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1巻
1-3
「顔を上げてくれ、ノワール。惨事を引き起こすかもしれなかったところを助けてもらったのだ。我は感謝している」
許しを得たので顔を上げると、王子は機嫌良さそうに微笑んでいた。
ゲームの中ほどトゲトゲした印象ではないが、ミニラスボスチックで、まだちょっと怖い。でも五歳児の割には受け答えがしっかりしているから、話は通じそうだな。
「私はとある事情で素性を隠しております。それで、殿下にお会いしたときはドレスを着用していたのですが……」
「あぁ、そうであったな。そなたは虹色の輝きをまとう、とてもきれいな令嬢であった。そういえば今日は、ズボンを着用しているようだな?」
先ほどまでパン作りをしていたから普段着だ。でも腐っても公爵の子なので、普段着もそれなりに上等なものを身につけている。絹の白シャツに黒い長ズボン、ブーツを履いていて、そこに先ほど黒のジャケットを着せられた。ゆえに、今日は良いところの坊ちゃん風の出で立ちだ。
「はい、私は男ですので。なので、婚約の話は……」
すかさず婚約解消の流れに持って行こうとしたが、王子は話を途中で遮った。
「もちろん、そなたが男児なのは承知しているぞ。婚約の話を陛下にしたときにも、そのことを言われた。それでも婚約者として、そなたに一番身近にいてほしいと思ったのだ」
なに? 性別誤認はしていない? てっきり、女だと思って婚約を申しこんだと思っていたのに。
婚約解消は簡単だと思っていたが、出鼻をくじかれてしまった。父上が横であからさまに安堵の息をついているのが不快である。
先手をいなされ、私は焦りを感じた。だが、まだこれからだ。なんとしても、ラスボス王子との関係をここで断ちたい。
「先日は殿下の魔力を制するため、なにやら派手なことになってしまいましたが、殿下が先ほど言った虹色の輝きは殿下の魔法が分解されたものであり、私の力ではありません。私には魔力がないのです。王子のそばにいるには分不相応かと。なので、婚約の話は……」
「それがもう、すごいことではないか。我の魔力に屈しないのは、そなただけだ」
王子は笑顔で言う。しかし貼り付けたようなその笑みでは、心が読めない。
それに全然すごくないのに、王子に伝わっていなくて困惑する。どう説得するべきか悩むが、とにかく押すのみだ。
「王子の魔力に屈しないなど、とんでもないことです。屈しないのではなく、ただ魔法が効かないだけなのですから。私が強いわけではない、むしろ弱い者なのです」
実際、剣といった魔法以外のもので攻撃されたら、たちまち死ぬ。ゆえに、まったく強くはない。だからそう言ったのだけど、私の言葉を聞くなり、笑顔だった王子は急に口をへの字に引き結んだ。
「そなたは、我と婚約したくないのか? やはり、我が呪われた第二王子だと知っているのだな?」
うりゅゅゅゅぅぅっと、まなこを涙でにじませる王子。
そんなっ! あの冷酷無慈悲なラスボス王子の初手が、まさかの泣き落としだなんて!?
いや、しかし、さすがのラスボス王子も五歳児ゆえに致し方なしか。
とりあえず、呪いうんぬんの誤解を解かなくてはならない。
「殿下。私は殿下が呪いの王子というのは初耳で、それゆえに婚約したくないわけではないのです」
「ではっ、我と婚約してくれるな?」
「それは……」
「婚約してくれないのであれば、ノワールは我が呪いの王子だから婚約したくないのだ、と思うことにするが?」
王子は涙目のままムゥと再び唇を引き結んだ。
そんなぁ、私は心無い噂で人を選ぶようなことはいたしません。あなたがラスボス王子で、将来私を殺すから婚約したくないのだ。これは事実だから仕方がないでしょ。
とはいえ、父上の前でラスボス云々を口にするわけにもいかないし、父上が厳しい目でこちらを見て、婚約を承諾しろと無言の圧力をかけてくるし。うぅ。
正論で押し切るのは自信があったのだが、泣く子にはかなわない……か。
「殿下。婚約を承諾いたしますが、くれぐれも素性は内密にお願いします」
――第一回、王子説得バトル敗退。
押し切ることができず、私は婚約を受け入れたのだった。
だがとりあえず、ノワールが第二王子と婚約したと公に伝わらなければ、今後婚約解消にこぎつけても人に知られることなく、こっそり舞台から退場できるだろう。そう思って、そこだけはしっかり念を押しておいた。
「ふぅむ、よくわからぬが、父……いや、陛下からもそう言われているので、それについては守るぞ。美しい婚約者ができたとウェル兄上に自慢できないのは残念だがな」
王子は涙ぐませた目を瞬きひとつでリセットし、ひと息ついた様子で紅茶を優雅に飲んだ。
あ、もしかして演技だったのか! 私から言質を取るために?
婚約を受諾したとしても、呪いの第二王子だと知ったら婚約を取り消されるのではないかと王子は危惧して、いち早く屋敷に出向いたのかもしれない。
だったら、婚約を渋ったことで傷ついたかもしれないね。呪いというのは初耳だが、たぶん王子の魔力量が多すぎることに関係しているのだろうな。
私は彼が悪逆の限りを尽くす美貌のラスボス王子になることを知っている。膨大な魔力量で、正攻法では誰もかなわない強キャラだ。バッドエンドでは王都を火の海に沈めてしまう。それほどの魔力を有しているのだ。
なので、呪いがどうとかは、今更まったく気にならない。
それよりも、あの自信と威厳に満ちあふれたラスボス王子になる男が、幼少期には泣き落としするような子供だったなんて、考えもしなかった。そこまでして私との婚約を望む、その理由はよくわからないが。
今回の敗因は、今の王子とラスボス王子のギャップに虚をつかれたから、だな。だが次こそは、王子を説得して婚約解消を成立させてみせる。
命がかかっているので、こちらも必死なのだ。
表面上はにこやかに、内面でそんなことを考えていると、王子が王宮に帰る時間になった。
お見送りするため、私は父上とともにエントランスへ出る。王族への礼儀として、当然外で見送るつもりだった。
「外は雪が強くなってきている。寒いから見送りはここまででよい」
しかし王子はエントランスでそう言い、私の右手を両方の手で包んだ。
「この次は王宮に招待するぞ。来月、そなたと会える日を心待ちにしている」
王子は五歳児だから決まり文句を言ってるだけなのかもしれないけど、こんな丁寧な挨拶を王子様にされたら、令嬢は嬉しがるのだろうなと思う。スマートかつ紳士的だ。
でも私はまだ怖い気持ちがあるから、返す笑みが引きつってしまうけど。
それよりも、手から王子の魔力が漏れている。この前の出来事から数日しか経っていないのに、もう魔力満タンなのか、と感嘆した。結構吸ったつもりだったけど、この辺りはさすがラスボス王子というところだな。
