ったことを、怒らないのか?」
「僕が知る国では、クロウというのは、苦しみ疲れるという意味合いがあります。それに比べたら、カラスなど可愛いものではありませんか?」
カラスや黒猫というものは、死神や悪魔の眷属として、不吉と言われる。
が。それを可愛いなどと。
黒猫を飼う死神には、そういう恐れる概念はないようだ。
「なるほど。おまえの名に、それほど多くの意味合いがあるとは…」
「お気に召していただけましたか?」
クロウはホッと息をついて。立ち上がる。
どうやら採寸も終わったようだ。
「そうだな、面白いし興味深い話であった。まだ…死神であることは撤回できないが」
からかうように言うと。クロウは眉を下げ。情けない表情になる。
凛としていれば、大人っぽい雰囲気を演出できそうなのにな。
だが、意識が顔に出るところが、面白い。
心根が素直なのだと思えて。二心がないようなのは、こちらも安心できる。愛想笑いより余程いい。
クロウのいろいろな表情を、もっと見たい。
「この数値を踏まえ、パターンを合わせていきます。仮縫いの日は、前もって陛下にご報告させていただきますので。そのときもどうぞよろしくお願いします」
少し澄ました、店員のような顔で言うクロウに。
我は。少しつまらなさを感じた。
「イアンと呼べ」
顔を上げたクロウは、少し首を傾けて、不思議そうに我をみつめてくる。あどけない表情だった。
「陛下ではなく、イアンと呼べ」
「え…ですが…」
戸惑い、視線をオドオドと動かすクロウに。たたみ掛ける。
「許す」
これ以上固辞したら不敬になると思ったか。
クロウは。恐る恐る。小さな声で口にした。
「…イアン様」
「なんだ? クロウ」
我も名を呼ぶと。ビビビッとクロウは震え。白い顔をほの赤く染めていく。
「いえ、特に。御用事はないのですが」
「ないのか?」
つまらぬ、と思ったところで。クロウが首を小刻みに横に振った。
「いえ、あ、あります。あの、あの…ミハエルの剣をもう一度見たいです」
しどろもどろしたあと、後半は、驚くような早口で、告げた。
なんだか挙動不審だな。
「いえ、いえ、陛下の…イアン様の、お気が向いたときで、構わないのです。わ、忘れてもいいので…」
「そうか。では気が向いたら。いつか、見せてやれるかもな」
フッと鼻で笑い。我は踵を返した。
今日も死神は、我の命を奪おうとはしなかったな。
首周りを測るとき、メジャーを巻きつけたが。それを、クロウが引っ張ったら、絞め殺せたかもしれぬ。
ま、首も鍛えているので無理だろうが。
しかし、事を起こそうとしなかった。
廊下に出ると、セドリックが澄ました顔ながら、空気がまたニヨニヨしていた。
我は、空気を読むのは得意だぞ。
「陛下とクロウは年が近いので、お友達になるのは良い御経験になるかもしれませんね? 学園の体験入学、みたいじゃないですか?」
廊下を進みながら、背後でセドリックが言うが。
友達という言葉に違和感があった。
「死神と友達になるほど酔狂ではない」
そんな言葉で突っぱねたが。
我は。クロウと友達になりたいわけではなかった。
なら、なにかと言われたら、わからないのだが。
もしも学園で出会っていたとしても、友達になる場面は想像できない。
彼の存在を認めつつも、接触はせずに、遠くから見やっているような…。
「陛下、俺もイアン様と呼んでもよろしいか?」
「許さぬ」
断固拒否すると。セドリックは背後でクスクス笑った。不敬なやつだ。
読書をしていた我は、キリの良いところで本を閉じた。
時計に目をやると、昼間の十時を過ぎたところ。
あの者はなにをしているだろうか、と唐突に思いつく。
昨夜、剣を突きつけて以降、死神の顔を見ていない。
昨日、王城に到着して、すぐ仕事を始めていたやつだから、今もマイペースに仕事をしているのか?
それとも、剣を突きつけられ、王に恐怖して自室にこもっているのか?
