サラシ屋0

雨宮 瑞樹

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困惑

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 べろべろに酔っぱらっている岩城店長がいるため、思ったことをそのまま声に出したくてもできるはずもなく、目で訴えることしかできない。灰本は、何食わぬ顔をしてまた、店長の正面席へ戻って、空になっていたお猪口へ日本酒を注いでいた。
 いつから灰本がここに入り浸っていたのかは知らないが、だいぶ打ち解けてしまっている雰囲気を醸し出している。自分の身の振り方をどうすべきか迷っていると、店長の上機嫌を振り切った高らかな声が響いていた。

「もうねぇ、ずっと心配してたんだよ。ここで働き始めて、四年。まぁ、柴ちゃんは男っ気が……」
 続きを言おうとした上から、私が叫んだ。
「あー! 店長! 余計なこと言わないでください!」
 二人の間に割って入ると、ニヤニヤしている灰本の顔とかち合った。
 こんなやつに、無駄な情報提供なんて冗談じゃない。

「柴ちゃん、怒ると怖いよね」
「怒り出すと手に終えなくなりますからね」
 「そうなんだよ」と、店長は豪快に笑い出し、灰本もその上に乗っかって、笑っていた。心なしか嫌味が見える。店長ならまだしも、灰本に笑われる筋合いはない。ムッとしていると。
 
「それにしてもね」
 店長の高いテンションがいったん落ち着いた。話が逸れてくれるかという安堵が広がる。それはすぐに、打ち砕かれていた。
 
「柴ちゃんが本気で怒り出すのは、身近にいる誰かが傷つけられた時だけなんだよ」
 私の話がまた続いて面食らう。
「店長、本当に飲みすぎですよ」
「そのくせ自分のことになると、逆に抱え込む。それがねぇ、どうにも心配で」
「この後、お店できなくなっちゃいますって」
「たしかに、そうだねぇ」
 何度も遮って、やっと店長の口が閉じられる。私もほうっと溜息をつくと、店長は急に入口へとすたすた歩いていって、引き戸ガラッと開けて、開店中の札をひっくり返してしまっていた。
「今日は臨時休業。これで、気にしなくてもいいだろう」
 私は額に手を当てて、項垂れるしかなかった。店長の人柄であれば、常連客がたくさんついてもいいようなものなのだが、時折、このような気まぐれを起こすことがある。だから、なかなか固定客がつかないのだ。店長自信も自覚があるだろうに。私は、盛大な溜息をつくしかない。
 
「今日バイト来た意味なくなっちゃうじゃないですか」
 私の苦言も、店長の耳には届かないようだ。さっさとまた灰本の前に座ってしまう。
 ならば、せめてこの酔いを少しでも冷めさせて、早急にこの会を終了させよう。
 私はカウンター内に入って、コップを手に取る。蛇口をひねると、シャーっと勢いよく出てきて、水の流れの下にコップを出そうとした。ガラスのコップからひんやりと冷たさが、手のひらに伝わってくる。その流れに、店長の声がのってきた。
 
「柴ちゃんはねぇ。大学入学と同時に、ご両親と絶縁しているんだよ」
 突然の暴露。コップから水が溢れて、手の熱が奪われた。
 その話は、店長以外の誰にも言ったことのない事実だ。私は慌てて、水を止める。
 本当に余計な事言わないでくださいと、本気で叫ぼうと店長の方へ顔を向けた。口が、中途半端に止まって、手から水がぽとぽと落ちていた。
 
「柴ちゃんの支えになってあげてくれ」
 店長は、灰本をまっすぐ見据えて、まるで本物の父親のように居住まいを正すと、深々と頭を下げていた。
 私はただただ驚き、視線を落とすことしかできなかった。灰本の表情は、この角度から見えない。
 気まずい空気が漂う中、店長へ水を持って行くと「今日は、閉店。バイトも休み。二人で帰った、帰った」と店を追い出されてしまっていた。
 
 その空気をそのまま引きずって仕方なく、灰本と並んで歩く。どんよりとした雲に覆われた空のせいで、一層気分が重くなる。
 店を出た途端、営業用の人当たりの言い笑顔は引っ込めていたが、端正な顔立ちは、相変わらずだ。そこから、何やら考え込んでいるような雰囲気があるが、整いすぎているせいなのか、いまいち何を考えているのかよくわからない。
 重苦しい空気をどうにかしたくて、私はため息で追いやった。

「それで? こんな偽物名刺まで作って、何しに来たんですか?」
「それは、本物だ」
「え……灰本さん、警察の人なんですか?」
「昔の話だ」

 そんな雑談は、要らないとばかりに、灰本は、鋭く私を見下ろしていった。
「お前、何しようとしてる? 俺はこの前、忠告したはずだ」
 突然の質問は意外で、私は目を瞬かせるしかなかった。
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