なにも言われていないが、アベーチェだったら頭痛がするって大騒ぎするくらいの魔力漏れだから、この前のように気絶しない程度にチュッと魔力を吸ってやった。
するとそれに気づいたようで、王子はニコリと笑う。
「ありがとう。楽になった」
ゲームの王子は、いつも厳しい表情をしているか、笑っても嘲笑だった。だから、険の取れた王子の顔というものを珍しい気持ちで見る。
まぁ、この世界はリアルだし、生活をしていれば普通に笑いもするし、幼い子供なのだから無邪気な面もまだあるのだろう。
ならば。もしも、彼がなにもかもが不快だと言わんばかりのラスボス王子にまだなっていないのだとしたら、私が殺される未来も修正可能かもしれないな。いや、そうであれ。
とにかく婚約者になってしまったのだから、関係を築きながら死亡ルートを回避するしかない。
王子は私に、そして父上にも会釈して、執事が開けた玄関を出ていった。馬車寄せにきらびやかな馬車が止まっていたから、すぐにそれに乗りこめただろう。
玄関扉が閉まり、王子の姿が見えなくなってようやく、私はホッと安堵の息をついた。
「父上、これからはどうなるのですか? 殿下は来月王宮にと言っていましたが」
婚約したらどうなるのかわからず、父上に尋ねる。というか、男同士で婚約という事態がまったくピンと来ていないのだ。
「婚約したら、月に一度顔を合わせて打ち解けるよう努めるものだ。互いの家族や兄弟とも仲を深め、家族ぐるみで親しむようにする」
「素性を隠す私はどのように振る舞えばよいのですか?」
「しばらくは公爵家の遠縁の令嬢として王宮に通い、王子と仲良くなれば良い。のちのちのことはいずれ考える」
行き当たりばったりな父上を、私はついジト目で見てしまう。そして、やはり私は女装を継続しなければならないようで、内心ため息をついた。
「王子とノワールが婚約だなんて、許せませんわ。公爵家と婚約をするというのならアベーチェでもいいのではなくてっ?」
とその時、上階につづく階段に紫色のドレスを身にまとう母上が現れ、私たちを見下ろして言った。外出しない壮年の女性はロングドレスを好むようで、母上も足元まで隠れるスカート姿だ。
父上は見事な青髪。そして父上とは従兄妹同士の母上も素敵な青髪だ。
青髪同士でなぜ黒髪が生まれてしまうのやら。文句は『花抱き』の公式に言ってもらいたい。
「公爵家との縁組を希望しているのなら、もちろんアベーチェを推すが。王子の望みはノワールの能力なのだ。アベーチェは代わりにならぬ」
とりなすように父上は言うが、母上は強気でエントランスに声を響かせる。
「能力目当てなら、そんな子は王宮に売り渡してしまえばいいわ。使用人として手元に置けばいいのよ。その魔力なしの出来損ないを、公爵家の人間として王家に嫁がせるなど認めません。公爵家の恥になるわ」
「曲がりなりにも私の息子だ、そのような不憫な真似はできぬ」
曲がりなりって言葉は聞き捨てならないが、まぁ一応、父上は反論してくれた。だが母上は、私をキッと睨んだ。
「ノワール、王子に見初められたからといって、いい気にならないでちょうだい。王子の婚約者でも、奥から出てくることは許しませんからね!」
鼻息荒くそう言い、母上は階段を登って二階に行ってしまった。
まぁ、産んだ私の存在をなかったことにする母上だ、私は嫌われているのだろうね。私が黒髪なのはゲーム設定のせいだろうけど、母上がそんなことを知る由もないし。母上にとって私は、ただただ不気味で目障りな者なのだろう。
今まで私は、十八歳になるまでは公爵家の奥でぬくぬく暮らしていけたらいいなと思っていた。しかし母上の剣幕を見ると、それは難しそうだな。
魔法で水をぶっかけられそうになったことがあるが……もしかしたら魔法で私を殺そうとしたこともあったのかもしれない。首を絞められたらアウトだったけど、自分で直に手を下すほどの勇気はなかったのだろう。
だとすると、案外、ここで王子の婚約者になれたことは良かったのかもしれないな。さすがに母上も、王子の婚約者を害そうとはしないだろうから。
うとましく思っていたとしても、我が子に殺意を向けるような母親であってほしくはないのだけど、あそこまでの嫌悪を向けられたら最悪の展開も可能性のひとつとして考えておくべきだな。
前世でいつの間にか死んでしまった私の今世での目標は、寿命を全うすることだ。
目の前にラスボス王子という死の脅威が迫っているが、その前に母上に殺されたら目も当てられない。注意するに越したことはないな。
しかし、ラスボス王子の従者になる未来は想定していたけれど、まさか婚約者になるなんて考えてもみなかった。
ゲームで婚約の話があったかどうかは知らない。でもゲームのノワールは、こういうきっかけでラスボス王子の従者になったのかもしれないな。推測だし、モブにそもそも設定などなかったかもしれないけど、辻褄は合っている。
でも、だとしたらゲームのノワールは王子の魔力を吸ってあげなかったのだろうか。王子が苦しんでいても、助けの手を伸ばさず放っておいたのかな?
そうでなければ、先ほど会ったあの王子が、生きることがつらく苦しいと恨みを募らせるラスボス王子にはならないような気がする。
殺される運命である私は、王子に思うところはある。けれど、魔力暴走のようなつらい目にあってほしいなんて思わないし、治してあげられるものは治してあげたいと思う。
苦しいのはつらいから、手を差し伸べただけだ。
あ、死亡回避するのに、王子をラスボス王子にさせないって手もあるな。彼がラスボス王子にならなかったら、私は殺されないかもしれない……のではないか?
だけど、そんなことできるのか? 今までは、死亡を回避するためにラスボス王子と出会わないことを目標にしていたけど、出会ってしまった。あまつさえ従者を通り越し婚約者になってしまったから、目標を設定し直さなければならないな。
私が死なずに天寿を全うするためには、ラスボス王子との関係性をなくすことが肝心だ。
まず目標その一、婚約解消するよう王子に働きかける。彼から離れられたら屋敷の奥にこもって、もう外へは出ない。
そうなれたら最高だが、やはり計画というのはそううまくはいかないもの。
そのための代替として、目標その二。婚約解消ができないうちは、王子のラスボス化を回避する。
王子がラスボスにならないようにするにはどうすればいいか、うーん、それはわからないが。とにかく魔力暴走するような事態を防げばいいだろう。人々から敬遠されなければ、孤独な王子にならないと思う。
よし、その方向で行こう。しかし、とにもかくにも、母上怖すぎ。
★★★★★
ひと月ほどは屋敷の奥で、穏やかで平和な日々を過ごしていた。
しかし今日は朝からドレスを着て、モーラが私の髪を結わえてと、忙しい。気の滅入ることに、女装して王宮に行かなくてはならないのだ。
婚約者との、月に一度の顔合わせの日である。そして別名『第二回、王子説得バトルの日』とも言う。