どちらもあり得る。
無性に気になり、我は王の居室を出て、廊下に出た。
王城に死神がいるということで、シヴァーディが寝ずの番をしたので。今日の我の警護には、朝からセドリックがついていた。
サロンの手前の廊下で、我はセドリックを止める。
「ここにいろ」
セドリックは無言で会釈したが。なんか、気配がニヨニヨしていて。嫌な感じだ。
王の警護に人が張りつくことには、慣れているのだが。
クロウと会うときに、人を連れていたくなかった。
死神に会うのに、怖気づいているのか、と思われたくないし。会話に、他者が割り込むのも嫌で。
さっそく、アルフレドの提案を実行するのだなと、セドリックに思われるのも、嫌ではあるのだが…。
いいや、王が、たかがこんなちっぽけな存在の恐怖すら払拭できないのか、と思われる方が嫌だ。
我は、クロウが何者か、己の目で吟味し、己の頭で理解し、己の手で攻略してみせるっ。
踵を返して、セドリックに背を向けた。
開いているサロンの入り口から中を見やると、クロウは…引きこもることもなく、真面目に仕事をしていた。
スツールに腰かけ、白布を縫い合わせている。
昨日、サロンで彼を目にしたときと、全く同じ体勢だ。
前髪を、またマヌケな感じで結っているが。真剣な眼差しで。集中している空気感がビリビリ伝わる。
リズミカルな手の動き。
声をかけて、この隙のない空間が壊れるのを、なんとなく恐れた。
怖いというのではない…保持したい感じだな。
「にゃおーん」
そう思っていたのに。猫が鳴いて、クロウが顔を上げた。
部屋を支配していた緊張感が、ぷつんと途切れてしまう。邪魔をする気はなかったのに、あの猫めっ。
「あ、陛下」
髪のゴムを外し、クロウは笑みを浮かべる。
その途端、場がほのぼのした。
王城の使用人は、バミネに敵対し、常にピリピリしている者たちが多い。だから。クロウの緊張感のない笑みを目の当たりにし、なんだか新鮮だと感じた。
「どうぞ、こちらにおいでください」
針やハサミなどを片付けたあと、椅子から立ち上がり、部屋の中に王をうながす。その一連の仕草が、たおやかで。
我に威嚇する猫に注意する声音さえも、上品だ。
猫は…今日も可愛くない。
「昨日、途中になった計測をしてもよい」
用向きを告げると、死神は本当に嬉しそうな顔つきで、礼を言った。
我の顔を見ただけで、ビクビクオドオドするのではないかと、想像していたから。作り笑いでもない、にっこにこの笑みに、拍子抜けしてしまう。
「我が怖くないのか? 昨夜あのようなことをしたのに」
聞くと、怖かったけど、冗談だと聞いて納得したと。もじもじしながら言う。
「…僕ったら、陛下の冗談を真に受けて、本当に無粋で。申し訳ございません」
驚くほど前向きな解釈、そして真意を汲み取れなかった己が悪い、とまで言われて。
我は唖然としてしまった。
本当に、あれを、冗談で済ませていいのか?
いいや、どうせ。この城に滞在するため、水に流しただけに過ぎないだろう。
そうとしか、考えられない。
しかし。本気で殺すつもりだったと、ここで白状して。この者をこれ以上怖がらせることはないか。
こいつが無難におさめるつもりならば、それに乗ってやってもいい。そう思った。
「あの…もしや、昨夜の剣は、名高きミハエル六世陛下のものではありませんか?」
死神は、黒目をピカピカ輝かせ、聞いてくる。
ミハエルが、王家の中でも特に秀でた剣豪であることは知っているが。
あれが、彼の持ち物なのかは、我は知らない。
でも、一応宝剣扱いで残されているので、否定もできないな。
「まぁ、年代的には、そうだな」
イエスともノーとも言わずに、曖昧に答えるが。
彼は、ぱあぁぁぁっと、蕾が花開くように笑った。
「やっぱりっ…剣を抜いた陛下を見て、そうではないかと思っていたのです」
なんなんだ? この生き物は。
我のつんけんした態度にも、物怖じしないで。ポヤポヤした、春日めいた空気を放出してくる。
その感覚に圧倒された。
というか、のみ込まれた。
侍女でも、もっとパッキリ仕事をしているぞ?
