サラシ屋0

雨宮 瑞樹

文字の大きさ
13 / 18

暗転

しおりを挟む
 松井は、じっとりとした笑みを浮かべ、私のスマホを操作し続けていた。そして、やっぱりな、と録音アプリ画面を向けてくる。
「いきなりお前が来るから、おかしいと思ったぜ。お前一人の判断でここにきたのか? それとも、付き合ってる刑事の男に、指示を出されて、ここにきたのか?」
 動かしていたアプリの停止ボタンを押して、ゴミ箱へ入れ消去しながら、片手間に質問してくる 。
 どうして、松井が灰本を知っているのかと思いめぐらせてみれば、ぼんやりしている頭でも理解できた。
 昨日、バイトへ顔を出す前の時間帯は、松井が、入っていた。その時、灰本と会ったのだろう。
 今までの録音は、きれいさっぱり消えたぞと、松井は満足気に笑っている。そんな松井に、私ははっきりと答えてやる。
「私一人に、決まってるでしょ。 彼に言ったら、止められるに決まってる」
 私の返答に、松井は更なる笑みを浮かべていた。
「そりゃあ、そうか。バイトに入っている時も、店長相手にいまにも殴りかかってきそうな客に向かって、食って掛かって掛かるようなお前だ。正義感だけで、殴りこんできたいう方が、筋は通る。さすがだよ」
 ゲラゲラ見下す笑い声に反応して、心臓から煮えたぎるような血液が競りあがってくる。亜由美を陥れたときも、きっとこんな顔をして馬鹿みたいに笑っていたのだろう。そう思ったら、目の前が赤黒い炎で、覆われていくようだった。
 松井を睨み付ける。

「私は、絶対あんたを、許さない」
「へぇ。まだ喋れるのか。一番強力な薬を使ったのに、しぶといな。子守唄の代わりに教えてやるよ。どうして、亜由美を狙ったか」
 松井は、ニヤニヤ薄汚い笑みを浮かべる。
「お前、言ってたよな? 亜由美は、超大手の会社に就職決まったんだって。俺はな、そういう順風満帆な人生を送る優等生が大嫌いなんだ。俺はこんなに苦労してるっていうのにさ。そういう奴をみると、地獄に突き落としてやりたくなるんだよ。まぁ、言い換えれば、お前がそんな話ペラペラしなきゃ、亜由美は俺の手には落ちなかったということだ。お前が悪いんだ」
「ふざけるな」
 叫んだつもりなのに、大きな波が覆いかぶさるように、瞼が重くなるのと比例して喉が絞まる。もう囁くくらいの声しか出なかった。
 大波に何とか耐え、引いていくと、今度は私の力を奪い去っていこうとする。それに必死に耐えることしかできない。次にくる波を巨大化させるかのように松井は、つづけた。

「春香を狙ったのも、バイト先にお前が連れてきたとき、就職が決まったと、馬鹿みたいにはしゃいでいた。それが理由だよ」
 松井は、手を叩いてはしゃぐ真似をして、ケラケラ笑う。何もかもが不快だ。
 突然、松井の薄汚い笑みが消えた。
 
「そして、それ以上に」
 松井が、ぎろりと私を見下ろし、腰を低くして、目線を合わせた。
「俺はな、お前のような正義ぶった人間がこの世で、一番嫌いなんだよ。本当は、お前が一番最後のメインイベントとして残していたんだが、ちょうどいい。今日、たっぷり痛めつけてやる」
 濁った瞳が私を捉え、悪魔は囁いた。  
「お前の男さぁ、正義感溢れた優秀な刑事様なんだって? 俺に出し抜かれて、さぞ悔しい思いをするんだろうな? 優秀な男が、怒りに震えて、地獄に落ちる顔も楽しみだよ。俺を不快にさせた報いを、二人揃ってたっぷり悔いろ」
 ぼんやりする意識と働かない頭でも、理解できる。こいつは、ガキ以下どころか、人間の形だけしたクズだ。
「まるで、独裁者気分ね……。権力も、実力も、何もないくせに」
 落ちそうな意識を持ち上げて、吐き捨てる。
 怒りに震えている松井の顔になると、唐突に、右頬にバチンと衝撃が走った。
 痛みはほとんど感じなかったが、強烈なビンタを食らったらしい。それほど、意識は混濁としてしまっている。
「お前、本当にむかつくな。わかった。お前は、やっぱり特別だ。一生抜け出すことのできない悪魔の薬を調達してやるよ」
 それだけ言うと、ポケットから自分のスマホを取り出して必死に操作していた。
 その間落ちる沈黙が、重い。更なる大波を運んでくる。限界が近いと、自分でもわかるほどだった。
 松井の嗅覚が働いたのか、手が伸びてくる。
「さて、そろそろ喋る元気もなくなってきたか」
 