顔合わせの段取りとしては、王宮のサロンで王子とお茶をし、ふたりでなにかしらを話し、二時間ほど滞在してお暇するという感じ。
今日は初回なので父上がついてくるが、この前王子が屋敷に来たときのように、普通は後見人や従者を伴うものらしい。従者が距離を置いて私たちを見守る中、ふたりで遊んだり話したりするものなのだそうだ。
準備を終え、さっそく王宮に向かう。
正面入り口に馬車がつき、降車して王宮を見上げた。
王宮は薄茶色の石造りで、寒いこの国で暖かそうな色合いなのは良いことだ。四階建てで横広の建物だが、中央部分に七階建ての塔が建っている。
先月も見たが、近くで見ると荘厳で、立派な宮殿だと改めて思う。
しばらくして案内人がやってきて、王子が待つサロンへ私と父上を連れていってくれた。
「ノワール嬢、待ちかねたぞ。今日もとても美しいな」
サロンに顔を出すと、白地に金糸銀糸の刺繍で彩られた、きらびやかな衣装を身につけた王子がさっそく現れて、満面の笑みで私を歓待した。
相変わらず、金色のまつ毛バサバサのぱっちりお目目で、形の良い桜色の唇を微笑させている美幼児だ。金髪が白い衣装を輝かせ、まぶしい。
そして紳士な態度で美辞麗句を並べ、五歳児ながら完璧な応対を披露する。
男児の私に、容姿へのおべっかは不必要だけどね。しかし一応女子という態なので、その言葉は受け取らなければならないだろう。
私はこの一ヶ月、この日のために一生懸命練習した淑女の礼を、優雅にしてみせる。
「ネロディアス殿下、お招きいただき感謝いたします」
スカートの下のボリュームいっぱいのフリルのやつ、パニエによってふわりと膨らむ青紫のスカートを指先で摘まみ礼をする。挨拶を済ませ、顔を上げると、王子は嬉しそうに笑っていた。
なんとなく後ろめたい気になる。だって、今日こそ婚約解消に持ちこまねばならないのだからな。
「殿下、私は陛下と話がありますので、その間ノワールを見ていただいてよろしいですかな?」
父上の言葉に、王子は鷹揚にうなずいた。
「ノワール嬢は責任を持っておあずかりする。退屈させたりはせぬぞ」
「頼もしいお言葉ですな。ではよろしくお願いします。ノワール、くれぐれも失礼のないように」
そう言って、父上は踵を返してサロンから出ていってしまった。
私は良いのだが、普通はじめての婚約者との会合に、六歳児をひとりで残していくか? そういうところ、彼は父親失格だと思うよ。
まぁ父上にしろ、母上にしろ、関係性が希薄なので私としてはかなり他人事だ。
なんとなく、この世界の両親のことは、ドラマの中の家族のように思っている。遠いところにいる家族、現実味がない、みたいな意味だ。そうは言っても、彼らは事実、私の両親である。現実味がないと思うことが現実逃避なのかもね。
「ノワール嬢、とりあえずお茶をいただこうではないか。こちらに座ってくれ」
王子のエスコートに従い、私はひとり掛けの椅子に腰かける。しかしその椅子が豪華すぎて引いてしまう。ひじ掛けや背もたれの装飾は細かい彫刻が刻まれているが、その上に金箔が張られていて、さらに座面も黄色の花柄模様。まぶしい。
部屋の壁は白いのだと思うが、部屋の真ん中に垂れ下がる大きなシャンデリアの光を受けて四方が黄色に輝いている。まぶしい。
部屋の隅にはウェディングケーキみたいな形の陶器があって、これはなにに使うのかよくわからないけど、白地の陶器に金の装飾がついた意味不明の置物が……まぶしい。
だが、床は木組み模様のブラウン系だ。庶民脳の私はそれを見て、ようやく気持ちを落ち着かせた。キラキラチカチカで刺激を受けた目を、床を見て休ませよう。
私と対面に座る王子の間には小さな丸いテーブルがあり、そこに給仕係が紅茶を置いていく。ティーカップもお高いのでしょうね?
腐っても六年も公爵家の子息だったのだから、そろそろ私の脳みそも豪華仕様に慣れなければならないとは思うのだけど、なんと言っても物心ついた頃から屋敷の奥にいたし、特に貴族的な教育を受けたわけでもないし、前世も庶民だし、そう簡単には慣れないものだ。
でも、生き永らえたら成人前に貴族ではなくなるから、庶民脳のままでいいのかもな。生活のグレードを上げてしまったら、そのボーダーはなかなか下げられないというし。
そんなことを考えつつ紅茶を飲んで一息ついたので、長生きするため、私は王子説得バトルを開始することにした。
実は少し悩んだのだ。婚約を解消したら母上が私を殺そうとするかもしれない、と。
王子の婚約者のままでいたほうが母上に害される危険性は減る。でも、十八歳の私を串刺しにする王子の脅威のほうが上回った。母上が私を殺すかもなんて、考えすぎかもしれないからね。
なので、当初の予定通り王子に婚約解消を働きかけることにする。
「恐れながら殿下、婚約の件ですが……」
「ん? ノワール嬢はまだ我との婚約を渋っているのか?」
私が切り出すと、途端に王子はべっ甲飴のような瞳を潤ませる。だが、同じ轍は踏まない。
「泣き落としはもう通じませんよ。先日の涙は演技だとわかっています」
そう言うと、王子はやはりケロリとして笑みを浮かべた。
「ノワール嬢はなかなかに聡いようだな。みんな三回くらいはこの涙に騙されてくれるのだが」
そりゃあ、美少年がウルウルした瞳でみつめてきたら、大人は三回でも四回でも騙されるだろう。聡いのではなく、同じ子供である私には効かないというだけだ。
というか、やっぱり演技だったか……
「しかし、本人が婚約を承知すると言ったのだ、我から撤回する気はない」
うぅ、先手を打たれた。やはり言質を取られたのは痛かったな。だが引き下がらない。
「殿下はなぜ、私を見初められたのですか?」
「そりゃあ……我に屈しない能力を持った者を野放しにはできないからだ。強者は我、ただひとりでいい」
王子は楽しげにそう言った。五歳児なのに彼は息を呑むような威圧感がある。あぁ、まさしくラスボス王子だ。この子供が、あの冷酷無慈悲なラスボス王子になるのか。
「その心配には及びません。婚約解消の暁には、私は公爵家の奥から出ませんし、成人したら平民となり人知れず町中に消えゆく者です」
王子の邪魔者にはならないということを宣言し、さらに続けた。
「それに私には魔力がないのです。だから王族の方にはそぐわない――」
「そなたは我の強大な魔力を吸い、魔力暴走をおさえた。先日もあふれた魔力を吸い、体を楽にしてくれた。それだけでもとても得難い能力だと思うが? 我が欲するに余りある」
私の話にかぶせて王子は言った。説得には応じないということか。だが、負けない。
「体に見合わぬ魔力に翻弄される期間はそれほど長くなく、もうほんの二年の間にも私のこの力はお役御免になります。そのとき家同士の契約である婚約をしていたら、殿下の経歴に傷がついてしまうのですよ」
「うーん、むずかしい言葉で我を煙にまこうとしているようだな? そんなことを言われても、婚約をなしにはしないぞ。我はとにかく、ノワール嬢にそばにいてもらいたいのだ」