なんというか。我の周りには、我が幼少の折から、キビキビ仕事をする、ゆえに優秀な者しかいなかった。そういう者は、おおよそ、私生活においてもしっかりしていて。
つまり、性格面からキビキビしている。
以前は深窓の御令嬢だったという母上も、バミネの脅威にさらされ、今は警戒心が強力であるし。
そんな母上に育てられた妹のシャーロットも、勝ち気な面が勝る。
まぁ、バミネに隙を突かれたくないので、警戒も油断もないくらいで良いと思っているのだが。
つまりなにが言いたいのかというと。
クロウのような、柔らかい印象の。そばにいて心地よい温かさを感じる。のほほんとか、ほわわんとか、そういう擬音が似合う人物に、初めて遭遇した。ということだ。
「…それでは陛下。失礼して、採寸をさせていただきます」
だが、そんなクロウも。仕事に入ると和やかな表情をキリリと引き締めた。
メジャーで計測して、メモする。それを繰り返す。
しかし、本当に細かく、あちこち測るものだから。そして触れるか触れないかのところを、かすめるから。
なんだかくすぐったくなってきて、頭の後ろがゾワゾワする。
「…そのように、細かく測っても。出来上がりに大差ないのではないか?」
「そんなことはありません。体に合った服は動きの制限を感じさせず、とても気持ちの良いものですから」
死んだあとに着る服に、動きの制限など関係ないのではないか?
我はそう思ったが。そういえばクロウは、婚礼衣装を作っているつもりなのだった、と思い返す。
この言葉を昨日聞いていたら、馬鹿にされていると思い、また怒っただろう。
しかし理由を知った今は、逆に微笑ましい。
王を想って、彼が手を尽くしているのだと。素直に感じられるようになったから。
足の計測をしているクロウが、我を見上げて、ニコリと笑いかけた。
我は…。指先で彼の顎を持ち、クロウをジッと見下ろす。
ふむ。顔は美しいな。
目尻が切れ上がり、ともすればきつい印象を与えそうな目元だが、一重の目蓋で気だるそうに見え、中和されている。鼻と口は小さめで控えめだが、全体のバランスが優美に整っている。
彼は熱いと感じる眼差しで、我をみつめていた。
見れば見るほど、黒い瞳。
潤んで、光が入り込み。球形が際立ち。まるで、黒真珠のような美しさ。
いつまでも見入っていたくなる、魔性の色だな。
しかし、まぁ、綺麗ではある。
書物の挿絵で、死神は骸骨で表されていたが。悪魔は美しい容姿で人をたぶらかすというから。
クロウが美しいのは、我をたぶらかすため…かもしれぬ。
「これほど見事な黒瞳は、初めて見る。まぁ、死神には相応しいか」
つぶやくと。彼は少し不満そうな表情をした。
「恐れながら…結婚は人生の墓場などと言う者もおりますが。僕は、婚礼衣装を手掛けるだけの仕立て屋で、死神ではありません」
「いいや、おまえは死神だ。この衣装で、我を墓場へと案内するのだからな」
結婚の意味ではなく、本当の意味での、墓場に。
と、胸の内で、苦くつぶやく。
「おまえが、死神ではないと言うのなら、人間であるおまえの話を聞かせろ。そうして、死神ではないことを証明してみせるがいい」
その黒い瞳に魅入られそうになり。正気に戻るべく、我はクロウの顎から手を離した。
彼も、目覚めたと言わんばかりに、ふたつまばたきをした。
「…ハードル高すぎ問題。えぇぇぇっと」
なにか、よくわからないことを死神はつぶやく。ハードルってなんだ?
