背中越しの恋人

雨宮 瑞樹

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諸刃の剣11

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 ――刹那、部屋のチャイムが鳴り響いた。
「カードキーが見つかりましたので、お届けにあがりました」
 迫っていた大阪の意識がドアに引き付けられる。その一瞬の隙をついて、唯は肺にあったすべての酸素を使って叫んでいた。

「助けて!!」
 叫び声にまた大阪の顔が引き戻され、再び唯の方に顔を向けようとした瞬間。唯に覆いかぶさっていた重みと、視界から大阪が消えていた。驚きを抱えながら身体を起こした先に、大阪の黒縁眼鏡が転がっていた。もう、付き合いきれない。自由にさせてくれ。そう言っているかのように、眼鏡はそっぽを向いていた。その横で、ベッドの側面に叩きつけられたのか苦悶の表情を浮かべる大阪がいた。

 混乱する頭を整理しようとしても追いつかない。けれど、見慣れた背中が視界の中心に映った瞬間、光が貫くように脳が勝手に理解していた。その閃光にすべて奪われるように、今までの不安も緊張も跡形もなく消えていた。まるで、今まで何もなかったかのように落ち着いていく。
 その一方で「……間に合った……」誰に言うでもないその耳を凝らさないと聞こえないくらいの呟きと共に、ポスンと気が抜けるような音がした。唯がそちらに方に振り返ると、両膝をつき眼鏡の奥の目に両手を覆った徳島が肩を震わせていた。何度目を瞬いてもみてもやっぱり、あの徳島だった。絶対に揺るがない鋼のような彼女から我慢するような嗚咽が漏れていた。その事実に衝撃を受けている暇もなく、ぞろぞろと警備員を引き連れた斎藤もやってきて、部屋は物々しい雰囲気に変わっていた。
 その中で、いつの間にか大阪がゆらりと立ち上がっていた。亮は大阪の動きを封じるように、その前に立つ。 眼鏡に見捨てられた大阪の鋭利な瞳が明け透けになって、殺気まで孕んだ瞳が一直線に亮に向けられていた。

「俺が……お前になるはずだったんだ。三年前、俺がアカデミーの切符を手に入れるはずだったんだ……! そして、人気も名誉も、金も女も全部俺のものになるはずだったんだ! 騒がれるのは俺のはずだったんだ! それをお前が全部横取りしたんだ! 俺の人生をめちゃくちゃにした! 全部お前のせいだ!」
 「宮川!!」名を呼ぶ最後の声と人差し指が切っ先となり、亮の心臓に突き付ける。亮はそれをさらりと受け流して、視線を冷やした。
「勝手な思い込みで人生が歪んでいったのは、俺でも他の誰かでもない。自分自身の責任だ。それさえも気付けないあんたは、ただのガキだ」
 大阪は目を見開き、唇が戦慄いた。今にも飛び掛からんとする大阪に「落ち着いてください、大阪様」と声を荒げることなく、柔らかい口調で二人の間を取り持とうとする斎藤を乱暴に横に突き飛ばした。それがスイッチとなったのか、控えていた警備員が素早く大阪の両サイドに回り両腕を拘束していた。大阪は駄々をこねるように、じたばたと体を捩らせて、暴れまわる。それでも、大阪の血走った視界は亮から離れることはなかった。
「俺は、なんでも手に入れられる選ばれた人間だ。お前は、ただの成り上がり! 持たざるものだ!」
「そうやって、人を妬んで、恨んで、全部誰かのせいにして。思い通りにならなければ、人を傷つけ貶めることだけを考え生きがいにしてきた、あんたの世界に誰が憧れる?
 あんたのようになるくらいなら、俺は『持たざる者』でよかったよ。人を人としてさえも見えなくなってしまったあんたのように、ならなくて済んだ。その力に執着して、大事なものを見失うこともない。 
 世の中、うまくいくこともあれば、そうじゃないこともある。むしろ、うまくいかないことの方が断然多い。失敗して、這い上がって、また挫折してまた、立ち上がる。そうやって、人は少しずつもまれて強くなって、成長していくんだ。なのに、あんたはそれを知らずに育った。内面は未熟なまま、見た目ばかり大人になった。叫べば、思い通りになる。喚けば、手に入る。そんな間違った世界を正してくれる人がいないままここまできた。そんな世界に住まなきゃならなかった、あんたに同情する……でも、唯をまた巻き込んでみろ。俺は、絶対に許さない。地の果てまで追いつめてやる」
 怒りが沸点を超えると、急激に体温がさがっていくのか、亮の瞳は凍てつくほど冷たかった。あれだけ激しく吠えていた大阪の息をのむ音が聞こえた。だがそれは一瞬。黒い炎が再び点火していく。
「水島も宮川も、庇い合いか! 俺はな……そういうのが一番嫌いなんだよ!」
 威勢のいい声は部屋いっぱいに響いていく。だが、抵抗する大阪の足は、空に回っていた。ほしいおもちゃが手に入らないと、駄々をこねる子供のように両脇を抱えらえて引きずられていく。立ち尽くす亮と座り込む唯、徳島の横を喚きながら。
「今は、勝ち誇った顔をしているお前らの顔は結局、明後日には苦痛に沈むんだ! それは明後日だけじゃない! ずっと続くぞ! 次の記事だって用意してある。『宮川亮! 一方的に契約を打ち切る』という見出しで、こう書かれるんだ。
 『女癖が悪いということを世間に知られてしまった宮川亮。それだけでも、イメージダウンなのに更に最悪なもう一つの顔があった。あの賞を手に入れて名誉を手に入れた宮川亮は、天狗に変貌。打合せをしようと出向いた社員を叱責し、追い返し、一方的に契約を打ち切るといいだした。そして……」
 大阪の世界の未来のシナリオは、廊下に引き摺り出された後も木霊していた。嫌でも空気に震えて聞こえてくる声。入ってくる大阪の声をすべて、吐き出すように亮は全身の酸素を吐きだした。