王子は腕を組み、頭を揺らして、急に子供っぽいことを言い出した。いや、絶対わかっているでしょ、目が笑っている。
でも、本当にわかっていないのかもしれないな。王子は並の五歳児よりは頭が良いが、されど五歳児。婚約が家同士の契約であるというところまでは考えが及ばないのかも。
あぁ、五歳児への説明は難しい。魔力がどうの、性別がどうの、恋愛がどうのと言ったところで、お子様には理解できそうもない。
ふぅむと息をつき、私は戦略を変えることにした。
もうぶっちゃけてしまおう。あなたのそばにいると殺されてしまうから、婚約解消したいのだということを。
「殿下、これから私はとても大事なお話をするので、お人払いしていただけますか?」
こっそりと王子に言う。王宮の人々に、公爵の知り合いが頭おかしいとか思われたら嫌だからな。一応私にも、息子として公爵家の足を引っ張りたくない思いはあるのだ。
「いいだろう。ふふ、今度はどんな話で我を楽しませてくれるのかな?」
王子は愉快げな顔でうなずき、紅茶をいれ直してもらってから人払いしてくれた。さすがに全員を部屋の外に出すことはできないけれど、大きなサロンなので部屋の隅にいる警護の者に話し声は届かない。
では、と居住まいを正して、私は王子に告げた。
「実は、私には前世の記憶があるのです」
「ぜんせ? それはなんなのだ?」
「生まれる前の記憶です。私はノワールではない別の人物で、こことは違う国で暮らしていた。その記憶を持っています」
ここまで言って、このように頭のおかしい者とは婚約できぬ、と王子が思ってくれても良かった。
でも彼はべっ甲色の瞳をキラキラさせて、ぱぁぁぁっと明るい笑みを浮かべた。
「なんだそれは、面白いではないか! もっと聞かせてくれ、ノワール嬢」
もしかしたら作り話だと思っているのかな? だって前世の弟がはじめてサッカーボールを買ってもらったときと同じ、好奇心満々な顔つきだもの。先ほどの、威圧感のある態度とは別人だ。
いわゆる年相応で、素直に可愛い。
うぅむ、仕方ないなぁ。まぁ、まだ幼い子供だし、おとぎ話風に話してもいいか。
「前世では、私は篠という名前で、弟と妹にはノノ兄ぃなんて呼ばれていたのです」
「ノノ兄ぃ? 可愛らしい名前だな」
王子はやんわりと笑い、目を細める。幼いが、女性なら見惚れる美貌は健在だ。
「それで妹がやっていた遊びにゲームというものがありまして、それは絵本のようにお話があるのですが、主人公がどう振る舞うのかをプレーヤー……そのゲームをやっている者が好きに選べるのです」
「ふぅん、ゲームとは面白そうな遊びだな。ノワール嬢はそれを作れないのか?」
「私は原理を知らないので作り出すことはできないのですが、そのゲームの世界と、今生きているこの世界が同じようなのです」
「ゲームと同じ? 意味がよくわからないな」
「国の名前や登場人物が同じなのです。ネロディアス様も出るのですよ」
そう言うと、王子は目を真ん丸にして驚いた。
「ほぅ、ゲームとやらに我が出てくるのか? 興味深いな。もっと聞かせてくれ、ノワール嬢」
王子は大人と子供が混在しているような方だが、今は絵本の読み聞かせの続きをねだる弟妹たちみたいな反応だ。彼らを思い出し、苦笑してしまう。
「ゲームでは殿下は十七歳で、主人公に立ちはだかるラスボス……いえ、悪の親玉です」
「おおぅ、我は悪役なのだな? それで?」
自分が悪役だと言われても王子は嫌悪感を示さなかった。悪に心を引かれるお年頃だろうか?
「主人公は、殿下と同い年の聖女です。聖女は殿下を倒すために仲間を集めます。ときに友情を深め、ときに恋をして、仲間とともに魔法や剣術の腕を鍛え、殿下と対峙するのに備えます。そして聖女が殿下を倒して愛する人と結ばれたらハッピーエンドなのです」
「悪の我が倒されるというのは、我は聖女に殺されてしまうということか?」
「必ず殺されるわけではありません。聖女の選択によって未来は変わるのです。たとえば聖女が殿下の寂しい心に寄り添って改心させることができたら、殿下は殺されず、聖女と結婚します」
「それは駄目だ。我はノワール嬢と婚約したのだからな。聖女と結婚などしない」
自分は良い婚約者だとアピールする王子。
「私はゲームに巻きこまれて十八歳で殺されるのです。そのあとの話なので、大丈夫ですよ」
しかしすぐあとに続けたその言葉を聞くなり、王子は口を開けたまま固まってしまった。
「……ノワール嬢が、死ぬ? だが我のように聖女の選択が良かったら……」
「いいえ、聖女がどの選択肢を選んでも、私は殺されるのです。私はゲームに巻きこまれて死にたくはない。なので、婚約の話は……」
「ノワール嬢は我が守るっ!」
すかさず婚約解消の方向へ話を持っていこうとしたら、王子が私の言葉を遮った。
くそぉ、良い流れだったのに。思わず頬が引きつる。
「ノワール嬢を殺すのは誰なのだっ?」
王子が身を乗り出して聞いてくる。
「それは、聖女だったり、その仲間だったり……」
あなただったり、あなただったり、あなただったり……
しかし私を守ろうとしている五歳の王子に、本当のことはさすがに言えない。
「だったら、聖女を捜し出して殺してしまえばいいのだ。我の婚約者に手を出させたりしない」
簡単に殺してしまえばいいなどと言う王子に、幼いながらもやはりラスボス王子の素地があるのだなと感じ、ゾクリと身を震わせる。
できれば王子のラスボス化も回避して、生存ルートをひねり出したい。しかしそのためには、王子の苛烈な性格を矯正しなければならないな。
「そのようなことを言ってはなりません。殿下はストラーレン王国を統べる王族の一員で、聖女もあなたが守るべきストラーレン王国の民です。私を守るように、聖女も守ってあげてください」
「しかし、それではノワール嬢が殺されてしまう」
王子は眉尻を下げ、悲しげな瞳を私に向ける。
だから私は、こう言うしかなかった。
「……あなたが守ってくださるのでしょう?」
「あぁ、もちろんだ、ノワール嬢。我はそなたを害する敵と戦う騎士となり、我の大事な婚約者を守ると誓おう」
王子は満面の笑みで私に宣言する。だが私はそのとき、人知れず敗北感に打ちひしがれていた。
――第二回、王子説得バトル敗退。
だって、彼の庇護下に入ると認めたようなことを言ってしまった。文字通り自分で墓穴を掘って片足を突っこんだようなもの。
違う、違う、そうではない。私は王子から距離を置きたいんだ。なのに、なんでうまくいかない? これがゲームの強制力というやつなのか? 恐ろしい。
そこに王子の従者が現れた。
「御歓談中、失礼いたします。陛下が殿下とノワール様をお呼びです」
「はぁぁ? 今、良い話のさいちゅうだったのだがぁ?」
ご立腹な様子で王子は従者を睨む。しかし一瞬私を見るなりハッとした顔をして、すぐに笑みを浮かべた。
……これは、私に対して猫をかぶっているな? 普段は従者にこんなに高飛車なのかな?