「では、僕の名前の話をいたします」
採寸に戻りながらも、クロウは話を続けた。
「僕の名は父、クロードから一部いただきました。陛下は博識で、クロウにカラスという意味があるのをご存知でしたね? しかし他にも。僕の髪色と同じ黒の意味もありますし。ある国の有名人の名前でもあります」
その話に、我はギョッとした。
エントランスホールで、初めてクロウと相対したときの話だ。
初対面の者に対し、カラス呼ばわりは、大概失礼な物言いであったと反省する。
「…我が、カラスと言ったことを、怒らないのか?」
「僕が知る国では、クロウというのは、苦しみ疲れるという意味合いがあります。それに比べたら、カラスなど可愛いものではありませんか?」
カラスや黒猫というものは、死神や悪魔の眷属として、不吉と言われる。
が。それを可愛いなどと。
黒猫を飼う死神には、そういう恐れる概念はないようだ。
「なるほど。おまえの名に、それほど多くの意味合いがあるとは…」
「お気に召していただけましたか?」
クロウはホッと息をついて。立ち上がる。
どうやら採寸も終わったようだ。
「そうだな、面白いし興味深い話であった。まだ…死神であることは撤回できないが」
からかうように言うと。クロウは眉を下げ。情けない表情になる。
凛としていれば、大人っぽい雰囲気を演出できそうなのにな。
だが、意識が顔に出るところが、面白い。
心根が素直なのだと思えて。二心がないようなのは、こちらも安心できる。愛想笑いより余程いい。
クロウのいろいろな表情を、もっと見たい。
「この数値を踏まえ、パターンを合わせていきます。仮縫いの日は、前もって陛下にご報告させていただきますので。そのときもどうぞよろしくお願いします」
少し澄ました、店員のような顔で言うクロウに。
我は。少しつまらなさを感じた。
「イアンと呼べ」
顔を上げたクロウは、少し首を傾けて、不思議そうに我をみつめてくる。あどけない表情だった。
「陛下ではなく、イアンと呼べ」
「え…ですが…」
戸惑い、視線をオドオドと動かすクロウに。たたみ掛ける。
「許す」
これ以上固辞したら不敬になると思ったか。
クロウは。恐る恐る。小さな声で口にした。
「…イアン様」
「なんだ? クロウ」
我も名を呼ぶと。ビビビッとクロウは震え。白い顔をほの赤く染めていく。
「いえ、特に。御用事はないのですが」
「ないのか?」
つまらぬ、と思ったところで。クロウが首を小刻みに横に振った。
「いえ、あ、あります。あの、あの…ミハエルの剣をもう一度見たいです」
しどろもどろしたあと、後半は、驚くような早口で、告げた。
なんだか挙動不審だな。
「いえ、いえ、陛下の…イアン様の、お気が向いたときで、構わないのです。わ、忘れてもいいので…」
「そうか。では気が向いたら。いつか、見せてやれるかもな」
フッと鼻で笑い。我は踵を返した。
今日も死神は、我の命を奪おうとはしなかったな。
首周りを測るとき、メジャーを巻きつけたが。それを、クロウが引っ張ったら、絞め殺せたかもしれぬ。
ま、首も鍛えているので無理だろうが。
しかし、事を起こそうとしなかった。
廊下に出ると、セドリックが澄ました顔ながら、空気がまたニヨニヨしていた。
我は、空気を読むのは得意だぞ。
「陛下とクロウは年が近いので、お友達になるのは良い御経験になるかもしれませんね? 学園の体験入学、みたいじゃないですか?」
廊下を進みながら、背後でセドリックが言うが。
友達という言葉に違和感があった。
「死神と友達になるほど酔狂ではない」
そんな言葉で突っぱねたが。
我は。クロウと友達になりたいわけではなかった。
なら、なにかと言われたら、わからないのだが。
もしも学園で出会っていたとしても、友達になる場面は想像できない。
彼の存在を認めつつも、接触はせずに、遠くから見やっているような…。
「陛下、俺もイアン様と呼んでもよろしいか?」
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断固拒否すると。セドリックは背後でクスクス笑った。不敬なやつだ。
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「いやいやいやいや、全部顔に出てるんですけど…!!?」
ユーリスは思い出す。この世界は表情から全く感情を読み取ってくれないことを。いくら苦々しい表情をしていても誰も気づかなかったことを。
寡黙なだけで表情に全て感情の出ているデンベルは怖がられる度にこちらが悲しくなるほど落ち込み、ユーリスはついつい話しかけに行くことになる。
髪の毛の美しさで美醜が決まるというちょっと不思議な美醜観が加わる感情表現の複雑な世界で少し勘違いされながらの二人の行く末は!?
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
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