背中越しの恋人

雨宮 瑞樹

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すれ違い6

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 唯は大きなボストンバッグを手に門を出て、ガタンと閉める。家から出た途端、カバンが重たくなって一度態勢を立て直そうと、下におろし肩にかける。ショルダーがぐっと食い込んでくるけれど、そんな痛みなんて感じなかった。なのに視界が滲んでいきそうだ。首を振って、そのまま駅へと続く道を歩みを進めようとしたとき背中から今一番会っては不味い声に呼び止められた。
「唯ちゃん」
 重たいはずの肩が勢いよく跳ねる。その声を無視することなんかできるはずもなく、慌てて目元に溜まっていた水をふき取って振り返って笑顔を作った。
「あかりさん、どうしたんですか?」
 ショートカットの髪が乱れ、肩で息をしながているあかり。整った顔立ちの大きな瞳にはっきりと唯を心配していると書いてあった。
「そのセリフは、私の方よ。どうしたの、それ?」
 そう聞かれて、驚く唯。指した指の先はこの大きな重たいボストンバッグ。こんな朝っぱらの平日にこんな大きな荷物を持っていたら不審に思われても仕方がないと、冷静に考えたらわかるはずなのに色んなことが頭に絡んでうまく回転できず黙り込む。
「あのバカ息子が原因よね?」
 そういわれて、唯は少し外れた的への指摘に何と答えたらいいのかわからず黙り込む。一方のあかりはこの場にいない息子を思い浮かべたのか、憤慨していた。

「どういう経緯で、あんな写真撮られたのか知らないけど、何かの間違いだと思うの。だから、あんなの信じないで。今度亮が帰ってきたら、私から思い切りお灸をすえてやるわ。本当にあのバカは、昔から脇が甘すぎるのよ」
 この場にいない亮に対して、ものすごい剣幕で捲し立てるあかり。そのあとも「大体、渡米してから今の今まで連絡一切よこさないってどいうことよ」と、不満をぶちまけ始めるあかりに、唯は思わずふふっと笑ってしまう。
 この数年。変わったことの方が断然多かったけれど、あかりさんは、昔から本当に変わらないなと思う。あかりさんだけは、小さい頃から記憶にあるままずっとあかりさんのままだ。そのことに心底ほっとする。

「亮のことは、私だってちゃんとわかってますよ」
 思いつめていた顔が穏やかになった唯にあかりにも笑顔が灯った。でも、それは一瞬で唯の持っている重たいバッグに吸い取られていく。
「じゃあ、どうしてその荷物?」
 唯は少しだけ思案する。あかりさんには心配かけたくない。旅行にでも行くと言おうかと思った。けれど、それ以上にやっぱりあかりには嘘はつきたくなくなかった。誠実でありたかった。
「……母と喧嘩しちゃって。それで、ちょっと頭を冷やそうと思ったんです」
 さらりと言って唯はすこしだけ困ったような笑顔を作るとあかりの眉間に深いしわが刻まれていた。
「……そうだったの。私から、美穂さんに言ってあげようか? ほら、身内から言われると聞く耳は持たなくても、他人から言われるとすんなり入ってくるっていうのあるでしょう?」
「ううん、大丈夫。私もちょっと変わらないとなって思っていたところだから。丁度よかったの」
 そういって笑う唯をみて、あかりはまたぎゅっと色白の肌の眉間に濃い皺を寄せていた。唯の持つ大きなバッグをじっと見つめた。
「……じゃあ、出ていくってこと? どこか行く当てあるの? 何ならうちに来たら? その方が美穂さんも安心するし、亮だって喜ぶわ」
 ね? そうしましょうよ。と、強引にでも話をまとめようとするあかりに、唯は静かに首を横に振った。
「ありがとう。だけど、私ももうそろそろ大人にならないと。ほら、一人暮らしをするとまた色々モノの見方変わると思うし」
「……ねぇ、亮はこのこと知ってる?」
 その問いに、唯はただニコリと笑っただけだった。そして、少し照れるように胸元にある髪の毛先をいじると唯はあかりさんの亮とそっくりな黒い瞳を見つめていった。
「私ね、本当にあかりさんには感謝してもしきれない。あかりさんがいなかったら、今頃私どうなってたかって今でも思う。こんなこと言ったら、語弊があるかもしれないけど、あかりさんが本当のお母さんだったらどんなによかったかって思ったこと何度もあった。でも、そんなこと言ったら今の自分が崩れちゃいそうで。自分を奮い立たせるためにも、言わないほうがいいと思ったし、言えなかった」

 まるで別れを告げているようであかりは焦りを覚えた。「唯ちゃん、ちょっと待って」と遮ろうとしたが、その声を押しのけて、唯は笑顔で言い切った。
「あかりさん、本当にありがとう」
 深々と頭を下げる唯に、あかりはただ絶句し、踵を返し唯が歩いていく滲む後ろ姿をただ茫然と見送っていた。

 憎らしいほど晴れている空を睨みながら、あかりは痛いくらいこぶしを握って、その場にたたずむ。
 唯が家を出ようと決意したのは、母が原因。それに嘘はないと思う。けれど、そのきっかけとなったのはやはり亮以外にいないと、あかりは直感していた。
 バカ息子。何でもっとちゃんと唯ちゃんを捕まえておかないのよ。
 あかりは、忌々しいとばかりに思い浮かんだ能天気に笑っている亮を睨みつける。そして、あかりはこの怒りをぶつけるべき相手が早く現れないかとずっと待ち構え続けていた。
 
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