「今のは、話の腰を折られたから怒ったのだ。ほら、我がノワール嬢を守る騎士になると告げた、すっごく良い場面であっただろう? いつも居丈高なわけではないぞ」
従者に強く当たるのは良くない。しかし私はゲームで、もっとひどいラスボス王子の行いを見ているので、驚くことはない。ただ、ニコリとしておいた。
「では殿下、ご一緒に参りましょう。陛下をお待たせできません」
「そうだな。案内するぞ、ノワール嬢。こちらだ」
椅子から降りた王子は、先頭に立って歩く。私は大人しく彼の後ろについていった。
前を歩く、目に鮮やかなゴールドの髪、後ろ手を組んで歩く姿。それらにラスボスの片鱗が見えていて、どうしても不安で胸がソワソワした。
なかなか死亡回避できず、焦る。
王子と一緒にいるからか、話が通っているからか、すいすいと陛下の執務室の前までやってきた。取り次いでくれと王子が護衛騎士に告げると、速やかに扉が開かれる。
執務室の中には大きなワークデスクがあり、その椅子にこの国の王様であるマルティネス陛下が座っていた。室内には父上もいて、陛下に寄り添うように立っている。
というか、一国の王様とご対面である。公ではない面会とはいえ、さすがに緊張するな。私は前世でも、芸能人すら直に見たことがない庶民だったんだ。
許しを得たので顔を上げると、王子は機嫌良さそうに微笑んでいた。
ゲームの中ほどトゲトゲした印象ではないが、ミニラスボスチックで、まだちょっと怖い。でも五歳児の割には受け答えがしっかりしているから、話は通じそうだな。
「私はとある事情で素性を隠しております。それで、殿下にお会いしたときはドレスを着用していたのですが……」
「あぁ、そうであったな。そなたは虹色の輝きをまとう、とてもきれいな令嬢であった。そういえば今日は、ズボンを着用しているようだな?」
先ほどまでパン作りをしていたから普段着だ。でも腐っても公爵の子なので、普段着もそれなりに上等なものを身につけている。絹の白シャツに黒い長ズボン、ブーツを履いていて、そこに先ほど黒のジャケットを着せられた。ゆえに、今日は良いところの坊ちゃん風の出で立ちだ。
「はい、私は男ですので。なので、婚約の話は……」
すかさず婚約解消の流れに持って行こうとしたが、王子は話を途中で遮った。
「もちろん、そなたが男児なのは承知しているぞ。婚約の話を陛下にしたときにも、そのことを言われた。それでも婚約者として、そなたに一番身近にいてほしいと思ったのだ」
なに? 性別誤認はしていない? てっきり、女だと思って婚約を申しこんだと思っていたのに。
婚約解消は簡単だと思っていたが、出鼻をくじかれてしまった。父上が横であからさまに安堵の息をついているのが不快である。
先手をいなされ、私は焦りを感じた。だが、まだこれからだ。なんとしても、ラスボス王子との関係をここで断ちたい。
「先日は殿下の魔力を制するため、なにやら派手なことになってしまいましたが、殿下が先ほど言った虹色の輝きは殿下の魔法が分解されたものであり、私の力ではありません。私には魔力がないのです。王子のそばにいるには分不相応かと。なので、婚約の話は……」
「それがもう、すごいことではないか。我の魔力に屈しないのは、そなただけだ」
王子は笑顔で言う。しかし貼り付けたようなその笑みでは、心が読めない。
それに全然すごくないのに、王子に伝わっていなくて困惑する。どう説得するべきか悩むが、とにかく押すのみだ。
「王子の魔力に屈しないなど、とんでもないことです。屈しないのではなく、ただ魔法が効かないだけなのですから。私が強いわけではない、むしろ弱い者なのです」
実際、剣といった魔法以外のもので攻撃されたら、たちまち死ぬ。ゆえに、まったく強くはない。だからそう言ったのだけど、私の言葉を聞くなり、笑顔だった王子は急に口をへの字に引き結んだ。
「そなたは、我と婚約したくないのか? やはり、我が呪われた第二王子だと知っているのだな?」
うりゅゅゅゅぅぅっと、まなこを涙でにじませる王子。
そんなっ! あの冷酷無慈悲なラスボス王子の初手が、まさかの泣き落としだなんて!?
いや、しかし、さすがのラスボス王子も五歳児ゆえに致し方なしか。
とりあえず、呪いうんぬんの誤解を解かなくてはならない。
「殿下。私は殿下が呪いの王子というのは初耳で、それゆえに婚約したくないわけではないのです」
「ではっ、我と婚約してくれるな?」
「それは……」
「婚約してくれないのであれば、ノワールは我が呪いの王子だから婚約したくないのだ、と思うことにするが?」
王子は涙目のままムゥと再び唇を引き結んだ。
そんなぁ、私は心無い噂で人を選ぶようなことはいたしません。あなたがラスボス王子で、将来私を殺すから婚約したくないのだ。これは事実だから仕方がないでしょ。
とはいえ、父上の前でラスボス云々を口にするわけにもいかないし、父上が厳しい目でこちらを見て、婚約を承諾しろと無言の圧力をかけてくるし。うぅ。
正論で押し切るのは自信があったのだが、泣く子にはかなわない……か。
「殿下。婚約を承諾いたしますが、くれぐれも素性は内密にお願いします」
――第一回、王子説得バトル敗退。
押し切ることができず、私は婚約を受け入れたのだった。
だがとりあえず、ノワールが第二王子と婚約したと公に伝わらなければ、今後婚約解消にこぎつけても人に知られることなく、こっそり舞台から退場できるだろう。そう思って、そこだけはしっかり念を押しておいた。
「ふぅむ、よくわからぬが、父……いや、陛下からもそう言われているので、それについては守るぞ。美しい婚約者ができたとウェル兄上に自慢できないのは残念だがな」
王子は涙ぐませた目を瞬きひとつでリセットし、ひと息ついた様子で紅茶を優雅に飲んだ。
あ、もしかして演技だったのか! 私から言質を取るために?
婚約を受諾したとしても、呪いの第二王子だと知ったら婚約を取り消されるのではないかと王子は危惧して、いち早く屋敷に出向いたのかもしれない。
だったら、婚約を渋ったことで傷ついたかもしれないね。呪いというのは初耳だが、たぶん王子の魔力量が多すぎることに関係しているのだろうな。
私は彼が悪逆の限りを尽くす美貌のラスボス王子になることを知っている。膨大な魔力量で、正攻法では誰もかなわない強キャラだ。バッドエンドでは王都を火の海に沈めてしまう。それほどの魔力を有しているのだ。
なので、呪いがどうとかは、今更まったく気にならない。
それよりも、あの自信と威厳に満ちあふれたラスボス王子になる男が、幼少期には泣き落としするような子供だったなんて、考えもしなかった。そこまでして私との婚約を望む、その理由はよくわからないが。
今回の敗因は、今の王子とラスボス王子のギャップに虚をつかれたから、だな。だが次こそは、王子を説得して婚約解消を成立させてみせる。
命がかかっているので、こちらも必死なのだ。
表面上はにこやかに、内面でそんなことを考えていると、王子が王宮に帰る時間になった。
お見送りするため、私は父上とともにエントランスへ出る。王族への礼儀として、当然外で見送るつもりだった。
「外は雪が強くなってきている。寒いから見送りはここまででよい」
しかし王子はエントランスでそう言い、私の右手を両方の手で包んだ。
「この次は王宮に招待するぞ。来月、そなたと会える日を心待ちにしている」
王子は五歳児だから決まり文句を言ってるだけなのかもしれないけど、こんな丁寧な挨拶を王子様にされたら、令嬢は嬉しがるのだろうなと思う。スマートかつ紳士的だ。