 汚い手を払いのけたい一心で、自分の体を支えていた両手を床から離した。その瞬間、ガクンと身体が落ちた。
 顔面を床にたたきつけられる直前で、支えてくる。
 そのまま、私の片腕を引き上げて、自分の首へ私の手を回した。生ぬるい感覚に虫唾が走る。
 ずるっと落ちるショルダーバッグを松井が反対の手で取り上げた。中身を器用に確認する。スマホの電源はしっかり切れているか、他に不審物はないか手慣れたように確認し、何もないことを確信すると、「大丈夫かい?」下手な役者のようなセリフを吐いていた。
 
 途中でウエイターが何か声をかけていたようだったが、海の底にいるみたいによく聞こえない。
 助けてと言いたいのに、顔も上げられないし、泥酔している人のように呂律が回らない。それをいいことに松井が「ウイスキー飲みすぎたみたいで」と言っているのだけは、聞こえてくる。
 底なし沼の中へ飲み込まれていく中でも、自分へ言い聞かせる。最悪の状況ではあるが、これも数ある想定の内だ。
 私自身が被害者になれば、すぐに警察に駆け込んでやる。いくら脅されようが、地獄を見ようが私は絶対怯まない。
 全部、ぶちまけてやる。
 
 ほとんど、引きずられるようにして、階段を上がり地上へ出た。頬を冷たい風が負けるなと、叩かれた右頬の上から叩いてくる。
 刹那、一番大きな真っ黒な波が襲ってきた。
 視界が黒になる。身体もピクリとも動かせなくなった。
 誰かの声が、聞こえてくる。
 ウエイターと交わしたような問いと、答えが途切れ途切れに繰り返されていた。それさえも、さらに遠くに追いやられ、真っ暗な世界へ完全に引きずり込まれていた。



 

 暗く深い森にかかる霧。
 そこを一人裸足で歩く。私はどこへ向かえばいいのかわからない。
 途方に暮れる私が行くべき道を示すように、霞に変わり一本の道が現れた。
 その先に、うっすらと現れた人物。誰だろう。目を凝らせて相手をじっとみつめると、白い靄もさっと引いていた。
 鮮明になる視界。その先に、松井がいた。
 脳天から地面へ雷が落ちたような感覚とともに、煮えたぎるような憎悪が、身体を支配していた。
 不明瞭だった頭が、どんどん覚醒していく。

 その瞬間、飛び起きていた。
 私がいた場所は、見知らぬ部屋のベッドの上だった。ぞっと背筋に冷たいものが走る。
 心臓が早打ちしている。手にもじっとりと汗が滲ませながら、自分の体を見下ろす。衣服に乱れもなく、記憶が飛ぶ前のままだった。飛び起きたせいで、足元にすっ飛んでいたが、毛布が掛けられていた形跡があった。
 ぐるりと部屋を見回す。視界の左奥にドアがあり、右奥にはデスク、ベッドの右側には本棚。ベッド脇には、サイドテーブルがあって、私のショルダーバッが置かれていた。手を伸ばして、中身を確認してみる。スマホもちゃんと入っているし、無くなったものもなさそうだ。監禁されているような様子もなさそうだ。
 私が背にしている側には窓から、明るい陽射しが降り注いでいる。ずいぶん長い間、意識が飛んでいたということになるが、その間に松井が宣言していた最悪の事態には陥っていないようだ。
 安堵と困惑が同時に、湧き上がると、右頬が急にじりじりと痛みだし、同調するように頭に鈍痛が走った。思わず額に手をやって、蹲まる。
「……いった……」
 呻き声が部屋に響く。それが合図だったかのように、視界の左奥にあったドアが開く音。
 部屋の空気が揺れ、感情のない声が鼓膜に届いた。
「目が覚めたか」
 驚いて、痛みを抑えながら顔をあげる。その先に、グレーのスーツがよく似合う男。腕を組んで、口角を下げ目尻が鋭利になっている。端正な顔立ちのせいで、苛立ちがより一層際立っているように見えた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

『後宮薬師は名を持たない』

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。 帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。 救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。 後宮が燃え、名を失ってもなお―― 彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...