 静かになった部屋。残された三人の息遣いだけ聞こえるようになった空間。
 唯に背を向けていた亮が、振り返って座り込んだままの唯が顔を向けていた。ごめんなさい。ありがとう。どちらの言葉を選ぶべきなのか、迷ったように揺れる透き通った瞳をみて、亮はその場に座り込んだ。
 本当は怒りたかった。なんで、こんな無茶なことをしたんだ。もう一歩ここにたどり着くのが遅かったら、どうなっていたと思ってるんだ。そんな文言がポンポンと浮かんでくる。けれど、それらすべてを差し置いて、安堵という感情がすべてを飲み込んでいた。それ以外、何もなかった。唯が無事だった。ただそれだけで、もう充分だった。それを噛みしめるようにガックリと項垂れていた。
 徳島も、相変わらず目を覆ったまま動けずにいた。
 唯は、二人にどれだけの迷惑をかけたのかと申し訳なく思いながら、そっと近くに落ちていたショルダーバッグに手を伸ばした。重い静寂に部屋中にガサガサと探る。急にそんなことをしだす唯に、項垂れていた亮と徳島の目を引いていた。
 そして、唯が目当てのもの握りしめ、ずっと眠っていたものを起こすように、二人の前で開いた。
 それを見た二人は、大きく目を見開いた。
「水島さん……あなた、このために……」
 唯の手のひらにあるものに徳島が一早く反応して、濡れていた目じりを手でさっと拭っていた。
「これで、何とかできませんか?」
 唯がそう聞けば、呆れたような、感服したような、複雑な色に染まりながら元の冷静沈着な徳島に戻っていく。
「確証はありません。ですが、きっと何とかして見せます」
 唯の手から閉ざされていた扉の鍵を得たように眼鏡がきらりと光らせて、徳島は部屋を飛び出していた。

 遠ざかっていく足音が遠くなっていく。その音を聞きながら、唯はちらりと亮を見た。相変わらず固まったままの亮が、そこにいて少し困惑する。いつもなら小言の一つや二つ飛んでくるはずなのに、それさえもない亮は間違いなく怒っている。唯はそう判断していた。多大な迷惑をかけたことに間違いないし、弁解の余地はない。ともかく、謝ろう。そう思い口を開こうとした唯だったが、それは失敗に終わっていた。亮は慌てたように唯の身体ごとその腕に引き込んで、唯の顔は亮の胸に押し付けられていた。
 唯の鼓膜に伝わってくる亮の心臓の音が心なしか早い気がして、その理由を探ろうと真上にある亮の顔を見ようと身じろぐ。だが、それを遮るようにまた乱暴に胸に顔を押し付けられてそれは叶わなかった。けれど、その直後答えはすぐに出た。
「バカヤロウ……」
 ただ一言。頭上から降ってきた声と一緒にポトリと落ちてきた雫。もう理由を探る必要なんてなくなっていた。
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