でも私はまだ怖い気持ちがあるから、返す笑みが引きつってしまうけど。
それよりも、手から王子の魔力が漏れている。この前の出来事から数日しか経っていないのに、もう魔力満タンなのか、と感嘆した。結構吸ったつもりだったけど、この辺りはさすがラスボス王子というところだな。
なにも言われていないが、アベーチェだったら頭痛がするって大騒ぎするくらいの魔力漏れだから、この前のように気絶しない程度にチュッと魔力を吸ってやった。
するとそれに気づいたようで、王子はニコリと笑う。
「ありがとう。楽になった」
ゲームの王子は、いつも厳しい表情をしているか、笑っても嘲笑だった。だから、険の取れた王子の顔というものを珍しい気持ちで見る。
まぁ、この世界はリアルだし、生活をしていれば普通に笑いもするし、幼い子供なのだから無邪気な面もまだあるのだろう。
ならば。もしも、彼がなにもかもが不快だと言わんばかりのラスボス王子にまだなっていないのだとしたら、私が殺される未来も修正可能かもしれないな。いや、そうであれ。
とにかく婚約者になってしまったのだから、関係を築きながら死亡ルートを回避するしかない。
王子は私に、そして父上にも会釈して、執事が開けた玄関を出ていった。馬車寄せにきらびやかな馬車が止まっていたから、すぐにそれに乗りこめただろう。
玄関扉が閉まり、王子の姿が見えなくなってようやく、私はホッと安堵の息をついた。
「父上、これからはどうなるのですか? 殿下は来月王宮にと言っていましたが」
婚約したらどうなるのかわからず、父上に尋ねる。というか、男同士で婚約という事態がまったくピンと来ていないのだ。
「婚約したら、月に一度顔を合わせて打ち解けるよう努めるものだ。互いの家族や兄弟とも仲を深め、家族ぐるみで親しむようにする」
「素性を隠す私はどのように振る舞えばよいのですか?」
「しばらくは公爵家の遠縁の令嬢として王宮に通い、王子と仲良くなれば良い。のちのちのことはいずれ考える」
行き当たりばったりな父上を、私はついジト目で見てしまう。そして、やはり私は女装を継続しなければならないようで、内心ため息をついた。
「王子とノワールが婚約だなんて、許せませんわ。公爵家と婚約をするというのならアベーチェでもいいのではなくてっ?」
とその時、上階につづく階段に紫色のドレスを身にまとう母上が現れ、私たちを見下ろして言った。外出しない壮年の女性はロングドレスを好むようで、母上も足元まで隠れるスカート姿だ。
父上は見事な青髪。そして父上とは従兄妹同士の母上も素敵な青髪だ。
青髪同士でなぜ黒髪が生まれてしまうのやら。文句は『花抱き』の公式に言ってもらいたい。
「公爵家との縁組を希望しているのなら、もちろんアベーチェを推すが。王子の望みはノワールの能力なのだ。アベーチェは代わりにならぬ」
とりなすように父上は言うが、母上は強気でエントランスに声を響かせる。
「能力目当てなら、そんな子は王宮に売り渡してしまえばいいわ。使用人として手元に置けばいいのよ。その魔力なしの出来損ないを、公爵家の人間として王家に嫁がせるなど認めません。公爵家の恥になるわ」
「曲がりなりにも私の息子だ、そのような不憫な真似はできぬ」
曲がりなりって言葉は聞き捨てならないが、まぁ一応、父上は反論してくれた。だが母上は、私をキッと睨んだ。
「ノワール、王子に見初められたからといって、いい気にならないでちょうだい。王子の婚約者でも、奥から出てくることは許しませんからね!」
鼻息荒くそう言い、母上は階段を登って二階に行ってしまった。
まぁ、産んだ私の存在をなかったことにする母上だ、私は嫌われているのだろうね。私が黒髪なのはゲーム設定のせいだろうけど、母上がそんなことを知る由もないし。母上にとって私は、ただただ不気味で目障りな者なのだろう。
今まで私は、十八歳になるまでは公爵家の奥でぬくぬく暮らしていけたらいいなと思っていた。しかし母上の剣幕を見ると、それは難しそうだな。
魔法で水をぶっかけられそうになったことがあるが……もしかしたら魔法で私を殺そうとしたこともあったのかもしれない。首を絞められたらアウトだったけど、自分で直に手を下すほどの勇気はなかったのだろう。
だとすると、案外、ここで王子の婚約者になれたことは良かったのかもしれないな。さすがに母上も、王子の婚約者を害そうとはしないだろうから。
うとましく思っていたとしても、我が子に殺意を向けるような母親であってほしくはないのだけど、あそこまでの嫌悪を向けられたら最悪の展開も可能性のひとつとして考えておくべきだな。
前世でいつの間にか死んでしまった私の今世での目標は、寿命を全うすることだ。
目の前にラスボス王子という死の脅威が迫っているが、その前に母上に殺されたら目も当てられない。注意するに越したことはないな。
しかし、ラスボス王子の従者になる未来は想定していたけれど、まさか婚約者になるなんて考えてもみなかった。
ゲームで婚約の話があったかどうかは知らない。でもゲームのノワールは、こういうきっかけでラスボス王子の従者になったのかもしれないな。推測だし、モブにそもそも設定などなかったかもしれないけど、辻褄は合っている。
でも、だとしたらゲームのノワールは王子の魔力を吸ってあげなかったのだろうか。王子が苦しんでいても、助けの手を伸ばさず放っておいたのかな?
そうでなければ、先ほど会ったあの王子が、生きることがつらく苦しいと恨みを募らせるラスボス王子にはならないような気がする。
殺される運命である私は、王子に思うところはある。けれど、魔力暴走のようなつらい目にあってほしいなんて思わないし、治してあげられるものは治してあげたいと思う。
苦しいのはつらいから、手を差し伸べただけだ。
あ、死亡回避するのに、王子をラスボス王子にさせないって手もあるな。彼がラスボス王子にならなかったら、私は殺されないかもしれない……のではないか?
だけど、そんなことできるのか? 今までは、死亡を回避するためにラスボス王子と出会わないことを目標にしていたけど、出会ってしまった。あまつさえ従者を通り越し婚約者になってしまったから、目標を設定し直さなければならないな。
私が死なずに天寿を全うするためには、ラスボス王子との関係性をなくすことが肝心だ。
まず目標その一、婚約解消するよう王子に働きかける。彼から離れられたら屋敷の奥にこもって、もう外へは出ない。
そうなれたら最高だが、やはり計画というのはそううまくはいかないもの。
そのための代替として、目標その二。婚約解消ができないうちは、王子のラスボス化を回避する。
王子がラスボスにならないようにするにはどうすればいいか、うーん、それはわからないが。とにかく魔力暴走するような事態を防げばいいだろう。人々から敬遠されなければ、孤独な王子にならないと思う。
よし、その方向で行こう。しかし、とにもかくにも、母上怖すぎ。
★★★★★
ひと月ほどは屋敷の奥で、穏やかで平和な日々を過ごしていた。
しかし今日は朝からドレスを着て、モーラが私の髪を結わえてと、忙しい。気の滅入ることに、女装して王宮に行かなくてはならないのだ。
婚約者との、月に一度の顔合わせの日である。そして別名『第二回、王子説得バトルの日』とも言う。
顔合わせの段取りとしては、王宮のサロンで王子とお茶をし、ふたりでなにかしらを話し、二時間ほど滞在してお暇するという感じ。
今日は初回なので父上がついてくるが、この前王子が屋敷に来たときのように、普通は後見人や従者を伴うものらしい。従者が距離を置いて私たちを見守る中、ふたりで遊んだり話したりするものなのだそうだ。
準備を終え、さっそく王宮に向かう。
正面入り口に馬車がつき、降車して王宮を見上げた。
王宮は薄茶色の石造りで、寒いこの国で暖かそうな色合いなのは良いことだ。四階建てで横広の建物だが、中央部分に七階建ての塔が建っている。
先月も見たが、近くで見ると荘厳で、立派な宮殿だと改めて思う。
しばらくして案内人がやってきて、王子が待つサロンへ私と父上を連れていってくれた。
「ノワール嬢、待ちかねたぞ。今日もとても美しいな」
サロンに顔を出すと、白地に金糸銀糸の刺繍で彩られた、きらびやかな衣装を身につけた王子がさっそく現れて、満面の笑みで私を歓待した。
相変わらず、金色のまつ毛バサバサのぱっちりお目目で、形の良い桜色の唇を微笑させている美幼児だ。金髪が白い衣装を輝かせ、まぶしい。
そして紳士な態度で美辞麗句を並べ、五歳児ながら完璧な応対を披露する。
男児の私に、容姿へのおべっかは不必要だけどね。しかし一応女子という態なので、その言葉は受け取らなければならないだろう。
私はこの一ヶ月、この日のために一生懸命練習した淑女の礼を、優雅にしてみせる。
「ネロディアス殿下、お招きいただき感謝いたします」
スカートの下のボリュームいっぱいのフリルのやつ、パニエによってふわりと膨らむ青紫のスカートを指先で摘まみ礼をする。挨拶を済ませ、顔を上げると、王子は嬉しそうに笑っていた。
なんとなく後ろめたい気になる。だって、今日こそ婚約解消に持ちこまねばならないのだからな。
「殿下、私は陛下と話がありますので、その間ノワールを見ていただいてよろしいですかな?」
父上の言葉に、王子は鷹揚にうなずいた。
「ノワール嬢は責任を持っておあずかりする。退屈させたりはせぬぞ」
「頼もしいお言葉ですな。ではよろしくお願いします。ノワール、くれぐれも失礼のないように」
そう言って、父上は踵を返してサロンから出ていってしまった。
私は良いのだが、普通はじめての婚約者との会合に、六歳児をひとりで残していくか? そういうところ、彼は父親失格だと思うよ。
まぁ父上にしろ、母上にしろ、関係性が希薄なので私としてはかなり他人事だ。
なんとなく、この世界の両親のことは、ドラマの中の家族のように思っている。遠いところにいる家族、現実味がない、みたいな意味だ。そうは言っても、彼らは事実、私の両親である。現実味がないと思うことが現実逃避なのかもね。
「ノワール嬢、とりあえずお茶をいただこうではないか。こちらに座ってくれ」
王子のエスコートに従い、私はひとり掛けの椅子に腰かける。しかしその椅子が豪華すぎて引いてしまう。ひじ掛けや背もたれの装飾は細かい彫刻が刻まれているが、その上に金箔が張られていて、さらに座面も黄色の花柄模様。まぶしい。
部屋の壁は白いのだと思うが、部屋の真ん中に垂れ下がる大きなシャンデリアの光を受けて四方が黄色に輝いている。まぶしい。
部屋の隅にはウェディングケーキみたいな形の陶器があって、これはなにに使うのかよくわからないけど、白地の陶器に金の装飾がついた意味不明の置物が……まぶしい。
だが、床は木組み模様のブラウン系だ。庶民脳の私はそれを見て、ようやく気持ちを落ち着かせた。キラキラチカチカで刺激を受けた目を、床を見て休ませよう。
私と対面に座る王子の間には小さな丸いテーブルがあり、そこに給仕係が紅茶を置いていく。ティーカップもお高いのでしょうね?
腐っても六年も公爵家の子息だったのだから、そろそろ私の脳みそも豪華仕様に慣れなければならないとは思うのだけど、なんと言っても物心ついた頃から屋敷の奥にいたし、特に貴族的な教育を受けたわけでもないし、前世も庶民だし、そう簡単には慣れないものだ。
でも、生き永らえたら成人前に貴族ではなくなるから、庶民脳のままでいいのかもな。生活のグレードを上げてしまったら、そのボーダーはなかなか下げられないというし。
そんなことを考えつつ紅茶を飲んで一息ついたので、長生きするため、私は王子説得バトルを開始することにした。
実は少し悩んだのだ。婚約を解消したら母上が私を殺そうとするかもしれない、と。
王子の婚約者のままでいたほうが母上に害される危険性は減る。でも、十八歳の私を串刺しにする王子の脅威のほうが上回った。母上が私を殺すかもなんて、考えすぎかもしれないからね。
なので、当初の予定通り王子に婚約解消を働きかけることにする。
「恐れながら殿下、婚約の件ですが……」
「ん? ノワール嬢はまだ我との婚約を渋っているのか?」
私が切り出すと、途端に王子はべっ甲飴のような瞳を潤ませる。だが、同じ轍は踏まない。
「泣き落としはもう通じませんよ。先日の涙は演技だとわかっています」
そう言うと、王子はやはりケロリとして笑みを浮かべた。
「ノワール嬢はなかなかに聡いようだな。みんな三回くらいはこの涙に騙されてくれるのだが」
そりゃあ、美少年がウルウルした瞳でみつめてきたら、大人は三回でも四回でも騙されるだろう。聡いのではなく、同じ子供である私には効かないというだけだ。
というか、やっぱり演技だったか……
「しかし、本人が婚約を承知すると言ったのだ、我から撤回する気はない」
うぅ、先手を打たれた。やはり言質を取られたのは痛かったな。だが引き下がらない。
「殿下はなぜ、私を見初められたのですか?」
「そりゃあ……我に屈しない能力を持った者を野放しにはできないからだ。強者は我、ただひとりでいい」
王子は楽しげにそう言った。五歳児なのに彼は息を呑むような威圧感がある。あぁ、まさしくラスボス王子だ。この子供が、あの冷酷無慈悲なラスボス王子になるのか。
「その心配には及びません。婚約解消の暁には、私は公爵家の奥から出ませんし、成人したら平民となり人知れず町中に消えゆく者です」
王子の邪魔者にはならないということを宣言し、さらに続けた。
「それに私には魔力がないのです。だから王族の方にはそぐわない――」
「そなたは我の強大な魔力を吸い、魔力暴走をおさえた。先日もあふれた魔力を吸い、体を楽にしてくれた。それだけでもとても得難い能力だと思うが? 我が欲するに余りある」
私の話にかぶせて王子は言った。説得には応じないということか。だが、負けない。
「体に見合わぬ魔力に翻弄される期間はそれほど長くなく、もうほんの二年の間にも私のこの力はお役御免になります。そのとき家同士の契約である婚約をしていたら、殿下の経歴に傷がついてしまうのですよ」
「うーん、むずかしい言葉で我を煙にまこうとしているようだな? そんなことを言われても、婚約をなしにはしないぞ。我はとにかく、ノワール嬢にそばにいてもらいたいのだ」
王子は腕を組み、頭を揺らして、急に子供っぽいことを言い出した。いや、絶対わかっているでしょ、目が笑っている。
でも、本当にわかっていないのかもしれないな。王子は並の五歳児よりは頭が良いが、されど五歳児。婚約が家同士の契約であるというところまでは考えが及ばないのかも。
あぁ、五歳児への説明は難しい。魔力がどうの、性別がどうの、恋愛がどうのと言ったところで、お子様には理解できそうもない。
ふぅむと息をつき、私は戦略を変えることにした。
もうぶっちゃけてしまおう。あなたのそばにいると殺されてしまうから、婚約解消したいのだということを。
「殿下、これから私はとても大事なお話をするので、お人払いしていただけますか?」
こっそりと王子に言う。王宮の人々に、公爵の知り合いが頭おかしいとか思われたら嫌だからな。一応私にも、息子として公爵家の足を引っ張りたくない思いはあるのだ。
「いいだろう。ふふ、今度はどんな話で我を楽しませてくれるのかな?」
王子は愉快げな顔でうなずき、紅茶をいれ直してもらってから人払いしてくれた。さすがに全員を部屋の外に出すことはできないけれど、大きなサロンなので部屋の隅にいる警護の者に話し声は届かない。
では、と居住まいを正して、私は王子に告げた。
「実は、私には前世の記憶があるのです」
「ぜんせ? それはなんなのだ?」
「生まれる前の記憶です。私はノワールではない別の人物で、こことは違う国で暮らしていた。その記憶を持っています」
ここまで言って、このように頭のおかしい者とは婚約できぬ、と王子が思ってくれても良かった。
でも彼はべっ甲色の瞳をキラキラさせて、ぱぁぁぁっと明るい笑みを浮かべた。
「なんだそれは、面白いではないか! もっと聞かせてくれ、ノワール嬢」
もしかしたら作り話だと思っているのかな? だって前世の弟がはじめてサッカーボールを買ってもらったときと同じ、好奇心満々な顔つきだもの。先ほどの、威圧感のある態度とは別人だ。
いわゆる年相応で、素直に可愛い。
うぅむ、仕方ないなぁ。まぁ、まだ幼い子供だし、おとぎ話風に話してもいいか。
「前世では、私は篠という名前で、弟と妹にはノノ兄ぃなんて呼ばれていたのです」
「ノノ兄ぃ? 可愛らしい名前だな」
王子はやんわりと笑い、目を細める。幼いが、女性なら見惚れる美貌は健在だ。
「それで妹がやっていた遊びにゲームというものがありまして、それは絵本のようにお話があるのですが、主人公がどう振る舞うのかをプレーヤー……そのゲームをやっている者が好きに選べるのです」
「ふぅん、ゲームとは面白そうな遊びだな。ノワール嬢はそれを作れないのか?」
「私は原理を知らないので作り出すことはできないのですが、そのゲームの世界と、今生きているこの世界が同じようなのです」
「ゲームと同じ? 意味がよくわからないな」
「国の名前や登場人物が同じなのです。ネロディアス様も出るのですよ」
そう言うと、王子は目を真ん丸にして驚いた。
「ほぅ、ゲームとやらに我が出てくるのか? 興味深いな。もっと聞かせてくれ、ノワール嬢」
王子は大人と子供が混在しているような方だが、今は絵本の読み聞かせの続きをねだる弟妹たちみたいな反応だ。彼らを思い出し、苦笑してしまう。
「ゲームでは殿下は十七歳で、主人公に立ちはだかるラスボス……いえ、悪の親玉です」
「おおぅ、我は悪役なのだな? それで?」
自分が悪役だと言われても王子は嫌悪感を示さなかった。悪に心を引かれるお年頃だろうか?
「主人公は、殿下と同い年の聖女です。聖女は殿下を倒すために仲間を集めます。ときに友情を深め、ときに恋をして、仲間とともに魔法や剣術の腕を鍛え、殿下と対峙するのに備えます。そして聖女が殿下を倒して愛する人と結ばれたらハッピーエンドなのです」
「悪の我が倒されるというのは、我は聖女に殺されてしまうということか?」
「必ず殺されるわけではありません。聖女の選択によって未来は変わるのです。たとえば聖女が殿下の寂しい心に寄り添って改心させることができたら、殿下は殺されず、聖女と結婚します」
「それは駄目だ。我はノワール嬢と婚約したのだからな。聖女と結婚などしない」
自分は良い婚約者だとアピールする王子。
「私はゲームに巻きこまれて十八歳で殺されるのです。そのあとの話なので、大丈夫ですよ」
しかしすぐあとに続けたその言葉を聞くなり、王子は口を開けたまま固まってしまった。
「……ノワール嬢が、死ぬ? だが我のように聖女の選択が良かったら……」
「いいえ、聖女がどの選択肢を選んでも、私は殺されるのです。私はゲームに巻きこまれて死にたくはない。なので、婚約の話は……」
「ノワール嬢は我が守るっ!」
すかさず婚約解消の方向へ話を持っていこうとしたら、王子が私の言葉を遮った。
くそぉ、良い流れだったのに。思わず頬が引きつる。
「ノワール嬢を殺すのは誰なのだっ?」
王子が身を乗り出して聞いてくる。
「それは、聖女だったり、その仲間だったり……」
あなただったり、あなただったり、あなただったり……
しかし私を守ろうとしている五歳の王子に、本当のことはさすがに言えない。
「だったら、聖女を捜し出して殺してしまえばいいのだ。我の婚約者に手を出させたりしない」
簡単に殺してしまえばいいなどと言う王子に、幼いながらもやはりラスボス王子の素地があるのだなと感じ、ゾクリと身を震わせる。
できれば王子のラスボス化も回避して、生存ルートをひねり出したい。しかしそのためには、王子の苛烈な性格を矯正しなければならないな。
「そのようなことを言ってはなりません。殿下はストラーレン王国を統べる王族の一員で、聖女もあなたが守るべきストラーレン王国の民です。私を守るように、聖女も守ってあげてください」
「しかし、それではノワール嬢が殺されてしまう」
王子は眉尻を下げ、悲しげな瞳を私に向ける。
だから私は、こう言うしかなかった。
「……あなたが守ってくださるのでしょう?」
「あぁ、もちろんだ、ノワール嬢。我はそなたを害する敵と戦う騎士となり、我の大事な婚約者を守ると誓おう」
王子は満面の笑みで私に宣言する。だが私はそのとき、人知れず敗北感に打ちひしがれていた。
――第二回、王子説得バトル敗退。
だって、彼の庇護下に入ると認めたようなことを言ってしまった。文字通り自分で墓穴を掘って片足を突っこんだようなもの。
違う、違う、そうではない。私は王子から距離を置きたいんだ。なのに、なんでうまくいかない? これがゲームの強制力というやつなのか? 恐ろしい。
そこに王子の従者が現れた。
「御歓談中、失礼いたします。陛下が殿下とノワール様をお呼びです」
「はぁぁ? 今、良い話のさいちゅうだったのだがぁ?」
ご立腹な様子で王子は従者を睨む。しかし一瞬私を見るなりハッとした顔をして、すぐに笑みを浮かべた。
……これは、私に対して猫をかぶっているな? 普段は従者にこんなに高飛車なのかな?
「今のは、話の腰を折られたから怒ったのだ。ほら、我がノワール嬢を守る騎士になると告げた、すっごく良い場面であっただろう? いつも居丈高なわけではないぞ」
従者に強く当たるのは良くない。しかし私はゲームで、もっとひどいラスボス王子の行いを見ているので、驚くことはない。ただ、ニコリとしておいた。
「では殿下、ご一緒に参りましょう。陛下をお待たせできません」
「そうだな。案内するぞ、ノワール嬢。こちらだ」
椅子から降りた王子は、先頭に立って歩く。私は大人しく彼の後ろについていった。
前を歩く、目に鮮やかなゴールドの髪、後ろ手を組んで歩く姿。それらにラスボスの片鱗が見えていて、どうしても不安で胸がソワソワした。
なかなか死亡回避できず、焦る。
王子と一緒にいるからか、話が通っているからか、すいすいと陛下の執務室の前までやってきた。取り次いでくれと王子が護衛騎士に告げると、速やかに扉が開かれる。
執務室の中には大きなワークデスクがあり、その椅子にこの国の王様であるマルティネス陛下が座っていた。室内には父上もいて、陛下に寄り添うように立っている。
というか、一国の王様とご対面である。公ではない面会とはいえ、さすがに緊張するな。私は前世でも、芸能人すら直に見たことがない庶民だったんだ。
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【感想のお返事について】
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